Back * Top * Next
Eternal Curse

Story-13.薬師
「見事な黒髪だ。セイランでは、青味を帯びた髪は貴重でな。売ればかなりの高値がつく」
シェイドの襟足につけた髢を結い上げながら、サクヤは言った。
「黒髪に生まれて良かった……なんて思ったことは一度もない」
鏡台の前に座らされたシェイドは面白くなさそうに答えた。
一介の騎士が女ものの衣服を着せられ、飾り付けられているのである。これで不機嫌になるな、という方が難しい。

「シェイド……と言ったな、お前――メルザヴィア人か?」
何気ない口調で訊かれ、シェイドは思わずサクヤの顔を凝視した。
今の今まで、一部の人間を除いては知るはずのない、己の出生地を見事に言い当てられたからだ。
が、すぐにサクヤに鏡に向き直るよう注意されてしまう。
「――生まれた地はそうだが?」
シェイドの返事はいつになく素っ気無い。それはまるで、動揺した心を悟られまいと、誤魔化しているようでもあった。
「思った通りだ。お前は父親によく似ているな」
「化粧までされた俺の顔を見て、よく、父と似ている……なんてことが言えるな。それとも最初からからかうつもりで、そう言ったのか?」
「私を誰だと思っている。偉い賢者のサクヤ様だぞ?お前が真っ黒に日焼けしていようが、顔半分を面で隠していようが、女装していようが見分けはつく。そう――例え、お前がどんな姿になっていようとも、だ」
サクヤの言葉を聞くや、なにか思い当たることがあったのか、シェイドはしばし沈黙した。
「本当に……本当に、俺の父を知っているのか?」
念を押すように問いかけるシェイドにサクヤが頷く。当たり前だ、と言わんばかりの表情だ。
「知っているとも、奴は私の悪友であり戦友だった――こう言えば、お前にもわかってもらえるだろう」
今度こそシェイドは、雷にでも撃たれたかのように顔を上げた。その唇は微かに戦慄いている。
「まさか……あんた……」
言いかけた時、
「うお!いい女っぷりじゃねぇか!シェイド!」
「まぁ!お美しいですわ!」
ガルシアによって勢い良く扉が開かれる。
彼に伴って宮廷侍女に扮したエステリアとシエルが部屋に入ってきた。 二人の髪は金髪から見事な茶色に染め上げられている。どうやら染髪は成功したようだ。

「丁度いいところに来たな、お前たち、この『美女』には何色の紅が似合うと思う?」
話の続きはまた今度だ……サクヤはシェイドに耳打ちし、会話を打ち切ると、実に困ったような素振りでエステリアたちに尋ねた。
おそらくサクヤは、エステリアたちをはぐらかすため、咄嗟にそう嘯いたのだろう……と、シェイドは思っていたのだが、
「そのままでも充分に美しいと思っていたのだが、こいつは思いのほか肌の血色が悪い。私の紅を使ってみたが……どうもしっくりこんのだ」
意外なことに、それはそれで本気で迷っているらしい。

サクヤの唇は杏色の紅で彩られている。緑を帯びた黒髪と瑠璃色の瞳を持つサクヤには、充分それが似合うのだが、シェイドにつけると、ぼんやりとした印象で見栄えが悪い。
「私が持っている紅も、サクヤ様とほとんど同じような色ですし」
シエルも白茶色(ベージュ)の紅を取り出し、溜息をついた。
それは油分が多く薄付きで、唇が艶やかに見えるため、カルディアでも話題となった一品だ。
しかし、ドレス姿ならまだしも、セイランの衣服を纏った人間にはいささか相性が悪そうだ。
「私の色も、あまり似合わないんじゃないかしら?」
エステリアも頭を振った。彼女の紅も淡い薔薇色(ローズ・ピンク)であり、自然に唇を彩る程度だ。金髪の女性にはやわらかい印象を与えるものの、
やはりシェイドの肌や髪の色には似合わない。
エステリアはシェイドに近づくと、その顔を覗き込んだ。
「まじまじと見るな」
シェイドは嫌そうに目を逸らし、顔を俯けた。
彼の顔には薄っすらと白粉が塗られており、目元には黒い目張りが、瞼にはほんのり色が乗せられている。エステリアは純粋に彼が美しいと思った。
当の本人には相当の苦痛であるようだが、今のままでも充分に彼の美貌は際立っている。
要するに土台が良いということだ。

「貴方……やっぱり、赤が似合うと思う」
エステリアの提案に、シエルが賛成と言わんばかりに手を打った。
「確かにシェイド様の黒髪と、抜けるような白肌には、深みのある赤い紅がお似合いですわ!今お召しになっている服と揃いの赤なんていかがでしょう?」
「嬉しそうだな、シエル……」
シェイドが低く笑った。
「なるほど、赤か……あまり使わない色だが、あったかな?」
サクヤは鏡台の引き出しから、深紅の紅を取り出すと、さっそく筆に撫で付けた。
「そうだ、神子、お前が塗ってやれ」
「え?」
「先程から見て思ったのだが、こいつは私にはあまり抵抗しないが、神子が相手となると、照れ隠しに反抗的になるようだ。実に面白い、少し苛めてやりたいから代われ」
言うが早いか、サクヤはエステリアに筆と紅を手渡し、
「そう睨むな、シェイド。せっかくの化粧か崩れるぞ?それから、神子の手を煩わせるぐらいなら、自分で紅を差したほうがマシだ――なんて言うなよ?そうなったら、今後、貴様のことは変態と呼ぶからな」
「男を飾り付けて喜んでるあんたも充分変態だ」
「何を言うか。これはあの大僧正を油断させ、殺すための最高の策だ。お前のお陰で、奴に捧げられる女たちの貞操が守られるのだ。この程度の屈辱、騎士ならば光栄に思え」
「さすが賢者様ですわ。あのシェイド様が一言も反撃できないなんて」
「もっと言ってやれ」
感心するシエルの横で、シェイドの毒舌に苦汁を舐める思いをしてきたガルシアが、何度も頷く。

「貴方、そんなに私が嫌だったの?」
そんなやり取りを聞きながら、筆を持ったまま佇むエステリアの声は、少し寂しげである。
落胆するエステリアに、シェイドも思わずどきりとして、なにか弁明をしようとした矢先、
「賢者様には着付けも化粧も許して、エステリア様は駄目とか嫌だ、なんて理由、通用しませんからね!」
これ見よがしに、シエルがとどめを刺した。
「わかった、降参だ。だがその前に……」
シェイドはふて腐れるように言うと、バツが悪そうに視線を自分の脚に落とした。
「あら」
その様子を見ていたエステリアが目を丸くした。
シェイドが纏ったセイランの長衣は、上半身はゆったりとしているのだが、帯より下は大胆な切れ目(スリット)が入っている。
「すごい脚線美ね」
誰が褒めろと言った?――喉まで出掛かったその言葉を飲み込み、切れ目から覗いた白い太腿を隠しながら、
「なんとかならないのか?この衣装」
シェイドが溜息交じりに言う。
「なんてことを言うんですか、シェイド様!勿体無い!その太腿であの猪を誘惑するのですわ!」
どういうわけか、シエルが猛烈に反対する。
「むやみやたらに露出して、男だということがばれたらどうするんだ?」
「ばれることを恐れて、何もかも覆い隠していたら余計に怪しまれるだろうが。疑われたくなかったら、堂々としていろ」
シェイドのささやかな抵抗も空しく、サクヤの一言であっさりと片付けられてしまった。
「でも羨ましいわよ?男の人なのに、それだけ綺麗な脚を持っているんですもの。はい、顔を上げて」
そういう問題なのだろうか?疑問に思うシェイドの顎をエステリアが軽く上げ、その唇に丁寧に紅を乗せていく。
「すごい眉間の皺ですわ。心底拒絶されていますのね。シェイド様は」
「いや、実に愉快だ。見ていて最高だな」
サクヤは満足気にその様子を眺めている。
「はい。できたわよ」
エステリアがシェイドの前から退き、鏡を見るよう促した。が、勿論、
「別に見なくていい」
シェイドがそれに従うはずもない。
「うおっ!絶世の美女だぜ!シェ……」
「うるさい、斬るぞ」
「そんなに殺気立つな。本当に絶世の美女のようだぞ?私の次ぐらいに美しい。いいか、これは褒め言葉だ。私に『斬るぞ』などと言ってみろ、その身体に『胸』もつけてもらうから覚悟しろ」
「…………」
これにはさすがのシェイドも返す言葉が見つからない。いや、反抗したが最後、さらなる恥辱を持って報復するというのだから、迂闊なことは言えない。
「いいか、宮廷に入ったら絶対に喋るなよ。美人が台無しだ」
「その言葉、あんたにそのまま返してやる」
「ありがたく受け取っておこう、死ぬほど聞いた褒め言葉だ。普通に美しいと言われるよりも嬉しいぞ」
「でもよ、魔剣はどうする?さすがに美女が帯剣して城に潜入はできねぇだろ?だからといって、剣を使わずにあの脂の塊を殺すのは至難の技だ」
「それなら心配ない。簡単だ」
シェイドは傍らに置いていた魔剣を手に取ると、左袖を捲り上げ、その腕に剣をあてがった。
瞳を閉じ、何か祈りの言葉のようなものを呟くと、 魔剣は鎌首をもたげた蛇のような形状になり、シェイドの左腕に巻き付く。そして淡雪のように溶けたかと思うと、そのまま『刺青』に姿を変えていた。
シェイドの腕に、予め施されていたかのようなその模様を見る限り、これがあの魔剣であり、彼が『帯剣』していると気付く者はいないだろう。
「鞘なら一番身近な場所にある」
左腕に見事に魔剣を『収納』したシェイドは、袖を元に戻した。
だが、その一瞬の出来事に、サクヤ以外の一同は呆然としている。
「すごく便利ね」
月並みだが、そんなことしか言えなかった。
「よく懐いてる魔剣だな」
ガルシアも右に同じである。シェイドとは長年の付き合いになるが、こんな芸当は見せてもらったことがない。そもそもカルディアにいた頃は、剣を『隠し持つ』などということには無縁だったからだろう。
不思議なものを目の当たりにし、嘆息していた一同の前に、
「ああ。皆さん、ここに揃っていたんですか……」
シオンが姿を現した。

「どうした?何か用か?」
「いえ。そちらのお嬢さん二人に頼みごとがありまして」
サクヤの問いにシオンはやんわりと微笑むと、エステリアの側まで歩み寄り、
「これを」
なにやら小さく折り畳まれた紙を手渡した。
「これ……薬、ですか?」
そう察するのは簡単だった。
「ええ。陛下の寝所に辿り着いたなら、是非、この薬を飲ませていただきたいのです」
薬を握ったエステリアの手に自らの手を添え、シオンが訴えかける。
「陛下は元々お体が弱く、私の処方した薬を毎晩飲んでいただいておりました。ですが、あの大僧正が来て、我々が宮廷を去ってから、陛下は一度も私の薬を飲まれていないはずです。妖の見せる甘き夢は、人の身体に害をなすもの……あなた方も、物見の水晶でご覧になったとおり、今の陛下はどこか虚ろで憔悴されています。万が一、大僧正が処方する薬でも飲まされ、それによって心を操られているとしたら……心配です」
紫暗の瞳が翳りをみせる。
「残念ながら、私は……このまま貴方たちと共に、宮廷に向かうことはできません。厚かましい頼みごとで申し訳ありませんが……陛下のことをよろしくお願いします」
エステリアたちの前で深々と頭を下げるシオンの口調は、己の不甲斐なさを恥じ、そして自ら女帝の下へ出向くことのできぬ口惜しさが滲み出ていた。
気持ちはわからなくもない。彼は薬師として女帝が幼い頃からずっと見守ってきた立場にあるのだ。そんな彼を宥めるように、
「大丈夫です。できるとこまでやってみますから……だから頭を上げてください」
とエステリアが促した。
「安心しろって!こいつが色仕掛けで大僧正を倒せば、女帝陛下も元に戻るってもんよ!」
ガルシアもついでに彼の肩を叩きつつ、励ましている。
シオンは顔を上げると、泣き笑いのような表情で感謝の意を述べた。
Back * Top * Next