Back * Top * Next
EternalCurse

Story-137.神の揺り篭 ※この回には未成年者の閲覧にふさわしくない表現がされています。
セレスティアが現在、根城としている古城の窓から見える湖を、オディールは見渡していた。目の前に広がる穏やかな水面は、降り注ぐ日差しを反射して、まるで数多の宝石のようにキラキラと輝いている。
少なくとも生きていた頃は――特に自然が織り成す美しさにおいては、こんな些細な事にさえ、心躍らせていたはずだ。無邪気にはしゃぐそんな自分を、『あの人』が笑って見ていたのは、覚えている。
だが、自分の意思に反して蘇って以来、楽しみや喜びや、感動といった感情は、オディールにとって一切無縁のものになってしまった。ただ、憎しみや、怒りや、虚しさという負の部分のみがしっかりと、心の奥底に根付いている。
オディールはそのまま窓から離れると、フェネクスが利用している古城の大広間まで足を運んだ。
フェネクス曰く、より強力な術式を施すためには、なるべく広い空間が適しているのだそうだ。

「フェネクス、地下室に来てください。セレスティアが、見せたいものがあるそうです」
かつて、ダンス・ホールとしても利用されていたその広間に辿りついたオディールは、抑揚の無い声で、フェネクスの名を呼ぶ。
「ああ……ディオス様……ディオス様」
だが、返ってきたのは、フェネクスではなく、女の声で、オディールは怪訝そうに眉をしかめた。そこには、真っ黒いドレスを纏った女が、玉座に腰掛けるフェネクスに跨っていた。胸部をはじめ、大部分が薄い生地で作られたドレスはまるで、見せる事を生業とした遊女のようである。透けた両の乳房を恥じらいもなくこね回し、腰をくねらせ、ルーシアは嬌声を上げていた。鼻息荒く、周囲に目もくれず情事に没頭するその様子からは、聖女の面影など一切ない。オディールはそのようなルーシアの姿に軽蔑の眼差しを送った。
「わかった。今行く」
オディールの呼び声には気付いていたのだろう。フェネクスがちらりとこちらを見ると、短く答えた。
「あぁ……!」
無言のまま、フェネクスによって身体を引き剥がされたルーシアは、勢い良く後へ尻餅をつく。だらしなく開かれた下肢の間から、体液を垂れ流したまま、ルーシアは四つん這いになって、フェネクスの元へと擦り寄ると、その下腹部に顔を埋め、()んだ。

「そうがっつくなルーシア」
「もっと下さいまし、ディオス様」
餌を与えられた猫のように嘗め回しながら、ルーシアは、もの欲しそうな表情でフェネクスを見上げた。

下半身から脳天まで串刺しにしてやろうかしら――フェネクスとルーシアが、人目をはばからずこのように戯れているところを、目にしたことがあるオディールの中に、ふとそんな思いが過ぎる。

「しばらく待っていろ。すぐに戻ってくる」
フェネクスは、身体にしがみついて、駄々をこねるルーシアをなんとか宥めると、早々に踵を返した。
「ああ……ディオス様ぁ……」
そんなフェネクスの背中を見送りながら、ルーシアが甘えた声を出す。
「少しは場を弁えたらいかがかしら? 所構わず戯れるのは、見苦しいわ」
見るに見かねたのか、目の前の淫売に嫌悪感を露わにして、オディールが苦言を呈す。
「仕方ないでしょ? 私はディオス様に愛されているんですもの」
ルーシアは、そんなオディールを馬鹿にするかのように見上げた。
「私の事が妬ましいんだったら、貴方も昔の男の所に出向いて、情けをかけていただけば? ああ、そうだった。死人の貴方なんて、硬くて冷たくて、男の方が嫌がっちゃうわね」
ルーシアは勝ち誇るようにして、下卑た笑みを口元に湛え、喉の奥から笑った。だが、次の瞬間、ルーシアの首に、ひんやりとした感覚が伝わった。

「ちょっと!何するのよ!」
「私を侮辱するのなら、首……跳ね飛ばすわよ?」
そこには、漆黒の剣がぴたりと添えられている。オディールの瞳孔が開ききった黒い瞳が、冷たくルーシアを見下ろした。
「それとも、バラバラにされて豚の餌にでもなりたい?」
「っ……面倒臭い女」
ルーシアは舌打ちをすると、立ち上がり、ドレスの埃を払うと、フェネクスの後を追うように小走りに、ホールを後にした。オディールは剣を鞘に収めると、深い溜息を吐き、肩を落とした。





ゆっくりとした足取りで、地下室に下りてきたフェネクスの気配に気付いたのか、セレスティアは、振り向くなり、
「貴方の女好きには困ったものね。だからサクヤに愛想をつかされたのかしら?」
呆れるように言った。

「それはひどい誤解だな。少しは私にも同情してくれ。こちらは、あの娘の相手をするのも一苦労だというのに」
「あら? 貴方があの娘に、理性を失わせるような、何かの暗示でもかけてるんじゃなくて?」
「まさか。あれこそあの娘の本質だ。神に仕える――というしがらみを外せば、独占欲の強いただの娼婦だっただけのこと。して、そなたが見せたいものとは、これか?」
フェネクスはセレスティアの目の前にそびえ立つ、大きな塊を見上げた。
一体、それをどうやってここまで運んだのかは、わからない。それは、地下室の大部分を占め、天井に届くほどに、巨大な岩にも思えた。いや、岩ではない――表面は、硬化してはいるが、まるで頭を埋めるようにして、眠る双頭竜(ヒドラ)のようにも見える。
「これは――そなたの『揺り篭』か?」
フェネクスが目の前の塊を見つめたまま、静かに呟く。
「ええ、そうよ。眠っているこれを、引き上げるのに苦労したわ。私は物を移動させる術は不得手だもの」
「もしや……これは、まだ生きているのか?」
セレスティアは無言で頷くと、『揺り篭』の表面を愛しげに撫でた。
「そう。私は三年前の目覚の日まで、この中でずっと眠り続け、英雄が育つのを待っていたの。
でも、俗に言う『セレスティアの悲劇』が起きた後、私という主を失ってからは、揺り篭はこの様よ? 私の望みを叶えるためには、この揺り篭を起さなくてはならない。そのためにはイシスの神殿にある力が必要なの。イシスの神殿は結界によって外界と隔てられていると聞くわ。邪眼を用いて、ありとあらゆる世界の扉を行き来できる貴方になら、それをうち破ることなんて簡単でしょう?」
「そう買いかぶってくれるな。私とイシスは本来は表裏一体の存在。力そのものは拮抗しているのだ。イシスの結界においては幾重にも折り重なっている。容易く破れるものではない」
「あら、できないっていうの?」
少し機嫌を悪くしたかのような口調で、セレスティアは呟いた。

「できぬ――などとは言ってはおらん。多少、手間を要するというだけだ。ところで、万が一、私が、イシスの居城への道筋を立て、そなたの望みを叶えた折には、そなたは一体、なんの見返りをくれるのだ?」
フェネクスがそっとセレスティアの金糸の髪の一房を手に取り、弄んだ。
「勘違いしないで、私は貴方の神子ではないわ」
髪に絡めたフェネクスの手を、セレスティアは振り払い、距離を取る。

「これは心外だ。もとより神子ではなかろう?」
「なら言い換えましょうか? 私にあるべき英雄だったのは貴方ではないわ。夜伽なら、あの売女にでもやってもらいなさい」
「私にも言わせてもらえるなら、私が真に欲しているのは、美しい『蝶』だ。まとわりつくだけが能の『蛾』ではない」
「そんなものが見返りでいいなら、貴方の好きにすればいいわ」
「おや、意外だったな。そなたは、確実に神子の一行は、一人残らず生きて返さぬものだと思っていたが?」
「単にかつての神子との正面衝突だけは避けたいだけよ。力を無駄に削いでしまうのは御免だから。貴方がどうにかしてくれるんだったら、それでいい。ただ、片方の翅でも剥いで、蜘蛛の巣にでも突っ込まない限り、あの蝶は大人しくはならないわ」
「それぐらいの事は充分に理解しているつもりだ。これでも『元夫』ゆえな」
まるで、もうサクヤを手中にした時の事でも思い浮かべているかのように、フェネクスが笑った。
「ああ、ディオス様! こちらにいらしたのですね!?」
急いで階段を駆け下りる足音と共に、セレスティアの存在にすら目もくれず、ルーシアが火の玉のように、地下室へと飛び込んできた。
「ディオス様、早く戻ってきてくださいまし……」
ルーシアがフェネクスの身体に飛びつく。
もう行っていいわよ――セレスティアがやれやれといった風に、フェネクスに視線で合図を送った。
フェネクスは、芝居がかった溜息を吐くと、ルーシアを連れ、地下室を出て行く。部屋の中央に『揺り篭』を残し、二人が去ったその場所で、
「傍にいる? オディール」
セレスティアは呟いた。
「はい……」
セレスティアの影から、ゆっくりとオディールの姿が浮かび上がってくる。
「どうしたの?私の黒鳥。随分と不機嫌ね」
「私は……あの女が嫌いです。虫唾が走ります」
「そう言わないであげて。捨てられないように必死なのよ。あの子はただの蛾。あの男が求める蝶にはなれないから。まぁ、男にだらしないという点では、女王蜂とあの子はどうしようもないわね。あとグランディアの王妃も。まぁ、私にとってはどうでもいいことよ」
「……貴方様の復讐は、まだ終わってないのですよね?」
オディールがぽつりと言った。
「そうよ。なんにも終わってないわ。まだ『あいつ』を殺してないもの。まぁ、その後は、人間どもを一匹残らず根絶やしにするか、命乞いした者だけ奴隷にしてやるけど」
言いながら、セレスティアは瞼を閉じた。
「ねぇ、オディール。私はね、得意とする幻術ではなくて『本物』の力が欲しいの。そう、幻をも本物に変える力がね。紛い物ではいたくないの……だから頑張らないと……ね?」
今は眠り続ける『揺り篭』に頬を寄せるセレスティアは、まるで内側から微かに発せられるその胎動を聞いているようであった。





セレスティアによって聖誕祭に襲撃を受け、自身と愛息子に重症を負わされたヴィクトリアは日々、寝室に篭っては伏せる毎日を過ごしていた。無論、国王も、同じような状況ではあるのだが。
「今日もヴィクトリア様は、外にお出にならないわね……」
ヴィクトリアの寝室前で、侍女達が輪になって、立ち話に勤しんでいる。
「そうそう、ローランド様のご容体だけれど、本当なら死んでいてもおかしくない程に重篤な状態だそうよ。それでもお顔が腫れたまま、昏々と眠り続けていらっしゃるんですって。もしかしてセレスティアに呪いでもかけられたんじゃ……」
「呪いといえば、ヴィクトリア様が負った火傷もそうよ。日に日に酷くなっている気がするわ」
「ローランド様に、万が一の事があったなら、この国は一体どうなっていくのかしら?」
「ヴィクトリア様に次の御子が出来ればいいけど、それがなければ、新しい王妃様なり、愛妾なり娶って産んでいただくより他無いわね」
「でしたら、公妾のブリジット様が妥当ではないかし、ら……?」
と、侍女の一人の言葉が途切れた。
その視線の先には、いかめしい顔でこちらに向かってくる人物がいる。ヴィクトリア王妃の実父である、ブルーイット公爵である。
「やだ、ブルーイット公爵閣下だわ!」
侍女達は、公爵の姿を目にするや、慌てて散り散りになった。

本来、王妃の寝室に、国王以外の男を通す事などあってはならないのだが、状況が深刻である事、それと同時に多額の賄賂を用いた甲斐もあってか、ブルーイット公爵の面談は特別に許された。眠りを妨げぬよう薄暗くされた部屋に踏み入れると、公爵は険しい表情を一転させ、
「ああ……ヴィクトリア……私の娘!」
すぐさま愛娘の元へと駆け寄った。
「お父……様?」
弱々しい声でヴィクトリアが上体を起す。その半身は見るも無残に、包帯に覆われている。
「ああ、可哀想に、可哀想に……私のヴィクトリア……」
公爵は、そんなヴィクトリアの身体を抱きしめ、目尻に涙を浮かべた。
「助けて……助けて、お父様。このままではローランドは死んでしまう。私も廃妃にされてしまう……」
公爵の胸元を握り締め、ヴィクトリアは訴えた。
「私が廃妃になったら……今度は『あの女』が次の王妃になってしまう……。いいえ、もしかしたら……エルウッド公がこれに乗じて、反旗を翻すかもしれない。次の国王の座はエルバートのものに……それだけは嫌……!」
半狂乱になって叫ぶヴィクトリアをブルーイット公爵は、さらに強く抱きしめた。
「落ち着きなさい、ヴィクトリア。それだけは絶対にない。エルバートが次の王太子になど、この私がさせてなるものか。次期国王は、私の孫、ローランドだけぞ」
ヴィクトリアはただただ、話を聞きながら、嗚咽している。
「少しでも身体が良くなったら、外に出なさい。王妃としての存在感を示さねば、そなたの権威も地に落ちよう」
「その事ですが……」
背後に控えていた薬師と思しき壮年の女が言った。
「ヴィクトリア様のお身体を蝕んでいるのは、もはや、ただの火傷ではございません。なんらかの呪詛と思われます」
「ならば、一刻も早くヴィクトリアが快方に向かうよう、その呪詛を解ける術者を探せ! 国内だけに問わず、国外もだ! 貴様らもぼうっと付き添う暇があったら、強力な術者を呼び寄せるよう手配しろ!」
ブルーイット公爵の怒号が寝室中に響き渡る。
「誰ぞ、術者への伝手は持っておらんのか!」
公爵が血走った眼で、寝台周辺に立ち尽くしていた侍女達の顔を見回した。そんな公爵と視線の合った侍女の一人が、
「お、恐れながら……」
と、口を開く。
「申してみよ」
「はい。魔女となったセレスティアの呪いを解くならば、やはり現在の神子が、どの術者よりも適任かと……」
「神子ならば、この呪いが解けると?」
「は……はい」
侍女は深々と頷いた。公爵は、しばし考え込んだ後、顔を上げると、ヴィクトリアの頭を撫でながら言った。
「待っておれ、ヴィクトリア。神子にお前と孫を治療させ、エルウッド公爵一家を『黙らせる』よう、私がなんとかしてみよう」
公爵のその瞳には、狂気じみた光が灯っていた。
Back * Top * Next