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EternalCurse

Story-136.その神子の行く先
「ブリジッ――オスカーさん?」
オスカーを前に、思わずそう口走りそうになったエステリアが、慌てて言葉を飲み込んだ。
「おや、そちらの方が良かったのですか?」
「いえ、そういうわけじゃ……ただオスカーさんにそういう風に呼ばれると、なんだか変な感じで」
「まぁ……この姿で貴方に会うのは、人狼を追い払ったとき以来ですしね。といっても、まともに面と向かったわけではありませんが」
騎士の姿でも鋭利な美貌の持ち主だと思っていたが、やはりこうしているときも、公妾の面影は存在する。
エステリアは、周囲から真相を聞かせられるまで、その正体に気付かなかった自分が不甲斐なく思えた。
「お前……やっぱり嬉しそうだな」
改めてシェイドがエステリアに指摘する。

「嬉しい?」
オスカーが小さく首を傾げた。
「神子にとってあんたは、憧れの女だぞ」
「ああ、そういう意味ですか。それは光栄です」
大真面目に言った後、オスカーは部屋に足を踏み入れた。


「こちらの居心地は如何でしょうか? なんら不憫な思いはされてないでしょうか?」
エステリアらのテーブルに着席した、オスカーが早速尋ねる。
「不憫どころか、手厚いもてなしに感謝している」
シェイドが礼を言う。
「そうですか、それはよかった……」
オスカーが安堵したように、ほっと息を吐いた。
「あんた、自分の立場は大丈夫なのか? 俺達を匿っていると知れれば、国王から厳重な処分を受けるんだろう?」
立て続けにシェイドが訊いた。

「ご心配なく。事が落ち着けば、どの道、無能者として、厳罰に処される事ぐらい覚悟しておりますよ」
「……処罰って?」
「例えば『永遠の籠の鳥』などがそうです」
「なんだ? その籠の鳥っつーのは?」
「永遠の籠の鳥――つまりは、オスカーとして生きることは許さず、私自身の存在をこの世から亡き者とし、一生女として拘束するという意味です」
組んだ両手に顎を乗せ、オスカーは自嘲的に笑った。

「あんた……よくこれまで耐えてきたな……」

「これも国を思えばこそですよ」
言いながら、オスカーは深い息を吐いた。そんなオスカーをガルシアが凝視している。その視線に気付いたのか、
「何か?」
オスカーが尋ねた。
「いや、あんたが男であると同時に女でもあるって聞いてよ……。なんか不思議に思えてならねぇ。あんた自身、その身体を不憫に思ったことはねぇのか?」

「そうですね……まぁ、多少無理はしていますが、どちらの性も使い分けできる分、便利な身体だと思うことにはしております」
やんわりとした口調で、オスカーが答えた。

「あの、お茶、ありがとうございました」
あまりにも唐突ではあったが、エステリアが、改めてオスカーに礼を述べた。
お茶――とは勿論、黒猫亭で、ブリジットから貰った薔薇濃茶(ローズヒップティー)のことである。
「でも……オスカーさんのような人が、どうしてあの時、オークなんかに」
中央広場での一件が国王による『やらせ』であったこととはいえ、騎士団長であるオスカーが、不覚を取っていた事が、エステリアにはどうしても腑に落ちなかったのだ。
「薬の副作用ですよ。堕胎薬のね……」
オスカーは伏目がちに言った。それは、彼がこれまで国王から受けてきた仕打ちの数々を、エステリアらが察するに、十分の言葉であった。
「軽蔑なさるなら、どうぞなさって下さい」
両性具有という身体に生まれ突いた時から、屈辱に耐えることに慣れてしまっているのだろう。
そんなオスカーの姿が、エステリアにはひどく痛々しいものに見えていた。
「貴方には、以前、ブリジットとして対面した時に、役割上、私が廃嫡された……と申し上げましたが、あれは嘘です。両親は、私がこのような身体に生まれついたことに対し、体裁を気にしていました。ですから弟が誕生するなり私を廃嫡したというのが本当です。パーシヴァル家は、代々、国王の命により間諜の役目を一族です。私の両親は剣術は勿論、私に徹底してその教育を施しました。ですから、子供の頃から普通に男装、女装と使い分けていました。これでも、昔はもっと女子のような顔だったんですよ?」

「つかぬことをお尋ねしますが、貴方のお心は、一体どちらなのですか?」
不意にシオンが尋ねた。
「当然、男のものです。ですが、ただ、国王に弄ばれた時には、自分の身体が女でもあることを強く意識いたしました、あの方の子を植え付けられた際には気味の悪い母性さえも」
オスカーは力なく笑った。

「それから、ジークハルト殿下。殿下にもし会うことができたのなら、私は事の真相をお伝えしたいと思ってはおりました。殿下であれば、従兄弟である陛下の暴走を諌めることもできるかと……。ですが立場上、ああいった形でしか、私は振舞うことができません。度々の非礼、申し訳ありませんでした」
公妾には多くの監視がついているのだ、それは致し方ない――とシェイドは黙って頷いた。

「結果、不信感を買うだけとなってしまいましたが――殿下の母君である、ソフィア王妃は、私の憧れでもありました。公妾として振舞う以上は、あのような貴婦人でありたいと思いました。私が唇に手を当てて小さく笑う仕草の手本は、ソフィア王妃にあります。以前、殿下の母君がこの地で倒れられた時、看病させて頂いた事もあります。ソフィア妃殿下は例えるなら、手折れそうな花。可憐なお方でした。ヴァルハルト陛下が身命をとして守ろうとされるのも頷けます」
子供の頃、ルドルフとの些細な喧嘩を諌め、看病してくれた淑女を見習え、と言ったソフィアの事をシェイドは思い出していた。
まさか、その『淑女』こそが、目の前にいるこの騎士であると思いもよらなかったが。

「人狼の兄さんはなにしてる?」
唐突にガルシアが訊いた。ガルシアにとって、ハロルドは自分に通じる何かがあるのだろう。
「復興に尽力していますよ。人狼による惨殺事件については、ひと段落しましたしね。ただ、今回の襲撃事件のおかげで、婚礼が伸びてしまったようで……」
つまりは、グランディアの一部が壊滅的な打撃を受けた上、国王一家の容態が思わしくない今、部下の慶事を執り行うことは背信行為にも値するのだろう。

「人狼って……そうも身近にいるもんなんですか?」
エステリアが言った。
「お嬢ちゃん、世の中は広いんだ。すぐそこらに人狼やら妖精の集落なんて、探せば沢山あるぜ?」

「セイランには人虎の集落なんかもありますよ? 半獣の一族って凶暴に見られがちですけど、案外人の世に染まって生きていたりするんですよね」

「ある意味、カルディアの近くにお嬢ちゃんのマナ一族がいるようなもんだ。案外、特殊な一族ってのは、身近にいるもんだぜ? 人間だけが全てじゃないからな」
そうなんだ……と納得したようにエステリアが呟いた。



「ところで、本日ここを私が訪れたのには、理由があります。これから貴方がたは如何されるおつもりでしょうか?」
「何故、そんなことを聞く?」
シェイドが尋ねた。
「現在、この国は陛下の庶子疑惑の火消しと、後継者についての問題を抱えております。ローランド王太子の快復のため、全力を尽くしてはいますが、万が一の事も考えておかねばなりません。そして、案の定、ヴィクトリア王妃の実父、ブルーイット公爵と、次期後継者候補として名が上がっているエルウッド公との雲行きも怪しく、衝突は免れそうにもない。この二つに区切りがつけば、貴方がたに『国家騒乱罪』をかぶせて逮捕――という具合に動く事が決定されております」

「国王が庶子という噂が流れたのも、王太子が負傷したのも全部、俺達の所為ってか? ここまでくればなんでもありだな、この国は。さすが僭王の息子だ」
ガルシアは呆れるのを通り越して、何も言えないといった表情である。

「オスカーさんは、セレスティアの言った事を信じているのですか?」

「信じるもなにも、私の伯父がそれを苦に命を絶ったというのなら、それが事実なのでしょう。伯父は……嘘が吐けない人でしたから」

「実のところ、あんたはどこまで知っていたんだ?」

「陛下がセレスティアの悲劇の黒幕であることのみです。だからこそ、諌めることができなかったライオネルが自刃したのだと思い込んでおりました。ですから、今回の騒動で全ての糸が繋がりました。伯父は罪の意識に苛まされていたのでしょう。懇意であったブリジットを死なせてしまったこと、ベアールとの間に生まれた子をギルバート夫妻に渡してしまったこと、その子が暴君となりセレスティアの悲劇を、起すことに加担してたこと。その責に耐えれず、あの方は命を絶ちました。伯父の性格からして……頷けます」
そして仕切り直すようにオスカーは、エステリア一行の顔をぐるりと見回した。

「まぁ、現状、こういった状況ですので、もし神子殿らがこの国を早急に出たいのであれば、今のどさくさに紛れて、私が裏から手配いたしますし、何か知りたい情報があって、私が答えられる範囲のものであれば、お話いたしますが?」

「正直、これ以上グランディアにいても収穫はない。だからといってイシスの居場所がわからない以上は何もできん。八方塞だ」
うんざりとした表情でシェイドが言った。
「――貴方がたもやはり、イシスの居城を目指していらっしゃるのですか?」
貴方が『も』――オスカーから出た意外な言葉に、エステリアは思わずシェイドと顔を見合わせた。
「あの……私達以外にもイシス様の元に向かおうとしていた人がいるんですか?」
今、最も欲しがっていた情報が目の前にある。逸る気持ちを押さえ、エステリアが訊いた。
「ええ、いましたよ。その方も神子を名乗っていました。セレスティアの悲劇後にこのグランディアを訪れた娘です。確か、その名はノエル」
「おいおい、そりゃ、ついさっき俺らが話していたお嬢ちゃんの事じゃねぇか」
思わずガルシアが身を乗り出した。
「私は直接そのノエルに会ったことはありません。ですが、ルドルフ陛下に謁見と、許可を得ようとしていた事は耳にしています」
「謁見は上手くいったのか?」
シェイドが怪訝な表情を見せる。

「勿論、今の貴方がたへの仕打ちと同じく、当時の陛下も、謁見を拒否されていますよ」

「とことん、神子というものがお嫌いのようですね、あの陛下は……」
シオンが苦笑した。

「なぁ、団長さん、その時、ノエルって娘はカルディアからの従者を連れていたか?」
「と、聞いてはおります」
「なるほど、カルディアを経った後、あのお嬢ちゃん一行は、こっちに来ていたってことか……ああ、なら一応、ノエルは、テオドール陛下からの書状を持っていたはずだぜ? つまりはカルディアからの公式訪問だったのに、国王は追い払ったってことか?」

「そうです。セレスティアの悲劇後、まるで頃合を見計らったように現れたノエルの登場を、我々は訝しいと思っていましたし、陛下ならば、神子への後ろめたさも手伝っての拒絶でしょう」

「確かにノエルの登場は、不自然すぎたな。当時、俺もガルシアも、セレスティアの悲劇直後に、新しい神子についてイシスが神託を述べたという話を聞いたことはない。マーレ王妃が言うにはノエル自身は神託を受
けての訪問とは言っていたらしい。それでもノエルがテオドール伯父の落し胤でなければ、門前払いで終わっていたはずだ。勿論、旅の許可すら出ない」

「仰る通りです。世界にイシスの神託がまだ伝えられてもいないのに、神子が現れるはずがない。ノエルがテオドール陛下の落胤という話は初耳でしたが、当時、ルドルフ陛下はノエルの旅を許可したテオドール陛下について、『叔父上がかくも安易に騙されるなど、如何なされてしまったのか』と、嘆いておられました。ですので、陛下は謁見を拒否されていたのですが、ノエルは諦めずに、この国からイシスの神殿に行く許可が欲しいと、訴えていたそうです。そこまで食い下がってくるならば、と陛下は、ノエルに神子である証拠を見せるように、ある試練を与えたようで……」

「試練って……?」
エステリアが聞くも、オスカーは、
「残念ながら、陛下がノエルに課した試練の詳細を、私は存じてはおりません。ですが、それは本物の神子であるなら、必ず乗り越えることができ、なおかつ有益になるものであったそうです」
実に残念そうに頭を振った。

一瞬だが、一同が水を打ったように静まり返る中、

「ここまでのお話を纏めると、分かっているのは、この国からイシスの神殿に行けるってことですよね? しかもノエルによれば、その神殿への出発地点、もしくは入り口は、グランディア国王の『許可』無しには、通れない場所にあるということ。つまり、国王陛下はイシスの神殿への経路をご存知の上、神子にとっては役に立つ試練の情報も、表に出す事無く握っている。我々にとっては最悪の条件です」
と、シオンが口にする。

「俺達にとって最悪な条件というよりは、王権そのものが国にとっても最悪すぎると思うぞ」
「あー……結局は、あの国王さんを頼らなきゃならねぇってことかよ? 溜息しかでねぇぜ……」

「頼ったところで一筋縄で行くわけがないな。ただでさえ、赤毛は、これみよがしに俺達に罪を着せて、捕らえようと画策しているんだぞ?」

「ノエルの時のように、我々に、神子にとっての有益な試練を与えて、真偽を確かめようとしたのなら、まだ話はわかりますが、自国の面倒臭い『怪事件の解決』を押し付けてくれるような人柄からして、素直には送り出しては――もとい、この国からは出してくれないでしょう」
打つ手無しといった感じで、シオンが両手を挙げたときだった。

「打つ手ならあるぞ。あの国王を黙らせる策が」
一同の視線がサクヤに集中する。サクヤが懐から丁寧に折り畳まれた紙を取り出し、こちらに向かって広げた。年季の入った、少々黄ばんだその紙には、数人もの署名が連なり、血判が押されていた。

「――これは、ライオネルがルドルフを摩り替えた際に遺した、血判状の半分――下の部分だ。どうやらライオネルは、上下半分に切り分けたこの紙を、別々のところに保管したらしい。万一、ルドルフがベアールと変わらぬ僭王になったとき、引き摺り下ろすための手段としてな。まぁ、それを実行する前にライオネル自身の精神の方が参ってしまったようだが……。この一枚はルーベンス教会の司祭、ディオスから譲り受けたものだ」

そのディオスという人間は――いや人格はもうこの世にはいない。
今となってはサクヤの天敵として存在している。サクヤは、この血判状が、最後の手向けであり、フェネクスが目を覚ます前に仕留める唯一の機会であったことが、悔やまれてならなかった。

「上の部分――残り半分は誰が持っているの?」

「それをこの御仁に尋ねようと思ったところだ。オスカー殿。貴殿は『地獄の番犬(サーベラス)』という組織をご存知か?」
サクヤがその名を口にした時だった。
「サー……ベラ……ス、ですか?」
途切れ途切れに呟く、オスカーの表情は、エステリア一行が、これまで見た事がないほどに、固く強張っていた。
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