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Eternal Curse

Story-12.ミレーユ
カルディア三大公爵家の養子であり、魔剣を操る最強の剣士でもあるシェイドに女装を施すことになるや、さっそくサクヤは飾りつけのために、嫌がる彼を別室へと連れ立った。

エステリアやシエルは、というと、こちらも女帝の侍女に化けるため、まずは入浴を勧められた。
簡単な染料を使って、髪を染める必要があるからだ。セイランでは憑代となったために、特殊な髪の色に変化した四神達を除けば、比較的黒髪や茶色の髪の人間が多い。一応、頭から被るヴェールのようなものは用意してあるが、それでもエステリアやシエルのような金髪は目立ちすぎるのだ。

それにしても、四神とサクヤ、そしてエステリア一行が一堂に会したこの場所こそが、鬼神の居城の一室であり、物見の水晶がある部屋の出入り口をそのまま地上に繋げているという事実に、一同は(ふて腐れるシェイドを除いて)驚きを隠せなかった。

鬼神の城を隠れ家に選んだ理由だが、サクヤ曰く、
「鬼神の根城となれば、あの腐れ外道もうかつに手出しはできまい。鬼神はその気になれば、妖気を放つだけで人だろうが妖だろうが、問答無用で灰に帰すからな」
とのことだが、一応彼らは、女帝陛下の命により、謹慎を言い渡されている身である。
四神の当主達は、大僧正に仕える兵士達の監視の元、己の宮殿に閉じこもり、行動を慎まなくてはならない。 実際、鬼の城と四神の宮殿とはどれほどの距離があるのか、そもそも鬼の城とはどこに建っているのかもわからないのだが、それでも四神達が兵士の目をすり抜け、この隠れ家に出入りすることは困難に思えた――のだが、

この疑問をオウガは
「連中の目なんて、気にならないさ、なんせ俺達が集まるときは、自分の姿を模した式神を置いてくればいいだけの話だ。勿論、兵士達に怪しまれないよう、相槌をうつ程度の力を持たせてな。もしくは、今日のソウリュウみたいに、『本体』を青龍殿に置いたまま、霊体――魂だけをここまで飛ばすという方法もある。」
と、笑いながら一蹴した。
土地も変われば、その地の者が使う術も様々である。エステリアは世界の広さを実感した。
しかしながら、水晶の間といい、ところどころに見受ける小さな寝室といい、かつては人の仇敵であったはずの鬼の城に、どうしてこんな実用的な設備があるのかわからなかった。

「好感度って重要ですからねぇ。そこのところ、鬼神も考えて人が寝泊りしても差し支えないような客間を設けたんじゃないでしょうか?あの娘さんの父君にしても、自分がいびきを掻いているこの場所が、鬼神の居城なんて知ったら失神するでしょうね」
賢者サクヤがシェイドに掛かりきりなおかげで、男でありながら女性を湯殿に案内する羽目になったシオンがしみじみと言った。

「セイランは火山に囲まれた国ですから、地下を掘り進めれば、簡単に湯が吹き出るんですよ。セイランの湯には、色々と身体に良いものが混じっていますので、疲れにも病にも効きますよ。どうぞ、ごゆっくりとされてください」
言いながら、シオンは、エステリア達に着替えと髪を染める染料、そして数種類の石鹸が入った籠を手渡した。
「随分とたくさんの石鹸がございますのね。どれを使ったら良いのかしら?」
「ああ。これですか?まず、この灰色のやつが、セイランの火山灰から作った石鹸です。よく汚れも落ちますし、洗いあがりもすべすべで、こちらのご夫人達には、とても好まれているんですよ。ちなみに……その隣が蜂蜜を入れた石鹸です。セイラン人ならば、必ず家庭に一つはあるはずです。で、この真っ黒いのが、炭の石鹸。火山灰で作った奴と、効果は少し似てますね。あとは林檎や花の香りをつけたものもありますよ」
楽しそうに説明するシオンに、
「東の大国、セイラン……やはり奥が深いですわね」
シエルは感慨深く呟いた後、シオンに一礼すると、エステリアと共に湯殿へ入って行った。



疲れによく効く……とは聞いたものの、鬼の使う湯殿となれば、例え血のように赤い水が煮えたぎっていたところで、不思議ではない――ある種の覚悟を決め、一歩踏み込んだ二人の目の前に広がったのは……予想に反して、城下町にあるような公衆浴場さながらの光景であった。
このやたら人間味溢れる鬼の城には、何度も驚かされてきたのだが、やはりここも例外ではなかったらしい。
あまりにも普通の『風呂』を前にして、エステリア達は拍子抜けした。
「まったく、セイランは変わった国ですが、この城の主――鬼神も充分に変人ですわね。普通、自分の城の地下に、ここまで人に媚を売ったような施設を設けまして?確かにありがたいことですが、変に期待を裏切られた気分ですわ」
かなり恐ろしい内装を想像していたシエルがぼやく。
二人は脱衣した後、上半身を布で覆いながら、乳白色の湯に身を沈めた。
発ち込める湯気の独特の香りが鼻をつき、シエルは思わず眉間に皺を寄せた。

「薬湯とはいえ、不思議な香りですわね。香料も入っているとは思いますが、微かに卵の腐ったような臭いがしますわ。大変、失礼な表現ですけれど」
「多分、それは湧き出るお湯の中に混じった何かの香りじゃないかしら?」
言いながら、エステリアは長い髪を濡らし始めた。

「お手伝いしますわ」
シエルがエステリアの髪の一房を取って、丁寧に濡らし、梳く。

「このぐらい一人でできるわよ」
遠慮するエステリアにシエルが苦笑する。
「エステリア様の御髪は長いから、染めるのにも手間と時間がかかります。うかうかしていますと、茹で上がってしまいますわよ?」
「……わかったわ。ありがとう」
エステリアはシエルの申し出に素直に甘えることにした。
彼女の侍女としての誇りを傷つけるわけにはいかない。第一、逆らおうものならば、ブランシュール邸で見た夫人とシエルの『話し合い』と同じく、どちらかが納得……いや、折れるまで話続ける羽目になるだろう。あれは口達者な二人だったからこそ、随分と長引いてしまったのだが。
それでも無駄な口論に時間を費やしたくはない。ついでに彼女に打ち勝つ自信もない。

「本当に綺麗な御髪ですわ。色も淡くて。まるでデザートの仕上げに載せる、細かい飴細工のよう」 満遍なく濡らした髪に染料を撫で付けながら、シエルが
「――シェイド様も、実はエステリア様のような金髪の女性が好きでしてよ?」
エステリアの耳元で囁いた。

「突然なに?」
少し慌てて振り返ったエステリアの様子を楽しむようにシエルが笑う。
「厳密には、カナリアのように明るい色の金髪が好みなのかもしれませんわ。ミレーユ様がそうでしたもの」

「ミレーユ?」
その名前なら聞き覚えがあった。確か、あの妖魔と出くわした夜、ガルシアが口にしていた女性の名だ。
シエルは懐かしむように、そして惜しむような口調で話した。

「ミレーユ・パラディ子爵令嬢。三年前、十六歳という若さでお亡くなりになりましたが、生きていらっしゃれば、間違いなく、シェイド様の奥方になっていらした女性です」
「一体、どうして命を落としてしまったの?」
生きていれば、シェイドと結ばれる運命にあった女性――、そう意識した瞬間、エステリアは自分の心の奥底で何かざわめくものを感じつつも尋ねた。

「正直、ミレーユ様が亡くなられた三年前の夜に、一体何があったのか……それを知る者はほとんどいません。人伝に話を聞いた限りでは、パラディ子爵家から火の手があがり……異変に気づいたガルシア様が駆けつけ、そこで見たものは、殺された子爵夫妻や使用人達、そしてあの黒い妖魔の腕に抱かれた、瀕死の令嬢のお姿だったそうです」
黒い妖魔とはおそらく、オルフェレスのことなのだろう。
「ですからガルシア様は、オルフェレスがミレーユ様の命を奪ったと断言していますし、そのときのオルフェレスもガルシア様が現れた直後に姿を消したそうなのです――ミレーユ様を連れて。きっと最後の精気を奪いつくす瞬間を、その楽しみを誰にも邪魔されたくなかったのでしょうね。その後、ミレーユ様の御遺体は森の中で……それも白い花に囲まれた場所で発見されたそうです。見つけた方が言うには、それがまるで棺のようだった、と、皮肉っていらっしゃいましたわ。結局、この一件の真相は闇の中。妖魔が戯れに一族を手にかけたという噂が有力ですが、別のところでは発狂したパラディ子爵が家族を殺した後、自ら館に火を放ったとも言われています。黒い噂では、これにカヴァリエ侯とそのご令嬢が関与しているとかどうとか……」

「レイチェルさん、ね?」
エステリアはあの高圧的な侯爵令嬢の顔を思い出した。
「ええ。そしてこれにはもう一つ不可思議な点がありますの。事件の日、ブランシュール邸にもパラディ家のことで火急の知らせが入りました。ですがそのとき、シェイド様のお姿はどこにもなかったのです。後日、シェイド様はミレーユ様の死を知っても、さほど取り乱すこともありませんでした。あの日のことを問いただしても、シェイド様が口を開くことはありません。そんな態度のシェイド様を、陰で中傷する方もいましたわ。公爵家の跡取りが子爵令嬢を弄んだ、と。その挙句、女が庶子でも身篭ったから邪魔になって始末した――など、あらぬ噂も立てられたようです。シェイド様はおろか、ミレーユ様まで不毛な中傷の的となったのです。彼女のことを身分不相応な恋をした報いだと、言う者もおりました。ですが、人前で平静を装っていても、きっと、どこかではミレーユ様の死を悼み、見えない場所で涙されていたのだと、私は思います。あの方はそういう性分ですわ。でも、周りはそう思ってはくれない。まぁ、中傷した本人達は、とっくにシェイド様に『始末』されてしまいましたけど――レイチェル様以外は」

「始末って……もしかして……暗殺、した……とか?」
エステリアが恐る恐る訊く。彼ならさも恐ろしげなことさえ、涼しい顔をしてやりかねない。

「いいえ、国王陛下に申し立てて、正式に決闘の許可が下りたそうです。己の威信と、ミレーユ様の名誉にかけて、シェイド様は彼らを斬り捨てました」
「魔剣で?」
「いえ。魔剣は使わず、普通の真剣で。実に嘆かわしいことなのですが、シェイド様の剣の強さは、すべて魔剣の力のおかげだ、と言わずにはおれない騎士達は多数おります。ですが、その考えがそもそもの間違いなのです。あのお方は、普通の剣を使っても、充分にお強い。あの方に剣術で敵うのは、若き日のブランシュール公か、英雄王ぐらいですわ。
結局、その決闘にて、シェイド様はご自分とミレーユ様の名誉を守られました。
ですが、死してもなお、シェイド様にそこまで想われるミレーユ様を、レイチェル様は未だに憎んでおられるようですわ。『私ならば、あんな下賤の娘のことなどすぐに忘れさせてあげますのに』と」

「貴族の人って、なんだか難しいわね。俗世の修羅場には、関わりたくないわ」
なぜ、あの侯爵令嬢の名を耳にしただけで、ここまで疲れてしまうのかは、エステリアにはわからなかった、いや、むしろ考えたくもない。
「申し訳ありません。なんだか、重苦しい話になってしまいましたわね。――できましたわ」

シエルが詫びると同時に、手を止めた。どうやらエステリアの髪に染料を塗り終えたらしい。
あとはしばらく放置して、洗い流せば色は自然と定着する。
「髪の色を元に戻したいときは、先程頂いた石鹸で洗えば簡単に色が落とせるそうです。実に便利な染料ですわね」
シエルは手桶を使って豪快に髪を濡らすと、手付き良く染料を馴染ませていく。
侍女という職業柄かもしれないが、その流れるような作業に、エステリアは目を見張った。
「シエルさんも綺麗な金髪よ?伸ばせばいいのに」
エステリアの金髪が飴細工のように淡いものなら、シエルの髪は、収穫を迎えて波打つ穂のように深みのある黄金だ。それはエステリアにも引けはとらないほどのものである。
「よく侍女の仲間達にも言われましたわ。でも長いと手入れが大変でしょう?短い方が、楽ですわ」
「でも、勿体無いわ」
別に悪気があって、言ったわけではない。エステリアは心から褒めたつもりなのだが、シエルは何故か、表情を曇らせ、湯に視線を落としてしまう。
「どうしたの?」
心配そうに尋ねるエステリアに、
「長いのは、嫌なんです。昔を……過去を思い出してしまいますもの」
シエルはぽつりと呟くと、『お気になさらないで』と、力なく微笑んだ。
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