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Eternal Curse

Story-14.潜入
実のところ鬼神の城は、空間を自在に操る術を用いてありとあらゆる行き先へと繋がっている。
路地裏から入った水晶の間などがいい例だ。
鬼神の城の数ある『出入り口』の一つとしてセイラン女帝、レンゲの城も入っており、その『扉』を開くことができるのは鬼神のみである。
この事はサクヤと四神、鬼神を含め、ごく一部の人間にのみしか明かされていない。
エステリア達はたった今、それを聞かされたわけだが、そんなことにいちいち驚いている暇などない。
「この作戦が成功した暁には、お前達は暴猪から見事に王都奪還した立役者……いや英雄として死ぬまでこの国で崇め奉られるぞ。銅像ぐらいは建つかもしれん。光栄に思うがいい」
あまりありがたくもないのだが――という表情のエステリア達を捨て置いて、サクヤは手短に話を進めた。

まず、ここから城に侵入した際、彼らは複数に別れて行動することになる。
エステリアとシエルは女帝の寝室に向かい、密かに女帝を連れ出す役目を、またガルシアはオウガ、コハク(これがまたガルシアとの同伴をかなり嫌がっているのだが)と共に、城を警護する大僧正の兵を引き付ける役を担っている。
そしてサクヤはシェイドに付き添い、大僧正の閨まで送り届けるとガルシアと合流し、兵隊を殲滅した後、玉座の間へ向かう……という算段だ。
話を聞き終えたガルシアは肩をすくめた。
今日という日の慌しさに、いい加減うんざりしたようである。
そもそも数刻前までは、普段どおりに昼食をとっていたはずだ。それが一体どういう偶然か、今となっては、『洗礼』という文句と引き換えに、一国の未来を担う役まで背負っている。
だが、遅かれ早かれ、賢者サクヤを捜す以上はこの一件に巻き込まれていたに違いないのだ。
これも何かの宿命か――こうなれば黙って腹を括るしかなかった。

「ソウリュウとオウキは水晶の間に残ってもらう。鬼神は戸締りの後から玉座の間まで来てもらおう」
「戸締り?」
エステリアが首を傾げた。
「皆がセイラン城内に入った後、鬼神はこちらから『扉』を塞ぐ必要がある。きちんと閉じねば、まかり間違って人間が鬼の城に迷い込んでしまうからだ。王城と鬼神の城が繋がっていることが他に知れれば、大事になるのは目に見えているからな」
それを危惧する割には、人間用の寝室だの大浴場だの備え付けてあるのはなぜだろう? エステリアは疑問に思ったが、この雰囲気ではさすがに口にはできなかった。

鬼神は四神の二人を伴ったガルシアを、またはサクヤとシェイドを『扉』を通じて、王城へ送り届けると、残されたエステリアとシエルを連れ、別の『扉』の元へと向かっていた。
なんでもその『扉』とやらは『女帝の寝所付近』にまで繋がっているという。
「まったく……一体、何の用があってこの城は『女帝の寝所付近』にまで通じていますの?理解に苦しみますわ」
確かに今の鬼神は、四神やサクヤと共に自らの城と王城、互いの城を行き来して密やかに会合することも多々あるようだ。そのための便利な通行手段として、人知れず城を繋ぐ道を設けているのは理解できる。
行き着く先が、城門だったり、回廊の片隅であったりするのならば別に構いはしない。それが屋上だろうが庭園だろうが同じことだ。
……が、よりにもよって、近習や侍女以外は誰も近づいてはならぬはずの、まして王の寝所付近にも出入り口が存在するとは何事だろうか! それも人ならぬ鬼が平然と行き来しているのである。
あまりにもの非常識さにシエルは歩きながら、頭を抱えていた。
「こういう事態に陥ったときのためだ」
鬼神は静かに言った。
「先代の女帝は、鬼の王など恐れぬ人間であった。自らに危機が迫ったとき、私に助けに来るよう、命ずるほどに」
「女帝陛下の危機をお救いするために、こんなところに入口を繋いでいる……と言いますの?」
訝しげにシエルが問いかける。
仮にも王族が魔物に助けを求めることなどありえるのだろうか?
そもそも先代の女帝は今の女帝を産んでまもなく身罷ったというが、 こんな『扉』が存在するのだ。その死に鬼神がなんらかの形で関わっていてもおかしくない。
いや、むしろそう考える方が自然だ。
――まさか、ここから侵入して女帝の精気を食らい尽くしたのでは? 疑わしげな眼差しでシエルが鬼神を見つめていると、
「先代の女帝陛下は本当に貴方を信頼されていたのですね」
エステリアが穏やかに、シエルの考えを蹴散らした。
「だってそうでしょう?近習よりも城の兵士よりも先に、貴方に助けてほしいというぐらいですもの」
微笑みかけたエステリアの顔を鬼神が静かに凝視していた。
その唇は何か言いたげに開かれていたのだが、鬼神は何故か思いとどまると、即座に踵を返した。
――私、何か悪いことを言ったのかしら?
足早に進む鬼神の後姿を目で追いながら、エステリアは自身の心に問いかけた。
元は凶暴な魔物の一種である『鬼』ながら、額から覗く角を除けば、鬼神はほとんど人間と変わらない容姿をしている。面の下にはどのような素顔が隠されているのかわからないのが、残念なのだが、彼の威厳のある、そして凛とした佇まいには好感を持つ事ができた――と、思わず、普通の人間と同じようなつもりで、彼に接してしまったわけだが、それがいけなかったのだろうか?

しかし、背を向ける前のあの一瞬、確かに鬼神から、何か戸惑いのようなものを感じたのだ。
ここまで思って、エステリアは小さく溜息をついた。
何故、人ならぬ者に対し、これほど考え込んでいるのだろう?……やはり自分はおかしいのだろうか?――以前、あの妖魔に対してもこのような印象を抱き、仲間達に酷く注意されたことがある。
確かにあの妖魔の瞳には、人の心を惑わす妖術めいた何かがあるのだが、しかし、どうしてか彼を敵として見ることができないのだ。理由はわからない。強いて言うならば自分の直感だ。
だが、自分は近い将来、神子となるべき存在である。
神子とは神に仕え、魔を祓い、この世に安定をもたらす者……このような感情が許されるはずがない。

「あっ……」
まるでその心内を嘲笑うように、エステリアの帯から紫水晶(アメジスト)菫青石(アイオライト)が結び付けられた飾り紐がぷつりと音を立てて切れ、滑り落ち、先を行く鬼神の足下へと転がった。
その微かな物音に気付いた鬼神は立ち止まり、振り向くと、その装飾品を一瞥し、自らの右手に視線を移す。
鬼神の着用する篭手は、重厚な金属製で、指先を覆った部分は鷹の爪を思わせるほど、鋭利な形に作られている。
だが鬼神はまるで手袋を脱ぐかのような動作で、それを取り外した。
篭手の中から露わになった手は白く、その爪先はやはり『鬼』らしく、尖っていた。
鬼神は少しだけ屈むと、素手になったほうの手でエステリアの飾り紐を慎重に掴み、彼女の前に差し出した。
「どうした、必要ないのか?」

「……ありがとう、ございます」
呆気に取られていたエステリアが慌てて礼を述べながら、飾り紐を受け取るや、鬼神は外した篭手を再び身につけた。
もしや飾り紐についた石を、金属であしらった篭手で傷つけまいと配慮したのだろうか?
鬼神の一連の動作から察するに、それが妥当な答えである。

ますますわからない。

人と魔の狭間に感じた曖昧な境界線。神子としての義務と己が気持ちの間に生じた違和感。
エステリアはなんの結論も出せぬまま、再び歩き出した。

帯に再び……今度は固く結びつけられた飾り紐が、ただ静かに揺れていた。





「美しいとはなにかと得だな。すれ違う大僧正の兵でさえ、お前に見とれてあっさりと道を譲った。お前の性別をまったく疑いもせずに、だ」
一足先にセイラン王城に入ったサクヤは、連れである女装の騎士の美貌を讃えた。
「なんだ?この匂いは……」
だが、シェイドは賢者からの賛辞には反応せず、代わりに宮廷内に漂う薄桃色の靄が放つ、独特の香りに顔を歪めると、その袖で鼻と口を覆った。
「麝香だな。これには強い催淫作用がある。こんな色の煙を出すぐらいだ、おそらくは妖術を用いて焚いているのだろう」
不自然な靄の正体を説明するサクヤは煤色の長衣(ローブ)を纏い、頭から足下まですっぽり覆い隠している。
その姿は誰がどう見ても怪しげで、まさに『疑ってくれ』と言わんばかりの格好である。
だが、これが大僧正の兵以外で……『別の意味』でセイランの女性達をかどわかす連中の典型的な格好らしい。
つまりサクヤは、さらって来た数多の美女の一人を、密やかに大僧正へ献上する娼館の女主人、もしくはその手下を装っているのだ。
「なるほど、生贄が閨にたどり着くまでに、この香の魔力を持って心を惑わし、その意識を奪うわけだ」
「お前も気をつけるんだな。間違っても、その気になるなよ」
「俺に男色の趣味はない」
からかうサクヤをシェイドが一蹴した。サクヤは小さく肩をすくめると
「愚問だったな。お前にこんな小細工が通用するはずがない」
懐かしいものを思い出すかのような表情で笑った。

「一つ訊いてもいいか?」
「何だ?」
「この宮廷で、魔剣(ナイトメア)はどこまで使える?」
四神らの話によれば、この城には妖を退ける『破魔の結界』が、そして玉座の間には、四神の同士討ち、または女帝への謀反を防ぐための制約として、『戒めの結界』が施されているという。『制約』に縛られることのないシェイドにとって問題なのは、前者の方である。大僧正と対決するまでに、魔剣の魔力を結界に吸い尽くされては、ひとたまりもないからだ。
「お前次第だ。魔剣(ナイトメア)とは、使い手の心に大きく左右される。魔剣が弱るかどうかはお前自身にかかっている」
「随分と魔剣にも詳しいが、大体、あんたは……俺のことをどこまで知っているんだ?」
目深に被った頭巾から、サクヤの目が光った。
「全てだ。お前の出生も、本当の両親も、お前が魔剣を持つ所以も、お前の身体のことも、だ」
「最後のやつは、なにか誤解を招きそうな言い方だな」
「なら誤解のないように言ってやろう。お前の難儀な体質と、とっておきの秘密も知っている」
サクヤは言い換えると、
「ところでお前、身体の調子は?気分はどうだ?」
続けざまに尋ねた。
「女装さえしていなければ、いたって良好だ」
「とぼけるな」
サクヤが足を止める。
「私はお前に、『人としての食欲が一切、消え失せる時期』は過ぎたのか?と訊いているんだ」
射るような目で見られたシェイドは観念したように、
「その時期なら、この間過ぎたばかりだ。不測の事態さえ起こらなければ、別の『飢え』だの『渇き』だのに苛まされることなく、次の月まで問題なく過ごせる」
と苦々しく答えた。
そこまで聞いたサクヤは、何故か沈痛な面持ちでシェイドを見つめた後、口を開こうとした。
その直後――
「おい!そこの!」
ふいに、背後から野太い男の声がした。
シェイドとサクヤが同時に振り向くと、息を切らしながら、大僧正の兵士と思しき者が駆け寄ってくる。
「お前達!何用があってこの城へ入った?!」
サクヤがシェイドを一瞥した。どうやら『何も喋るな』という合図のようだ。
シェイドはそれに倣って、兵士の方を向き直ると、少しばかり俯く。
「怪しい者ではござりませぬ」
声色と口調を変え、サクヤが言う。
「隣におります娘は、生まれながらにして口が利けぬ哀れな身の上。されどあのお方の『祓いの儀』を受け、身を清めれば、失った言葉も取り戻せるはず――大僧正様が起こされる奇跡を信じて、すがる思いで我らは、この城にはせ参じた次第にございます」
「なるほど、確かに大柄ではあるが、美しい娘だ。しかしお前達の生業は、表立っては言えぬ卑しきものであろう?」
兵士は訝しげにサクヤとシェイドを交互に見た。サクヤの長衣を見るなり、彼らが花街にて生計を立てる者であることは一目瞭然であるからだ。そんな者を……娼婦を大僧正の前に突き出すわけにもいかない。 兵士の表情が険しくなる。
「ご心配はいりませぬ。この娘の身は穢れの一つも知りませぬ」
兵士の懸念を払うようにサクヤがさらりと言う。
「まことか?」
途端に兵士の顔色がぱっと明るくなった。
「まことにございます。館で使うつもりでさらって来た娘のあまりの不憫さに、情がうつりましてな」
シェイドは噴出しそうになるのを必死に堪えている傍ら、兵士は二人に救いを見出したかのように、天を仰いだ。
「ならば、大僧正様の元へ案内しよう」
「閨までの道順を教えていただければ、娘一人で参りますが?」
「生憎だが、ラゴウ様は今閨にはおらん。玉座の間にて失態した兵士達を鞭で打ち据えておられる」
サクヤは舌打ちした。が、兵士は聞こえなかったのか、話を続ける。
「今宵、執り行うはずだった『祓いの儀』に捧げる娘が、父親と花婿共々消え失せ、未だに見つからぬ。大僧正様はそのことでご立腹だ。かくいう私も、代わりの娘を連れてくるよう命じられてな。いや、実に運がいい。お前達のおかげで私命拾いしたようなものだ。さあ、ついて来い」
逸る兵士を他所に、サクヤは数歩下がると、
「では、かの者をよろしくお願いいたします」
恭しく一礼し、
「くれぐれも粗相のないようにするのですよ。大僧正様の恩恵を授かり、必ず帰って来るのですよ」
シェイドに優しく語りかけたが、その言葉の意味するところは、間逆である。
『確実に大僧正の首を取って来い』サクヤは無言でそう訴えている。
シェイドは頷くと、兵士の後に続いた。
よりにもよって、標的は『玉座の間』にいるとは、随分と予定が狂ったものだ……シェイドは疼く左腕を押さえた。
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