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EternalCurse

Story-132.その神子の悲劇-第二幕W
ディオスの肉体から切り離された『眼』として、永きに渡り、宝玉の中に潜んでいたフェネクスの意思は、ごく稀に目覚めては、本体であるディオスと共に、周囲の話に耳を傾けている事もあった。
三年前、当時の白銀の騎士団団長、ライオネル・デリンジャーが懺悔の為、ルーベンス教会を訪れた際などがそうだ。
しかし、宝玉の中にいるとあっては、使える力の範囲が限られている。時折、拙い身体で『狩り』を行い、血を口にしては、眠りにつく――そんな日々を送っていたフェネクスにとって、聞き耳を立てるということは、『この時代』を把握するための調査時間でもあり、退屈しのぎでもあった。
なにより白銀の騎士団とかいう国王一家直下の部隊、その団長ともあろう男が、利権に塗れた貴族御用達の教会ではなく、このような町外れの場所を選び、その司祭を頼ってきたという事が、面白く思えたのだ。

「ライオネルは、私と、そこに倒れている生贄の娘の前で、洗いざらい話してくれたぞ。派手な王権奪還劇を望むそなたが、ベアールを利用し、『セレスティアの悲劇』を引き起こした事を。彼の者は、そなたを諌めることができなかった己を、ひたすら責めていた」
フェネクスが続けた。

「信じがたいお話ですが、仮に国王による『セレスティアの悲劇』の話が真実であったとしても、なにもかも貴方が背負う必要はありません。己が野望のため、王族が互いを陥れ、血を流すことなど、どの国にでも在り得ることです――と、ディオスは救いにもならん言葉でライオネルを宥めていた」
ルドルフはただ、ふて腐れたような表情で、フェネクスを見上げている。

「哀れな王よ、そなたはライオネルを、その程度の事で命を絶った愚か者とでも思っているのだろう? だが、この話にはまだ続きがある。ライオネルはディオスにルーシアの退出を促した後、こんな事を話し始めた。彼の者は、神に背き、現王家を揺るがす罪深き事に手を染めた、とな」
それはライオネル自身、墓場まで持っていくはずの話であった。だが、自ら命を絶つ前に、どうしても神に許しを乞わずにはいられなかったのだろう。

「セレスティアの悲劇より、十八年ほど前の話だ。その日、前王妃コンスタンツは産気づいていた。難産の後、ギルバート国王との間に出来た、待望の一子を産み落としたものの、その子は既に死んでいた。女児であった。国王夫妻を襲った悲劇はそれだけではない。王妃のコンスタンツは、これが原因で、二度と子供の産めぬ身体になってしまった。国王夫妻が、そして立ち会った重鎮らが嘆く頃、ライオネルは思いついた。数日前、ベアールに弄ばれた後に捨てられた、ブリジット・オルセンが、男子を出産した事を。だが、ブリジット自身は産後の肥立ちが悪く二日後には死んでいた。もとよりコンスタンツによく似た女が生んだ子ならば、面差しも夫妻に似ているだろう。ライオネルは、国王夫妻にそう進言した。ギルバート国王夫妻への国民の期待は強い。なにより国王は王妃を深く愛していたため、愛妾を娶るという気も毛頭ない。ギルバートはライオネルにその子を引き取ってくるよう、命じた。自分達にとって『甥』であるその子を、僭王ベアールの庶子を夫妻は我が子として育てた――薔薇茶色(ローズ・ブラウン)の髪を持つブリジットから生まれた、燃えるような赤い髪の庶子――つまりはそなただ」
そう言い切られた瞬間、ルドルフはぽかんとした顔で、フェネクスを見つめていた。シェイドが微かに眼を潜める。
「そなたは過去に、ベアールに関わった人間の全てを抹殺しているな。言いがかりにも等しき罪を着せられ死んだ者もいるだろう。何故彼らが、甘んじてそれを受け入れたかわかるか? 死ねば、そなたの『真実』が、世に出る事も無くなるからだ。やはり、彼らも罪悪感に苛まされていたと見えるな」
フェネクスが眼を伏せた。

「で……でたらめを言うな!」

ルドルフは唇を戦慄かせ、声を荒げた。ようやく喉から発することが出来た言葉は、それだけだった。
「いいや、ライオネルにとってそなたは、懇意であったブリジットが残した子。ベアールに弄ばれたブリジットの命を吸い尽くして生まれてきた子。なにより、彼女が必要としなかった子だ。彼の中にあった愛憎、葛藤は計り知れぬ。いっそひと思いに殺すことさえ考えたはず。しかし、そなたの赤い髪に彼女の面影を重ねてしまったのだろう。そなたを不憫に思った彼は、養い手を捜していた。あろうことか、それはすぐに見つかった。嘆く国王夫妻に、ここぞとばかりに、子の摩り替えを提案する事でな。そなたを手にかけず、生かすための『言い訳』を作るには、その方法しか思いつかなかったそうだ。だが、そなたは、何も知らぬままに、実の父を陥れ、殺した。
それこそがライオネルにとって判断を誤った事に気付かせる、止めとなったようだ。考えようによっては、そなたがブリジットの仇を討ったのだと、自身に言い聞かせれば、楽になれたものをな……ライオネルにはそれができなかった。彼の者はベアールと同じ気質を持つそなたに、少なからず恐れを抱いていた。重臣が諫死することで、そなたが目覚める事を願い、同時に国王の出自を知る最期の人間として、そなたの為に逝ったものを、その心はそなたに何も届かなかったらしい」
話を締め括るとフェネクスがゆっくりと眼を開いた。

「これが私が知り得る、ライオネルの懺悔の内容だ。国王よ、つくづくそなたは残念な性分の持ち主だな。ライオネルはベアールの血を引いていようが、子にはなんの罪も無いと思って、仕えてきたというのに」
フェネクスが哀れみを込めてルドルフを見つめた。
「子には罪は無いですって! 救いようがないわね!」
セレスティアが腹を抱えて笑い出した。
「つい最近もそういう台詞を聞いたけど、所詮、血は争えないって事でしょ? 汚れた血が一滴でも入ってるのなら、それが悪さをする前に、迷わず根絶やしにするべきだわ。だって、下手に生かしといて、自分の首を絞めることになったんじゃ、滑稽だものね」
そしてセレスティアはルドルフに語りかけた。

「まぁ、なんて顔しているの? 王様? 散々他人を小馬鹿にしていた自尊心の強い貴方が、最も卑しい血の持ち主だったなんて、これに勝る喜劇なんてないんではなくて? 赤毛の道化なんて言い得て妙だわね」

「そのような世迷言、誰が信じるか! そうやって人の心を弄び、惑わすのは、貴様らのような魔性の類の常套手段ではないか!」

「あら、弄ばれてるって自覚あるの? ねぇ、自分にとって都合の悪い真実を指摘されたら、しっかりと耳を閉じて、代わりに心地よい妄想を、湯水のようにかけることで安堵感を得るなんて……あんた、惨めにならないの? ねぇ、貴方もそう思うでしょ?」
セレスティアがルドルフからシェイドに視線を移した。

「まぁ、ベアールの落胤と噂されていた奴が、かつての英雄の成れの果て、片や国王として踏ん反り返っていた奴が、本物のご落胤か。皮肉なものとは思うが?」
感情のない声でシェイドが返した。
「貴方……本当はざまあみろ、って言ってやりたいんでしょ?」
怪訝そうにエステリアが見上げる。
「まさか。あいつは今、人生で未だかつてないほどの制裁を心身ともに受けているんだぞ? これ以上の追い討ちをかけてどうする。そんなことより……」
シェイドがサクヤに視線を移した。
それを感じたのか、
「お前はセレスティアを殺れ。隣の男は私が仕留める」
サクヤが冷たく言い放つ。
「そう言うと思った」
シェイドは剣を掲げると、セレスティアの方へ向き直り、駆け出した。同時にサクヤも、錫杖を片手に、踏み込む。
「オディール。始末なさい」
セレスティアが短く言った。即座にオディールが前に出て、シェイドの行く手を阻む。
「邪魔をするな」
二合、三合と、剣を打ち合わせならシェイドが静かに言った。
「貴方に、このお方の命を奪わせるわけにはいかないわ」
シェイドの剣を、オディールの二刀が絡め取る。

「もう一度、死ね! フェネクス」
サクヤの錫杖がしなり、フェネクスの脳天を目掛けて、振り下ろされる。フェネクスが小さく鼻で笑う。

「え? ちょっと……なに?」
サクヤの背後でエステリアが叫んだ。次の瞬間、まるでフェネクスの盾となるかのように、ルーシアが目の前に立っていた。
「なに?」
サクヤの錫杖が、紙一重のところで止められる。エステリアの元から召喚されたルーシアは、大量の血を失っているにも関わらず、恍惚の入り交じった気味の悪い笑みを湛えていた。

「……貴方……私に嫉妬してるんでしょ?」
ルーシアがぽつりと言った。
「なんだと?」
サクヤが眉を潜める。
「そうよ、私が、ディオス様を独占しているのが、貴方、悔しかったんでしょ? だから私が憎くて、当たらずにはいられなかったんだわ」
やたら優越感に浸ったその物言いに、サクヤが不快感を示す。よく見ればルーシアの首に突き立てられたフェネクスの牙の痕がどす黒く変色し、脈動していた。
一体、この娘に何をした――?そう問いかけようとした時だった。
フェネクスの額の邪眼が見開き、妖しい光を放つ。途端、サクヤの全身――塞がりかけていた傷口から、再び血が噴出した。
「ちっ」
サクヤは舌打ちすると、後ずさり、跪いた。ルーシアが崩れ落ち、その身体をフェネクスが抱えた。
「すまんな、サクヤ。この娘も悪気はないのだ。ただ、素直に本音を述べたまで。ああ、それよりも、お前の大事な肌をまた切り裂いてしまった、それを詫びるのが先か」

「小娘の戯言なんぞどうでもいい。やはり、この傷は毒気の他に呪詛もついていたのか」

「呪詛などと、野暮な言い方はよしてくれ。先程も話したが、これは、『あの時』の仕返しだ。いや、私を切り刻んだお前の蛮行に比べれば、これぐらいは可愛いものだろう?」

サクヤは黙って、傷の再生を待ちながら、フェネクスを睨みつけた。

「なるほど。お前が現在、特殊な体質でいることはよくわかった」
「そんな事を調べるために、古傷を開かせたのか?」
「いや、なに、お前の若返りの秘訣とやらを、知りたかっただけだ」
「ならば、私も是非知りたいものだ。どうやれば、その腐った不変の魂を抱えたまま、次の世に生まれ出ることができるのか――その(すべ)をな」
「まったく……お前は昔から、怒った時の顔が、一番美しいな」
フェネクスがサクヤを見つめたまま、肩を落としてみせた。

「あら、感動の再会かと思ったら、いきなり夫婦喧嘩?」
茶化すようにセレスティアが言った。その真横を、突如、黒い鎌鼬がかすめる。数本の髪を撒き散らし、セレスティアはふわりと舞い上がると、シェイドを見下ろした。

「ちょっと、貴方騎士でしょ? オディールと戦ってる傍から、どさくさに紛れて私まで狙うの止めてくれる? 正々堂々となさいよ」
「悪いな、手が滑っただけだ」
シェイドが視線も合わさずに、そう答えると、次に剣から放たれた鎌鼬が、ルドルフを捕らえる王の姿を模した魔物の首を、即座に切り裂く。
ようやく魔物の手から解放されたルドルフは、その場に崩れ落ちた。
「あの魔物のように、死にたくなかったら、とっととそこをどけ」
鍔迫り合いの最中、シェイドがオディールに言った。

「私は死など恐れはしないわ」
「それはいい度胸だ。そこまでしてあのセレスティアに忠誠を誓う理由はなんだ?」
「このお方なら、私の存在する意義を見つけてくれそうだから」
「そんなものすぐに失わせてやる。その次はお前の番だ」
シェイドがセレスティアを見上げた。

「それ、本気で言っているの? いくら貴方でも、その子はそう簡単には倒せないんじゃないかしら?」

「お前こそ冗談はやめてもらおうか、この女は俺が引けを取るような使い手ではない」

言った直後、シェイドは一気に踏み込んだ。連続して打ち込まれた剣戟を、オディールは受け止めるのが精一杯であった。次にシェイドから繰り出された一撃が、その片腕を弾き飛ばす。
肩口から、血飛沫すら舞うことなく、まるで蝋細工のように、オディールの腕が音を立てて地面に落ちる。続けざまにシェイドはオディールの胸にその剣を突き立てた。

「高見の見物ではなく、そろそろ、こちらに降りてきたらどうだ? セレスティア」

「……その程度で、私の可愛いオディールが死ぬと思っているの?」
セレスティアの言葉にシェイドがオディールを見据えた。

「最初から人間の臭いがしないと思えば、やはり魔物の類か」
シェイドがオディールの心臓を『確かに』貫いた剣を、勢い良く抜いた。
その反動でオディールがよろよろと後退する。例え魔物であろうとも、よほどの再生力の持ち主でない限り、首を跳ね飛ばされれば、一網打尽だ。
シェイドの剣が、寸分の狂いもなく、オディールの首を狙う。
寸前のところで、オディールが全身をもって剣をかわした。辛うじて首への直撃は免れたが、その衝撃で、兜が弾き飛ばされ、真二つに割れる。
そこから溢れた、黒い甲冑にひときわ映える金髪が宙を舞った。
ゆっくりと後退し、失った腕を拾い上げると、何事もなかったかのように取り付け、オディールは顔を上げた。
瞳孔が開き切った魂のない黒い瞳で、血の気を失った唇がゆっくりと開く。

「酷い人……一度だけじゃ飽き足らずに、二度も私を殺そうっていうの?」
暗雲立ち込める中、雲間から差し込んだ光は、生気を失った金髪を僅かながらも、カナリア色に輝かせていた。
「……ミ……レー……ユ」
この世に無き、その女の顔を目の当たりにした途端、表情を凍りつかせ、ほとんど消え入りそうな声で、シェイドは呟いた。
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