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EternalCurse

Story-133.その神子の悲劇-終幕
人前で歌うことは嫌いではない。
元より、年の離れた弟が生まれて、子守唄代わりにいつも歌声を聞かせていたからだ。
だからといって、歌い手になろうという気は毛頭なかった。何故なら、自分の容姿に全く自信がなかったからだ。
人ごみの中でも一段と目立つカナリア色の髪が、そして何の変哲もない、煉瓦色(テラコッタ)の瞳が嫌いだった。同じ年の頃で、光沢のある金髪や、落ち着いたアッシュの髪を持つ娘達が羨ましく、また、涼しげな青い瞳や、透き通った琥珀色の瞳に憧れた。

「もし、カナリアが人間になったら、きっとお前みたいな感じなんだろう」

唯一、そんな自分を褒めてくれたのは、『彼』だけだった。
『彼』は自分の事を、まるで『春の日差し』のようだ、とも言ってくれた。
彼の母は夫から『雪の妖精』と形容されている事も知った。単なる世辞だったのかもしれないが、そんな他愛も無い一言で、不思議と心を落ち着かせる自分がいた。
しかし、そんな彼自身も、まるで闇を切り取ったかのような自らの髪と、目の色が嫌いだったようだ。
そう、自分達には数々の共通点があった。
彼の出自について、詳しい事は教えてもらってはいない。しかし、彼もまた自分と同じく、『居場所』が無く、跡取りとして、家に、そして親に、いやもっと大きな何かに『必要とされない』寂しさを抱えていた。

自分達は、あまりにも境遇が似ていた。それは、ただの傷の舐め合いに過ぎなかったのかもしれない。
二人が求めていたものは自分自身が『安堵できる居場所』と、自分を『必要としてくれる誰か』、そして、空虚な自身が、無償の愛情を注ぐことができる『何か』だった。
それはお互いの事でもあり、家族の事でもあった。寂しさを埋め合わせるかのように二人は惹かれ、将来を誓い合った。
だがそれは見るも無残に、崩れ去ってしまった。

『アレ』は一体なんだったのだろう?
『彼』は一体何者だったのだろう?
『ソレ』は壮絶なまでに美しく、底知れぬ恐怖を纏っていた。
一目見た瞬間に、その魔性に心を奪われそうになり、肌が粟立つのを感じた。しかし、自分の中にある、人間としての『本能』が彼を拒絶し、そしてひどく傷つけたことも理解している。
そんな自分に課せられた罰のように、愛する家族に悲劇が襲う。人間でもない『アレ』は、この身を庇って負傷した。それは信じがたい、行動でもあった。どうしようもない葛藤に苛まされる最中、襲いかかった敵を前にして、無意識のうちに身体が前に出ていた。
盾となった自分に突き立てられたのは、敵の刃と『アレ』の牙であった。
『アレ』がひどく飢えていることはわかっていた。だからこそ散りかけた残りの命全てを与えた。

何のために生きてきたのだろうか? 何故今ここで命を落さなくてはならないのだろう。どうしてこんな『モノ』のために、命を捧げようとしているのだろう。命の灯火が消え行く最中、ずっとそう考えていた。
結局、その答えを見つけ出すことなどできなかった。生きていた間も――そして今も。



――なぜ、土の奥に沈む、堅い棺桶の蓋を、この手で突き破ることができたのかはわからない。
ただ、目を覚ました以上、自らが眠る場所はここではない――。
その思い一つで地上に手を伸ばした。
やっとの思いで外に出て、久しぶりに吸ったはずの空気からは、清々しさを一切感じることができなかった。
墓の土が盛り上がり始めている。自分と同じように、息を吹き返そうとしている人間がいるのだ。覚えているのは、そこまでだった。

「良い具合でテオドールが成長しているわ。幾度となく変態を繰り返してね」
次に目覚めた時、凛とした声が響いた。
「貴方……は?」
数年ぶりに出す声は、かすれていた。いや、そもそも自分は死んだはずだ。
「私の事なら、後でいくらでも話してあげる。可哀想に、貴方もテオドールの瘴気によって、目を覚ましてしまったみたいね」
儀式用の古代文字が施された床に横たえられた身体に、霧のように細かい金色の雨が降り注いでいた。
これは、目の前に佇む彼女が作り出したものだろう。その雨が、長らく染み付いた土くれの臭いを全て洗い流してくれるように思えた。
「貴方の身体、さして破損もなく綺麗なものよ。せいぜいが、首につけられた牙の痕と、胸の刺し傷ぐらいだったわ。腐敗することなく、維持されたのはあの人の力かしら? あの人が無意識にそう願ったのかしら? 死んでもなお、美しいままの貴方でいてほしい――ってね」

優艶に微笑む彼女が何者かは分からない。しかし、今となっては彼女が命の恩人なのだろう。
「もっと頑丈で強い体が必要ね」
彼女が言った。
彼女は自分の『再生』に余す事無く尽力してくれていた。
死人特有のその黒い血が全身を巡る。
もう無くなったはずの鼓動を確かに聞きながら、黒鳥の騎士は、じっと瞼を閉じていた。




「そんな……ミレーユ……」
シェイドは力なく、剣を下ろした。それは、まるで幼子にでも戻ってしまったような、そんな顔だった。
「ミレー、ユ……さん?」
こんなシェイドの表情は一度も見たことがない――エステリアの心の中に、小さな棘がちくりと刺さる。
「お前は……、ジュリエット……ジュリエットではないか……」
ルドルフが兜を失った黒鳥の騎士を見つめたまま、狼狽した。
「ジュリ……エット?」
シェイドが怪訝に眉を潜める。
「どうだった、愚かな王様? 私のお芝居は。貴方が寵愛していた歌姫を凌げたかしら? 白銀の騎士団はバラバラにできたし、手札に封印した魔物も放ったことだし、ジュリエットは役目が終わったから消えただけって、さっき言ったでしょう? まさか、本気で悼んでいたの? 貴方も大変よね。最初から『存在すらしない』寵姫に入れ込んだ挙句、国を滅ぼすなんて」
黒鳥の騎士――ミレーユは乱れた髪を整えながら、平然と言った。
「なんで……ミレーユ、お前が……? どうして……」
喘ぐようにシェイドが言った。
「オディールよ。私はミレーユなんかじゃないわ……」
遮るように彼女が答えた。
「ただ、ミレーユだった過去を知っている、それだけよ。今生きている私の魂は、以前のものとは別物だわ。他の誰でもない、オディールとしてのものだもの」

直後、上空からセレスティアの笑い声がその場に響き渡る。

「かつて自分が愛した女と知らずに戦っていたなんて、夢にも思わなかったでしょう……?」

「お前……ミレーユに何をした?」

「勘違いしないで、私が蘇らせたわけじゃないわよ。カルディアでテオドールが力を蓄えていた時、その瘴気に触発されて、彼女自身が、墓場から這い出てきたんだもの。私は彼女がこの世に止まれるように、力を貸しただけよ?」
セレスティアは勝ち誇ったような笑みを口元に湛え、続けた。
「徐々に訪れる死への恐怖、痛みや辛さから逃れるために、彼女は貴方に殺されることを望んだわ。でも、息を引き取る前の彼女は、同時に生に執着した。貪欲なまでにね。そしてそれを求めた先にあったのは、貴方への負の感情。それを抱いたまま、彼女の時は止まっているの。こんなに面白いことってある?」
その言葉に、シェイドが唇を噛み締めた。

「前にも……言ったでしょう? 私を忘れないで、と。本当なら、貴方は私だけのものだった、ここにいる虫けら達が私達の運命を狂わせなければ――。ねぇ、こんな事を考えたことはない? 貴方の『今の意識』って本当に『貴方自身』のものなのかしら?」

「なに?」

「そもそも、貴方の意思は、とりわけエステリアに対する感情は、その身体に取り付いている、かつての英雄の魂によって、作り上げられているものではなくて? 英雄の魂は神子意外を愛せない。だから、昔、愛した、この子(ミレーユ)の事をいとも簡単に忘れてしまったのでしょう?」
シェイドを見下ろすセレスティアの瞳が冷たく光る。
「だから、神子以外、欲することのない貴方に、もう一度思い出させてあげるわ……いいえ、貴方の中で眠ってしまったはずの人間の部分を引きずりだしてやるの。これが私とミレーユ、選ばれなかった者からのせめてもの仕返しよ。ほら……なんて顔してんのよ、さっさと二人で殺し合いなさいよ」



「ほう、なにやら、あちらも我らと同じく、泥沼の関係の様だな、サクヤ?」
「泥沼という自覚はあるのか。たいした進歩だ」
嫌悪感入り交じる声でサクヤが言った。
「まぁ、そう殺気立つな。まずはゆっくりと話でもしようじゃないか」
「断る」
「まったく、そなたはどうしていつもそうなのだ?」
弛緩したルーシアの身体を抱えたまま、余裕の笑みを湛えていたフェネクスが顔をしかめ、ふと、空を見上げた。
「あら、もう来たのね」
セレスティアもそれに続く。思わず、エステリアらも、空を仰いだ。


「みぃつけた!」
子供のようなはしゃぎ声と共に、女王蜂が、エステリアらの前に降り立った。
「レイ、チェル……さん?」
巨大な蜂の妖魔の顔を見て、エステリアは愕然とした。
「今度はなんだ……?」
どうしようもない苛立ちを露わに、シェイドが黒鳥の騎士から女王蜂へと視線を移す。
「ああ……この匂いだわ」
うっとりと女王蜂が言った。
「なんだかわからないけど、貴方、とってもいい匂いだわ。もっと強い兵隊達ができそう」
「言っている意味がわからん。こっちの方はさすがにお前の仕業だろう? セレスティア」
「素直に認めてあげるわ」
面倒臭そうに、セレスティアが長い髪を指で梳く。

「まぁ、そうね。あの侯爵令嬢は、エステリア、貴方への嫉妬から道を踏み外したってところかしら?」
「レイチェルさんが?」
「あら、自覚ないの? なんだかんだで、貴方に関わった人間は不幸になるのよ」
「極論だな。それは、『お前に関わった人間』の間違いじゃないのか?」
「馬鹿言わないでよ。神子以外の娘が英雄に好意を抱いたのなら、それ相応の末路を辿るの。勿論、逆もありきで、神子を奪おうとした男もね。これこそ既存の神子制度における悪習だと思うわ。だからエステリア、貴方はそうやって周囲の人間を巻き込みながら、沢山の死を見ていくのよ」

「神子や英雄に関わった人間は……死ぬ……?」
エステリアの唇が戦慄く。セレスティアの言葉に、すぐさま脳裏を過ぎったのはグレイスの顔であった。
「不幸になるのよ。そもそも神子と英雄は固い絆で結ばれている。それを邪魔するものは、たとえ我が子であろうと許さない。ということは、貴方達に必要以上に干渉していく人間は、ことごとく粛清されていくのではなくて? 貴方自身、知らないうちにね」
粛清――その言葉が、エステリアの心にずしりと響く。エステリアがふいに女王蜂の姿を見た。
視線が合うなり、女王蜂は顔を歪めでエステリアを睨みつける。

「お前……なんか嫌な臭いがする。わからないけど、大嫌い!」
叫びながら、女王蜂は羽ばたいた。咄嗟にエステリアを庇うように、シェイドが前に出る。
「こっちはお前の相手をするより、大事な話があるんだ――悪いが死んでくれ」
「ねえ、良い匂いの貴方、貴方の種を頂戴。もっともっと強い子をたくさん産んであげるから」
「話が全く通じんほど頭が弱いのか。生憎、俺が欲しいのは人間の子だ」
「えー? どうして? どうして私じゃないの? よくわからないけど、とっても腹が立つ!」
玩具を取り上げられた子供のように癇癪を起すと、女王蜂は大きな翅を振るわせた。瘴気を伴った突風が吹き抜け、
「ちょっと……私達まで巻き込まないでくれるかしら?」
長い髪を押さえながら、セレスティアが女王蜂を睨みつけた。
「嫌よ、絶対に嫌! あの女、殺すの! あの男の兵隊が欲しいの!」
女王蜂はますます激昂して、翅をばたつかせた。突風の中に、小さな真空の刃が生じ、周辺を切り刻む。
「やれやれ、どうも統率の取れぬ布陣だな」
飛んでくる舞台の残骸を涼しい顔で避けながら、フェネクスが呟いた。
「絶対に産むの! 貴方以外、皆いらないの!」
今にも泣きそうな顔でシェイドを直視したまま、女王蜂は絶叫した。

「もう……この馬鹿をなんとかして! オディール!」
「はい」
オディールは短く答えると、まるで祈るように瞼を閉じた。
次の瞬間、その黒い甲冑に亀裂が走りったかと思うと、粉々に砕け散る。オディールの全身が変色し、膨れ上がっていく。まるで粘度を練り直すように、一度原型を失い、再び形を作っていく。
そんな混沌の塊の中から現れたのは、紫がかった黒い肌に、女王蜂とさほど変わらぬ体躯、黒鳥の翼を持ち、頭部には捩れた二本の長い角、そしてミレーユの面差しを、いや上半身を残した半人半馬の二角獣(バイコーン)だ。


私はミレーユなんかじゃないわ。ただミレーユ『だった』記憶を持っているだけ――

目の前の魔物の存在は、先程彼女が言い放った言葉の意味を、知らしめるには充分すぎる答えだった。
立ち尽くすシェイドは、説明を求めるように無言でセレスティアを見た。

「仕方ないでしょう? 瘴気を吸収して息を吹き返したところで、所詮は死人。彼女の身体、もう限界が近づいていたから、私の二角獣と交わってもらったのよ。勿論、そうまでして命を繋ぐ決意をしたのは、彼女自身よ? 私のせいにしないでね。一応は止めたんだから」

シェイドに淡々と弁明するセレスティアを他所に、二角獣は、自身の一部でもある巨大な剣を女王蜂の前で振りかざし、その翅の一枚を切り裂いた。

「痛い! 何すんのよ!」
凄まじい形相で二角獣(オディール)を睨み上げる女王蜂の背を容赦なく馬蹄が踏みつけた。
「きゃっ!」

「いい加減になさい。敵味方の区別すらつかないの?」
女王蜂を地面に這い蹲らせたまま、二角獣が凄む。
「だってぇ! ちょ……痛い、痛いってば!」
膨れっ面で口答えする女王蜂の背に、二角獣のさらなる体重が圧し掛かる。

「あら、オディール、そんなに体重かけたら、その子、半分に折れちゃうわよ?」
真顔でセレスティアが言った。

「これぐらい仕置きをせねば、馬鹿を躾ける事はできませんから」
二角獣はさらに女王蜂の背を踏みにじる。

「もう痛いってば! 止めて! 背中、痛いぃ! わかったから! もう止めるからぁ!」

「ああ、もうその辺で許してあげて、オディール。一応、私達まで巻き込む攻撃は止んだみたいだから。それに、そんな子供じみた喚き声、情けなくて聞きたくもないわ」

「ではこの者の喉を潰しましょうか?」
女王蜂の背から脚を退けながら、二角獣が言った。女王蜂が弾かれるように顔を挙げ、小さく喉を鳴らす。

「あまり酷いことを言うものではないわ、オディール。ほら、貴方の『昔の彼』が青白い顔を引きつらせているわよ?」
シェイドを見下ろしながら、セレスティアがクスクスと笑った。

「さて、そろそろ遊び飽きたことだし、引き上げるとしましょうか。舞台『セレスティアの悲劇』とっても楽しかったわよ」
セレスティアがフェネクスに視線を送る。一緒について来るよう、促すような目だ。
「セレスティア。貴方はこれからどこに行くの?」
エステリアが訊いた。
「貴方、未来永劫、自分が神子である世界を作り出すって言っていたわよね……?」
それはエステリアが偶然にも、グレイスを殺害した直後の光景を垣間見た際に、セレスティアが口にしていた言葉だ。また、自身に反逆するもの全ての粛清を行う事も示唆していた。
セレスティアはやれやれと肩を落すと、まるで子供に言い聞かせるような口調で語りだした。

「いい? 一度植え付けられた憎しみは、早々に消えるものではなくてよ? エステリア。たとえ、個人的な復讐を果たしたところで、もはや私の気が収まることなんてないの。だってそうでしょ? 都合のいいときだけ私を利用するだけ利用して、使い勝手が悪くなったら、まるでゴミのように、処刑するんだから。そして――この世界はとっくの昔に腐りきってしまっているわ」
失望したように、セレスティアは言った。

「だからこの世を変えるのよ。そのためには神子制度の在り方を、いいえ根本的に『世界の中枢』から変えなくてはならない。貴方は私の心の中を色々と見たでしょうけど、私自身は私への同情なんて求めてないの。欲しいものは、神にも匹敵する力だけ」

「世界の中枢から変える?」

「私が、今の世で崇拝される神子でなくなったのであれば、私こそが『神子』であるべき世界に作り変えればいいだけの話ではなくて?」
眉を潜めるエステリアを面白そうに見つめながら、セレスティアはふわりと舞い上がった。
「貴方に話してあげるのは、ここまで。後は自分達で考えて追ってくる事ね。貴方は私の妹が産んだ、可愛い姪っ子だもの。出来れば穏便に済ませたいわ」
行くわよ――? セレスティアが短く呟くと、その身体が空気に溶け込むように馴染み――消えていく。
「それではサクヤ。お互い、生きていれば、また見えることもあろう」
ルーシアの身体を抱えたまま、フェネクスが自ら呼んだ闇の中に沈んでいく。
「待て……フェネクス!」
サクヤが後を追うように、その闇の中に手を伸ばした。だが、掴み取ったのは、ただの虚空だった。サクヤは拳をきつく握り締めると、口惜しそうに、その場に膝をついた。
「もう……身体中、傷だらけだわ。いい? 次こそは、絶対に私のものになってもらうんだから!」
女王蜂はシェイドに向かって高らかに宣言すると、身体中についた土埃を払い落とし、飛び立った。
残ったのは、半人半馬の二角獣のみである。エステリアとシェイド、二人の視線を同時に受けながら、
「さようなら。またね」
ミレーユの面影を持つ魔物もまた、風景の中に溶けていく。
ただ、表情を強張らせたまま、それを見守るだけのシェイドに、エステリアは寄り添い、無意識のうちにその手を取ると、改めて周囲を見回した。




聖誕祭の主だった余興でもあるはずの舞台は、まるで嵐でも過ぎ去った後に残された爪痕のような有様で、幕引きとなった。
オディールが使役していた絵札の中に息づく魔物、そして女王蜂を始め、次々と現れた魔性らの襲来によって、初めてそれを目の当たりにした人間らの中にじゃ、腰を抜かしたまま、呆けている者も少なくは無い。
耳を澄ませば、どこからともなく、すすり泣くような声すら聞こえてくる。

結局、自分達は、セレスティアに対し、一矢報いる事すらままならぬ状態でしかなかった。
エステリアらが無力感を覚えると同時に、代わってセレスティアが得たもの、果たした目的は多い。
まずは『セレスティアの悲劇』に対する復讐だ。
自身を辱めたウォルターと、その身内であるグレイスや子をもろとも残虐な手口で殺し、自身を陥れた国王一家を完膚なきまで叩きのめし、その隠された出生を暴いてみせた。
そして傍らでは、『本来の目的』であったとされるフェネクスを、現世に蘇らせることに成功した。極め付けは、女王蜂(レイチェル)黒鳥の騎士(ミレーユ)の存在をちらつかせる事だ。とりわけ後者はシェイドを打ちのめすのにもってこいではないか。そう、セレスティアはこちらに絶望感を植え付け、状況を楽しみながらも、確実に自身の目的に向かって進んでいるのだ。

「陛下! 妃殿下!」
全てが終わった後、燻り続ける港町の方角から、声が聞こえた。エステリアが振り向くと、オスカーとレオノーラが中央広場へと駆けつける。衣服も顔も煤に塗れた彼らは、ベイリーによって破壊された町での救助活動に、ある程度の目処がついたのだろう。
「ルドルフ陛下!」
異形の魔物に取り押さえられている間に、精気も奪われていたのだろう。何より、セレスティアによって知らされた『出生』が追い打ちとなり――いや、勿論受け入れるつもりは毛頭ないのだが、憔悴しきったルドルフが、抱き起されながら、恨めしそうにオスカーを見上げた。

「オスカー……貴様、なぜ、すぐにでもこの場に駆けつけなかった?」
「港町を砲撃するベイリーの逮捕は勿論、残りの艦隊の動向も探っておりました。本宮への攻撃は免れても、他の街を攻撃、あるいは他国の船団まで連れて、上陸せんとも限りません。そして、港町から火の手が上がれば、瞬く間に中央広場が飲み込まれます。視界も煙に巻かれ、陛下を救出することも困難に。被害を最小限に抑えるための判断です」
最悪の事態に関する可能性を述べ、弁明するオスカーの姿に、ルドルフは小さく鼻を鳴らした。
どの道、白銀の騎士団が駆けつけていたところで、人知を超えるセレスティアの力には、成す術もなかったことだろう。なによりルドルフは、オスカーが、どこまでライオネルから『真相』とやらを聞かされているのかが、気になっていた。

「ならば、貴様に命じる。ベイリーを今日中に処刑せよ。奴に関わり、反旗を翻した者も全てだ。釈明するような機会なんぞ与える必要はない。この事態を最も早く収束させ、国民を納得させるには、それが不可欠だ」
視線も合わせず、ルドルフは命じた。
その傍ら――
「妃殿下、しっかりなさって下さい」
虫の息のように、その場に蹲るヴィクトリアの身体に、レオノーラが触れようとした、まさにその時だった。
「私に触らないで! 汚らわしい!」
ヴィクトリアがそう叫びながら、反射的にレオノーラの手を払いのけた。青ざめて呆気にとられるレオノーラを、ヴィクトリアは涙交じりに血走った眼で睨みつける。

「妃殿下……?」
「ああ……ローランド……私の王太子……」
焼け爛れた顔面の半分を覆いながら、ヴィクトリアはローランドの元へ這うと、意識のない我が子を抱きしめ、嗚咽した。その様子見ながら、レオノーラはじっと跳ね除けられた自らの手へと、視線を移した。
かつて、自分がルドルフの王妃候補として、名を挙げられていた頃、ヴィクトリアから向けられる嫉妬と憎悪は、今も変わらず彼女の中で燻り続けているのだろう。レオノーラはそれを痛感せざるを得なかった。






「とりあえず、ここが私達の根城よ。好きに使うといいわ。飽きたらまた移動するまでよ」
フェネクスを連れ立って、セレスティアは主を無くした古城の中を案内していた。
近くには人の形を取り戻したオディールが控えている。
女王蜂においてはあえて放置だ。自由気ままに飛び周り、どこぞの国で人間を食らっていたところで、なんら問題も心配もない。彼女自身、セレスティアの術によって作り出されたものだからだ。存在そのものが手の内にあると言ってもいい。要がある時のみ、召喚すればいい。
「行く先々で戯れに国を滅ぼしながら、か?」
フェネクスの声に、セレスティアが立ち止まる。
「そなたも随分と苦労してきたと見えるな」
「あら、もう、その邪眼の力を使って、私の過去を覗き見たの?」
「そう責めてくれるな、セレスティア。私の意志に関係なく、この目は人のありとあらゆる部分をさらけ出し、見せ付けるのだ」
フェネクスは自嘲的な笑みを口元に湛えると、額の邪眼を指さした。
「そして――才ある者を陥れるのは、いつも『無能』で『嫉妬深き』者どもの浅知恵と決まっている」
セレスティアはその言葉に思うところがあってか、眉を潜める。

「だったら、話が早いわね。この世を作り変えるためには、もっと沢山の、強い生贄が必要なの。詳しい事はまた後ほどね。貴方も、まだ目覚めたばかりで、不自由だろうし」

「しかし、解せぬ。そなたは何故、可愛い姪と言いつつ、ああまでして、神子を打ちのめす? 憎いならいっそひと思いに殺せばいいものを」
不意に、これまでの経緯を垣間見たのか、フェネクスが首を傾げ、聞いた。

「そうね、強いて言うなら……あの子への嫌がらせかしら?」
「ほう……嫌がらせ?」
天井を仰ぎながら、セレスティアはぽつりと呟いた。
「動機は『誰かさん』とほぼ同じだわ。そうよ……あの子は何も知らずに、本来、私が得るはずだったものを、簡単に手に入れていく……。代わりに私だけが泣き寝入りするしかないなんて、癪でしょ? だから、あの子に、少しでも私と同じ苦痛を味あわせてやりたかったの」








その日、夕暮れを間近にして、小雨が降りしきる中、ベイリーと、紅蓮の巡視団員の処刑は、粛々と行われた。立ち会ったのは、勿論、オスカーだ。
現状、街を壊され、負傷した民の気を紛らわすと同時に、聖誕祭にてセレスティアが口にした王室に関する事、全てから関心をそらす必要がある。ならば手っ取り早く、『悪役』を仕立て上げればいい。ルドルフの思惑通り、ベイリーとその部下達が次々と生贄となって、断頭台の露となる。

「ほう、王家に反旗を翻したベイリー提督と紅蓮の巡視団員を即処刑とは――さすが、我らが英雄王の再来、ルドルフ陛下だ」
小型の双眼鏡(オペラグラス)を片手に、男は処刑の様子を眺めながら、陽気に呟いた。その顔の半分は鋲のついた黒い眼帯で覆われている。
「おいおい、そりゃ本気ですかい? 頭領(ボス)?」
傍にいる巨漢が、目を見開いた。
「冗談に決まってんだろ? ろくに採決の場すら設けず、国民に詳しい説明もなく、即日処刑なんざ、要は国王の気分次第で執り行われたってこったろ? こんなもん政でもなんでもねぇよ。ただの独裁だ」
頭領と呼ばれた若い眼帯の男は言いながら、小型の双眼鏡(オペラグラス)を巨漢に放り投げ、歩き出した。
「あの赤毛の犬(オスカー)がこんなでたらめな処刑を容認するってことは、あくまで、こいつは目くらましだろう。どうやらチビさんの聖誕祭で、よほど国王にとって都合の悪い事でも起きたようだな」

「つ、都合の悪い事ってなんですかい?」
大きな手に、こぢんまりと収まった双眼鏡を大事に抱えながら、巨漢が眼帯の男の後に続く。
「それを調べるのがお前らの仕事だろうが。とっとと情報を集めてこいよ。これからひと波乱起こるだろうよ」
不敵な笑顔で巨漢の男にそう命じた、眼帯の男の腰には、ベイリーが所持していたものと同じ――いや、それよりも精巧な短銃が下げられていた。
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