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EternalCurse

Story-148.変人公爵の厚意-U
「いやはや、閣下も随分と珍妙な方々を多々お連れですな。この方々は……もしや新しい団員候補ですかな?」
国立歌劇場を取仕切る総支配人――と聞けば、派手な服に身を包んだ恰幅のいい髭を蓄えた男を想像していたのだが、予想に反して支配人のジョシュアは細身の男だった。ソファーの背に無造作にコートをかけ、無地のシャツにズボンといった簡素な出で立ちで、所々白いものも混じる栗色の髪を後で一つにまとめており、年は四十代後半か、五十をいくつか過ぎたばかりに見える。
「違うってばジョシュア、団員の補充ならもっと役者に向いてる人を斡旋するって。こちらはただの神子のご一行様」
なんとも失礼な紹介の仕方である。
「なんと、神子のご一行様でしたか!」
淡白なローレンスと違って、ジョシュアは目を丸くした。失礼しました――改めるようにして、ジョシュアは柔和な笑顔で一行に一礼した。
「そう、神子のご一行様、私が人探しを依頼するついでに、一緒に来て貰ったんだよ。ジョシュアはなにかと物知りだからさ……」
一通り、エステリア一行を見回した後、ローレンスは続けた。
「で、私の依頼なんだけど、ジョシュアにはオフィーリアという淑女を探して欲しいんだ」

「はて……オフィーリアとは?」
ジョシュアが首を傾げた。
「今を遡ると……そうだな、彼女は確か十数年前にソフィア王妃を看病していた子なんだよ。あの時は見た感じ十歳を過ぎたぐらいだったから……今となっては充分な大人の女性になっているだろうね」
ソフィアを看病した淑女――と聞いて、エステリアは何か嫌な予感がした。
「そのオフィーリアって子、顔立ちがブリジットにそっくりでさ……むしろオフィーリアが名前を変えてブリジットとしてライオネルに嫁いだんじゃないかな……って思ってるんだ。だから徹底して団長にはその子の出自を洗って欲しいんだよね」
多分、ローレンスの予想は当たっていると思う――確証こそないが、エステリアは内心そう呟きつつ、
「ローレンス閣下は何故その人を探しているんですか?」
と尋ねた。
「私の初恋の相手なんだよね、彼女」
その一言を聞くや、エステリアと同じくオフィーリアの正体がブリジットである事を予想していたのであろう、シェイドの表情が心なしか引きつる。
「私がエレイン以外で欲情したのはその子、ただ一人なんだよ」
駄目だ、隣のシェイドが今にも頭を抱えてしまいそうだ――その様子を見ただけで、答えは確信に近づきつつあった。エレインの方はというと、至って冷静だ。夫が思い出の女の影を追おうとしているにも関わらず、口元には笑みすら湛えている。それは、自分が夫から愛されていることを確信しているが故の余裕なのだろうか?エステリアはある意味、関心していた。
「なるほど、閣下の初恋の相手を探るのですか……」
唸るようにしてジョシュアが顎を撫でる。
「で、そちらの神子殿ご一行は? 私に一体何を探ってほしいのです?」
ふと目が合って、エステリアは答えた。
「探る……というより、マルグリットさんの事について、お聞きしたいんです」
彼女がサーベラスの一員であるか、尋ねたいとこなのだが、初対面に相手に、そのような事を単刀直入に聞けるはずもなかった。どう切り出そうかと迷っていると、
「彼女達、サーベラスについて知りたいんだってさ。こちらの歌姫マルグリットがそのサーベラスと繋がっていたのかって件もね」
代弁するようにローレンスが言った。
「ははぁ……そういう事ですか……」
ジョシュアは答えるのも難しい――といった表情である。という事は、やはりマルグリットはサーベラスの一員だった確証が高い。と、すれば、このジョシュアという人物も、サーベラスの存在を周知しているということである。
「そもそも、貴女達は、マルグリットについて、どこまで調べてるの?」
ローレンスが話を振った。
「えっと、調べるというよりは、人伝に耳にしたまでですけど……彼女がルドルフ陛下のご寵愛を受けていたという事ぐらいでしょうか……」
まずは他愛もない会話から入ってみる。シェイドから聞いた話によれば、マルグリットは王妃ヴィクトリアの悋気によって殺害されたといっても過言ではないらしい。だが、そのような事は口が割けても言えない。
「え? マルグリットが国王の寵愛を受けたって? それはないない」
ローレンスが即座に否定し、手を振った。
「そもそもあの人、他人のお手つきは嫌いでしょ?」

「ローレンス!」
エレインが顔を真っ赤にしている。
「だからいつも不思議に思うんだよね? どうしてブリジットなんかを公妾に据えるのか。未亡人なんて手垢塗れなのに」
もう何も言えない……という風にエレインは俯いてしまっている。
「ああ、エレイン、疲れてるんだね、ごめんごめん。ちょっとそこらで午睡でもしようか?」
唐突にローレンスはエレインの手を取ると、立ち上がった。
「ごめんね、お嬢さん。私達はそこのソファーで休ませてもらうことにするよ」
呆気に取られている。
「私、ろくに眠れてないんだよ。しょうもない事で国王陛下からの召集でとんでもない時間に呼びつけられたりしてさぁ……」
人目も憚らずに、欠伸をしながらローレンスは立ち上がるとエレインの肩を抱き、近くのソファーに腰を下ろした。
「そうだ! 美しいお嬢さん、国立歌劇場に来たんなら、マカロンぐらい買って帰るといい。あれ、絶品だよ? お茶にもよく合う」
ふと思い出したかのように、サクヤに一声かけると、ローレンスは腕を組んだまま、瞼を閉じた。これは、聞こえないふりをしておくから、好きに話していいという合図なのだろうか――?そう察している傍らで
「まったく、この公爵のどこが変人だというのだ? 彼をそう評する連中の眼こそ節穴だと思うぞ」
サクヤが呟く。
「やっぱり……元夫との再会が、相当堪えているようですね……」
シオンが盛大な溜息を吐いた。
「そもそも、何故神子殿は、サーベラスに興味を抱かれたのですか?」
似たような事を、少し前にローレンスから訊かれた。それはまるで“神子ならば他にやるべき事があるだろうに”とでも言いたげな口調だった。内心、また最初から説明するのか――というのがエステリアの本音である。とはいえ、せっかくローレンスの厚意で引き合わせて貰ったのだ。エステリアは事情を説明した。
「はぁ……これはまた随分と厄介なお方に目を付けられてしまったようですな」
厄介なお方――とはもちろん、国王のルドルフの事である。
「確かに、あのお方ならば、神子殿らをただでこの国から出すわけがないでしょうし、頭を下げてイシスの神殿へと通ずる道について尋ねたところで、教えてくれる事もないでしょう」
国立劇場を預かる支配人ともあろう人物が、一国の主に対して、随分な言いようである。
「あの、支配人は国王陛下から何か嫌がらせでもされたのですか?」
ついつい、余計な事まで聞いてしまう。
「ええ、ここでは語りつくせないほどに」
屈託ない笑顔でそう答えるのだから、始末が悪い。ある意味、そういう面では、ローレンスと通じるものがあった。だからこそ、気が合っているのだろうが。
「ところで神子殿ご一行は、このグランディアについて、どこまでご存知なのですかな?」

「中央の大国という事以外は、詳しい事は存じ上げません」
そもそも、エステリア自身、神子として、カルディアに呼ばれるまで、世界の情勢には疎く、仲間達との旅の道中で様々な事を学んでいっただけに過ぎない。正直にそう話すと、ジョシュアは苦笑した。
「まぁ、一般的な認識としてそれも間違いではないでしょう」
言いながら、一通りエステリア一行の顔を見回す。
「長きに渡り、このグランディアはどこに攻め落とされる事もなく、発展し、栄華を極めてまいりました。東にはセイラン、西にスーリアという異国に挟まれているにも関わらず、です。元より、セイランという国は、好んで他国に攻め入る国ではありませんし、スーリアに関しては、幸いな事に砂漠が広がっており、グランディアに侵攻するには時間と体力を消耗してしまう。海から攻めるという手もありますが、正面から打って出たのでは、たちまち、こちらの艦隊によって撃沈されることでしょう。北西にヴァロアというかつての脅威がおりますが、あれも、大渦によってグランディアへの航路を断たれているようなものです。仮にそれを乗り越えたとしても、この国の城の真裏には山脈が広がっており、それが天然の要塞となって、後からの侵略を防いでいる。不思議なものです、それを見越して、この国は、この大陸に建国されたのか、はたまた何か見えない……そう、大いなる力が働いて、この国を様々な災厄から守っているのか――」
その上、この国はイシスの居城とも繋がっている可能性が高い。
「偶然にしては、随分と、このグランディアという国は恵まれているのです。唯一の汚点と言えば、セレスティアの悲劇を起してしまった事ぐらいです。これは、私個人の見解なのですが、この国にはある種の術が無数に張り巡らせてあるのではないでしょうか」
私に魔術の心得なんぞありません――ジョシュアは、一応断りを入れて、話を続けた。
「これは昔、人伝に聞いた話なのですが、レオンハルト時代に、イシスの神殿から、このグランディアに使者が訪れたというのです」

「使者の目的は?」
シェイドが尋ねた。
「はっきりとした事はわかりません。もしかしたら、近々新しい神子が現れる事を伝えにきたのかもしれませんし、あるいはギルバート様を儲けられたばかりのレオンハルト陛下に祝福を述べに訪れただけなのかもしれません。けれども、使者らは不思議な事に、船を使ったわけでもなく、かといって馬車や徒歩で旅をしてきたわけではない。とりわけ疲れた様子もなく、ある日、どこからともなく、ふと現れて、獅子王への謁見を申し込んだのだそうです」
イシスの使者達には長旅をしてきた形跡はない。これが意味する事は一つである。
「つまり、ジョシュアさんは、その使者達は、なんらかの術を用いて、もしくは術がかかった場所から一瞬にしてこの地に現れ、そして同じ方法で、人知れず元の場所に帰っていったと仰りたいんですよね?」
念を押すようにシオンが言った。
「ええ。まるで夢のような話ですが……。魔術の世界にはそういう事だって可能なのでしょう?」

「人や物を別の場所に移動させるには、高度な技術を要する。まして複数の人間が一緒に、となると、術者にとっては大きな負担となる。一人が気を乱せば、たちまち目的地とはかけ離れた地に降り立つ事にもなるし、最悪の場合、どこにもたどり着けぬまま、この世ともいえぬ狭間の世界に閉じ込められる場合だってある」
少し険しい表情を浮かべたままサクヤが答えた。
「でもよ、姐さんは簡単に、セイランからカルディアにこの優男の兄さんを移動させたじゃねぇか」

「あれは“移動”ではない。あくまで“召喚”という形で、こちらから使役したい者を呼び出しただけに過ぎない」

「なんだよ、兄さん、姐さんに飼い馴らされてんのかよ……」

「まぁ……力関係上そういったところです」
小声でシオンが返した。
「だが、使者がより安全で確実に行き来していたのであれば、“召喚”に近い形の術式がどこかの場所に施されていて、それを利用していたという事になるな。使者の移動手段に関する情報が曖昧な事からして、人目につかぬ場所にそれはあるのかもしれん」
そう思えば、ジョシュアが先程言っていた、グランディアに無数に張り巡らされた術の存在にも信憑性が増す――サクヤがそう説明すると、ジョシュアは満足気に頷いた。
「では、この国にイシスの居城へと繋がる魔法で出来た入り口のようなものがあるという事だけは確信してもいいようですね」
シオンがそう言った直後、
「そもそも、召喚術の類は、無人でできるものなのか?」
ふと、シェイドがサクヤに聞いた。
「仮に、この国のどこかに、その術とやらが施された場所があるとする。そこに入れば、自由にグランディアとイシスの居城を行き来できるのか、あるいは術者を要するのか……」
シェイドは続けた。
「召喚術を頼りに、使者がグランディアからイシスの居城に帰る場合、彼らは居城側のイシスから呼び戻されているという事だろう? なら、居城からグランディアに行く時は、誰かがグランディア側から使者を呼び出しているはずだ。そうなると、イシスとも縁があって召喚術に長けた何者かがこの国にいるという事になる。その誰かの力無しには行き来できないとしたら……」
最悪の場合、エステリア一行らに面倒事が一つ増えることになる。
「一筋縄じゃいきませんよね。逆に他人の協力無しで行き来できたとしても、その場所には相当、高度な術が敷かれていると予想されます。そこを守るためには、さらなる術で目隠しされていてもおかしくはありません。簡単に行き来できるのであれば、とっくにセレスティアが赴いて、我々の目の前でイシスの首を討ち取ったぐらいの事は、言ってのけそうですしね」
シオンは淡々と語ってはいるが、聞けば聞くほど、気の重くなるばかりの話である。
「本当……誰かさんの言ったとおり、密かにこの国を出て、一旦仕切りなおした方がいいんじゃねぇか?」
ガルシアはその誰かがオスカーである事を伏せ、そう言った。ローレンスとオスカーは又従兄弟ではあるが、その関係はあまり芳しくはないと聞いている。まだ出会ったばかりではあるのだが、ガルシアは直感的にローレンスに得体の知れない何かを感じていた。公爵の方は、ああやっていつもふざけているようだが、腹の中ではオスカーの失脚を願っているのかもしれない――そう考えると、尚更、公爵と親交の深いジョシュアの前でオスカーの名を出すのは賢明ではない。
「仮にこの国を一度出たとして、イシスの居城へと向かう別の方法が、早々に見つかるとも限らないぞ?」

「そこなんだよなぁ……」
シェイドの言葉に、ガルシアが溜息を吐いた。あの国王から敵視されている以上、エステリア一行はもはや八方塞である。百歩譲って、素直に国王に頭を下げてみたとしても、通用する相手ではない。それ以前に、そのような事をすれば、シェイドやサクヤからの猛反発は免れない。
「そう気を落とされずとも、神子殿なら、イシスの居城とやらを見つける事ができるのでは?」
ジョシュアは、一行の雰囲気を察して慰めるように言った。
「気を遣わせてしまって……申し訳ありません」
エステリアは小さく頭を下げた。
「いや……そういう意味ではなく……神子殿であれば、なんらかの形でイシスとやり取りできるのでは、と思ったのです」
思わず、ぽかんとしたエステリアを余所に、ジョシュアは話を続ける。
「素人の浅知恵に過ぎませんが、そもそも貴方がた神子は代々、イシスの予言によって、選ばれてきたというのであれば、神子とイシスは、とても密接な関係にあるという事でしょう? きっと貴方にしか感じ取れない何かがあるのかもしれませんし、イシスからの呼び声をどこかで聞き取ることができるのかもしれません」
言われてみればそうである。エステリアはなんとなくだが、周囲の視線が一斉に注がれているような気がした。
「もしも、イシス殿が自身の身に危険が及ぶ、もしくは世界に異変が起こると察知した場合、なんらかの形で貴方に伝えてくるのでは?」
現にセレスティアはイシスの居城へと向かおうとしているのだ。ジョシュアに指摘されればされる程、エステリアは閉口するしかなかった。
それと同時にこれ以上はもう何も話す事がない――という空気がジョシュアと一行の間に流れ始める。
「私達は、そろそろ失礼しますね……今日は本当にありがとうございました」
エステリアは立ち上がると改めて礼を述べる。シェイドら一行もそれに続いた。
「何か、お役に立てればよかったのですが……」
ジョシュアも立ち上がり、申し訳なさそうに頭を垂れる。一行がこの場から去ろうとしたその時だった。
「ところで、セイラン出身のお二方」
唐突に、ジョシュアがサクヤとシオンだけを引き留めた。
何事か――?といわんばかりの表情で、足を止めた二人が振り返る。
「少し、お召し物を拝見させてはくれませんか? 出来ればスケッチする時間をいただければありがたい」
尋ねるよりも早く、ジョシュアは大真面目に答えた。
「何分、この国には、空想上のセイランの衣装が出回っていまして、まったく参考にならぬのです」
どうやら、セイランを舞台にした演目のために、どうしても本格的な衣装を作りたいようだった。


ジョシュアの元にサクヤとシオンを残し、先に歌劇場を出たエステリアは、重い溜息を吐いた。
「落ち込むなよ、お嬢ちゃん。あの支配人の意見はごもっともだ。いよいよやばい状況になったら、イシスの方から何か言ってくるんじゃねぇか?」
だが、結果的にそれは全てイシス頼みとなってしまう。、
「ねぇ……どう思う?」
エステリアがシェイドを見上げた。
「悪いが、先に帰っていてくれ」
ガルシアとエステリアの話に、まるで興味がないような口調で、シェイドが言った。
「どうしたの?」
「少し気になった事があるんだ……」
そう静かに呟くシェイドの視線は、雑踏の中を捕らえている。
「だったら、皆で行った方がいいんじゃない?」
今にも飛び出したい――、その焦りを必死に抑えているようなシェイドの表情を訝しげに思いながら、エステリアは眉を潜めた。
「いや、集団だと目立つ。俺一人でなんとかしよう」
「え……ちょっと……」
「おい! こら! シェイド!」
こちら側に理由を尋ねる余地すら与えず、何かを追いかけるように、シェイドはその場を離れた。
呆然としているエステリアに目もくれず、シェイドは標的を見失う前に人ごみの中に紛れこんで行く。

そう、シェイドは目にしたのだ。光沢を失った、あのカナリア色の髪の娘の姿を。
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