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EternalCurse

Story-146.少年と侍女
「お前……ずっとそのような事を続けていて辛くはないのか?」
「はい。子供の頃から慣れていますので」
「そんなものなのか……?」
思わず見惚れる程に美しい所作でカーテンを閉める淑女姿の甥に、ライオネル・デリンジャーは堪らずそう聞いた。腹違いの弟の子である、オスカーはこの時、十一歳。ライオネルにとって我が子といってもいい年頃だ。
オスカーの父であるブライアンは、ライオネルの異母弟という立場から、物心がついたときから、どこか距離をおき、遠慮していた。
生憎、デリンジャー家では、他所で耳にするような、正妻と愛妾による泥沼劇は、皆無な家庭であったため、ライオネル自身は、ブライアンも、その母である愛妾を煙たく思ったことなど一度も無かった。
気を遣いすぎた弟ブライアンの事もあって、なおのこと甥のオスカーを不憫に思い、ライオネルは可愛がってきた。
パーシヴァル家待望の男子、として生まれたこのオスカーの身体は、事実、男と女、どちらとも付かぬ異形であった。
男として生きるか、女として生きるか――性別を持たぬ息子の身を慮って、両親は悩みぬいた。
女として生きれば、夫となる男は必ずこのおぞましい身体を目にすることとなる、かといって男として妻を娶っても、よほどの理解者でなければ、受け入れ難いものがあるはずだ。
その体裁を気にした父ブライアンは、妻がこの年に第二子を身篭ったと知るや、オスカーを廃嫡し、未だ見ぬ子を次期総領に据える事を決心した。
跡目相続を懸念してデリンジャー家と、パーシヴァル家に別れる羽目になったように、かつて父から受けた仕打ちを、ブライアンもまた自分の息子に与えてしまったのだ。それが息子であり娘でもあるオスカーの名誉を守ることだと、本気で思っていたのだ。

「お前は淑女の成りをしている時は、なんと名乗っているのだ?」
「オフィーリアと名乗らされています」
当時のオスカーはそう名付けられていた。表向きライオネルの妻として、ブリジットと名乗るのはもっと先のことである。
「剣の稽古は? きちんとやっているか?」
「はい」
男のように節くれだったわけでもない、こんなに白く繊細な手が剣を? ライオネルは思わずオスカーの手元を凝視した。
「あの……何か?」
オスカーは恥じるようにさっとその手を後に隠した。女性らしい仕草である。
女装している以上は、如何なる時も、伯父の前ださえも、細部まで完璧に演じるつもりなのだろう。

「なんでもない。お前は何事においても人一倍の努力家だな。これならブライアンも安心してパーシヴァル家をお前に任せられることだろう」
「でも……私は……」
例え総領でなくとも、家を支える一つの柱として、力になれるはずだ――ライオネルはそういうつもりで言ったのだが、オスカーは表情を曇らせ、俯いた。
パーシヴァル家を継ぐのは、現在、母親の胎内にいる弟か、妹である。兄弟が普通の肉体を持って生まれてくれば、両親の愛情は、全てその子に注がれることだろう。オスカーはその時に、自分の価値が失われてしまう事を恐れているようだった。まだ十を過ぎたばかりのオスカーには、酷だったのだろう。
「まったく……ブライアンも罪なことをしてくれるよ」
ライオネルは困ったように、頭を掻くと、天井を仰いだ。


両性を有する者としてオスカーに与えられたのは、騎士としての道と、徹底された諜報員としての教育だった。国を守ること――それこそが、オスカーの存在意義であり、自身を保つ術となっていた。
そんな、男と女を自在に行き来するオスカーの心の片隅に、いつの間にか息づいた存在がいた。
幼馴染のレオノーラだ。
彼女もまた次期伯爵家の総領として両親の期待に答えるように、無理をしながら生きている。
化粧気すらなく、男装する彼女と、ほぼ男でありながら女装し、その仕草を学ぶ自分は、とても対照的な存在に思えていた。だからこそ惹かれたのかもしれない。
だが、意中の少女に、普段から女の成りで過ごしているなど、死んでも口にできなかった。


その日は獅子王が亡くなって、丁度一年後の式典だった。ギルバートの嫡子ルドルフとヴァルハルトの嫡子ジークハルトが些細な事で喧嘩を始めた。
グランディアとメルザヴィアの王太子同士の諍いを目の当たりにし、心労とあまりにも暖かいグランディアの気候もあってか、ジークハルトの母親であるソフィアがその場で倒れる。
周囲は騒然となり、子供達の喧嘩も自然と収まった。
その時に、ソフィアの介抱役として侍女らと共に任命されたのはオスカーであった。
慌ててギルバートの別荘へと運ばれたソフィアは、冷たく絞った布を額に当てると、薄く笑った。
抜けるほど白い肌に硝子のような瞳は、なるほど夫であるヴァルハルトが『雪の妖精』と形容するだけのことはある。淑女のふりをしたオスカーは嘆息した。

「ごめんなさいね……。貴方達に迷惑をかけてしまったわね……それに……」
ソフィアの瞼に浮かんでいるのは夫のヴァルハルトの事であろう。ヴァルハルトはソフィアを見送った後、そのまま式典に出席している。
「式典が終われば、きっとヴァルハルト陛下もこちらへ飛んでこられるはずです」
その言葉にソフィアの顔が綻んだ。
ヴァルハルトとの婚礼後、しばらくもしないうちに、この王妃がヴァロアに攫われたという話は誰もが聞き及んでいる。それによってあらぬ噂がたてられているという事もだ。
ルドルフ王太子がジークハルト王太子を見下すのもこれ故か――と、オスカーが目を細める。
ソフィア王妃はしばらくすると、元気を取り戻し、色々とオスカーや侍女らに語りかけた。
ソフィアにとってグランディアが物珍しいように、オスカーらにとっても、雪国であるメルザヴィアの話は興味深いものがあった。
その上、ソフィアはオスカーの事をとても気に入ったようで、容姿から所作に至るまで、何度も褒めていた。
美しいと梳いて貰った金髪はあくまでも鬘だ。褒められて嬉しい半分、オスカーは王妃を騙しているという罪悪感にもかられた。
そうやって、ソフィアの話相手を務めている最中、突如としてオスカーは胸の苦しさに襲われた。
オスカーは、ソフィアに詫び、侍女として近くにいたレオノーラに一言断りを入れると、部屋を退出した。

足早に誰も使用していない別室に移ったオスカーはドレスを脱ぎ、呼吸を妨げる、コルセットを緩めていた。
背中や脇腹が解放された瞬間、オスカーは鏡台に両手をついて、ゆっくりと息を吐いた。

成長期に差し掛かかり、女性としての初潮を迎えた。
だが、同時に骨格は残酷にも男性のものに変わりつつある。それからすぐに精通も迎えた。
最近になって急に背も伸びた。不自然に思われぬよう、人前では膝を曲げて身長を誤魔化し、目立ち始めた喉仏は太めのチョーカーで隠した。声も無理をしているが、半分女であるためかこちらもなんとか誤魔化すことができる。
つい、この間までは、伯父に何も辛いことはない――と言ったばかりだったのに、この様である。
今となっては、女性ものの衣服は、この身体にとってただただ、息苦しいだけのものになりつつあった。
どうやら、自分は女の機能を携えたまま、男の特徴を多く残して成人するのだろう。

ああ、早くドレスを着直して、王妃の下に向かわなくては、変に思われてしまう――のろのろとオスカーは顔を上げ、鏡を見つめた。と、その表情が一気に引きつる。
鏡に――いや、性格には自分の背後にレオノーラが映り込んでいたからだ。
「レ……オ、ノーラ……」
いつの間に入ってきたのだろうか。ドアが開かれる音も、いや気配すらも感じる事ができなかった。あまりの胸の苦しさに、周囲が見えぬほど自分が追い詰められていたということだろうか。
すぐにレオノーラの方を振り返る事はできなかった。
着崩れたコルセットの真下にある体型さえ見られなければ、女で通せるかもしれない。いや、ここまで粗雑にドレスを脱ぎ散らかしている時点で、女ではないと思われる事だろう。
どうする? この危機をどう切り抜ける?――先程とは違った意味で、鼓動が跳ね上がる。呼吸も乱れている。だが、レオノーラはまるで男のような足取りで、こちらに近づき、オスカーの肩に手を置くと、自分の方へと向き直らせた。この時、オスカーは、抵抗するような力を出す気力すら削がれていた事に、ようやく気付く。
レオノーラはオスカーの足元から、無理に締め付けた胸辺りまでを見ると
「ソフィア王妃が心配していたわよ? 貴方が真っ青な顔をして出て行ったもんだから、オフィーリアは大丈夫かしら?……って」
本当に伯爵令嬢なのだろうか――と思う程、ぶっきらぼうに言った。
ここまで見られたのなら、さぞや軽蔑されることだろうと、思ったものだが、レオノーラは平然としていて、淡々と続けた。
「で、なにやってるのよ? 貴方、顔が崩れてるわよ」
レオノーラは赤子の涎でもすくうかのように、人差し指でオスカーの頬をなぞると、剥げ落ちた白粉を見て溜息を吐いた。
「ほら! 後向いて!」
自分でこちらに振り向かせて起きながら、レオノーラは今度は後を向けと、オスカーの背を打つ。
ひりひりとした痛みの後、背中にひんやりとした感覚が広がる。レオノーラは王妃を解放する部屋から持ってきたのだろう、絞った布を使って、びっしりとオスカーの背中に浮いた汗を拭き取っていた。
「苦しいんなら、コルセットを緩めに絞めてあげる。なんなら、私のドレスを貸しましょうか? 貴方と一緒で……私も胸がぺたんこなの」
御世辞にも丁寧とは言い難い動作でレオノーラはオスカーの汗を拭い取る。オスカーはただただ屈辱ともなんとも言いがたい感情を抱いたまま、唇を結んで頬を赤らめていた。
「その鏡台の引き出しに、白粉とか入ってない? 見つけたら適当に自分でお直ししてね」
言われるがまま、オスカーは鏡台の引き出しを開けた。そこには無造作に白粉と紅が入れられていた。
ぼうっとなったまま、オスカーはそれを手にする。その間に、レオノーラは今一度、オスカーのコルセットを緩めに締め直して行く。
「私、化粧って苦手なの。ううん。自分の髪を結う事だって苦手。よくできて後ろで一束にまとめることぐらいだわ」
少年とは思えない程の細く美しい項を見ながら、レオノーラは続けた。
「貴方の様子を見に行けって言われたとき、本当は別の侍女が後を追う予定だったんだけど、私がその子に代わってもらったの。良かったわね、オスカー、貴方、命拾いして」
本名で呼ばれ、白粉を持ったオスカーの手が微かに震える。
自分は男でもあり、レオノーラと同じく女でもあるのだから、ドレスを着て、化粧を施す事ぐらい自然にやってのけていた。両親の前ですら、鬘の毛並を整え、紅を指すぐらい、堂々としていた。
普段どおりに、直せばいいものを、今日に限っては全く手が進まない。
それがひどく恥ずかしい事のように思えて仕方なかった。それと同時に、この程度の事で揺らいでしまう自分は諜報員として失格だと、痛感する。
「うらやましいわ。だって、ちょっと化粧をするだけで貴方は私よりもずっと可愛らしいんだもの。いつも見とれていたのよ」
レオノーラはそう口にした。無垢な言葉が余計にでも心に突き刺さる。
いつも見とれていたという事は、ずっと前から知っていたという事だ。
「ほら! これだけ緩めてたら息ができるでしょ?」
オスカーの肩にレオノーラが両手を添える。
「その爪……」
よく見れば色気の欠片もないレオノーラが、爪を染めている。
「ああ、これ? 一応、式典だからきちんとしておきなさいってお母様が。終わればすぐに落とすわよ」
「勿体ない、せっかく綺麗にしてるのに」
「だって……こんな爪じゃ、剣が握れないでしょ?」
不思議そうにレオノーラは答えた。この少女は自分とは真逆で、女でありながら、根っからの騎士なのだ、とその時オスカーは感じた。

これまでオスカーは、大抵の人間は完璧に騙すことが出来ると自負していた。
今しがた看病したメルザヴィアの王妃などもそうだった。とても礼儀正しい淑女であると、褒められたばかりだ。一緒に看病にあたった侍女達も、何一つ疑いもしない。
普段、オスカーが少年の姿で接しているにも関わらず、だ。
だが、レオノーラには通用しなかったらしい。
少し、落ち着いたら、正直に自分の身体の事について、話そうと、オスカーは決心した。
そうでなければ、自分は女装が趣味の変な男だと思われてしまう。何より、一家の長男の女装について、両親に問いただされても困る。
後々、その理由を尋ねることになるのだが、驚くことに、当時の彼女は本来騎士であるはずのオスカーが、女性の成りでいることに、一切の疑問も、嫌悪感も抱いていなかったらしい。
どうやら彼女自身が、普段から男装をしていることもあってか、オスカーの女装もごく当たり前のように思っていたのだという。
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