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EternalCurse

Story-149.追想の白き花-T
「舞踏会に出席ですか? 俺が?」
「さよう。引き受けてくれるな? シェイド」
養父であるカルディア三大公爵家の当主、エドガー・ブランシュールは、白い髭を撫でながら、穏やかに言った。彼の視線の先で、険しい表情を見せている、シェイド・ブランシュールは、この時、十六歳。
同年代の騎士達に比べ、落ち着いた雰囲気を有していたが、その顔立ちには、やはり成長過程にある少年特有のあどけなさを残している。
「引き受けるも何も……俺がその類を苦手としていることぐらい、わかっているでしょう? 父上」
父上――と親しく呼ぶも、実質この親子は血が繋がっているわけではない。養父と養子の関係だ。
しかし、この養子の正体は、一国の――それも英雄王ヴァルハルトが統治する、メルザヴィア王国の王太子である。
本名は、シェイド・ジークハルト・ソレイアード・メルザヴィア。
しかし本人はこの名をいたく嫌っている。なぜなら彼の出生はいわゆる『曰くつき』であったからだ。
シェイドの母――すなわちメルザヴィア王妃ソフィアは、ヴァルハルトとの婚礼を終えて間もなく、敵国ヴァロアに攫われた。王妃はすぐさま、ヴァルハルトの手によって連れ戻されたものの、その後に生まれたシェイドには、祖国メルザヴィアにおいて、必ずと言っていいほどの、黒い噂が付きまとっている。
それは、彼がヴァルハルト王の子ではなく、もっぱらヴァロア皇帝の落胤というものである。
シェイドの青みがかった黒髪は、灰色狼と謳われた父親ヴァルハルトからも、母親ソフィアからも受け継いだものではない。
つまりはその容姿こそが、自分がヴァロア皇帝の血を引く……すなわち、罪の証だと囁かれていたのだ。
そして子供心に、居場所を失くしたシェイドはわずか七歳で、修行と称して祖国を去り、このカルディアでブランシュール公爵家の養子として、過ごしている。
数年後、自身の出生についての謎が解明される事になるなど、勿論、当時のシェイドは知る由もない。
そんな悩み多き彼にとって伯父にあたる、カルディア国王テオドールが、これから催そうとしているのは、俗に言う仮面舞踏会――王侯貴族の典型的な道楽というやつだ。

「そもそも、俺の場合、仮装だか仮面舞踏会だかに出席したところで、この髪の色ですぐさま正体がばれてしまいます。やはりここは父上が行かれたほうがよろしいのでは?」
シェイドは己の名前以上に、この持って生まれた黒髪と黒曜石のような瞳が、疎ましくてしょうがなかった。
「そう、嫌がるものではありませんぞ? 王宮の舞踏会というのは、出会いの場でもあります。これ幸いと思って、貴方様にとって未来の王妃となるべき女性を捜されてはいかがですかな?」
貴方様は、もう妻子を持ってもおかしくはない御歳ですぞ?――エドガーは諭すように言った。
ひとの気も知らないで――シェイドの心はずしりと重くなった。
そう簡単に、自分の妃など選べるはずもない。
祖国、メルザヴィアは次期国王として、嫡子であるである王太子を推す者は勿論のこと、反王太子派とも呼べる者達も同時に存在する。
彼ら反王太子派の人間は、シェイドへの疑惑――すなわち、彼がヴァロア皇帝の庶子である可能性を掲げ、なにかと政に難癖をつけてくるらしい。彼らが次期国王にと推すのは、獅子の兄弟の末妹、クローディアが生んだ男子、イザークである。
シェイドがメルザヴィアを発って以来、イザークを推す彼らの行動は活発で、それを牽制することに頭を痛めていると、ヴァルハルトの手紙に長々と綴られていたことを覚えている。
渦中のメルザヴィアに、自分が妃を連れ帰ったらどうなるだろう?
反王太子派の筆頭たる叔母のクローディアや、従兄弟のユリアーナは、これみよがしに『王冠泥棒』だの、
『この国を乗っ取る気か?』だのと騒ぎたて、妃として選んだ女性にまで、言われなき中傷を浴びせることだろう。
自分が妻にすると決めた人には、そんな思いをさせたくないと、シェイドは常々思っていた。
しかし、彼ら――反王太子一派の気持ちもわからないわけでもない。獅子の兄弟達は、何よりも伝統と血統を重んじる。まして先の聖戦で活躍した英雄王ヴァルハルトが治める国に、敵国の皇帝の血を引く自分が、玉座に座るなど、許されなくて当然だ。ただ、シェイド自身に結婚に対する興味がないわけではない。
もしも、許されるのであれば、王家とはまた違う、当たり前の家庭というものを持ってみたいと思っていた。
あまりにも特殊な環境で育ったこともあってか、いつしかシェイドの中では、普遍的なものに対する憧れが、強くなっていた。
王室特有の英才教育などとは無縁な、そう、子供時代、自分には得られなかったはずの、暖かい家庭というものを求めるようになっていた。
もしも、子宝に恵まれなければ、それこそブランシュール夫妻のように夫婦水入らず、最後まで中睦まじく添い遂げるのも悪くはない。
正直、同じ睦まじい夫婦でも、祖国の両親の場合は、それこそ永遠の恋人よろしく、子供に入り込ませる場所すら与えない、といった感じである。
無論、臣下の前ではそれを弁えてはいるものの、どちらにも甘えることすら出来ず、子供心にうんざりしたものだ。
「私は仮装をするような年でもありませんゆえ、行くだけ行ってくれますな? 殿下」
養父の態度は、完全に臣下のそれだ。
都合が悪くなると、養父はいつもこうだ――シェイドは眉間に皺を寄せた。





舞踏会の当日、会場は貴族達の奇抜な衣装によって鮮やかに彩られていた。
お互い、元が誰なのか――そのような無粋な詮索は無しにして、参加者は談笑し、時には手を取り合い、踊っている。この日だけは無礼講、というわけだ。
その蛮勇ぶりが国内外にも知れ渡るテオドールだが、意外にもこのような宴を好んで開くことが多々ある。
それは単純に息抜きのため、あるいは、時折、仮装の中で、垣間見る臣下の“本音”を探る目的か――力によって絶対的王者であろうとする国王は、誰も信用せず、必要ともせず、実のところは猜疑心の塊なのかもしれない。
これまで自らが行ってきた事を省みれば、恨みの一つや二つ、いや、それ以上買っていても仕方はない。
マナの一族への仕打ちなどがそうだ。

身から出た錆だな……、シェイドは唇を固く結んだ。

「口元だけしか見えなくても、今の貴方が仏頂面だってことぐらい、わかってよ? シェイド」
背後からの聞きなれた声にシェイドは振り返った。
「妃殿下……」
手に蝶を模したような仮面を持ったまま、玲瓏な美貌の王妃はこちらに微笑みかけている。
「爪先から頭の先まで漆黒の装い……エドガーは貴方を鴉の化身にでも見立てたってとこかしら?」
シェイドの衣装は一見、貴族の外出着のようにも見えるが、ブーツから帽子、その全てが黒一色で誂えられており、ビーズや羽根飾りがふんだんに縫い付けられている。外套の裏などがまさにそうだ。

「酷い言われ様ですね」
「あら、貴方にはお似合いよ」
そんな王妃は胸元が大きく開いた立ち襟の黒いドレスを纏っている。
遠目に映るテオドールは、さながら魔王のような出で立ちで、仮装した臣下に囲まれている。
近くにいる娘のアドリアは、姫らしからぬ、膝上まで露わにした短い丈のドレスを纏っており、その背中には小さな作り物の魔物の翼をつけている。小悪魔に仮装したつもりなのだろう。
国王、王妃、王女の三人が揃えば、まるで魔王一家のようだった。
「もうじき、忙しくなるわね」
じっとアドリアを見つめながらマーレが呟く。
マーレは、メルザヴィアにいる実母とは違う美しさの持ち主である。
その横顔に思わず、見惚れて、シェイドは返事が遅れる。
「しばらくは、大掛かりな討伐も遠征もなかったはずですが……?」
ここのところ、カルディアは、魔物による襲撃も、蛮族や、異教徒達による侵攻も落ち着いていたはずだ。

「シェイド、そうじゃないわ。もうじき、セレスティアが目を覚ますから忙しくなると言っているのよ」
「セレスティア? ああ……」
そういう事か――とシェイドはようやく納得した。
セレスティア――、マーレの姉にして、運命の双子と位置づけられた娘。そして、希代の神子。シェイドが誕生した際、メルザヴィアに訪れ、洗礼を与えた後、十六年もの眠りについたその神子がまもなく目を覚ますという。
神子と英雄――それは切っても切れぬ関係であり、予言によって選ばれたその二人は必ず、“聖戦”へ赴き、この地に安寧をもたらさなくてはならない。
そう、かつて、父、ヴァルハルトがそうしたように。
とはいえ、あまりにも漠然とした慣習である。一体、神子とどこへ向かい、何を倒して平和と成すのだろう。
訝しげな表情から察したのか

「何か、不服そうね、シェイド?」
マーレが言う。
「いえ、そんな事はありません」
「嘘をおっしゃい。口元に出ているわよ?」
即座に否定するシェイドを見て、マーレは小さく笑った。
「ところで、この会場で、ガルシア将軍や、カイルは見つけたの? シェイド。貴方がこういう場を苦手とする事は重々承知しているつもりだけど、楽しむべきときは、きちんと楽しみなさい。もうじき、そうも言ってられなくなるわ」
息子に言い聞かせるように、マーレはシェイドを諭すと、静かに、仮装をした貴族達の輪の中へと入っていった。
もうじき、そうも言ってられなくなる――?シェイドは王妃の最後の言葉に、何か引っかかるものを感じつつも、会場内を見渡した。
どの貴族達もこの日の為に趣向を凝らして衣装を誂えたのだろう。
中には手の込んだ鬘や帽子を被っている者や顔全体を覆う仮面の者もいる。
口元が見えないとなると、人の判別はさらに難しくなる。とことん正体を隠したいのか、ご丁寧にも話し方や、声色まで変えている者もいた。
よく目を凝らして見てみると、なんとなく、ではあるが、奇抜な集団の中に、ガルシアやカイルの姿がある事がわかった。
何故、そう思えたのだろう。全体的な骨格で……いや、気配で、それとも匂いで? そんな馬鹿な、犬じゃあるまいし――シェイドはすぐさまその妄想を頭の中から打ち消した。

だが――ここのところ、五感が研ぎ澄まされているような気がする。
日に日にそれが強くなっているように感じるのだが、疲れでも溜まっているのだろうか? 自分でも意識してないだけで、気が昂っているのかもしれない。
そういえば、最近は眠りも浅い。寝付けないというよりは、あまり必要としていない、という方が正しい。
まして、食も細くなっているような気がするのだ。
そんなことを言うと、とりわけ養母のソニアが医者を呼ぶと大騒ぎするから、口には出せない。
ガルシアやカイルに近づいて、声をかけようとも思ったが、彼らに捕まって、大きな声で正体をばらされでもすれば、これまた面倒な事になるのだ。
養子の立場とはいえ、ブランシュール公爵家という肩書きは、淑女達にとって、いや、未婚の娘を持つ親にとっても、絶大な威力を誇る。
是非、我が娘を妻に――そういった話が次々と浮き出ては、毎回、断る事に追われているのが現実である。
正直に言えば、娶った彼女らが将来手に入れるのは、公爵夫人という地位ではない。
何事もなく順調にいけば、妻となる女はメルザヴィア次期王妃の冠を戴く事になるのだ。
シェイド自身、王位を継ぐことをあまり望んではいないが、爵位目当てに、政の駒として使われる娘よりも、王妃として相応しい女性を慎重に選ばなくてはならない事ぐらい承知しているつもりだ。
ただでさえ、この身は祖国において、疎まれている存在なのだから。

そんな事を考えながら、ふと取り巻きに囲まれた仮面の女が目に付いた。
あれはカヴァリエ侯爵令嬢、レイチェルだ。
真紅のドレスを身に纏い、黒豹あるいは黒猫の仮面をつけ、唇は真っ赤な色が差してある。
ありのままだな――仮面などつけずとも、猫のように好き嫌いの激しい侯爵令嬢をシェイドは一瞥した。
早くこの場を立ち去ろう――本能が危険を察知しているのだろう。レイチェルの目に付かない間に、シェイドはその場を離れた。

時折、葡萄酒を勧めてくる仮面の給仕がいたが、丁重に断った。酒を飲む気にもならない。
やはり、食欲がない。だからといって、身体の調子が悪いというわけでもない。
一体、どうしたものか――と我ながら首を傾げたくなる。
壁に背をつけながら、シェイドはぼうっと周囲を見渡していた。ふと、巡回の兵士が目に付く。
つばの広い黒の羽根つき帽子と赤い軍服は、公式行事の際、近衛兵が着用するものだ。
仮面で覆われてはいるが、幼い口元からして、成長過程にある少年の兵士と察することができた。
その近衛兵は随分と落ち着きがなく、辺りを見回している。
巡回をしている――というよりは挙動不審とさえ見て取れた。
思わず、シェイドは目を凝らした。近衛兵は何故か、巡回を止め、この会場から外へ出ようとする。
会場より外にあるのは、手入れの行き届いた薔薇園だ。
まさか――ふと、シェイドの頭に不安が過ぎる。
本当に近衛兵か――? あまりにも不審な行動から、シェイドはその人物が、近衛兵に成りすました誰かであることを疑った。
気配を殺して、その近衛兵の後をつける。
案の定、近衛兵は、薔薇園の方に出た。近衛兵のふりをした何者かが、よからぬ事を企て、ここから逃走しようとでもいうのか。
もし、国王夫妻に差し出される葡萄酒の中に一服盛られていたとしたら――? 思わずシェイドは、国王の方を振り返った。
ここで引き返して国王夫妻に注意を促すべきか、それともこの不審人物を追うべきか――、一瞬迷った末、シェイドはこの不審人物を追う事にした。
近衛兵はゆっくりと夜の薔薇園を進んで行く。足音を立てずにシェイドは追った。すると、急に近衛兵はその場に屈み込んでしまった。
「こんなところで何をしている?」
動く気配のない近衛兵に、シェイドは声をかけた。
その声に驚いたのか、近衛兵が弾かれたように顔を上げる。
シェイドは腰の剣を引き抜いた。これは魔剣ではない。仮装用に誂えた飾りの剣ではあるが、相手を突き殺すことぐらいはできる。
「お前、近衛兵ではないな。会場でなにをやった? 返答次第では生かして返すわけにはいかない」
近衛兵は突如現れた、鴉の化身のような黒装束のシェイドを見上げる。

「侯爵令嬢の香水が気持ち悪いから、息抜きにここにきただけ」
近衛兵はそっけなく答えた。それでも、シェイドはその近衛兵の言葉を素直に信じる事などできなかった。

「お前は何者だ?」
「人に名を尋ねるときは、まずは仮面を取ってそちらから名乗るのが筋じゃない?」
予想外にも、近衛兵は不機嫌そうな口調でシェイドに食ってかかった。
「人様に素顔を晒せないくせに、ああだこうだ言う人間なんて、信用できない」
言いながら、近衛兵は口元に笑みを湛えた。
「それはお互い様だろ? お前がものわかりの悪いガキだという事はわかった。で? 重ねて言うが、お前は何者だ? カルディア人か? どこぞの貴族の道楽息子、あるいは他国の間者か?」
煽るようにシェイドが言う。
近衛兵はむっとした様子で、羽根帽子を取った。と、同時に、波打つ髪がどっと溢れた。
この月明かりですら、見事な白金色に輝く髪だ。
おそらく、昼間見たならば、よほど明るい金髪の持ち主なのだろう。続けて、近衛兵は仮面を取った。
その仮面の下にあったのは、まるでリスのような大きく、可憐な瞳。
「失礼な人……私は女よ?」
少年と思っていた、人物が、自分と歳の変わらぬ、愛らしい少女と知って、シェイドは思わず言葉を失った。
「私はミレーユ・パラディ。ほら、次は貴方の番。素顔を見せて、名乗りなさいよ」
男装の少女はまくし立てるように、シェイドに言った。
「ああ、悪かったな」
シェイドもまた、言われるがまま、帽子を脱ぎ、仮面を外す。
「俺はシェイド・ブランシュール。少年と疑って悪かったな」
この時のシェイドは、既に警戒心も毒気も完全に抜かれてしまっていた。
自分でもわからず、ふと笑みを零す。
「シェイド……ブラン、シュール……ですって?」
ブランシュールといえば、泣く子も黙る三大公爵家ではないか……一方、ミレーユ・パラディと名乗った、その娘の顔が蒼白になっていく様は夜目でも確認できた。
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