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EternalCurse

Story-139.今は亡き思い出
「私がセイランの女帝? 冗談ではない」
そう言い放つや、少女は珊瑚のように淡く、花びらのように形の整った唇を硬く結んだ。緑を帯びた艶やかで真っ直ぐな黒髪。透けるような白絹の肌に、どこまでも蒼く、時には鋭い光を放つ瑠璃色の瞳。どれをとっても非の打ち所が無いほどに整った顔立ちである。だが、纏っている衣はその華やかさとは無縁の漆黒。

「もとより、私は神託によって、神子となるべくして生まれた。皇位などには殊更興味は無い」
この時、サクヤはもうじき十六を迎える年であった。
当時のセイランでは、次期後継者についての問題が取り沙汰されていた。
セイランの皇位は第一子が継承するのが古くからの慣わしである。
だが、その『第一子』は身体に難を抱えており、半ば軟禁状態であるのも同然の身であった。
ならば第二子の方に皇位を継承するべきなのだが、ここに来て、次期後継者候補として、何故かサクヤの名前が挙がってしまったのである。
生まれながらに強い霊力を持ち、その神懸った存在感に、つい次期女帝として、推す者も出てきたのだろう。
元々、サクヤはセイランに帝、あるいは女帝に子が無き時のみ、次期後継者を輩出する役目を果せられた宮家の者である。
「真に帝の血が途絶えようとしているならばともかく、現状、帝の皇女は二人おわすではないか。こちらに話を振らずとも、内輪で解決すれば良い。これ以上つまらぬ仕事を増やしてくれるな」

セイランにおいて最も重要である皇位継承問題をも『つまらぬ』と一蹴し、城からの使者を追い払う、この神子が待ち望んでいるものは、ただ一つ。
自らの半身とも言える、英雄の訪れである。
そしてその日は何日もせずにやってきた。イシスの神託によって、夫として選ばれたその男はフェネクスと名乗った。聞けば歳はサクヤと同い年だが、大人びた雰囲気を持ち合わせたその者は、セイラン人ではない。
サクヤにとっては、いわば『外人』である。
「悪しき不死鳥……か」
サクヤは他国の言葉にも精通している。
この男の親は、何故我が子に、わざわざ悪趣味な名を与えたのだろうか――そんな事を思いながら、サクヤはフェネクスの顔をじっと見つめた。
瑠璃色の瞳に直視され、反射的に視線を逸らしたフェネクスの両眼は夕焼けのように紅い。
前髪で隠れてはいるが、薄っすらと額の真ん中に線が見えた。いや、亀裂と言っていい。今は閉ざされてはいるが、その亀裂の下に眠るものが『眼』である事ぐらい、サクヤには理解できた。
第三の眼を持つ者――その存在は知っていた。それは良くも悪くも、この世のありとあらゆるものを見透かす力があるという。その中でも、『千里眼』は重宝されるのだが、フェネクスが持っているのは、『邪眼』である。

「貴方は随分と、気性の激しいお方と見える」
フェネクスが呟いた。勿論視線はサクヤから外したままだ。
「貴様は人の心を覗き見るのが趣味なのか? その第三の眼を使って」
「……お許し下さい。何もしなくとも、他人の心が勝手に流れ込んできてしまうのです。決して覗いたわけでは……」
「私から視線を逸らすな。すぐに俯くな。それでも貴様は本当に私の夫となる男なのか?」
うんざりしたようにサクヤは言った。自分の意志とは無関係に他人の心を見てしまう、その能力こそが、この男の表情を曇らせる原因となっているのだ。
だが、特異な力を持って、生まれてきてしまったものは仕方がない。
それは神子となるべき力を生まれながらに備えてきた自分にも言えることである。
早々に手放せる運命でもないのなら、それなりに受け入れて生きていけばいいだけではないか。
なにより、周辺諸国ではどんなものかは知らないが、セイランでは覇気のない男は嫌われる。
その様な事を思いながら、苛立つサクヤを見て、フェネクスは困ったように笑った。

「どうして、こんな事を言われてへらへら笑えるのだ? 貴様は……」
「貴方こそ、そんなに怒ってばかりで疲れない?」
「私を苛立たせているのは貴様なんだが?」
「ああ、そう。なら謝るよ。苛立ってない時の貴方は普段は澄ました顔ばかりの人? 勿体ないよ。笑わないと。貴方だって『そこそこ』可愛いのに」
「……は?」
その美貌を、飽きるほどに賛美され続けてきたサクヤにとって、フェネクスの一言は、まるで胸に一太刀受けたような衝撃であった。
何より、言った本人に、なにも悪びれた様子がないというから始末が悪い。
その後も色々とぶつかる事もあったが、結局二人は、運命に従い、正式に神子と英雄としての契約を交わす事となった。
だが直後、皇位を巡る問題によって、セイラン国内に起った大戦より、これより数年はこの地を動くことができなかった。
ようやく自国の戦も終息し、聖戦に赴くとある朝、フェネクスは不意にこう洩らした。
「私の力は誰からも必要とされた事はないから、私自身、自分の価値というものがよくわからないんだ」
この時、サクヤもフェネクスも二十歳を過ぎていた。
「他の連中がお前を無碍に扱おうとも、この私が必要としているんだ。もっと胸を張ってろ」
何を今更――といった具合に、サクヤはフェネクスの抱いている懸念をも笑い飛ばした。
「サクヤ、お前の英雄という肩書がなかったら、きっと私達は敵同士だったかもしれないね」
陰りある笑みを見せたフェネクスの、その言葉は、近いうちに現実のものとなった。


「あの男は私の夫だった男ではない。生きた死体に、邪悪な魂だけを詰め込んだようなものだ。今度こそ、あの世に送ってやるのみ。私に気兼ねすることなど一切ないからな」

と、オスカーが去った後、サクヤから聞いたここまでの話を思い出しては、エステリアは一人、窓の外へと向かって、深い溜息をついた。
イシスの居城への入り口、サーベラスのアジトの捜索と彼らが所持する血判状の入手。
本来の目的であるセレスティアから奪われた至宝を取り戻し、彼女を倒す事も忘れてはいない。その上、倒す敵としてフェネクスも新たに加わった。一行が抱えている問題は積み重なっていくばかりである。
何一つ、目的を果たせてはいない――そんな焦燥感に襲われ、エステリアはうな垂れた。
それとも、セレスティアの望みの一部を垣間見れた事だけでも、収穫になるのだろうか?

自分が神子であるべき世界に作り変える――セレスティアはそう言った。

各地に散らばった呪いの力を用いて、かつて縁あった者達を、次々とこの世に戻し、自らの陣に置く。
その事態もまた、エステリア一行の心理を揺さぶり、悩ます災禍となっている。
元より、転生したフェネクスの魂を追っていたサクヤならばともかく、シェイドに関しては、己の意思に反して蘇ってしまったミレーユについて、考える事が山ほどあるだろう。
今はそっとしておこう、と思っていた。
事実、ミレーユはシェイドの婚約者だった人物だ。もし、神子や英雄といった運命に縛られていなかったなら、二人は普遍的な幸せを築いていたのだろう。
最愛の人から命を奪われ、悪戯に再び生を与えられたミレーユには深く同情する。そんな自分を、サクヤならお人よしと笑うだろう。エステリアは再びうな垂れた。

「お前……何やってんだ?」

背後から聞き覚えのある声がする――シェイドだ。
「ええっ!?」
「なんだ? その仰々しい声は」
「え、だって……。もうちょっと、物思いに耽ってるんだろうって思ってた」
「そんなに俺がミレーユに捉われているとでも?」
――図星だった。
あまりにも単刀直入に答えられて、エステリアはしばし沈黙した後、小さく頷いた。
「どんなに気にかけたところで、あいつの魂が天に召されるわけでもあるまいし……。蘇ってしまったものは仕方が無い、それだけだ」
淡々と答えるシェイドが、どれだけ過去のミレーユを偲んだところで、英雄は神子以外を欲することはない。
そんなことが自身の平静を保つよすがとなりつつある――エステリアは複雑な感情を抱いたまま、それを打ち消すかのように、
「ねぇ……共同墓地ってどの辺りになるのかな……」
と、聞いた。
「共同墓地? 何か用があるのか?」
「うん。グレイスさんと、子供さんのお墓……お参りしたいな、と思って」
元はといえばグレイスの死は完全にセレスティアの復讐に巻き込まれた形だ。神子や英雄に必要以上に関われば不幸になる――思い起せば、彼らの力を欲した者達、または思いを寄せた者達は、非業の死を遂げている。その言葉は、エステリアの中に毒として残るには充分すぎた。
だが、その不幸はセレスティアによる仕業、粛清によるものも含まれている。だからこそ、強くなりたい、もっとセレスティアに対抗できる力が欲しい――そんな事を思いながら、エステリアは左手に嵌められたナイトメアの指輪を凝視した。

「お前、教会じゃ自分で敵を倒したんだってな。神子の力も使い慣れたか?」
「正確には私の力じゃなくて、このナイトメアの一部に助けて貰ったようなものなの」
「助けて――貰った?」
「うん。これ、こちらに敵意を持っている相手に対して、反応しているような気がするの。便利といえば便利ね。ただ使える術は、もっぱら破壊するものばかりだけど……でも持っているに越した事はないわ。もっと強い力が出せたら、これ以上、他の人達を巻き込まなくて済むもの」
「……明日、共同墓地に行くか?」
「え?」
「一応、お前のけじめにもなるだろう?」
視線の先にグレイスの眠る、その場所があるのだろうか――シェイドは窓の外を遠く見つめながら、呟いた。






エルウッド公とひと悶着が終わった後、ブルーイット公爵は、その足で、見舞いの為、国王の寝室へ立ち寄っていた。もとより、国王と王妃――いや国王一家揃って負傷したとはいえ、この程度の事で夫婦間に亀裂が走るわけがない。周囲は不愉快な事に国王一家の『最悪の事態』ばかりを想像しているが、国王が娘を見放す事など、有り得ない。その確認も兼ねて、国王の顔色を伺う為の目通りである。

療養の為、伏せる国王の寝室は薄暗く、寝台の周辺には侍従長や医師が控えていた。何か話の途中だったのだろうか? 既に天蓋は開かれルドルフは半身を起している。
ルドルフは若干憔悴した顔をこちらに向けると
「これはこれは、舅殿……」
とブルーイットを迎えた。セレスティアによって痛めつけられた右肩にきつく巻かれた包帯が、傷の深さを物語っている。
「あのど阿呆と違って、舅殿は律儀な事よの。奴は城を訪れておきながら、私の寝室を素通りしおったわ」
ルドルフの言う『ど阿呆』とは、勿論、又従兄弟のローレンス・エルウッドの事である。
ローランドに次いで王位継承権を持つ、この又従兄弟をルドルフは快く思ってはいない。世が世なら彼こそが正当なグランディアの国王であったかもしれないからだ。
祖父レオンハルトは、病弱であった兄エドウィンを追い落とす形で即位した。無論、エドウィンもそれに合意をしての譲位であったが、当時、廃太子とされるにあたり、一部の民衆の強い反発を招いたのも事実である。
聖誕祭後、王室の醜聞が民衆に広がった今、そういった勢力が再び息を吹き返す流れは望ましくない。
そしてこうして自らが臥せっている間にも、重臣達は『万が一』の事態に備えての話し合いを繰り返している。
敵は外にも身内にもいる。
王位は誰にも譲らぬ――そのために自身を脅かすであろう芽は早いうちに摘んでおきたいのが本音だ。だがローレンスはオスカーも手を焼く得体の知れぬ人物である。
さて、どう潰してくれようか――と考えていた矢先に訪れたブルーイット公爵の姿を見て、この舅をなんとか焚き付けることはできないだろうか? と、ルドルフは改めて思いをめぐらせていた。
勿論、ブルーイットの見舞いの言葉など、聞き流している。

「一刻も早い、陛下ご夫妻、そしてローランド殿下のご快復を、このブルーイット願っておりまするぞ」
「舅殿、心配せずとも王妃や王太子にはこの国きっての医師に診させている。時間はかかるがいずれは快方へ向かう事だろう」
最悪の場合、離縁を突きつけられる事を予想していただけに、妻子を気遣うルドルフのこの言葉はブルーイットを安堵させた。
娘はまだ見捨てられたわけではない――それを確信して、ブルーイットは手短に挨拶を述べ、寝室を後にしようとした。その時、
「神子の件ですが、どうやらオスカー殿が別荘に一行を匿っているという噂が……」
国王の隣で侍従長が呟いた。
「オスカーが? 神子の一行を?」
ルドルフの声が一段と暗くなる。その疑念を振り払うかのように侍従長は続けた。
「ええ。ですがオスカー殿の事ですから、神子の一行がこの国から逃亡を計るのを阻止しようとしての行動でしょう」
「そうか……」
どの道、聖誕祭で起った惨事は全て神子に擦りつける算段である。どこに潜むかわからないよりは、居場所が特定されているに越した事はない。ルドルフは頷いた。
だが、小耳に挟んだこの会話をブルーイットは聞き逃してはいなかった。
なにより娘を救い、再び王室と公爵家が磐石であるためには、神子の力が必要なのだ。
こうも早く居場所を突き止めることができるとは――天は自分に味方しているのだろう。
ヴィクトリア。必ず神子をそなたの元へ連れてこよう――部屋を出るブルーイットの足取りは力強さを増していた。
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