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EternalCurse

Story-150.追想の白き花-U
翌日、騎士団の宿舎にて、二日酔いで頭を抱えるガルシアを横目にシェイドは昨晩、出会った娘の事をふと思い出していた。こちらの正体も知らずに、ミレーユ・パラディと名乗りを挙げた彼女は、シェイドの名を聞くや、血の気を失った顔色のまま、ただただ、それまでの非礼を詫び、その場を去ってしまった。よく見れば、自分とほとんど変わらない年齢の娘だったような気もする。
あの日は、仮面舞踏会だ。
多少の無礼は許されるというのに、やはりブランシュールという名を彼女は畏れたのだろう。
名乗りを聞く前までの、とりわけ男と間違えられた瞬間に反論した、あの威勢はどこへ言ったのやら、思わずシェイドは苦笑する。

「おい、どうしたシェイド。一人でニヤニヤして。昨日、なんか良いことでもあったか?」
「なんでもない」
ガルシアの問いかけに、これまた可愛げなく答える。
「本当に、なんでもないのかよ?」
怪訝そうにガルシアが眉根を寄せる。
一瞬、パラディ子爵家の事について、ガルシアに尋ねようと思ったシェイドであったが、寸前の所で踏みとどまった。貴族の娘など地方出身の者から、由緒正しき大貴族に至るまで、多々王宮に出入りしている。
ガルシアがわざわざ、彼女達の事を覚えているはずもない。だからといって、ミレーユの名を出せば、必ず茶化される事が目に見えていた。
「シェイド、妃殿下がお呼びですよ?」
いつの間にか宿舎へと戻ってきたカイルが、シェイドに声をかけた。
「妃殿下が? わかったすぐ行く」
シェイドが即座に立ち上がる。
「まったく……お前は片時も休んでいられねぇんだな、妃殿下のお気に入りって立場も、考えものだと思うぜ?」
傍が聞けば不敬罪なガルシアのその発言を、シェイドは聞かなかった事にして、王妃の元へと向かった。



マーレ王妃は中庭でお茶を楽しんでいる最中であり、シェイドの姿を見つけるや、優雅に手を振った。つい先程まで話し込んでいたのか、王妃の傍には侍女を連れ立ったレイチェルがいた。
「シェイドと話があるの」
マーレがそう言うと、レイチェルはドレスの裾を摘まみ、優雅に王妃に一礼して、その場を立ち去る。
それと入れ替わるように、シェイドが王妃の前に歩み出た。
静かに、王妃の元を離れつつも、レイチェルがこちらを振り返る。
わざとらしい、素振りだ――送られてくるその熱烈な視線を見なかった事にして、シェイドは王妃の前に跪いた。
「いかがなされました? 妃殿下……」
「貴方にも少し、協力して欲しいことがあるの」
「協力? 俺にできる事ですか?」
「実は、新しい侍女を探しているのよ」
実に困った様子で王妃は言った。
聞けば、王妃にとって最も信頼のおける侍女が、暇乞いに来たという。突然、帰郷する事になったらしい。
「なるべく、私を怖がらない、気立ての良い娘がいたら、侍女として推して欲しいの」
皆、口にこそ出さないものの、周囲からマーレ王妃はマナの一族を売り、国王に嫁いだ裏切り者として見られている。
さらに言うなら、まるで、氷の女王が如き、その玲瓏なる美貌から、とっつきにくい印象がある。
その怒りを買えば、どんな目に遭わされるかわからない――そんな噂も一時流れていたせいか、本来は栄誉であるはずの王妃付きの侍女になりたがる者がいないのも事実だ。いざ、話してみれば、マーレ王妃がとても心優しい女性である事がわかるはず、なのだが。シェイドは小さく息をついた。
「それで、俺に相談を?」
「こんな事、貴方にしか言えないわ。他の者に頼めば、必ず“裏”がある娘が送り込まれてくるでしょう?」
裏――というのは、娘を侍女として送り込み、王妃に取り入る事で、少しでも一族の地位向上を企てる事を指す。この辺は公爵家の名を欲しがって是が非でも娘を嫁がせようとする貴族達にも通じるものがあるのだが。
「その点、貴方の場合は、本来は王族ですもの。それ以上に望む地位なんてないでしょう? ねぇ、ブランシュール邸に、丁度良い侍女はいないかしら?」
「いや……エドガーの所は」
ブランシュール邸にいる使用人は長年夫妻に仕えている年期の入った者達ばかりだで、おそらくは、そこで勤め上げるつもりなのだろう。
今更、王宮にあがり、それも王妃の身の回りの世話をしたいはずがない。この子ならきっと利害など関係なく、侍女を薦めてくれるに違いない――そんな期待交じりの視線をマーレはしきりに送ってくる。
何かと誤解されやすい王妃だ。なんとか、心置きなく相談に乗れるような、気立ての良い娘を紹介してやりたいところだが……シェイドはそう考えていると、ふと、その脳裏に先日、ミレーユ・パラディと名乗った少女の顔が過ぎった。



結局、王妃への返事は保留にして、ブランシュール邸に帰ってきたシェイドであったが、いきなり待ち受けていたのは、眉間に皺を寄せたエドガーからの詰問であった。
「なにか先方に失礼でもあったのかな?」
険しい顔でいきなりそう言われたところで、当の本人はただ、ぽかんとするばかりだ。
「一体、何の事でしょう?」
とぼけているわけではない、素直にシェイドはそう答えた。
そこでようやくエドガーはあまりにも唐突な問いかけだった事に気付いたようで、整えられた髭を撫でながら
「パラディ子爵から事の他丁寧な謝罪の文が届いた」
と言った。
「で、お前は一体、何をやらかしたのだ?」
何故、謝罪の手紙を受け取ったというのに、エドガーはまるでこちらに非があるような口ぶりなのだろうか。
「先日の舞踏会で、パラディ子爵の娘――とやらとしばし会話しただけですが?」
「本当にそれだけなのだな?」
「ええ」
「手紙を読めば、子爵は随分とこちらに萎縮しているようだったが、本当に娘のミレーユ嬢に失礼はなかったのだな?」
むしろ無礼だったのはミレーユの方である。だが騎士たるもの、それを口にするには気が引けて、
「勿論です」
とだけシェイドは返事をした。
権力を盾に、自分よりも身分の低い者――とりわけ娘に狼藉を働く貴族も少なくはない。被害を受けた側は大貴族らに立てつけるはずもなく、家主は事を荒立てぬよう、家の為に仕方なく上に媚を売る。
娘はただ泣き寝入りをするだけだ。勿論、何の罪もないのにパラディ子爵のように、一方的な謝罪の文を寄越す場合も多々ある。
「では、手紙の方が正しいのだな?」
万が一でもそなたを疑って悪かった――と、エドガーは付け足した。
「しかし、子爵の娘御はよほど気が強いと見える。そなたに恋焦がれる淑女は多々いても、そなたに食ってかかるような娘の話など聞いたことがない」
「まぁ、状況が状況でしたし、変装のせいか、俺も彼女が女だったとは思いませんでしたから、口の利き方が乱暴になったのも事実です。これに関してはお互い様なので、子爵が気に病む事など何一つありません」
「でも、パラディ子爵の方はそうは思ってないみたいよ? 誤解を解いてきたら?」
話の間に入ってきたソニアが言う。
「どうして俺が、謝罪しなくてはならないんですか?」
「だって、貴方が声をかけたってことは、お嫁さん候補じゃないの?」
何故そうなる――シェイドが眉を潜める。
「貴方に誤解されたままじゃ、子爵もそのお嬢さんも可哀想だわ。公爵家の不興を買ったと悩んだ挙句に伏せてしまったらどうするの?」
いや、子爵はともかくあの気の強い娘に限ってそれはない――そう心の中で呟きながらも、王妃の侍女の件もあって、結局、パラディ子爵家へ赴く事にした。



パラディ子爵への誤解を解く、ついでに娘御を王妃付きの侍女に推薦する。面倒な事になったものだ。だが、結局、そこへ足を運んでしまった。パラディ子爵家へ辿り着くと、すぐさま客間へと案内された。
なんだかんだで、ここに来る口実が欲しかっただけじゃないのか? 俺は――シェイドが自問自答する最中、生憎、パラディ子爵は外出中という説明を受けた。
代わりに子爵婦人、つまりはミレーユの母がシェイドに応対する事となった。
娘ほどではないが、婦人も明るい金髪の持ち主で、品のある、それは穏やかな女性だった。
思わずシェイドは頭の中で、目の前の婦人とミレーユの顔と佇まいを比較してしまった。
何をどうやったら、あんな威勢の良い街娘のように育つのだろうか。
子爵夫人は重ね重ね、夫の不在を詫びた。
「いえ、俺は公爵家の総領である以前に、一介の騎士ですので、そう緊張なさらずに……」
相手のあまりにもの萎縮ぶりに、こちらの方が申し訳ない気分になる。
とりあえず、子爵には、舞踏会での件について、これ以上気に止まぬよう、伝えて貰うことにした。さて、本題はここからだ。王妃付きの侍女として、ミレーユを推薦したい、と夫人に話さなければならない。だが、本人がいない場所で勝手に話を進めるのも気が引ける。子爵夫妻ならば、喜んで娘を勤めに出すことだろう。王妃付きの侍女にもなれば、良縁に恵まれる事もある。だが、あの娘の場合、本人の意思も確かめずに勝手にこれを決められたとなると、黙っているはずがない。なぜかそう確信できた。

ご息女にも話がある、と夫人に伝えると、
「ではすぐに着替えてこちらに来るよう、申し付けますね」
と夫人は、少しばつが悪そうに答えた。
「着替える?」
思わず、シェイドが反芻する。
「ミレーユ嬢は何か……習い事でも?」
貴族ならば、なにかしら習い事をしていてもおかしくはない。とはいえ、女性なら、歌や、ピアノ、あるいは詞を作る事などが主だが、どれも着替える必要はない。ならば、湯浴みのような気がするが、このような昼間からそのような事はありえない。
「あ……いえ……その……」
夫人はシェイドから目を逸らした。
「ミレーユ嬢は、何をされているのです?」
シェイドが若干、強めの口調で問いかけてしまったせいか、夫人は、これ以上、公爵家の総領に不快感を与えてはならないと、懸念したのだろう。
「あの……どうか、軽蔑なさらずに、お聞き下さい……娘は、その……弟に、剣の稽古をつけております」
夫人は俯きながら、蚊の鳴くような声で、途切れ途切れ、ミレーユの居場所を話始めた。




「あ、痛っ!」
弾き飛ばされた剣が緩やかな弧を描いて地面へと突き刺さる。中庭を手入れしている園丁などが、そこにいなくて良かったと切に思う。と、同時にまだ十にも満たない少年が、尻餅をつく。
「少しは手加減してよ……姉上」
衝撃を受けた右手を擦りながら、緩やかな金に近い茶髪の少年が不満そうに相手を見上げる。
「何を悠長な事を言ってるのよ、相手が私じゃなくて、悪漢だったらどうするの? 手加減してくれなんて頼んでいる間に、貴方、殺されるわよ?」
男物の稽古着を小さめに手直ししたものを身に纏い、カナリア色の髪を少し上で纏めたような格好で、ミレーユは弟を見下ろした。
「だって……」

「だって……じゃないわ。貴方はいずれ、このパラディ家の跡取りになるのよ? しっかりしてもらわないと、私が困るの」
ミレーユはそう言うと、左手に握ったままの剣を数回振って、右腰の鞘へと戻した。
「ほら、手を出して」
未だに尻餅をついたまま、唇を尖らせている弟に、ミレーユは手を差し伸べる。姉の手を借りて、立ち上がった弟は、衣服についた土埃を払い落としていた。
「今日の稽古はここまでにしておいてあげる」

「え?」
弟の顔がぱっと輝く。無理もない、彼はまだ子供なのだ。
「剣は私拾っておいてあげるから、早く、屋敷に戻って着替えなさい」

「ありがとうございます! 姉上」
言うが早いか、弟はこの場から逃げるようにして、駆け出した。その後姿を見ながら、ミレーユは、やれやれ、と言った風に肩を落とし、弾き飛ばした弟の剣の方へ向かう。
見事に地面に刺さった剣を引き抜こうとしたその時だった。その足元に、人影が重なった。ミレーユの視線が、影の持ち主を辿る。
「先日はどうも、相変わらず勇ましいようだな、ミレーユ嬢?」
そこには、使用人に案内されて来た、シェイドが立っていた。
「どうして……貴方がここに……」
嫌なものを見た――ミレーユの表情から、シェイドがその感情を読み取るのは容易い事だった。
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