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EternalCurse

Story-140.エルウッド公ローレンス
グランディアの共同墓地には、身分によって遺体が収められる場所こそ違うものの、一般市民から中流階級の貴族までが眠っている。
そこはディーリアス通りの離れにあるオスカーの別荘から、幾分とない小高い丘にあった。
グレイスはバーグマン家の妻ではなく、コーンウェル家の娘として亡くなっている。
ここに辿りつく前に買った、白い花束を携え、墓碑銘を探しているシェイドとエステリアは、先に墓参りに来ていた、バーグマン家の――いや厳密にはコーンウェル家の家政婦と出くわした。
そこで改めてエステリアは、家政婦の口から、グレイスと偽りのウォルターとのいびつな夫婦関係について聞く事となった。
「お嬢様はウォルター様を語るあの男に騙され続けている事に、薄々感づいていたのかもしれません。それでも、お嬢様はご自分のご家族を愛されていた。あんな男の子供でさえ……」
家政婦はここに来て、何度流したかわからない涙をハンカチで拭った。
「お嬢様と『本物』のウォルター様は、婚約が決まるや、長らく文を通じて交流されていました。お嬢様も、あの方と会える日を楽しみにされていました。聞けば本物のウォルター様は、こちらに向かう道中、あの下衆に殺害されたのだとか。お嬢様とウォルター様の中を引き裂いたあの下衆め、もし見かけたなら、この手で屠ってやりたいと、何度思った事か……」
偽者のウォルターの消息についてははっきりとしていない。
シオンは彼は逃走の最中に女王蜂の餌食となったのでは? と言っていたが、定かではない。
「犯人、見つかるといいですね」
グレイスとユーリの名が記されてまだ新しい墓碑を見つめたまま、エステリアは呟いた。
「どうか、お嬢様が天国で本物のウォルター様にお会いできるよう、一緒に祈ってはくださいませんか?」
この母子を殺したのは、偽者のウォルターではない。
家政婦が仇と憎むべき相手はセレスティアである。後ろめたい気持ちを抱えたまま、エステリアは花を手向けると、祈りを捧げ、家政婦に一礼して共同墓地を後にした。

言葉少なげに、丘を降り、市街地へ戻る。ディーリアス通りを抜け、聖誕祭の傷跡が残る中央広場へと歩みを進める道中、エステリアの横顔を隣で見下ろし、
「こんな事は言いたくはないが、お前と出会っていなくても、あの夫人は、あいつを辱めた男の妻である以上、殺されていたはずだ。その事でお前が気に病むことはない」
シェイドが言った。
よほど自分は思いつめた顔をしたまま歩いていたのだろうか――エステリアはシェイドとは視線を合わすことなく、小さく頷いた。
極端な話ではあるが、シェイドの言い分にも一理ある。出会ってさえいなければ、グレイスの死ですら、エステリア一行にとっては、物騒な殺人事件の一つに過ぎず、むしろグランディアを震撼させていた、怪事件の被害者と考える程度だったのかもしれない。
シェイドは、関わってきた者達の全てにまで、一喜一憂する必要はない、ある程度は割り切るように、と言いたいのだろう。
「そういえば、サクヤやシオンさん達は、どうしてるんだっけ? まだ別荘にいるのかしら?」
「今頃はガルシアも引き連れて、調査に乗り出しているんじゃないか?」
「調査? サーベラスのアジトの?」
「いや、ノエルがこの国に来た当初の足取りを、だ。なにやら気になる事があるらしい」
「意外ね、サクヤなら真っ先にイシスの居城とか、その辺りを探りそうな気がするんだけど……」
「元夫との忌々しい思い出が蘇りそうな、小姑のいる居城の調査を率先すると思うか?」
「ああ……」
と思わず納得しかけて
「――って、サクヤ、もう完全に動き回れるの!?」
エステリアはシェイドに訊き返した。
「お前、時々、初めに尋ねるべき事が人とはずれてるよな……。一応、サクヤは戦うとなると、きついものがあるかもしれんが、日中歩き回れる程度なら問題ないそうだ。ついでに散々鬼神に愚痴ったおかげで、すこぶる機嫌もいいそうだ」

「サクヤが……シオンさんに愚痴るの?」

「ああ、急に呼び出されて、フェネクスについて色々と話をしていたそうだが、何故か途中から愚痴に変わって一晩中付き合わされた――らしい」

「あのサクヤが……」
常に冷静であり、一行の中でも達観しているはずのサクヤにそんな一面があるという事が、エステリアには信じられなかった。いや、思い起せばフェネクスの転生体であるディオスと出会ってから、サクヤの様子は普段とは異なっていた。あれほど慎重に行動するサクヤが襲撃を受け、負傷したというのも不思議な話でもあった。ずっと追い続けてきた標的との再会に、顔には出さなかったものの、サクヤも内心揺らいではいたのだろう。
「おい、エステリア」

「え? なに?」
不意にシェイドが立ち止まった。その視線は壁に取り付けられた看板へと向いている。エステリアもそこへ視線を移した。
「シェルビー……出入り口?」

「出入り口の一部――らしいな。ここからも街に繋がっているようだ」
看板に描かれた矢印が示す方向は、細い裏通りである。中央広場からは、大通りを通らずとも、抜け道から様々な区画へと向かうことができる。勿論それは、土地勘に長けているグランディアの住民ならではの話ではあるが。
「じゃあ行って見る?」

「勿論だ。だが……あの人だかり……なんなんだ?」
裏通りの先に見える集まった人々を見据えながら、シェイドが眉を潜める。
「ちょっと、急いだ方がいいかしら?」

「走るぞ」
言うが早いといったように、シェイドはエステリアを手を取ると、道の奥に向かって走り出した。

シェルビーの街は、そこに建ち並ぶ店の数々といい、港町と見紛うほどで、まるで、聖誕祭での惨劇が無かったことのように活気づいている。
それは廃太子エドウィンを敬愛する者達が、現王家に下された制裁に内心喜んでいるためか、あるいは港町が壊滅状態である分、それを補うためによるものかはわからない。道の真ん中に、黒山の人だかりが出来ている。一台の馬車がそこで足止めされている様子だけが見て取れた。エステリアとシェイドはそれとなく人を書き分けていく。普段、こういった野次馬めいた事に興味を示さないシェイドであったが、このときばかりは、この騒ぎが、何かの手がかりになるものに思えたのかもしれない。

「はぁ? この私を逮捕? どういう風の吹き回しかな? なんにも悪い事はしてないつもりだけど?」
多くの野次馬に囲まれた、その中心からなにやら気だるそうな声が聞こえる。なんとか前の方に出る事ができたシェイドとエステリアは、騒ぎの中心にいる人物をようやく見ることができた。馬車の前に身形の良い男女が佇み、部下を引き連れた白銀の甲冑を纏う青年と対峙している。この青年の方には見覚えがあった。白銀の騎士団のジェレミーだ。
「で? 罪状はなに?」
緩やかな癖のついた金髪を弄りながら、面倒臭そうに答える男に対し、ジェレミーはやや緊張した面持ちで、答えた。いや、目の前にいる人物よりは、周囲の反応に気を遣っているようにも見受けられる。
「今回のセレスティアの襲撃は、エルウッド公爵家による手引きではないか、という嫌疑がかけられておりまして、王位簒奪を計った罪で、ローレンス閣下、貴方を逮捕する次第です」
エルウッド公ローレンス――目の前にいる人物の名を耳にして、エステリアはようやく、周囲がジェレミーに投げかける視線の刺々しさに理解を示した。そのままエステリアはローレンスを見つめた。すらりとした肢体に、癖のある金髪、薄暗い青い瞳は又従兄弟のオスカーに通じるものもある。睫毛も長く、顔立ちも女性的で、どちらかというと優男の印象だ。もし、公妾ブリジットの兄と名乗られたら、そのまま信じてしまうかもしれない。隣にいる妻と思しき女性は、外出用の帽子とコートを春のような淡い水色で合わせている。髪の毛はアッシュで貴婦人にしては珍しく、肩のところで切りそろえられている。瞳もブラウンで、丸く、まるでリスのようである。その愛らしい顔立ちを不安で曇らせながら、妻は夫とジェレミーとのやり取りを静かに見守っている。
「私が? セレスティアと結託して? 面白いね、それ」
唐突にローレンスは笑い出した。
「いや、実に面白い筋書きじゃないか。これを考えたのは国王陛下かな? いっそ劇作家にでもなって、国立歌劇場で上演したらどうだい?」

「閣下! 言葉を謹んで下さい!」
思わずジェレミーが声を荒げる。
「ジェレミー……そんなにすぐに怒っていたら、可愛い奥さんは娶れないよ?」
茶化すようにローレンスが言った。
「話をはぐらかさないで頂きたい。そもそも、どうして貴方様がこのような界隈にいらっしゃるのです?」

「ここまでつけて待ち伏せまでしておいて、おかしなこと言うなぁ……ただでさえ、聖誕祭に起きた惨劇のおかげで中央広場から港町にかけては壊滅状態でしょう? なら一応は自分の膝元を確認しにくるのが貴族の務めなんじゃない? 普通。それともなに? 私がこの街の人間と一緒に反乱でも起こすとでも思った?」

「ならば質問を変えます、何故閣下は聖誕祭に出席なさらなかったのです!」

「ああ、そこから不敬罪に持って行きたいわけ? そうだね。当日は妻が不調を訴えていたから、付き添っていたかなぁ? 代わりに名代出したから問題ないでしょ?」
面倒臭そうにローレンスは弁解を始めた。
「なんでもうちのエレインが胸が焼けるとか言っていたから、てっきり懐妊の知らせかと思って焦っていたんだけど、なに、単に甘いものを沢山食べ過ぎたらしい。木苺のジャムにクリームをかけたマフィンを十五個も平らげるなんて、そりゃどうかなるよ。まぁ、そこが可愛いんだけど」
大きく惚気ながら妻を見下ろす。もう……とか細い声でローレンスの妻、エレインは恥ずかしそうに俯いた。
「閣下! おふざけになるのもいい加減に……」

「さて、確たる証拠すらなく、ただ垂れ流した妄想だけで、人を罪人に陥れようとしている誰かさんと、私、一体どっちがふざけているんだろうね? 私を捕まえたら、そのついでにエルバートを亡き者にするよう、命令とかされてたりしてね、ああ怖い」
芝居がかった動作でローレンスは両手を上げた。
「陛下のお心は疲弊しておられるんだよ、きっと。誰かの所為にしなきゃならないぐらいにね。そんな陛下をお支えするのが君らの役目だろ?――何やってんの?」
痛いところを突かれて、ジェレミーが押し黙る。
「どうしても私達夫婦を陥れたいようだけどさ、私達がいつ王権に背いたかな? 現国王一家の命じるまま、子供ですら、一人設けるだけに止められているというのに」
つまり、国王一家に万一の事が起こった際、次の国王候補となるべき人間を増やさない為の処置なのだろう。
「そもそも、私は既に、現王家への忠誠を誓わされている身だよ?」
言いながら、ローレンスは首元のアスコット・タイを取り外すと、おもむろにシャツを肌蹴て胸元を晒した。ローレンスの左側の鎖骨下に火傷のような跡が残っていた。いや、ただの火傷ではない、それは白銀の騎士団の鎧に刻まれているのと同じ、グランディア王家の紋章である。それが露わになった瞬間、見守っていた観衆の中からどよめきとも、悲鳴ともつかない声が次々と上がる。
「グランディア王家の紋章を模った焼印は、本来、国家に背いた売国奴に、改めて永遠の忠誠を誓わせ、奴隷の身へと落す刑罰という事ぐらい、白銀の騎士団に勤める君なら、承知している事だよね? 私がこれを受け入れ、グランディア王家への忠誠心を示さなければ、妻の顔に焼印を押すと、脅したのはどちら様だったっけ? 私達エルウッド家はここまで試されたというのに、逮捕なんて笑わせるよ、これ以上の屈辱をどうして受けなければならないのかな?」
エドウィンの孫にあたるローレンスに、罪人と同等の仕打ちを王家が与えていた事を知った観衆は、ジェレミーや彼が引き連れている騎士団を殺気だった面持ちで睨みつけている。この状況は、圧倒的にジェレミーにとっては不利である。
「あの、ジェレミーさん?」

「げっ、神子」
追い討ちをかけるかのように声をかけたエステリアの顔を目の当たりにしたジェレミーは蛙の鳴くような声を出して、顔を引きつらせた。
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