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EternalCurse

Story-147.変人公爵の厚意
陽も高く上った頃、オディールはグランディア城下の雑踏の中にいた。
オディールの華奢な肢体を覆うのはドレスではなく、簡素な鎧だ。両の腰から下げている剣を見ては、通り過ぎる人々は目を丸くする。勿論、彼女がつい数日前、セレスティアと共に、惨劇を起した人物であるなど、知る由もなく、だ。
人の合間をすり抜けて行くオディールの足取りは重い。
それは、異様なまでに照りつける陽光のせいだろうか? 空を仰ぎ、オディールは目を細めた。
魂無き身体を焼き尽くさんとばかりに煌々とした太陽は、この世にあらざる者である事を改めて実感させてくれる。オディールは唇の端を吊り上げ、自嘲的に笑った。
この世との隔たりを感じるたびに生気に満ち溢れた人間達が憎らしく思える。これほどに虚しい憎悪を植え付けたのは、まぎれもない、かつての恋人であったあの銀髪の妖魔だ。
そう、オディールの心はその身同様、絶命した日のまま、時を止めていた。この負の感情から解放され、真の冥福を得るためには、あの妖魔の命を奪うより他の方法はない。
なぜならば、オディールがこうして蘇生するに至った要因の一つはシェイドにあるからだ。

セレスティアは言う。ミレーユが死ぬ間際に、シェイドは無意識のうちに願掛けをしていると。
それは、ミレーユが無残な遺骸ではなく、その形が永遠に美しいまま止まってくれること。不可能な話ではあるが、その中に、もう一度息を吹き返して欲しいという想いが、微かながらに混じっていたのだろう。
妖魔のそれは悲痛な願いであると同時に、ミレーユにかけられた呪いでもあった。その呪いの欠片が、テオドールの瘴気に当てられる事によって芽吹いてしまったのだ。そういう意味では、シェイドはオディールという屍鬼の主でもある。だからこそ、創造主でもあるシェイドを討たねば、安息を得られない。

ふと、腰の辺りに重い衝撃が伝わった。まるで背後から誰かに刺されたような感覚だった。それでも悠長に構えていられるのは、この身体が既に死んでいるからだ。
のろのろと後を振り返ると、そこには十にも満たない少女が辛そうに額を擦っていた。
「なんだ……」
刺されたわけじゃないのか――オディールはじっと少女を見下ろした。
「ご、ごめんなさい、お姉ちゃん」
おどおどと頭を下げる少女の手には、砂埃に塗れた人形が大事そうに抱えられている。
「こら、離れちゃだめでしょ!」
遠くから、我が子を心配する母親と思しき女の声が聞こえた。
おそらく少女は母親に連れ添って歩く途中、人形をどこかに落としてしまったのだろう。あるいは、人ごみに揉まれて手元から離れたのかもしれない。
少女は人形を探しに後戻りした後、急いで母を追いかけていた――といったところか。
「貴方のお母さん、呼んでいるわよ?」
オディールは少女に声をかけた。少女は、うん、と小さく頷くと、すぐさま母親の元へと駆けていった。
「もう……! はぐれたらどうするつもりだったの!」
「ごめんなさい。お母さん……」
案の定、少女は母親から叱られている。
他愛も無い親子の会話だ……オディールは溜息をついたその時だった。
「ほら、帰りましょう、ミレーユ」
少女の名を呼び、母親が娘の手を取る。叱られたばかりの娘は上機嫌に、母親と手を繋ぐ。小さくなっていく母子の姿を、オディールはじっと見つめていた。
「そう……貴方はまだ生きているのね」
かつての自分と同じ名を持つ、生気に満ち溢れた少女を恨めしく思いながら。





聖誕祭があのような結末を迎えた事もあり、国立歌劇場の演目はしばし中止される事となっていた。
とはいっても、休演は一時的なものだ。
劇団員や、道具係等の関係者は普段通り、劇場に出入りしている。いつでも再開できるよう、準備は怠らないよう心がけているのだろう。ここ数日は特別に舞台を開放しているらしい。
今は誰も立つはずのないそこに、溢れんばかりの花束が供えられていた。そう、すべては亡くなった歌姫、マルグリットへの献花である。
そしてこの日、国立歌劇場へと赴いたエステリア達を待ち受けていたのは思わぬ再会であった。
「ごきげんよう、お嬢さん。またこうして会えるなんて、一体、なんなんだろうね? この悲劇は」
優しい口調ではあるものの、挨拶の内容は語尾にかけて辛辣になっている。
「まったく……本気でお抱えの占い師でも雇って、毎日運勢を見て貰わなきゃならなくなってきたなぁ……」
盛大な溜息を吐きながら、ローレンスは愛妻に同意を求めた。
「ごめんなさいね。神子様、この人……多分、悪気はないと思うの……多分」
前回出会った時に引き続き、エレインが申し訳なさそうにエステリア一行に詫びを入れた。
「公爵閣下はどうしてここに?」
先程のローレンスの無礼を気に留める様子もなく、エステリアが尋ねた。
「マルグリットへの弔問だよ。エレインが彼女の歌声に惚れこんでいて、どうしてもっていうからね。国立歌劇場も、惜しい歌姫を失ったものだ」
視線の先にある緞帳が上げられた舞台に、今しがた訪れた客によって新たな花が添えられる。
「で? 貴方達は何? 昨日私が言ったことを真に受けてここまで調査しに来たってやつ?」
しんみりとした雰囲気を打ち破り、どこか毒の含まれた喋り方でローレンスが尋ねた。
「真に受けて……って、マルグリットさんの件は嘘だったんですか?」
「いや、あくまで私は“噂”を貴方達に教えただけだよ? 嘘を吐いたわけでも真実を話したわけでもないよ?」
言いながらローレンスは一行の顔を一通り見回していた。相変わらず掴みどころのない公爵である。
「おや、そこに控えているお二人はもしかしてセイラン人かい?」
サクヤとシオンの姿を目に留めるや、ローレンスの瞳が途端に輝く。
「初めて見たよ! 本物のセイラン人! いや……セイランの人って美男美女が多いっていうけど、あの噂本当だったんだなぁ……」
うっとりするようにローレンスが嘆息すると、サクヤに歩み寄る。
「黒髪でもこんな緑の光沢を持つ人、初めて見たよ……それから海よりももっと深い青の瞳! ああ、美しいお嬢さん、グランディアの居心地はいかがですか? 何不自由はありませんか?」
まるで普段淑女に接するのと同じように、サクヤの手を取るローレンスに
「この公爵のどこが変人なんだ? いたってまともじゃないか」
サクヤはエステリアの方を向き、真顔でそう言った。
「おい、姐さん?」
「許して下さい、ガルシアさん。サクヤは一見、すましているようですが、フェネクスの復活にけっこう動揺をきたしているんです……」
ぼそりとシオンが呟いた。
「やっぱり、セイランの人って、ここらの人から見たら、物珍しいの?」
それとなくエステリアがシェイドに尋ねた。
「セイラン人や、スーリア人は、どの国から見ても珍しいものさ。まったくもって顔立ちや肌の色が違うからな。逆に言えば、カルディア人やメルザヴィア人の場合は、元を辿ればグランディア人に繋がる。つまり人種としては同じもので、ただ気候や土地柄からそれぞれの国で国民性に特徴が出始めただけのことだ。例えば、雪に閉ざされがちなメルザヴィアでは色白が多い――といった具合にな」
「なるほど……」
だから小声でやり取りするこちら側には目もくれず、ローレンスはサクヤに執心しているのか――とエステリアは一人で納得した。
「そうそう、聖誕祭があんな事にならなければ、ここの次回公演は暁の神子を題材としたものだったんだよ。マルグリットの後任の歌姫がその役をやる予定だったんだけど、本物のセイラン人を見たことがないから、どう役作りをしていいものかわからないようでね。ああ! その女優に貴方を引き合わせてあげたいぐらいだ」
次の演目が暁の神子の話と聞いて、エステリアが怪訝そうに眉を潜めた。
「なんて顔してんだ……お前」
「だって……聖誕祭じゃセレスティアを貶める公演をやっていたのに、次に暁の神子の演目なんてやったら、ただでさえ神子を目の敵にしてる国王から不興を買うんじゃない?」
そもそも国立歌劇場の劇団員は、『その神子の悲劇』の上演に懸念を示していたという。つまり国王はともかく、劇団員の方は、いたってまともな感性の持ち主だったという事だ。
「その演目に関しては、あの赤毛は目を瞑るんじゃないか?」
サクヤ自身は失敗だったと言っているが、何も知らぬ民の間では、暁の神子とヴァルハルトは聖戦後無事帰還している事から神格化されている事が多い。まして、サクヤは聖戦後の失踪し、その生涯が謎に包まれているから尚更だ。――実は目の前にいるのだが。
「なにせ英雄王ヴァルハルトに自分を重ねているぐらいだぞ? 赤毛は……」
仮にサクヤを貶める演目であったとすれば、共に旅をしたヴァルハルトまで嘲笑う事になる。よって暁の神子の演目に関しては内容の方は無難なものだと予想ができる。
「ならいいけど……」
「他に何が心配なんだ?」
「『その神子の悲劇』があんなひどい内容だったのに、次は暁の神子を賛美する内容だったら、劇団側の酷い掌返しに、お客さん怒ったりしない?」
その言葉にシェイドは肩を落とした。
「お前……そんな事をいちいち気にしていたら、芝居なんてやってられないだろう?」
「そう?」
「演劇なんてそんなもんだ。ちょっと前に、恋愛ものの芝居を見せていたかと思えば、今度は貴族同士の愛憎劇を題材に持ってきたりする。国の歴史を遡って、最も熾烈だった戦を再現したかと思えば、今度は時の為政者を倒し、革命を謳うものが上演される。似たり寄ったりの内容ばかり並べていたんじゃ、客足は遠退くだろう?」
「そうか……割り切ってるんだ……」
「それにその神子の悲劇って演目は、おそらくルドルフが筋書きを書いて、無理矢理劇団に押し付けたものなんじゃないか? あいつ自身がご本人様の役で舞台に立ってたんだろ? 国王の命によって劇団は不本意ながらやらされたという事が、いずれ伝われば、観劇する人間の劇団に対する反発も少ないだろ」
シェイドは続けた。
「お前はまだ劇場で観劇した事がないだろうから、全てが終わったら、いつか連れてってやる。その頃にはカルディアの劇場も復興しているはずだ」
「わかった。期待しておくわ……」
シェイドとエステリアが話し込んでいる最中、
「セイラン人の方々は恋仲でいらっしゃるの? それともご夫婦ですか?」
おっとりした口調でエレインが訊いた。
「いや、ろくでなしの夫とはとっくに死に別れた」
「妻とは死別しております」
サクヤとシオンが口を揃えて否定する。
「まぁ、お二人とも伴侶を亡くされているなんて……」
「うわぁ……その若さで未亡人なんて、勿体ないなぁ……」
エレイン、ローレンスと、こちらもやはり口を揃えて同じ事を言う。
「それにしても、貴方達も人探しで大変だね。まぁ、お互い様だけどさ」
ローレンスは唐突にエステリアの方を向いた。
「お互い様って……閣下も誰かを探しているんですか?」
「うん。弔問ついでに、支配人に依頼しようと思ってさ」
「支配人に?」
一同が口を揃えて答えた。
「なんなら紹介してあげようか? 歌劇場支配人の人脈は幅広いから、貴方達も欲しい情報が手に入るかもしれないよ?」
思いも寄らなかったローレンスの好意に、
「あの……閣下は大丈夫なんですか? その……私達に協力なんかして……」
「本当は関わるのも嫌に決まってるでしょ、私は貴女達とつるんでいるだけで充分に立場が悪くなるんだよ?」
と、言いつつも、結局は協力してくれているのだから、これは本音ではないのだろう、とエステリアは思った。
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