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EternalCurse

Story-144.忌み子の娘
奇しくもフェネクスを葬った翌年、サクヤにとって二度目の伴侶となるべき英雄は生まれた。
だが、その英雄がサクヤにとって『使い物』になるまでは、程遠い年月を要した。

二人目の英雄の名は、ヴァルハルト。
獅子王の四男であり、北の辺境、メルザヴィアの若き国王であった。
灰色の髪に、灰色の瞳。まるで狼をも彷彿とさせる孤高で強い眼差しに、サクヤは、なるほど、獅子王が最も不毛の土地を、この四男に与えた理由がわかったような気がした。
それにしても、二度目に伴う英雄は、あまりフェネクスには似てないような気がした。
「いかがされた? 神子殿?」
玉座から今のシェイドよりも若干若い、ヴァルハルト王が、サクヤを見下ろした。
この時、サクヤは見た目こそ二十代後半程度ではあるが、既に四十路を過ぎていた。
ヴァルハルトに声をかけられ、サクヤが我に返る。
この新しい英雄の中に、今際の際、来世へと逃げた昔の夫の面影を探し、落胆している自身に、サクヤは強い不快感を催した。
「いいや、なんでもない」
感情の無い声で、サクヤが返した。

当時のヴァルハルトは婚約こそはしていたが、ソフィアを王妃に迎えてはいなかった。
式は聖戦より無事に帰還した後にと、予定されている。
本来ならば、一刻も早くサクヤを伴って、出立したいところではあったのだが、現在、メルザヴィア国内におけるある『問題』によって、国王は頭を抱えていた。
手短にその問題の詳細を聞くや、サクヤは解決に向けての協力を申し出た。
いや、むしろ
「その問題とやらを解決できる者は、この国には――いいや、この世にはまず存在すまい。この私を除いてはな」
と言い放ったのが事実である。
無論、この発言にはヴァルハルトをはじめ、多くの重臣達が表情を凍りつかせたのは言うまでも無い。
だがこれは、ともすれば、親子といっても過言ではない、神子と英雄による長い珍道中における、ほんの一部の思い出に過ぎなかった。

「まったく……どいつもこいつも男ってやつは……」
一足先に別荘へ帰り、エステリアの帰りを待ちながら、忌々しげに呟くサクヤに
「一体、どの男の事を言ってるんです?」
シオンが尋ねた。その声を聞いて、ようやくサクヤが我に返る。
「そりゃ、今の状態で姐さんが詰りたいのは前の夫だろうがよ」
「ええ!? 一番手を焼いたのは、ヴァルハルト陛下の方でしょう?」
「……どっちもだ」
ふて腐れたようにサクヤが答える。
「魔に支配されてからのフェネクスは、私にとってどうしようもない男だった。いや、素面の時からも手のかかる生ぬるい男だったか。それに比べればヴァルハルトの方は生真面目で律儀で申し分のない男だった」
「おい、姐さん、だったら、どっちも手を焼いたって言うのは、おかしな話じゃねぇかよ……」
「だからこそ、腹が立ったんだ。私は、昔の夫がいながら、あんな小僧にさえ心奪われそうになっている自分が嫌だった。まして、あいつには心底惚れた女がいる。口を開けば、二言目にはソフィアだ。可愛くない。契約上、妻の立場であるこの私の前で! だぞ? まったく鬱陶しい!」
その言葉に、思わずガルシアの口がぽかんと開く。
「本来ならば、神子と英雄はその力を保持している間は、他人に惹かれることなんぞない。だが、どういう仕組みかは知らんが、あいつは強靭な精神力で、その宿命を退けていた気がする。そう、あいつはな。振り回されたのは私だけだった。いい年をして嫉妬に塗れるのもなんだから、あいつとは、とっとと別れたかった。先を急いたおかげでまんまと罰を受けた。そういう意味ではあいつも迷惑極まりない男だった。それだけの話だ」
そして、サクヤはふと思い出したように続けた。

「そうそう、当時、あいつを骨抜きにした婚約者の顔をこの目で確かめてやろうと思ってな。水鏡を通して見た事があった。まだ貴族の令嬢だったソフィアは、触れてしまえば儚く溶けて消えてしまいそうな、妖精みたいな女でな。私とは対極にあるような女だった。私は苦手な方だが、あれが惚れるのも無理はない。女の趣味は息子の方に見事に遺伝したようだな」
「確かに……ミレーユといいお嬢ちゃんといい、あの野郎の好みは偏ってるな」
「私はミレーユさんの方はどうか知りませんが、割とおっとりした女性が好きなんですかね? シェイドさんは」
「お前の妻とは真逆だな」
「え? 優男の兄ちゃんの嫁さんは気性が荒かったのかよ!?」
「ええ、穏やかな方とは言い難いですね、先帝陛下は。レンゲがあのまま大人になったような感じと思っていただければ想像しやすいかと。ところでガルシアさんは、結婚されてませんよね? どうしてです? もてないわけではないんでしょう?」
「ああ、一応、縁談みたいなものはいくつかあるんだけどよ、俺、戦地に赴く事が多いから、いまいち乗り気になれねぇんだよな……」
「まぁ、奥様残して死ぬわけにはいきませんしねぇ……」
と、配偶者についての他愛もない話が続くかに思えた時だった。
「ただいま……」
ようやく別荘に戻ってきたエステリアとシェイドが、サクヤらの待つ部屋に入ってきた。
「そっちはどうだった?」
早速サクヤが訊く。
「噂のエルウッド公爵に出会ったわ」
「あのオスカーさんが苦手な、エルウッド公爵ですか?」
「ええ」
エステリアが頷いた。
「オスカーさんが話していた通り、変な人よ。一緒にいると、命がいくつあっても足りないような事ばかり言うの。シェイドは変なふりをしているだけっていう見解だけど」
「そうなのか?」
ガルシアがちらりとシェイドに視線を移した。
「ああ。根っからの阿呆ではないな。赤毛と違って」
「それで、そのエルウッド公夫妻と、一緒に食事をする事になったんだけど……、ローレンス公爵曰く、この間亡くなった、歌姫のマルグリットさんが、実はサーベラスの一員だったんじゃないか……って噂があるんだって」
「国王の為にさえずる歌姫が、実は反体制の組織に所属してたってか?」
「その噂に対する確証はないんだけど、もし、マルグリットさんが本当にサーベラスの一員だった場合、
国立歌劇場の中に、内通者というか、同じサーベラスの仲間がいたんじゃないか、って思うの……歌姫の立場ともなると、普段は付き人に囲まれてて、単独行動とか無理なんでしょう? だからアジトに向かわずとも、サーベラスの主からの連絡を彼女に伝える人がいてもおかしくはないんじゃないかしら?」
「仮に噂が事実であった場合、何故、歌姫がサーベラスに所属しているのかが気になるところだ。何気に国王に近づいて、寝首でも掻くつもりだったのか?」
「サーベラスの目的が、国王を倒し、民衆による国家の統治――というのであれば、その可能性もあるでしょうね。ですが、国王一人殺したところで、その下にいる貴族や軍も完全に制圧しない限りは意味がない。現実的に考えて、サーベラスの規模はそこまではないと思いますよ?」
「そうだな。サーベラスが大規模な組織になっているなら、とっくにこの王家は革命で倒れているだろうし、逆に組織がでかいと、居場所も特定しやすいだろうから、国に先手を打たれて潰されているんじゃないか?」
小規模であり、実体が見えにくいからこそ、国王はサーベラスを恐れ、あのオスカーですら、その捜索に手こずっているのだろう。エステリアは確信した。
「とりあえずマルグリットの周辺にいた人物を調べてみる価値はありそうですね」
「ええ。だから、明日は国立歌劇場にでも行ってみようと思って……。そっちはどうだったの?」
サクヤらが調査していたのは、この地を訪れ、国王より試練を与えられたという神子、ノエルの足取りだ。

「ああ、面白い情報が手に入ったぞ。国王直下のオスカーに尋ねるよりも、街の住人の方が、その曰くつきの神子について、よく覚えていたようだ」
当初、自ら次代の神子を名乗るノエルを、誰もが偽者だと決め付けていたのだ。
無論、国王とその臣下がまともに取り合うはずもない。
ノエルに関して、オスカーらの記憶がおぼろげなのはそのためである。だが、城下の住民の中には、面白半分に、あるいはこの国が起した『セレスティアの悲劇』による罪滅ぼしのためか、このノエル一行に協力した者も少なくはないという。
「国王陛下は、ノエル一行に、神子である証拠として、『神の揺り篭』を起すように命じたそうです」

「神の……揺り篭?」
それはエステリアにとって、初めて聞く名だった。
「神の揺り篭とは、神子が自分自身を封印して、眠るためのものだ。一度眠りにつけば、外敵はおろか、時の流れをも遮断する事ができる」
「おいおい、姐さん、それってもしかして……」
「事実、セレスティアはその中で十六年に渡る眠りについていた。こいつが成長して目覚めるまでの間な」
言いながら、サクヤがシェイドを見る。
「その神の揺り篭っていうのは、どんなものなの? 『起す』って言うぐらいだから……寝台っていうわけじゃないのよね……?」
「揺り篭は、神子のみをその内部に迎え入れ、守り続ける『生き物』と言ったほうが正しい。いつその揺り篭が生み出されたのかは知らん」
「姐さんは、前の旦那を倒した後、ヴァルハルト陛下に出会うまで、そん中で眠ろうとか思わなかったのかよ? 揺り篭を使えば、いつまでも若々しくいられたはずだぜ?」
「生憎、当時のセイランは度重なる災厄に苛まされていてな。おちおち寝ている暇もなかった」
フェネクスを滅した後に、セイランを襲ったのは、人と妖の女王、そして鬼神との三つ巴の戦だった。
ヴァルハルトと出会う数年前には、生まれたばかりのシオンを預かった事もあった。

「本来、持ち主を失った揺り篭は、化石のように自身を閉ざしてしまうという。セレスティアが神子の資格を失ってからは、おそらくその状態で、このグランディアのどこかに安置されていたんだろう。国王からの試練は、成功すれば神子にとって有益なもの――これはあながち間違ってはいなかったって事だ。ただ……」
その試練を課せられた後のノエル一行の姿を見たものは誰もいないというのだ。

「考えられるのは、ノエル一行は、試練を受けて失敗した後、折り合い悪くなって失踪した――、あるいは自分が偽者という自覚があって、怖気づき、試練を放棄して行方をくらました。または不都合な試練はすっ飛ばして、別の方法でイシスの居城へと向かおうとした――あたりか?」
ガルシアが唸る。
「考えられる事ならまだあるぞ?」
不意にシェイドが切り出した。
「案外、何も事を起さず、母親のソレアと合流して、今もどこかに潜んでいる――という説だ」
「ちなみに、お前がその結論に至った理由は何だ?」
サクヤが尋ねる。
「ノエルの行動には不審な点が多すぎる。カルディアを経った後、失踪したと聞いた際は所詮は騙りの神子だと思ったもんだ。だが、ノエルはこのグランディアでも同じような行動を取っている。試練を課せられた後に失踪、という行動をな。しかも失踪前にはこれからの行き先を誰にも告げてはいない。随分と気味の悪い話だ。
誰かが――母親のソレアが裏で糸を引いていて、ノエルは自身が次代の神子と触回るよう指示されているだけにも思える」
「ちょっと待てよ、シェイド。不審って言うけどな、ノエルにはカルディアからついていった護衛もいるんだぜ?」
「ソレアとやらに抱き込まれたんだろ? ベアールにしてもウォルターもどきにしても、謎の占い師の入れ知恵でセレスティアを陥れた。その占い師の正体が仮に忌み子のソレアだったとする。マーレ王妃に言わせれば、ソレアはテオドール伯父にも近づいて、ノエルを孕んでいる。つまり王侯貴族に取り入るだけの財力をその女は持っていた――ということだ。護衛の兵隊の心すら金で買われていてもおかしくはない」
ソレアはセレスティアやマーレを確実に陥れて来た。これまでのソレアやノエルの行動はあくまで何かの土台作りであり、エステリアを罠にかけようと機会を狙っているだけなのかもしれない――シェイドの言葉に一同の視線がエステリアに集中する。
「前から私を陥れるかもってよく言われるけど……それって……やっぱり私の悪評とか立てられて名誉を傷つけられたりするわけ?」
「そんな生易しい方法ではないと思いますよ? 手っ取り早く貴方を陥れる手段なら強姦が適しているでしょう。それこそセレスティアに使った手口ですが」
シオンのあからさまな表現にガルシアが絶句する。
「ですから、貴方はご自分の身の回りには充分気をつけておかなくてはならない。特に一人で過ごすときは――です」
「その事なら、ローレンスさんからも言われたわ。あと……揺り篭の事が気になるんだけど……これってやっぱり手に入れておいた方がいいの?」
「現状、揺り篭を起せるのはお前だが、そんなもん使おうものなら、お前が眠っている間に、この世界はセレスティアのものになってしまうぞ……」
あまりにも大真面目なサクヤの答えに、一行は、久しぶりの笑いに包まれた。
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