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EternalCurse

Story-129.その神子の悲劇-第二幕T
「ほお……よく壊れるわい。ほらほら逃げ惑え!」
船室の窓から、砲撃によって破壊される港町を見下ろしながら、ベイリーは笑っていた。船内の廊下では、立ち込めた靄が放つ、強烈な作用によって幻惑されたレオノーラの従者を、まだ正気を保っている仲間が取り押さえている。だが、この場にいる全員が毒されるのも、時間の問題だ。
背後は、仲間に任せ、
「ただちに砲撃を止めるよう命じなさい! ベイリー! お前のやっていることは、もはや謀反以外の何者でもない!」
レオノーラは剣を引き抜くと、ベイリーの喉下に突きつけた。
「まったく威勢の良い小娘よ! レオノーラぁ、お主こそ、そんな身体でここに来ていいのか? ん?」
「何を言っているの?」
「はぁ? とぼけるでない。お主はオスカーの子を流したばかりの身であろうが。どうだ? 我が娘、ネリーが工面してやった薬は? 覿面だったであろう? 心が折れておるのなら、王妃に与えた薬をお前にも授けてやろうか? 嫌な事は全て忘れられるぞ?」
ほとんど言いがかりといっても過言ではない、ベイリーの言葉に、レオノーラの顔から血の気が失われていく。
「んー? どうした? まさかお前、オスカーから何も知らされず、あの薬を盛られていたのか?」
淀んだ目でベイリーはレオノーラを見下ろした。
「そんな……」
レオノーラが剣を構えたまま、声を振るわせた。――ようやく合点がいった。ネリーが落としたスーリア製のあの薬。オスカーが服用していたあれは、堕胎薬だったのだ。それならば、彼女が薬効について、なかなか口を割らなかったことも頷ける。
そう、彼がここのところ度々起していた不調は、あの青白い顔の原因は――レオノーラはきつく唇を噛んだ。

オスカー自身の身体の秘密を知る者はごくわずかである。彼の、いや彼女でもある、あの人の相手を務める人間など――国王以外にいるはずがない。
オスカーはあの身体だ。グランディアで子を堕ろす処置などできるはずもない。だからといって安易に使いの者を寄越して、この国の堕胎薬を手に入れる事も難しい。その事が、一度、噂にでもなれば、白銀の騎士団の団長としての立場も悪くなる。オスカーは周囲に、なによりレオノーラに悟られぬよう、ネリーを通して、あえて強い効果があるとされるスーリアの薬を手にしていたのだ。

「随分な顔をしておるではないか。もしやオスカーは別の女に、あの薬を使ったのかの? てっきり私はお前とオスカーの関係を疑っていたんだが……?」
言いながら、ベイリーは唇の端を吊り上げた。直後、その袖から取り出した『何か』が、レオノーラの前で火花を散らせた。
「っ……!?」
大きな破裂音と共に、レオノーラの手から勢いよく剣が弾き飛ばされ、弧を描きながら、床に突き刺さる。
その重い衝撃を受け、レオノーラが後方に倒れた。右手首に鈍痛が走る。
ベイリーの手には、レオノーラが見たことの無い、金属の筒が握られていた。その筒から、薄っすらと煙が立ち昇り、それと同時に火薬の臭いが広がった。
「レオノーラ様!」
ただならぬ音に、仲間の一人がレオノーラの元に駆けつけた。その時、再びあの破裂音が船内に響く。次の瞬間、仲間は肩から夥しい血を流し、その場に膝をついた。

「ベイリー! それは一体……?」
「スーリアの行商から手に入れた短銃よ。鉄の筒に火薬を詰めたものだ。引き金を引いて勢い良く、鉛玉を飛ばす。獣なんぞはイチコロよ。無論、この距離で討てば、人間の心臓も簡単に射抜くことができるだろう。弓よりも速い。そして無作為にしか破壊できん大砲よりも、確実に人間を仕留めることができる。実に面白き玩具であろう? なんでもこれは、ヴァロアの残党が作ったものらしい。これを大量に製造し、兵達に持たせてみろ。この世界の勢力図は一瞬にして変わることだろう」
つまり、今、この時でさえ、ベイリーの言うこの『短銃』という武器が、作られ、実践に使えるよう、改良されているというのか――。
「お前……まさか……」
ベイリーが黒曜の艦隊を率いて行ってきた全てを悟ったレオノーラは、背筋が凍るような思いでいた。
黒曜の艦隊が巡回を名目に、略奪行為を行いスーリアで換金し、麻薬を買う。
そしてグランディアに戻り、秘密裏に売りさばいて、薬を蔓延させる。そこで得た資金で、武器を大量に仕入れ、スーリア王家に売る。王家はおそらくベイリーに謝礼金を渡すことだろう。これでベイリーの懐は潤う。そしてこれとは別に、ベイリーを介し、ヴァルハルトによって滅ぼされたはずのヴァロア帝国にも多額の金が、スーリアには武器が流れていることになる。実質それは、グランディアを弱体化させ、スーリア、ヴァロアの国力強化に手を貸す行為だ。
「国賊が……!」
銃口を向けられたまま、レオノーラは撃たれた仲間を庇うように、にじり寄った。
その時、床から振動が伝わり、砲撃の音が途切れる。船が碇を上げたのだ。
「このまま逃げる気なの? ベイリー?」
一転した窓からの景色を見ながら、レオノーラはベイリーを睨みつけた。港町を離れた船体は、予想以上の速度で進んでいる。
なんとか船を止めなければ――レオノーラが眉間に皺を寄せた。あの短銃さえ奪ってしまえば、ベイリーを捕らえることができる。しかし、仮にベイリーを人質にして、船内に残る彼の配下に迫ったところで、その全てを掌握することは、今の状況では難しい。彼らは薬を含んだこの靄の力によって、興奮し、正気を失っている。そして既にレオノーラが連れ立った仲間内からも被害者が出始めている。
「まったくこの後に及んで威勢のいい女よの。お前は自分の立場がわかっておるのか? こちらは一瞬でお前達を殺すことができるのだぞぉ?」
「私達を殺したところで、グランディアがお前を逃すはずがない。必ずお前を捕らえ、公の元で裁きを与えることでしょう」
焦りを覚える内心を悟られぬよう、レオノーラは精一杯、ベイリーの前で凄んだ。
「ほう、愛国心はオスカー譲りか。案ずるな、我らの事は、艦隊ごとスーリアが匿ってくれるわ!」
やはり、ベイリーの逃亡先はスーリアか――レオノーラが固唾を飲んだ。
いずれにせよ、ベイリーにとって、都合の悪い情報を知りすぎたこの身は、どこぞの地で奴隷として売られる、あるいは、船内に潜む狂人らの慰み者にされ、海に打ち捨てられることだろう。
ならば余計にでも、早く船を止め、ベイリーを捕らえて港に引き返し、この反逆行為の数々を、王家に報告しなければならない。
どうすればいい――? ベイリーから向けられた銃口を、レオノーラはじっと見つめた。

その時だった。轟音と共に、視界が大きく揺れた。
いや、『船』そのものが揺れた。
銃を握り締めたまま体勢を崩したベイリーが、思わず引き金を引いた。船内に三度目の銃声が響く。
だが弾はレオノーラ達に当たることはなく、的を外して天井にのめりこむ。次の瞬間、船がさらに大きく傾いた。ベイリーの船室を彩っていたテーブルや椅子が、滑るようにして、傾斜した壁の方に引き寄せられ、叩きつけられる。無論、それは、ベイリーやレオノーラ達も同様であった。
「一体、何が――!?」
レオノーラは強打した肩を擦りながら、揺れが収まるのを待っていた。ベイリーは打ち所が悪かったのか、気を失い、押し寄せてきた家具にその身体を挟まれている。レオノーラは、ベイリーの下まで這うと、短銃を取り上げた。

「レオノーラ! ここにいるのか!」
背後から、ここにいるはずのない、男の声が船内に響いた。
「うそ……」
振り返ったレオノーラは思わず呟いた。オスカーだ。

「レオノーラ、無事か?」

「オスカー! どうして……」

「話は後だ。お前達、ベイリーを捕らえろ。怪我人の手当ても忘れるな。この靄の毒気に当てられる前に、外に出るんだ」
オスカーの指示と共に、紺青の守衛が船内に雪崩込む。
「足元に気をつけろ、レオノーラ」
オスカーはレオノーラを助け起すと、急いで外に出た。
看板に連れ出されたレオノーラは絶句した。この船の横腹に、王室の遊覧船の船首が食い込んでいる。船が傾いたのは、この追突によるものだと、レオノーラは理解した。
船内の靄によって、正気を失っていた仲間達も、外の空気を吸うことによって、どうやら落ち着きを取り戻しつつあるようだった。船の沈没を恐れ、のこのこと看板に出始めた紅蓮の巡視団員をはじめとする、ベイリーの部下達も、即座に捕らえられ、小船に乗せられ、各自下ろされている。
「この策を考えたのは貴方?」
レオノーラに問われ、オスカーは静かに頷いた。
「策などと言える程のものではない。速度を出される前に、なんとしてでも止めたかった。国王の遊覧船は、黒曜の艦隊が結成される以前の軍船を改良したものだ。それほど脆くもないだろう」
現にオスカーは、レオノーラと共に、ベイリーの船から遊覧船に移ろうとしている。船首をぶつけたところで、航海に支障をきたす程の傷ではないのだろう。だが、ベイリーの船は明らかに致命的な傷を負っていた。長居いは無用である。
「この船にいる者を全員連れ出したら、すぐに港町に引き返す。お前にも色々と手伝ってもらいたい」
「今……街はどうなっているの? 聖誕祭は?」
「港町は、ベイリーの砲撃によって、ほぼ壊滅状態だ。そして中央広場にはセレスティアがいる」
レオノーラは大きく目を見開いた。
「陛下は? 妃殿下……王太子殿下は!?」
レオノーラは今にも掴みかかりそうな勢いで、オスカーに迫った。
「この件については、神子の一行に任せている。セレスティアをよく知る彼らの方が、戦いに有利だろう。私達は街とその住民の安全を守る方が優先だ。出払ったままの艦隊の動向も掴めん。本宮は砲撃を逃れられたとしても、これ以上、他の街が、国が壊されてしまっては、王家も何もあったものではない」
いつ如何なるときも、命に代えて国王一家を守ってきたはずのオスカーにとって、それは屈辱といってもいい決断に、レオノーラは声を詰まらせた。
「何が白銀の騎士団、団長だ。国王を守る剣と盾たる公妾だ? 身内の反逆すら、未然に防ぐことすらできぬ、ただの無能者ではないか……」
陸で黒煙を上げる港町を見つめ、オスカーは呟いた。
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