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EternalCurse

Story-151.追想の白き花-V
「ブランシュール公爵家の次期総領様、今日はどうしてこのような場所に?」
失礼の無い様、ミレーユは挨拶をしているようだが、どうしても皮肉にしか聞こえない。
「子爵家に誤解が無い様、説明しにきたつもりだったんだが、生憎、お父上は留守のようだな」
「父がいないのでしたら、母が貴方のお相手をしたはずですが?」
無意識のうちにシェイドを警戒しているのだろう、どうしても言い方がきつくなってしまう。ミレーユは小さく溜息をついた。
「お前、心底、俺が嫌いなんだな」
どこか棘のあるミレーユの物言いに、シェイドは苦笑する。
「嫌いというよりは、苦手なの」
ふわりとした容姿とは裏腹にはっきりした娘だ、とシェイドは思った。
「まぁ、俺の事を苦手じゃない奴なんてこの世にはいないさ……」
生まれながらにして味方でいてくれた人間など、ほとんどいない、儚げな母でさえも――シェイドの自嘲的な表情に、ミレーユは首を傾げていた。
「あの……なにか?」
ミレーユが訊く。公爵家の次期総領が、まして母と話をつけたはずのその男が、何故か自分の目の前に現れたのだ。何かあるに違いない。
もしや先日の無礼な態度について、チクチクと皮肉でも言いに来たのだろうか? ミレーユは無意識のうちに、口を尖らせていた。
「なんて顔してるんだ」
「そんなにおかしいのですか? 私の顔」
「いくらなんでも、露骨すぎるぞ。俺が怪しくてしょうがないと感じているのが顔に出てる」
図星だった――ミレーユは観念したように、肩を落とす。
「それで、本題はなんですか? 仮面舞踏会での非礼なら、お詫びいたします」
「普通に喋っていいぞ。俺は、公爵家の次期総領である以前に、一介の騎士だ」
変に畏まられては、調子が狂う――シェイドはそう付け加えた。
先程もミレーユの母親に同じような事を言ったが、まぁいい。
「そう。だったら遠慮なく。私に何か様?」
案の定、掌返しに容赦はない。
「お前に頼みたい事があるんだ」
そう言って、シェイドは手短にミレーユに説明した。
「妃殿下の侍女? 私が?」
「妃殿下は誤解されやすいお方だ。その辺の婦人には到底務まらないだろう。お前なら上手くやっていけると思ったんだ」
「ちょっと待って、なんでそうなるかわからない」
両手を振りながら、ミレーユは後ずさりした。
「悪い話じゃないと思うぞ? 王宮勤め――とりわけ“普通の王宮”だった場合、王妃付きの侍女は人気の役目だ。良縁にも恵まれるしな」
そう、あくまで“普通の王宮”であった場合は、だ。
そこをシェイドは強調した。
この国が普通でない事ぐらいミレーユも承知している。本来、王妃というのは、他国の王女、もしくは大貴族の娘から選出される。だが、カルディアの場合、国王テオドールは、異端の一族出身であるマーレを娶った。
それも、集落を襲撃した戦利品として、だ。
だが、マーレにはこの時、一族の夫との間に設けた娘もいたという。
多くの女性と浮名を流してきた、テオドールが、未婚ではない女を、それも他人の子を産んでいる女を正室として迎える。奔放な南国、スーリアならまだしも、獅子の兄弟国であるこのカルディアで、そのような事がまかり通るなど、あってはならない。
国王陛下は一体何を考えているのだろうか――口にこそ出さないものの、カルディアの国民なら、誰もが一度はそう思った事があるはずだ。勿論、ミレーユもその一人である。

「確かに王妃の侍女は皆が羨むお勤めだわ。この王宮が当たり前のものだったらの話よね? そうじゃない事を念押しながら、悪い話じゃないってどおかしいでしょ! 矛盾もいいところだわ」
「だから、その条件下でも、公爵家の跡取りを前にして堂々と俺と渡り合えるお前なら、やっていけると、言ってるんだろうが」
「ずるい人……! 自分は普通の騎士だから、普通に接しろって言ったくせに、こういう時だけ公爵の身分を主張するわけ?」
「俺が身分を盾にしてるだと? 誤解の無い様に言っておくがな、大貴族の前だろうが騎士の手前だろうが、貴族の令嬢がそんな口ぶりだと、誰だって引くぞ」
痛いところを突かれて、ミレーユが沈黙する。貴族の令嬢らしくないのは、育ってきた環境のせいだ。
その自覚は充分にある。だからこそ、余計に相手に言いくるめられるのは、とりわけ“負ける”のは苦手だ。

「貴方こそ、この国が普通じゃないとか、王妃の侍女はその辺の人には務まらないとか、口にしていいわけ? それこそ不敬罪じゃなくて?」
「事実だから言ってるんだ。侍女として王宮にあがった途端、話が違うだの騙されただの喚かれたらたまったもんじゃないからな」
「ちょっと……私はまだ何も了承はしてないわよ? どうして侍女になる事を前提に話をしてるのよ」
「お前の王妃嫌いも相当なもんだな、俺以上に不敬なんじゃないか?」
「き……嫌いなんて言ってないわよ……」
「じゃあ、苦手なだけってやつか?」
先程のミレーユの言葉をシェイドはそのまま返してみせた。
「もういい。お前と話すより、お前の両親と話をつけた方が早そうだ。パラディ子爵が居る時に改めて来る事にしよう」
「だ、駄目よ、そんなの」
そんな事をされたら、両親は喜んでこの話を了解するに決まっている。
まして無礼を働かれたはずの、公爵家の次期総領が推してくれているのだ。断るわけがない。
シェイドがこの件についてミレーユが頑なに拒絶している事を訴えようものなら、両親から大目玉を食らう事は必至だ。なにより両親には、ミレーユを一刻も早く、屋敷から出したい理由がある。
「お前が思っている程、王妃は悪い人じゃないんだがな……」
どう説明したら、伝わってくれるだろう。困ったようにシェイドは頬を掻いた。
王妃の真意を知る者はほとんどいない。今もなお、“本物の娘だけ”を愛している事も。そして、悲壮な決意を秘めている事も。
王妃が心を許せる相手など、ごくわずかだ。せめて同性で話し相手にでもなってやれる者がいれば、気分も楽になるだろう。そのためには、なるべく、野心のない、裏表のない娘がいい。
「もう……わかったわよ、観念するわ」
ミレーユが溜息をついた。
「どうしたんだ? 急に素直になって」
「どんなに断ったって、貴方の事ですもの、強引な手を使ってでも、私を連れて行くんでしょう? 両親を通して話を薦められるぐらいなら、とっとと降参した方がまし」
「両親とは上手くいってないのか?」
「ううん、仲が悪いとか……そんなんじゃなくて……」
ミレーユは口ごもった。
「その……パラディ家には、男子が生まれなかったから、私に爵位を継がせるつもりで、お父様は私に剣の稽古をさせてきたの。だけど、弟が生まれて……私の役目も終っちゃった……」
寂しげに言うミレーユの横顔をシェイドはじっと見つめた。

「半分は、男と同じように、ううん、男にも負けないように生きようって決めていたんだけど……今は、どうしていいかわからない。これからだってわからない」
弟が生まれたことによって、これまで必要とされてきたはずのミレーユの価値は、一瞬にして失われてしまった。しかし、子爵家に正統な後継者が誕生したことは喜ばしいことである。けれども、中途半端に、行き場を失ったミレーユの心に残ったのは、戸惑いと不安のみであった。

「私だって、腹を括って生きてきたつもりよ? でも、跡取りが出来た途端に、お父様もお母様も、口にする事といえば、今度は“早く嫁げ”ばかり。そんなの早々受け入れることができるわけがないわ。
本当に嫌になっちゃう……。だから、貴方から両親に直接話をつけて欲しくないの。
私を追い出す口実を貰って、喜んで私を王宮に差し出そうとする姿なんて、目の当たりにしたら、本当に惨めだもの。そんな思いをするぐらいなら、自分から出て行くって言った方がまだましだわ」
「おそらく、ご両親がこの話を断る事は無いだろうが、お前に悪気があって、快諾するわけじゃないと思うぞ? 少なくとも、娘の“普通の幸せ”を願っているからこそ、送り出したいのが本音じゃないか? なまじ、令嬢でありながら、半分、騎士に育ててしまったんだ、その後悔が、今、焦りになっているんだろう」
大真面目に答えるシェイドに、ミレーユは小さく噴出した。
「ごめんなさい、急に愚痴ってしまって。貴方には関係のない話なのにね」
「気にするな。話してくれて助かる。俺も少し強引過ぎたからな」
「あら、素直に謝れるのね」
ミレーユのその一言には、シェイドはあえて反応しないでおく。

「ところで、お前は左利きなのか?」
「いいえ。両利きよ? まだ弟が小さいから、手加減をするのに、そっちを使っているだけ」
さらりと答えるミレーユに、シェイドは絶句した。
仮にも貴族の令嬢が、剣を扱っているというだけでも驚きだというのに、この娘はどちらの手でも剣を握るという。
もし、この時、ミレーユが両利きであった事を覚えていれば、数年後、オディールの正体に、おのずと気付けたのかもしれない。いずれシェイドはそう、後悔する事になる。
とりあえず、力で押し切ったようなものだが、ミレーユを王妃の侍女として連れていく事ができそうだ。
シェイドは安堵した。後は、彼女がこの話を両親に伝え、改めてその了承を得た後に、王妃の元へ向かえばいい。子爵がいる時にでも、また伺おう――この次に自分がやるべき事を、頭の中で組み立てる。
だが、何故かその意識は普段よりも散漫で、集中する事ができない。
その代わりに、脳裏を何度も過ぎったのは、
貴方様にとって未来の王妃となるべき女性を捜されてはいかがですかな?――舞踏会の直前に聞いたエドガーの言葉だった。



シェイドがパラディ子爵家から、ブランシュール邸宅に戻ったのは、陽も傾きかけた頃だった。
舞踏会で出会った時、少年と間違ってしまったミレーユのあの物腰は、騎士として育ってきた故のものと思えば、なるほど、納得できた。
そう、彼女を騎士団に入ったばかりの血気盛んな少年と思って話せば、腹を立てずに済む。
だからといって、本当の騎士のように、その根性を叩き直すわけにはいかないのだが。
帰宅してもなお、ミレーユの事ばかりが頭の中にある。
シェイド自身も不思議で、しょうがなかった。だが、それは養母、ソニアの一言で、一瞬にしてかき消されてしまった。
“本来の父親”からの文が届いているという。
そう、祖国メルザヴィアより、国王ヴァルハルトからの手紙だ。
手に取った瞬間に、重量を増したその手紙をじっと見つめる。
父親からの手紙は、一度深呼吸をした後に、封を切るというのが、いつの間にか、自分の中での決め事となっていた。
始めに目に飛び込んできた文字は、こちらの気候や、シェイドの身体を気遣うものだった。
祖国のメルザヴィアは相変わらず寒いらしい。夏が短く、ほとんどが雪に包まれているような国だ。それは致し方ない。
国内の情勢は、というと、相変わらず叔母クローディア率いるシュタイネル一派には手を焼いているらしい。
それもこれも、全ては曰くつきなこの身のせいだ。こんな報告を聞く度に、シェイドは申し訳ない気持ちになる。たまにはテオドールに頼んで休暇を取り、顔を見せに来るように、とも手紙には書かれていた。
そんな事をしようものなら、叔母が何を言い出すかわからない。余計な火種を持ち込んで、国王を煩わせるわけにはいかない。シェイドは、返事を認め始めた。

ヴァルハルトに対し、物心付いたときから、父上――という呼称を使う事を辞めた。
自分のような素性も知れぬ輩が、あの英雄王を父と呼ぶ事は畏れ多いというものだ。
母上は息災ですか?――そこまでペンを走らせては、紙を握りつぶす。
中々、上手い言葉を紡ぎ出せずにいた。
あの二人の間に新たな子が生まれれば、その時こそ心置きなく決別できるのに――椅子に身体を預け、両腕を頭の後ろに回し支えると、シェイドはしばし天井を見つめていた。
その後、思いついたように、当たり障りのない挨拶だけを認めた後、手紙を封筒に入れ、蜜蝋を押す。
これが最後の手紙ならいいのに。それがお互いの為だ。
そういい聞かせながらシェイドはそっと目を閉じた。
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