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Eternal Curse

Story-11.大僧正
「ああ。女帝陛下。貴方様に降りかかるその不幸は、全てサクヤにあり!」
この言葉がそのまま本人の耳に筒抜けであるとも知らず、大僧正は高らかと宣言した。

「――さようか」
すでに大僧正の傀儡と成り果てているのだろうか?女帝レンゲは、感情のない声で答えた。
「そもそも、この美しきセイランの都に、鬼神などという鬼達の帝を招きいれるなど、正気の沙汰ではございませぬ。禍々しき神を呼び寄せたサクヤこそが、この世の元凶、妖にござりまする!あの女は黄泉の女王と、そして鬼神と結託し、女帝陛下の御世を脅かす存在となりましょうぞ!」

「あの醜い糞猪が、言いたい放題ぬかしおって……」
水晶の外から見ていたサクヤの口調に殺気が篭る。

「陛下のお側には、今は亡き先代の女帝陛下と亡き父君がついておりまする。そのお二方が、涙ながらにこの私に申しているのです。陛下を正しき道へ導けと!――そのためには、まず四神と、魔性の使い、サクヤを早々に処罰する必要がござりまする!」
熱弁を振るう大僧正に対し、女帝はぼんやりとした表情で小さく頷いた。
「サクヤや、四神を、殺せ……ば、よいのだな?」

「さようにございまする!陛下の祖父母にあたります先々代の帝は、鬼によって殺されました。暁の神子はあろうことか、その仇敵たる鬼の帝と手を取ることを選び、この国の腐敗を招いたのでございます。また鬼が招いた災厄は先々代だけに留まらず、陛下の御母君をも呪い殺したのです。 鬼神とは黄泉の国の門番。その女王と深く繋がっておりまするゆえ、死を運ぶのです。度重なる崩御に暁の神子は責任を感じたのか、今となっては消息不明。その後、セイランは暁の神子と同じ名前を冠する、あの傍若無人なサクヤめが政を執り行っておりましたが、それは陛下のお心をないがしろにした独裁政治にございます。そのサクヤの口車に見事に乗った四神もまた、同罪。 彼奴等にはこのセイランに住まう民を救うことはできませぬ!さあ!陛下、お命じ下さい。セイラン全勢力をもってあの魔女サクヤと四神を打ち滅ぼすべし!と!」
そこまで言い切ると、大僧正は息を切らし、女帝の返答を待った。
「あい……わかった」
レンゲの声は、今にも意識を失いそうなほど、弱々しいものであったが、大僧正は女帝が出した答えにその濁った目を見開き、己が身を歓喜に打ち震わせていた。満足気な微笑み共に、舌なめずりをする彼の様子は実に野卑なもので、人というよりは獣じみている。
「あの罰当たりめ、絶世の美女たるこの私を魔女呼ばわりするとは、奴の目は相当歪んでいるな」
一部始終を見たサクヤが舌打ちする。

「どうやら、猪はどうしてもあんた達を処刑する方向へと持って行きたいらしいな」
シェイドが話しかける傍ら、先程と一転して、いつもと変わらぬ口調に戻った彼に、エステリアがほっと胸を撫で下ろす。
「本当に心中お察しいたしますわ。あんなものに、国を乗っ取られるなんて。ですが、なんとか制約を跳ね除けて、女帝の目を覚ます方法はありませんでしたの?」

お尻を引っ叩くことすら許されないのかしら?――両手を組んで首を傾げるシエルに、ソウリュウが答える。
「我らが都を護るように、セイランにとって帝とは中央を護る者。四神に続く五つめの神、『黄龍』の祝福を受けて生まれいずる。その帝に刃を向けることは、すなわち、己が同胞と殺しあうのと同じこと。それを避けるため、また四神同士が諍いを起こさぬため、玉座の間には黄龍の力が集中し、強力な結界を成している。我らの力を押さえ込むそれは『戒めの結界』と呼ばれている。」

「でもよ、その『戒めの結界』で力が半減しているってときに、万が一、そこまで魔物が迫ってきたときはどうやって女帝陛下を護るんだ?」

「迫ることなんて無理だよ。そこに辿り着くまで『破魔の結界』が行く手を阻むからね。宮廷には、玉座の間以外にもたくさんの結界が張り巡らされているんだ。弱い妖なら踏み込んだ途端に、間違いなく粉々だね。強い妖でも半分以上の妖力を奪われる。で、極めつけに弱ったところを玉座の間にいる僕達が倒す。なんか卑怯だけど、こっちも大半の力を抑え込んでるからね。お互い様だね」


「じゃあ、猪野郎は普通の人間だから玉座の間にもなんなく出入りできるってわけか?」

「人間じゃ……ないと思います」
エステリアが急に口を開いた。
「水晶から、ずっと様子を見ていたけど……あの人、人間じゃなくて魔物だと思う」
「なぜそう思った?」
面白そうにサクヤが訊く。
「気配が違って見ました。大僧正からはなにか、作り物のような気配を感じました」

「つまり、あの女の敵……猪は、人間に化けた魔物で、なんらかの方法を使って結界を無効にし、あつかましくも玉座の間に居座っている……ということですわね?」
「ええ」
「でしたら、まずは、あの大僧正の化けの皮を剥がしてやることが先決……です、わ……ね?」
言いかけて、シエルが固まった。
微かに聞こえた衣擦れの音と共に、どこからともなく現れた男が、自分の隣に腰を下ろしたからだ。男は金色の髪を高く結い上げ、その白い衣と揃いである白銀の甲冑を身につけている。
しかしながら、その具足はどれも面妖なものばかりであった。 鼻より上は、装束と同じく白い面に覆われていたため、はっきりとした年齢はわからないが、意思の強そうな口元だ。セイラン人の装いというのは、異国より訪れた者から見れば、いささか風変わりに見えるものだが、それでも相手がただの人間であったなら、ここまで驚くこともなかっただろう。
だが彼の額からは飴色の角が二本突き出し、耳朶はあの黒き妖魔と同じく僅かながら尖っている。シエルはあんぐりと口を空けたまま、瞬きを繰り返していた。

「あ。いらっしゃい。食事はもう終わったの?」
緊張感のない声でコハクが白装束の男に手を振る。
エステリアを含め、異国から来た一同は、男の姿を凝視していた。彼らの心の内を代弁するかのようにサクヤが説明する。
「奴が鬼神だ。四神と違ってほとんど制約にも縛られぬ、生まれながらの闘神。纏っている白装束は黄泉の国への門番たる証、この国で白という色は死を意味するからな」

「意外だったな。てっきりカルディアでも見るような人食い鬼(オーガ)の姿を想像していたんだが」
人食い鬼(オーガ)とは、強靭な肉体と、残忍な心を持ち、人肉を食す魔物のことだ。勿論、角が生えているとはいえ、目の前にいる彼のように、端整な姿には程遠い。
「いや、こちらの鬼も大して人食い鬼(オーガ)とは変わらんぞ?鋼のような身体に、長い爪と牙、頭に角が生えていて、恐ろしい形相をしている。 強力な妖気を持った者ほど人型に近く、また美しい姿をしている」

「あの、でもさっき、そちらにいる亀の息子さんが、食事がどうの?とか言っていませんでした?」 「ああ。それ?言葉の意味どおりだよ?ご飯はちゃんと食べたか聞いたの。お腹すいたまま、こっちに来たら、間違ってお姉さん達を食べかねないでしょう?」
どうやら『亀の息子さん』と呼ばれることには抵抗がない様子のコハクが、あっけらかんと言う。
シエルの表情が凍りついた。

「大丈夫よ、シエルさん。その人――鬼神さん、悪い人には見えないから」
のん気に言うエステリアにシエルが反論する。
「エステリア様、なにか以前にも同じようなことを仰いませんでした?」
今のエステリアの感想は、妖魔に出会ったときとほぼ変わらぬものであった。
「お嬢ちゃん、今度は鬼神の妖気にやられてるんじゃねぇだろうな……」
「私は普通だけど?」
きょとんとした顔のエステリアにガルシアは脱力すると、気を取り直して話を戻した。
「黄泉の国といえば、さっきもあの猪野郎が言ってたな。その国がどうとか女王がどうとか……」
「簡単に言えば、黄泉とはあの世のことだ。人が最期に向かう死者の都。そこを治めるのが黄泉の女王。誰もが一度は訪れなくてはならぬ国だ。死は恐れるに足らぬもの、その時が来れば素直に受け入れよと、陛下には常々話してきたのだが、な」

それにも関わらず、女帝は鬼神を、そして彼が護る門の先に在る黄泉の国を、そこに住まう女王をも恐れている。幼い彼女は大僧正の言葉を鵜呑みにし、鬼神と黄泉の女王が自らの母を現世(うつしよ)より奪い去ったと信じているからだ。
「しかし、鬼神は制約に縛られないって言ってもよ、破魔の結界を潜るのは、ちょっと厄介じゃねぇのか?」
鬼神は四神の力をその身に降ろした憑代達とはわけが違う。最初から『鬼』という種族なのだ。 同胞殺しの制約に束縛されることもない。しかし、魔物の一種には変わりないのだ。
「今の鬼神に限り、その結界もすり抜けることができる。まあ、残念ながら、そのからくりを教えることはできないが、な」
サクヤが断言する。ガルシアは頭が痛くなってきた。

「奴を殺すことができるのも、まやかしに捕らわれた陛下を諌めることができるのも、おそらくは鬼神だけだろう。しかし、彼だけ大僧正と戦ってはさすがに分が悪いのだ。陛下もあの状態だ。鬼神が救いに来たと説明したところで、聞く耳など持つまい。いや、下手をしたら恐怖のあまり発狂するかもしれん」
「だから、俺達を利用するってわけか……」
不服がありそうなシェイドに、サクヤは不敵に笑うと、エステリアを見つめた。
「随分と聞くのが遅くなったが、そなたは次代の神子に選ばれた娘であろう?私から洗礼を受けるためにこのセイランを訪れた――といったところか?」
「なんでわかったんだよ?お嬢ちゃんが神子だって」
「見くびるな。私は賢者だぞ。それぐらいのことはお見通しだ。いや、それにしても天は我に味方したようだ。実に都合がいい」
満足気に微笑むサクヤであるが、周囲の空気には戦慄が走る。

「是が非でも協力してもらうぞ。あの下衆を殺さぬ限り、お前達とて我々と同じく処刑されるのは時間の問題。なんせ、あの兵士達とひと悶着起こしたんだからな。そうなれば神子の洗礼どころではない。どうだ?私達とお前達、利害は一致しているだろう?」

「お前らの姐さんは、脅迫上手だな」
ガルシアが四神に話をふる。彼らはただ、申し訳なさそうに俯いている。
「協力するほか手立てはありませんわ。賢者様や、四神の皆様に死なれては、エステリア様が困りますもの。まぁ、私達まで巻き添えで殺されるのも困りますけど」
「簡単に、あの大僧正から女帝陛下をお救いできればいいんだけど……」
「ったく、洗礼のはずが、他国で刃傷沙汰かよ。陛下が聞いたら、『とんだ武勇伝であったな』とか皮肉言われるぞ、絶対。なぁ!シェイド?」
「一つだけ尋ねたい。鬼神が俺達に――四神であるあんた達にも牙を剥かないという保障はあるのか?」
「おいおい、シェイド、今更なに言ってんだ?」
「俺は、人前に素顔を晒すことができない奴に心を許していいものか、決めかねているだけだ」
その言葉は、かつて愛した人からの受け売りだった。
今まで黙秘していた鬼神は自らにかけられた疑念を晴らすべく、
「この地は、常に中央と、四神の守護によって保たれている。 幼き女帝が四神の抹殺に踏み切り、その加護を失えば天地は崩壊する。それはセイランが滅ぶということだ」
と、厳かな声で答える。
「我はこの地を救わねばならぬ。そしてあの少女を救いたい。それゆえに、この場にいる。己の立場にかけて、その心に嘘偽りはない」
そこまで言うと、鬼神は再び口を閉ざした。シェイドはただ真っ直ぐ鬼神を見つめると
「わかった。疑ってすまなかったな。お互い、苦労性……ってわけだ」
何かを察したように小声で呟いた。

「おい、天地が崩壊ってどういうことだよ?」
「異国では、地水火風の四大元素(エレメント)を万物の基盤としているように、このセイランでは、木火土金水の五行の力を全ての基盤と考える。四神は、この五つのうち四つの力と季節を担う。四神を処刑しようものなら、その基盤は崩れ、循環は混濁し、この地は消滅する――ということだ」

「異国の思想にもよく精通していらっしゃいますわね。その上、私達の信ずるものを決してあなた方は否定もせず、この国の思想や信仰を押し付けたりもしない、どうしてですの?」

「信仰とは押し付けるものではない。甘き言葉で誘うものでもない。そもそも、こう考えたことはないか?お前達の国にも神がいよう。そして我等の国にも万物を司る多くの神がいる。だが元を辿れば全く同じものを国々によって違う名前で呼んでいるだけなのではないか?――と」
「ご立派ですわ」
サクヤの考え方に共感を覚えたシエルが嘆息する。
「で、どうやってあの大僧正を始末して、小さな女帝さんを取り戻すんだ?」

「とりあえず、大僧正と陛下を引き離すことが先決だ。二手に別れ、片方の組は陛下を保護し、もう片方の組で大僧正を抹殺するしか方法はない」

「秘密裏にあの猪野郎を殺したとして、女帝陛下にはなんて説明するんだよ。陛下は奴に色々と刷り込まれているんだろ?結果だけですぐに信用してもらえるのか?」
「だからこそ、大僧正の化けの皮を剥がせ。あとはじわじわと痛めつけて、本音を暴露してもらうことだ。その様子をこの物見の水晶から見れば陛下も納得するだろう。百聞は一見にしかず、だ。陛下も真実を知れば、己を戒めた後、再び四神と私を必要とするだろう」

「ちゃっかり返り咲きを狙ってやがる」

「当たり前だ。この私がいないセイランなど、永劫の冬。花のない枯れ木に等しい」
「ただ、女帝陛下を保護するには、あの大僧正がいないときを狙わなくてはいけないわね」
エステリアが難色を示した。

「だったら侍女のふりをして、女帝の寝所に忍び込み、なんとか説き伏せ外に連れ出すしかないな。『祓いの儀』とやらに勤しむ大僧正と一緒に眠るわけではなさそうだしな。こちらはなんとかなるが問題は大僧正の方だ」

「猪野郎の閨に直接切り込むのが手っ取り早いだろうが、ああいうところは、大抵、城の最奥にあって、よほど信用されてない限りは、深夜の目通りすら許されない。うまく潜入しても、襲撃は簡単だが逃走は難しいんだよな。一発で相手の息の根を止めるならまだしも、下手に騒いでもみろ、あっという間に警護の兵に囲まれちまう」
頭を抱えるガルシアにサクヤが言う。
「兵士どもを一定の場所へ引き付け、逃走経路を確保した上で、閨に侵入し、奴を殺せばいい――そのためには囮が必要だが……」
「まさか、お嬢ちゃんやシエルを大僧正のところまで連れて行け、とか言うんじゃねぇだろうな?」 「いや神子やシエルを囮として猪の前に突き出すのは危険すぎる。だったら、他の女を奴にあてがえば言いだけの話だが……生憎、私もオウキも奴に顔が知られている。かといって民間人を囮にするわけにもいかん。そもそも奴を殺すだけの技量の持ち主かどうかもわからないしな。だとしたら、奴が好みの美形で、剣の使い手である人間に囮になってもらうのが一番だ」
言いながら、サクヤの視線はある人物に集中している。
「なんで俺を見る?」
視線の先にはシェイドがいた。
「お前が女になればいい。率直に言うぞ――女装しろ」
適任だ――と指差すサクヤに、今までになく不機嫌そうな声でシェイドは言った。
「決闘を申し込んでいるのか?」
「おお!いいじゃねえか!俺は賛成だぜ?シェイド」
「あら!それはいい案ですわね!シェイド様のことだから、きっと素敵な女性に化けると思いますわ!」
他人事ゆえに、ガルシアとシエルも乗り気である。
「ふざけるのもいい加減にしろ。大体、俺の身の丈で女として誤魔化せるわけがない」
「なぁに、気に病むことはない。私も女にしてはかなり背が高い。セイランを護る兵の中にはお前以上に背丈のある女傑もいるぞ」
救いにもならない慰めの言葉がシェイドにかけられる。
「シェイド様?ここに貴方以外で女のふりをした上、大僧正を切り殺せるものなどおりませんわ。拒否すれば、私か神子様が代わりに行くほかありませんが……シェイド様は私達の貞操に、もしものことがあってもよろしいとおっしゃるの?」
女性を庇護することは騎士の本分だ。ここまで言えばシェイドも断ることはできないだろう――強気に迫るシエルの横でエステリアは
「ごめんなさいね、シェイド」
両手を合わせてシェイドに頭を下げる。
少しも悪びれないその仕草に、シェイドは深い溜息をつく。もはや、返す言葉すら思いつかない。
せいぜいできたことといえば、
「いい加減に観念するんだな。光栄に思え。考え方を変えれば、それだけ皆がお前に期待している、ということだ」
いけしゃあしゃあと言ってのけた賢者に、恨みを込めた視線を送ることだけであった。
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