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EternalCurse

Story-127.その神子の悲劇-第一幕X
黒曜の艦隊による砲撃により、大打撃を受けた港町の様子に、駆けつけたオスカーは言葉を失った。
馬上の彼は公妾の扮装を解いた軽装である。この非常時に、甲冑を着込む猶予などなく、シェイドとの会談場所の裏口を慌てて飛び出した故だ。中央広場では国王夫妻が危機にさらされている。口惜しいが、ここは、セレスティアとの戦いに慣れているという、シェイドに任せ――いや、信じるしかなかった。
粉塵が降りしきる中、オスカーは、これが、まるで神子を軽視した傲慢な王家への天罰のようにも思えた。鳴り止まぬ砲撃が、無差別に民家を破壊している。瞬く間に広がっていく炎。グランディアにおける庶民の台所にも等しい、あの活気に満ちた界隈が、見るも無残な姿に変わっていく。民衆が逃げ惑う中、紺色の守衛らの姿を見つけた。
「紺青の守衛は何をしている? ただちに住民を非難させろ。女、子供を優先だ。風が出ぬうちに、消火の手配を」
回り始めた火の手は、風向きによっては、中央広場、そして国立歌劇場さえも焼き尽くしかねないのだ。だが、紺青の守衛は、この非常事態に、ただただ戸惑うばかりであった。彼らは、不敬罪を働く庶民の『取り締まり』には慣れていても、庶民を『守る』ことには不得手なのだ。
「ただ権力を用いて民を恫喝するだけの組織へと成り果てたか……」
あながちこの白銀の騎士団も他人のことは言えない――オスカーは苦々しげに呻いた。
「紅蓮の巡視団は誰一人とておらんのか?」
近くにいた紺青の守衛に、オスカーが訊いた。
「はい。全員それぞれの船に乗り込んでいるものと思われます」
「実質、砲撃を行っているのはベイリーが乗っている一隻。その他の船団は巡視団を乗せ出払っている……ということか」
黒曜の艦隊は、本来ならば、国の警護のために巡回しているはずだ。しかし、状況が状況である。艦隊が普段とは違う行動を取っていてもおかしくはない。ベイリーの命令で国外へと逃亡したのか、あるいは……、
「あの、オスカー様……」
ありとあらゆる事態を想定して、考えを巡らせている最中、紺青の守衛の一人が、おどおどとした様子で、オスカーに話しかけた。
「砲撃が始まる前に、レオノーラ様が検閲のためと、配下の方々を連れ、あの船の中に……」
「なんだと?」
オスカーは船体を見上げた。
「レオノーラ……」
おそらく、レオノーラは、聖誕祭の警護のため巡回するとはいえ、船内では陽気に酒肴を楽しんでいるであろうベイリーらの隙を突いたつもりで、検閲に臨んだのだろう。オスカーは察した。
今となっては、それが、完全に裏目に出ている。このまま港町を破壊しただけでベイリーが終わるはずがない。砲弾が完全に途切れる前に、碇を上げて逃げるはずだ。レオノーラ達はそのまま人質として連れ去られ、その後、なにかしらの交渉に使われる可能性も高い。
勿論、そのようなものに応じる国王でもないだろう。
だが、全ての艦隊がベイリー側についているのだとしたら? 丸腰同然のグランディアに一体何ができるというのだろうか。現にたった一隻による砲撃によって、街は壊滅的な状況にあるのだ。万が一、全ての艦隊が相手となると、陸にいる人間ではもはや太刀打ちなどできない。そうなる前に、なんとしてでもあの船からベイリーをひきずり下ろさなくてはならない。船内への入り口など、とっくに閉じられている。オスカーはしばし考え込むと、傍らの守衛らに声をかけた。
「これからお前達、紺青の守衛を二手に分ける。今一度言うが、一組は住民の救出、消火の為に奔走せよ。もう一組は私について来い。従えるか?」
その言葉に、守衛らは不思議そうに顔を見合わせた。紺青の守衛、紅蓮の巡視団、黒曜の艦隊と、数ある役職の中でも最高位とされる白銀の騎士団の、それも団長の命令とあらば、従わざるを得ない、というのが彼らの本音である。
「わ……我々でお役に立てるのでしたら……どうか、ご指示下さい」
自信もなさげに守衛の一人が言った。
「役に立つもなにも、どの道、ここで動かなければ、お前達は民に無能と罵られ、街を守れなければ陛下によって、全員罷免を言い渡されることだろう。そうなりたくなければ手柄を立てることだ。国賊の確保という手柄をな」





いつの間に天候が変わったのだろう。あれほど晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込め、教会内はまるで真夜中のようであった。蝋燭に火を灯したい。しかし灯りが洩れれば、この場所が知れ渡ってしまう。やっとのことであの異形の者や、暴徒達から逃れたルーシアとディオスは、聖堂に身を隠していた。早く自体が収まればいい――ルーシアはその場に蹲った。
「ルーシア」
その不安が伝わったのか、ディオスがルーシアの手に自らの手を重ねた。
「大丈夫です。ディオス様、きっと助かりますわ」
「いえ、そうではありません。ルーシア……他の修道女や子供達はどうしているのです?」
「それは……」
ルーシアが口ごもった。ディオスが気にかける子供達は、奇妙な司教や道化に操られ、教会の破壊に加担している。彼らの犠牲になった修道女も少なくはない。
「まだ逃げ遅れた者もいるのでしょう? 神の恩恵を受ける、この聖堂には魔が付け入る隙はありません。今、危険な目に遭っている者達を全てここに非難させましょう」
「無理です、ディオス様!」
立ち上がったディオスにルーシアが咄嗟にしがみついた。冗談ではない――せっかくここまで逃げおおせたというのに、再び危険を冒してまで仲間を助けに行こうなど、狂気の沙汰である。ルーシアが顔をしかめた。

「ディオス様。教会の者は『全て』、ここを襲った悪魔の使いに、心を蝕まれております。今、戻れば、貴方様は確実に命を落すことになるでしょう。私達に出来ることは、この聖堂で神に祈りを捧げ、あの悪魔の使いを退けることではありませんか?」
無論、言葉の半分は出任せである。今もなお、罪もない修道女らは、暴徒と化した人間達によって悲惨な目に遭っていることだろう。しかし、ディオスを思いとどまらせる為には、こうでも話すしかない。
「ルーシア……」
ルーシアにすがりつかれ、ディオスも戸惑っている。これでいい――ルーシアはほくそ笑んだ。そう、今はこれが一番正しい選択なのだ。
「ディオス様、一緒にこちらへ。神の前で祈りを捧げましょう……」
ルーシアは宥めるように語り掛けると、ゆっくりと立ち上がり、ディオスの腰に手を添えた。聖堂の中央に設置された神像に向い、一歩踏み出す。
「ミ……ツ……ケタ……」
ルーシアとディオスの背後で、到底、人とは思えぬ声が聞こえた。振り向くと同時に、派手に硝子が突き破られる。まるで宙を泳ぐように、割れた窓から、あの道化の魔物が侵入する。
「そんな……どうして!?」
ここは聖堂だ。神の加護によって、魔を退ける場所でもある。そこがいとも簡単に破られてしまった。
狼狽するルーシアの前で、道化は無言で両手を掲げた。その爪先が、噴き上がった水のように勢い良く伸びていく。道化は、長く伸びきった爪をしならせ、聖堂の神像を打ち据えた。伸びた爪に絡め取られた神像が、そして祭壇が一瞬にして、切り裂かれ、ルーシアの目の前でただの木片となって、崩れ落ちていく。道化の爪は、まるで薄い剃刀を重ねて作った鞭のようだった。
「いやぁああああ!」
神の加護などありはしない、次はお前達がこうなる番だ――道化はそう言っているかのようにも思えた。まるで見せしめのように、バラバラにされた神像を目にして、ルーシアは悲鳴を上げた。
ディオスを守らなくては、そして逃げなくては――頭では理解している。しかし、足が思うように進まなかった。迫り来る死という、突きつけられた現実がルーシアの身体をすくませていた。
「ディオス様、早く……早くお逃げ下さい」
喉から搾り出すようにして、ルーシアは声をあげた。道化が今一度、あの刃の鞭を振るえば、確実に粉々にされてしまうことだろう。もう後はない。せめて自分が囮になって、ディオスだけでも逃すことができれば――ルーシアはじっと道化を見据えた。道化は青ざめたルーシアの顔を興味深く見つめると、再び刃の鞭で襲い掛かってきた。ルーシアは両手を広げ、瞳をきつく閉じた。まるで意思を持ったようにうねるそれが、風を切り、こちらへ向かってくる。
「ルーシア!」
ディオスが叫んだ。目の前に危険が迫っている――そんなことはたとえ盲目の身であったとしても『気配』で感じることができた。そしてその『危険』が、今、ルーシアを標的としていることさえも。
この時だけは、何故か、ルーシアが立っている位置を、正確に把握することができた。これまで自分の『光』を担ってくれた娘を突き飛ばし、ディオスは異形の道化の前に出た。
「ディオス様!」
床に倒れたルーシアが上体を起して、振り返る。その目の前で、ルーシアを庇ったディオスの身体を、道化の一閃が、無残にも切り刻んでいく……。白い法衣がたちまち赤く染まった。全身から血を撒き散らし、ディオスの身体がゆっくりと後ろへ倒れていく――。
「ディ、オ、ス……様?」
夥しい、そして温かい返り血を受けながら、ルーシアは目を見開いた。今、起こった出来事が、ルーシアにはまったく理解できなかった。
「ディオス様!」
這うようにして、ルーシアはディオスの傍に寄ると、その身を抱き起こした。

「ディオス様!ディオス様!しっかりなさって下さい」
「ルー……シ、ア……無事、で……すか……?」
ディオスはもはや、虫の息であった。
「ディオス様……どうしてこんな……」
ルーシアは涙に声を詰まらせた。それ以上は言葉にならなかった。
「ルー……シ、早く……お逃げ、な、……」
最後の力を振り絞り、のろのろと腕を挙げ、ディオスがルーシアに触れようとした時だった。刃の鞭から、細剣のように鋭く変化した道化の爪が、ディオスの喉に、肺に、そして心臓に突きたてられた。小さな呻きと共に、ディオスが吐血する。それが、止めであった。
「ディオス様……?」
道化の爪が引き抜かれ、途端にルーシアの腕の中で、ディオスの身体がずしりと、重くなる。
「ディオス……様……?」
ルーシアはもう一度ディオスに呼びかけ、身体を揺すった。しかし、彼の唇が開くことなど、二度とない。
彼が息絶えたことを知った。罰が当たったのだ――ルーシアは身体を小刻みに震わせた。その様子を宙で見守りながら、道化は腹を抱えて笑っていた。
カラカラと乾いたような、人ならぬ笑い声が、静かな聖堂にこだましていた。
ディオスを抱きしめたまま蹲り、ルーシアは嗚咽した。そして、あの道化が、死んだ彼と同様に、この身を裂く瞬間を、ただただ待ち望んでいた。彼のいない世界に生きていたところで、何の意味もない。ならば、今すぐにでも同じ場所に送って欲しかった。いや、今更自分に生き残る道など、残されてはいない。ここに追い詰められた時に、運命はもう決まっていたのだ。なら、早く殺してほしい。まだ彼の魂がこの聖堂を彷徨っているうちに。今ならばきっと追いつくことができるはずだ。と、その時、不意に耳障りな道化の笑い声が途切れた。ルーシアはゆっくりと顔を挙げ、道化が浮かんでいた宙を見上げた。そこに道化の姿はもう無かった。代わりにその場所から、まるで燃え尽きた紙のように薄い灰が、降ってきた。

「あーあ、殺されちゃったのね。貴方の大好きな人」
舞い落ちる灰の下で、女の声がした。ルーシアはそのまま正面を凝視する。
「セレ、スティア……様?」
「あら、覚えてくれていたの? 貴方って本当に律儀な子ね。ここの王様とは大違い」
血まみれのディオスの遺体を見つめながら、セレスティアが言った。
「セレスティア様! どうしてここに?」
「別にここにいるわけではないわ。あくまでこれは幻の身体」
「あの道化は……? あの化け物は……」
「ああ、あれ? あれなら、今私が焼き払ったところ」
「セレスティア様……ああ、セレスティア様……」
ルーシアは顔をぐしゃぐしゃにして、咽び泣いた。
「やっぱり……やっぱり、私にとっての神子は、貴方様だけなのです……だからお願い、ディオス様を助けて。子供の頃、私を救ってくださったように……」
「ごめんなさいね、ルーシア。今の私にそんな力なんてないわ。貴方が嫌いなエステリアにでも頼むことね。まぁ、あの子でもさすがに、死んだ人間の魂を呼び戻すなんて芸当はできないか」
「そんな……」

「ルーシア、神子だって、万能な神ではないのよ? でも、ただ、一つだけ方法はあるわ」
「教えて下さい、セレスティア様!」
ルーシアが身を乗り出した。
「それでディオス様が蘇るのであれば、私なんてどうなってもいいんです。どうか、どうか……」
「そこまでの覚悟ができているのなら、教えてあげるわ。貴方の持っている『それ』使えるわよ?」
「それ……?」
気がつけば、ルーシアの胸元が、ぼんやりと光っていた。光を放っているのは、まぎれもなく、ディオスから預かった、宝玉である。ルーシアは急いで首にかけていた宝玉を取り出した。

「これが……ディオス様の命を救う?」
「ええ、可能性はあるわ」
セレスティアはどこからともなく黒い宝珠を手に撮り、ルーシアが持つ赤い宝玉の中に鎮めた。
「それに、願いを込めて、ディオスの額に押し当てなさい。きっと、願いは届くはず」
ルーシアは静かに頷いた。正直、魔術の類には疎いため、半信半疑ではあるが、ディオスが助かるのであれば、どんな手でも尽くしたい――今はセレスティアの言葉を信じるしかなかったのだ。
ルーシアはぐったりと弛緩したディオスの額に、宝玉を押し当てた。魔力を伴った宝玉は、ディオスの額の中に吸い込まれるようにして消えた。
「お願い……ディオス様……戻ってきて」
ディオスの遺体を抱きしめ、ルーシアは祈り続けた。ディオスの身体を、徐々に宝玉と同じ薄い光が包んでいく。
「ディオス様……」
光はディオスの胸に、喉に開いた穴を、徐々に塞いでいく。

「……っ」
ディオスの口から、微かに呻き声のようなものが洩れていた。ゆっくりではあるが、脈が戻ってくる。
「セレスティア様!」
「良かったわね、ルーシア。成功したみたいよ? ほら、名前を呼んであげなさい」
「ディオス様、しっかりなさってください」
ルーシアはディオスをの身体を抱き起こすと、目を疑った。
「ディオス、様?」
これまで閉じられていたはずの、ディオスが目を開いている。初めて見るディオスの顔に、ルーシアは戸惑いを隠せなかった。完全に傷の癒えたディオスが、自らの力で、上体を起す。
「ああ……」
まるで悪い夢から覚めたかのように、ディオスが片手を額に当てた。それは、濁流のように流れ込んできた記憶の欠片が、一枚の岩となったような感覚であった。初めて開いた両眼と、額が異様なぐらいに熱を持っていた。いや、それだけではない。どうしようもない、血と肉への渇望が身体の中から沸き上がってくる。その欲を鎮めるための方法を、ディオスの奥底に眠る記憶がしきりに訴えかけていた。ディオスはじっと、ルーシアの顔を見つめた。

「神子では、ないか。まあいい」
「え?」
到底ディオスとは思えない低い声に、ルーシアが困惑する。
「糧としては少しましな程度か……」
身体を引き寄せられ、ディオスの手が、ゆっくりとルーシアの胸を辿る。耳元にディオスの吐息がかかる。成されるがままに、ルーシアは頬を染めていると、途端に左の首に焼け付くような痛みが走った。
「あぁっ……!」
ディオスに喉元を喰らいつかれた瞬間、ルーシアの身体が仰け反る。
「な……に? ディオス、様……?」
「あ、そうそう。言い忘れていたわ。彼、相当な血を失ってるから、貴方が餌にならなきゃだめよ? でも、彼の糧になれるなら、きっと本望よね?」
セレスティアの幻がゆっくりと薄らいでいく。残された、ルーシアは皮肉にも、教会周辺で起きていた『失血死事件』の『真相』を理解する事となった。
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