Back * Top * Next
EternalCurse

Story-145.外れた思惑
その日の夜、グランディアの城では、国王の命により緊急の召集がかけられていた。
謁見の間にはオスカーを始めとした白銀の騎士団の面々やブルーイット公爵、そして今にも欠伸をしそうな表情でローレンスが控えている。
「まったく……こうも度々呼び出されていたんじゃ……疲れちゃうよ……」
ねぇ、ジェレミー?――とローレンスが小声で話を振ってみるが、昼間の一件もあってかジェレミーは何も聞こえぬようなふりをして、そっぽを向く。
相手にされなかったローレンスの視線は、国王の左にある空の玉座へと向く。
そこは王妃ヴィクトリアの席である。ヴィクトリア王妃、ローランド王太子は共に重症である。二人がこの場に姿を現す事はまず無理だろう。
「いくら王妃より前に出た行動は慎んでいるって言ってもさ、こういう時こそ公妾のブリジットが王妃の名代としてここに来てもいいと思わない?」
ローレンスがオスカーに語りかけた。
「王妃の名代を立てぬのは陛下のご意向ですので、その件に関しまして、私は閣下に同意する事はできません」
「どこまでも真面目な受け答えするよね……君は……」
つまらない、といった感じでローレンスは軽く息を吐いた。
「そうそう、公妾ブリジットとは一度、一対一で話をしてみたいんだよね……今度お茶会にでも呼んでみようかなぁ……」
冗談ではない――ローレンスの一言に、オスカーの表情が強張る。
それと同時に、今後、いかなる理由を以ってこの公爵からの茶会の招待を断るべきか、頭を巡らせていた時だった。
謁見の間に緊張が走る。国王が現れたのだ。
負傷した腕のこともあってか、国王は軽装で、不機嫌な表情のまま、玉座に腰を下ろす。国王は猜疑心に満ちた目で、集まった家臣を見回した。
国王は誰が味方で誰が敵なのか――それを見極めているようにも思えた。
聖誕祭後、ルドルフの出自に関して、城内でも瞬く間に広がった疑惑。
その醜聞のおかげで、現在、国王は政を思うように運べないでいるからだ。虫の居所の悪さもあからさまなその態度に、周囲の空気もおのずと重くなる。国王は一呼吸つくと、話を始めた。

「聖誕祭の後、セレスティアの妄言をまことしやかに信ずる者が後を絶たぬ。あの女は魔女に過ぎん。人の心に付け入り、引き裂く事を最も得意とする存在である。彼の者の狙いは『あらぬ中傷』によってこの国を騒乱、分断させる事にある。国家安寧の為、王家に仇なす者どもは即刻捉えよ。城下には間諜を放ち、この状況に乗じて活発化しているであろう反体制派の組織を全て洗い出すのだ。組織の中でも最も大きさを誇る、サーベラスの拠点の調査も再開する」
ここまで言い終えた国王に対し、またこの話か――と、控えている臣下の中で、こう思った者も少なくはない。
こうも国王が、反体制派について過敏な反応を見せると、やはりベアールの庶子である事実を隠蔽したいが為に、焦りを覚えているのでは? と勘ぐりたくもなる。
誰かの処罰云々よりも、ベイリーやセレスティアによって破壊された街の復興の方が優先ではないのか――と言いたげな表情を浮かべている者もいる。
勿論、それを口に出せば不敬罪で処罰は免れない。そして今のルドルフならばやりかねないのも事実だ。
「エルウッド公」
突然、ルドルフはローレンスを名指しした。
「私?」
周囲の視線を一身に浴びながら、ローレンスはいつもと変わらぬ表情で、玉座の国王を見上げた。
「そなたが治めるシェルビーでは、現王権に対し反発る勢力が少なからずいるという。そなたは責任を持って、反体制派の鎮圧に努めよ」
元よりシェルビーはエドウィン廃太子の色が強く残った場所である。
もし現王権を本気で倒さんと、暴動が起きるとすれば、まずこの街からだ――ルドルフはそう睨んでいた。

長兄エドウィンを退け王位に就いた祖父、レオンハルトは後に獅子王と名を馳せながらも、兄への後ろめたさは消えなかったという。奇しくも国王としての才覚があったレオンハルトではあったが、それでもエドウィンを敬愛するシェルビーの住民が抱く燻りにも似た感情を鎮める事に、苦心したそうだ。エドウィンが三十代半ばでこの世を去った後は、レオンハルトは残された娘二人の行く末を案じ、目をかけていたという。孫の顔はおろか美しく成長した娘達の姿すら見れずに逝ったエドウィンを悼み、レオンハルトはとりわけ、エルウッド公爵家に嫁ぎ、このグランディアに残ったマリアンヌに、そしてその子であるローレンスに特別な愛情を注いでいた。
それを兄への贖罪としていたのだろう。
最も王家に近しい血族というのも勿論ではあるが、こうしてローレンスが王宮でもこの態度で幅を利かせる事が許されるのも、レオンハルトからの温情があっての事だ。
先王ギルバートもそれに習っていた。だが、もはやレオンハルトもギルバートもこの世にはおらず、エルウッドの後ろ盾となるような者はいない。しかし、分が悪いのは王家も同じだ。弱体化しつつある王権をエルウッド公爵家がいつ倒すか――城下にはそのような機運すら高まり始めている。
そう、愚鈍なる僭王ベアールの庶子が王座に居座るぐらいならば、正当な血筋の持ち主、ローレンスに還すべきだ――と。
先に潰さなくては――ルドルフは牽制するように言った。

「むしろ、そなたが反体制派を扇動しているふしもあるのだがな」
「ご冗談を陛下。陛下への忠誠心ならば、昼間にでも白銀の騎士団の皆様に示したばかりでございます……そうだよね? ジェレミー?」
頼むからこちらに振らないでくれ――ジェレミーはそう言いたげな表情でぎゅっと目を伏せる。
「黙ってちゃ、私の潔白が証明できないじゃないか。君らにに散々絡まれて、私はもう少しで死ぬも同然の決闘をする羽目になるところだったんだよ?」
駄目だ、これ以上、この男を喋らせたら何を言い出すかわからない――ジェレミーは仕方なく、小さく頷いた。
白銀の騎士団、ジェレミーを巻き込み、うまくかわしたローレンスをルドルフは苦々しげに見つめる。
そんな侮蔑の視線ですらローレンスはにこやかに受け止めていた。
まぁ、いい。やろうと思えばいつでも公爵家を断絶させる口実は作る事が出来る――唇の端を吊り上げ、ほくそ笑むと、ルドルフは次の話に移ろうと口を開いた。

「王妃のことではあるが……」
「私が何か?」
悠然と言葉を続けるつもりであった国王の顔が強張る。声のした方向に一同が振り向く。そこには未だ床に伏しているはずのヴィクトリアが立っていた。
だが、両手は手袋で覆われ、ドレスは首元まで詰めたものを着用している。醜く焼け爛れた顔面の片方をまるで仮装舞踏会にでもつけるような仮面と、帽子についたヴェールで覆っている。爪先から帽子に至るまでの装いは黒一色――ともすれば、まるで葬儀のような出で立ちにも思えた。
音も立てずにヴィクトリアは自分の玉座に腰を下ろす。半身を焼かれた身体でここまで動くその様はもはや執念と言ってもいいだろう。そこに居合わせた者達は固唾を飲んだ。
「グランディアの王妃はこの私ですわ。違って?」
自らの地位を誇示し、ルドルフを射るように見つめるヴィクトリアの目にはかつてのような輝きは無く、その表情からも華やかさは失われ、凍てついている。
何故、このような時に出てきた?――ルドルフは内心、舌打ちせずにはいられなかった。
その目でルドルフが下で控えるブルーイット公爵の顔を見る。
おそらくブルーイットが、娘を廃妃とされんがために、先手を打ったのだろう。
まるで、これからも何卒娘を――とでも念を押すように、ブルーイットは国王に一礼した。





謁見の間を後にしたローレンスは、ふと渡り廊下から外を眺めていた。
夜風に辺り、癖のある髪がふわふわと揺れている。物憂い気な横顔だけ見れば、まるで彫像のように端整である。それすらも一度口を開けば、全て台無しになってしまうのだが。ローレンスは何かに気付いたかのように、ふと横を見た。その視線の先に立っていたのはオスカーだ。
「やぁ、オスカー。えーっと、私を暗殺にでもしにきたの?」
毒気を抜くような笑顔で、いきなりこの台詞である。
「まさか」
オスカーが咄嗟に返す事ができた言葉はこれだけだった。
「へぇ……殺しもしないのに、気配を殺して尾行するなんて、変な事するね」
ローレンスは不思議そうに答えると、向き直り、再び外の情景を眺めている。
グランディアの城の周りは深い堀でぐるりと囲まれており、この渡り廊下の真下も水路が走っている。手すりに両肘をつく公爵の姿は、このまま突き落とす事も容易である程に、隙だらけであった。
「ここからの眺めっていいよね。堅牢な城壁から、国王の翼棟までよく見える。そうそう、あの回廊の上からこの堀に飛び込んだ女官なんかもいるんだ」
ローレンスがそのいわくつきの場所を指差す。
自殺を目の当たりできるというのに、どこが眺めのいい場所だ――このような公爵の感性がオスカーには全く理解できなかった。

「で、なんか用?」
「無礼を承知で申し上げますが、エルウッド公、貴方はご自分のお立場が如何なるものか、ご理解できるはず……」
「わかってるよ。一応、この国の筆頭公爵だよね」
いや、身分云々ではなく、現在置かれた状況を理解できるはず、という意味だ――そう言いたげにオスカーは顔を顰めた。
「先程の召集もそうですが、陛下が貴方様になんらかの責任を擦りつけ、失脚させようと目論んでいるのは一目瞭然です。あまりご自身が不利になるような態度や行動は謹んでいただきたい」
なぜ、この放蕩公爵に諫言してしまうのか、オスカー自身もわからなかった。
あまりにもこの公爵が陽気すぎるから? はたまた一応は自分の又従兄弟であるためか――?
そんな考えが脳裏をちらつく。
「国王がエルウッド家に敵意を向けるのは、昔からじゃないか。何を今更言ってるの?」
ローレンスが屈託なく笑う。
「陛下に媚びへつらってる人達、またはそうすることで恩恵を受ける人達は、大抵、私の事を嫌っているね。少しでも足を引っ張ろうとする。ブルーイット公爵なんかがいい例だよ」
「わかっていらっしゃるのでしたら、なぜいつも陛下の気分を逆撫でするようなふざけた真似をされるのです?」
「えー? ふざけてなんかいないよ、私はいたって真面目で誠実に受け答えしているつもりだけど?」
どこがだ――。その一言一言が、周囲を振り回しているではないか。
オスカーが口を開こうとした瞬間……
「せめてうちの子が女の子だったら、陛下から目の敵にされる事もなかったのかな?」
遮るようにローレンスが言う。
国王がエルウッド公を煙たがる要因はそこなのだ。まして王太子のローランドが重篤な状況で、エルウッド公の嫡男エルバートが息災であるという事が、ローレンス排除に向けての感情に拍車をかけている。
聖誕祭での惨劇以降……とりわけセレスティアが曝け出したヴィクトリアの醜態を耳にしたこともあってか、ルドルフの妻子に対する愛情は急速に失われつつある。だが、ヴィクトリアが王妃として留まる事を誇示した以上、王権を守るためには王太子になんとしてでも快復して貰う――あるいは、このエルウッド公、その嫡子を亡き者とするしかない。

「あ、そういえば、オスカーのところは確か二人兄弟だったよね?」
「はぁ……」
今始まった事ではないが、とにかくこの公爵は話の内容をころころと変える。半ば溜息を吐くかのような調子でオスカーは頷いた。
「いいなぁ、兄弟がいるって楽しいでしょう? 私、一人っ子なんだよねぇ……そして、うちの子もこのままじゃずっと一人っ子」
言いながらローレンスは伸びをした。
「あーあ、娘が欲しいな。他所の家を見てると羨ましくて。女の子って、色々と着せ替えたりできるし、そこにいるだけで屋敷の中が華やかになるんだよね。まったく……早くお許しを頂かないと、エレインも年を取るばかりだよ」
「そのような事を私に言われましても、それは陛下がお決めになって事。どの道、次のお子がお生まれになっても、その運命は決まっております」
男児ならばその場で殺し、女児ならばいずれは里子に出す――つまり、エルウッド公爵家の手元で彼らが育つことはない。
「そう答えると思ったよ、堅物のオスカー」
ローレンスが肩を落とし、オスカーとの距離を幾分詰めると、
「だったら、私に謀反の気がないという証明に、うちのエルバートに女装でもさせて育ててみせようか?」
耳元で囁いた。その一言に、オスカーの表情が凍りつく。
「それじゃあこの辺で」
ローレンスは小さく笑うと、数歩下がり、踵を返し歩き始めた。
その背中にオスカーが疑惑の視線を送る。
この公爵は、知っているのだろうか? 公妾の正体を。
あるいは、両性具有のこの身に、パーシヴァル家が行った教育を。
エルウッド公爵家ともなれば、それなりの情報の伝手があるかもしれない。
もし、知っているのだとすれば、一体誰が調べさせたのだろうか?
この放蕩公爵か、あるいは先代――?
「そうそう、オスカー」
ある程度、歩みを進めたところで、ふと立ち止まり、ローレンスがこちらへと振り返った。
「国も大事だけど、もっと他のところにも目を向けていないと――貴方の大事なもの盗られちゃうよ?」
オスカーに忠告するローレンスは優美な表情を讃えている。だが、目が笑ってはいない。
それは、静かに相手を威嚇するかのような、冷たい光を灯していた。
「心得ておきます」
オスカーは静かに返した。
ローレンスは返事を聞くと、普段の表情を取り戻し、再び歩きだす。
オスカーはほっと胸を撫で下ろした。時折、ローレンスはこちらの背中があわ立つような、そんな表情を見せるときがある。
まるで実態がつかめない化け物と戦ったかのような、後味の悪さを残したまま、オスカーはしばらくそこに立ちつくしていた。
Back * Top * Next