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EternalCurse

Story-125.その神子の悲劇-第一幕V
つい先程、セレスティアの過去、その全てを映し出した闇が、ここより消え失せようとしていた時の事だった。
その時、エステリアは確かに目にしていた。
遠くに映った、鏡と向き合うセレスティアの姿を。いいや、鏡ではない。向き合った娘はセレスティアを見て驚いた顔をしていた。

「こんにちは。初めまして」
その言葉に、セレスティアの向こう側にいる娘は呟いた。
「え? 私と同じ顔?」
それは若き日の母の姿であると、おぼろげながら、エステリアにも見て取れた。
セレスティアの姿も若干幼い。ということは、おそらく彼女は長い眠りにつく前に、一度マーレに会っていたのだろう。
これこそが、二人が『同じ時間』で生きる最初で最後の時であった。次に再会することが可能であるならば、マーレは年を重ね、セレスティアは今と変わらぬ姿で目覚め、そこから新しく時を刻む。

「一度でいいから、眠る前に、妹の顔を見てみたかったの」
「本当にそっくり。瞳の色以外では見分けはつかないわ」
「もう、良い人がいるんでしょう? 貴方は目一杯、幸せになってね」
セレスティアは妹を祝福して、弾けんばかりに眩しい笑顔を見せた。
闇が薄れていくと同時に、二人がクスクスと笑う幸せそうな声が、遠退いていった。
それがとても悲しかった。
あんなセレスティアの笑顔など見たことがない――ふと、思い出して、エステリアは唇を噛み締めた。
確かに侍女のシエルとして、エステリアの傍にいたときは、よく笑っていた。
しかし、それはエステリアを油断させるために、計算しつくされた『演技』であった可能性も高い。
少なくとも、あれほど朗らかな様子のセレスティアから、笑顔を奪ったのは、どうしようもない人間達であることには変わりない。彼女が何事もなく、神子でいられたのだとしたら、今の自分も存在しない。
考えれば、考えるほど、居た堪れない気持ちになる。
気付かぬうちに、その足取りも速くなる。

そして、徐々に物々しい雰囲気が漂う方へと進んだエステリアが目にしたのは、教会の襲撃という、異様な光景であった。
それも襲いかかっているのは、夜盗や悪漢というわけではない。何の変哲もない、周辺の住民や、子供達だ。その集団の中に、ひときわ目立つ、異形の司教の姿があった。
「魔物……?」
エステリアが警戒するように、一歩引き下がる。
異形の司教は、エステリアの姿を見つけると、ゆっくりと、こちらを指差した。
途端、教会を破壊していた人間らが、薄気味悪いほど、同時にエステリアの方へと向き直る。まるで操り人形のような集団の中から、老人が鍬を掲げ、エステリアに向かって突進してきた。
「ちょっと!」
エステリアは横に転がり込むようにして、それを避けた。
老人の鍬が勢い良く、近くのテーブルに突き刺さる。老人はエステリアを睨みつけたまま、机に食い込んだ鍬を抜こうと、もがいている。
その間にも、武器を携えた他の人間達が、じりじりとエステリアとの距離を詰めていく。
また一人、包丁を持った女が、エステリアを襲う。
ほとんど反射的な勘を頼りに、エステリアはそれを避けていた。
相手が戦い慣れていない女であった事が唯一の救いである。
エステリアは申し訳ないと思いつつも、女の身体を突き飛ばした。女の手から放り出された包丁が、エステリアの腕を傷つけた。それは、皮一枚を裂く程度であったが、傷口からは薄っすらと血が滲む。
エステリアは腕を擦りながら、周囲を見回した。
おそらくこの集団を操っているのは、あの不気味な司教だ。
司教さえ、なんとかすれば、この集団はなんらかの術から開放されるに違いない。
だが、司教に接近するためには、この『人の壁』を掻き分けなくてはならない。

私一人でなんとかできるような人数じゃない――エステリアの腕に力が篭る。
シェイドならば瞬く間に、ここにいる人間を切り伏せていくことだろう。ガルシアにしても、充分に戦えるし、シオンもサクヤも、相手を一瞬にして一網打尽にする能力を備えている。
それに比べて自分には、ほとんど戦える力が備わっていない。
己の無力を痛感し、左手を握り締めた時、ドクン――と、ナイトメアの指輪が脈打つのを感じた。
エステリアはその鼓動に驚いて、指輪を凝視した。
これは元々、魔剣と対の生きた指輪だ。そして今となってはシェイドの魔剣自身の力を分け与えられている。一所に集まった、この命の宝庫を前に、指輪は貪欲に『食事』を求め、胸を躍らせているのだろう。
もしかしたら――エステリアは指輪を嵌めた左手に意識を集中させた。
指輪の猫目石から、ごくわずかに、黒い風が吹き上がる――ナイトメア自身が放つ瘴気だ。

使えるかもしれない――。
「もっと、もっと集まって……」
ナイトメアから発生する瘴気を練り、一つの球体を作るよう思い描く。
エステリアは、手をかざし、一歩、操られた民衆の前へと出た。左手に留めた瘴気が小さな竜巻のように、うねりを見せている。民衆は、エステリアが再び近寄ると、こぞって引き下がった。
たとえ、意識を何者かに奪われていたとしても、命在る者は、本能的に、指輪が放つ『食欲』に、恐れを抱いているのだろう。
「一瞬だけでいいの。今は全部食べないで」
宥めるように、 エステリアは指輪に向かって話すと、その手に蓄えた瘴気を放った。
膨れ上がった竜巻がまるで風船のように弾けた。
次の瞬間、部屋中が、瘴気の霧に満たされたかと思うと、消失する。
一体、何が起こったのかわからない――民衆はその様子を唖然とした目で見ていた。

カラン――と乾いた音が床に響いた。民衆の一人が、手に持っていた鎌を落としたのである。
音は一つだけではなかった。次々に武器を落とし、そして自身もその場に倒れていく。
そう、飛散したナイトメアの一部が、生気を奪ったのだ。
なんの抵抗力もない人間ならば、立っていることすら儘ならず、たちまち気を失うことだろう。
出来た――エステリアはほっと息を吐いた。
教会を襲撃していた『人間』が、全て気絶し、今、この場に立っている者が、自分と司教のみである事を確認すると、
「いい子ね、もう少しだけ、言うことを聞いてくれる?」
エステリアは小さくても、禍々しい光を放つ猫目石を指で撫でた。
「今度は目一杯食べていいわよ。美味しくないかもしれないけど……相手は魔物だもの。灰にしてあげて」
エステリアの声が届いたのだろうか。魔剣の魂を宿す指輪は、答えるように、赤い光を灯していた。




同じ頃――
「ディオス様! ディオス様!」
ルーシアはまるで、火の玉のようにディオスの部屋へと駆け込んだ。
「あの、ルーシア、先程から周辺が騒がしいようですが、一体……」
ディオスが不安げな表情を浮かべた矢先――
「逃げましょう、今から外に脱出するのです!」
ルーシアは息も絶え絶えに、それだけを告げると、力一杯、ディオスの手を引いた。
「ルーシア!?」
「ディオス様、ここは危険なのです、ご理解下さい!」
遠くで窓が打ち破られる音が聞こえる。なだれ込んでくる民衆の足音、そして修道女達の悲鳴――ルーシアはディオスと共に、気づかれぬよう、その場に身を潜めた。
少しだけ頭を上げて、窓から外の様子を伺う。
外には相変わらず斧や包丁といったものを携えた人間で溢れていた。
先程見かけた司教の姿をした異形の者に代わり、そちらには道化の人形のような化け物が宙に浮かんで、人間達を操っているようであった。ふと、道化の化け物がくるりと、こちらを向いた。
目が合った!――ルーシアは口を手で押さえ、なんとか悲鳴を飲み込んだ。
「ルーシア……大丈夫ですか?」
ディオスがそっとルーシアの手に、自らの手を添えた。
「だ、大丈夫です。ディオス様……」
「一体、教会で何が起きているのです?」
「わかりません。ただ、あの者達は皆『魔女を殺せ』と……」
ルーシアが口をつぐんだ。彼らがベアールの落胤を探してここを襲撃しているなど、ディオスの手前、口が裂けても言えなかった。
「聖堂に逃げ込みましょう。聖堂ならば、きっと神のご加護を受けることができるはずです。私がディオス様をお守りいたします」
修道女の仲間が次々と倒れようが、そんなものはどうでもいい。そう、ディオスさえ助かれば。そして私も共に助かれば――。




様子を見に行く――と言ったまま、中々戻る気配のないエステリアと、教会内での喧騒に、サクヤは眉をひそめた。所々に、強い妖気を感じた。どうやら、この教会に魔物が潜んでいるらしい――
「やれやれ……、世話の焼ける連中だ……」
サクヤはゆっくりと寝台から出ると、立て掛けられた錫杖へと手を伸ばした。





「殺されて……死んでたまるか!」
ユーリはそう叫びながら、走り続け、果てない闇を彷徨い続けていた。
一体、どれだけの距離を駆け抜けたかなど、知る由もない。
だが、逃げなければ……逃げなければ確実にセレスティアによって殺される。ユーリは後ろを振り返る事無く、走った。
振り返れば、グレイスの、ケインの、本物のウォルターの恨みがましい顔が、そこにあるのかもしれないからだ。

恨まれる筋合いなどない――騙された、負けたあいつらが悪いんだ。セレスティアにしても、単に神子としての運がなかっただけだろう。生来より最も不幸であった自分が、力ずくで幸せを手に入れて何が悪いというのだ。そんな思いを胸に、ユーリは当て所なく、進み続けた。
しばらくすると、微かではあるが、光が差しているのだろうか? 周囲が明るくなってきているような気がする。
永遠の闇を突き進むよりは、先が見える方が幾分か安心できた。
足を進めるうちに、光はどんどん強くなっていく。いつしか闇は消え、普段の森の情景を映し出していた。
「抜けれたか……」
ユーリは額から流れた汗を拭った。
闇が完全に失せたということは、セレスティアの手から逃げ切れたのだろう。ユーリは呼吸を整えると、辺りを見回した。
「なんだ……?」
ユーリは目を細めた。森の奥に、一箇所だけ極端に明るい場所がある。
それが決して陽の光でない事は確かであった。何故ならそれは黄金に輝いていたからである。
惹かれるように、ユーリは光の方へと歩みを進めた。
そこは、足場から樹の幹、枝葉に至るまで、まるで飴細工でこしらえたかのようで、その一帯を占める黄金にユーリは目を奪われた。遠目から見れば、金色に輝く水溜りのような足元には、丁度膝丈ほどの、卵のような物体が所々に置かれている。これが全て純金で出来てるのであれば、ここは宝の山である。
一つでも持ち帰って、売りさばけば、途方もない金額に換金できることだろう。
もしやここが噂に聞いた『願いの叶う黄金の光』が現れる場所なのだろうか? そうだとすれば、自分はなんとついている男だろうか。運命の女神とやらは、まだ見放してはいない――ユーリは、思いのほか滑る足元に気を配りながら、黄金の森を進んだ。
しばし進んだところに、先程見たものとは比べ物にならない程に、黄金の卵を無数に積み上げた山があった。一体誰がこのようなものを、こんな場所に隠したのだろうか。
ユーリは山を見上げると、そのまま言葉を失った。まるで黄金の山を褥のようにして横たわる、光輝く美女の姿を見つけたからだ。女はユーリの気配に気付いたのか、ゆっくり起き上がると、微笑んだ。

「あら、珍しいわね。こんなところまでやってくるなんて……」
緩やかに波打つ長い髪に覆われてはいるが、女は一糸纏わぬ姿である。

彼女はここ一体の黄金を司る精霊なのだろうか?――ウォルターが考えを巡らせていると、女は、口元に笑みを浮かべ、艶かしい肢体をくねらせた。滑り落ちる両腕が挑発するような仕草で、その身体を辿っていく。
ユーリは、逃亡することはおろか、これまで与えられた緊張も、恐怖すら忘れ、その女が醸し出す独特の色香に絆されて、その場に立ち尽くしていた。
まるで蝶が蜘蛛の巣に絡め取られるかのように、誘われるままユーリは黄金の山を登り始めた。
身体は本能に忠実な反応を見せていた。その足取りも次第に性急になる。これまで花街の女を幾度となく相手にしてきたが、あんなものとは違う、そして、セレスティアを慰みものにしたときとも違う何かが、待ち受けているよな気がした。
女が両手を広げて微笑む。
女に、一歩、また一歩と近づくにつれ、むせ返るような甘い蜂蜜の香りが、立ち込める。
ユーリは金色の美女の身体に覆いかぶさった。女は嬌声を上げて、後ろへと倒れこむ。
これほど美しく艶かしい女など、見たことがない――ユーリが早速事に及ぼうとした時のことだった。

突如、右足に焼け付くような痛みが走る。ユーリは苦痛に顔を歪めると、上体を起して右足を見た。
そこには黄金の卵の殻を割り、顔を覗かせた奇怪な幼虫が、ユーリの足に喰らいついていた。
ユーリは悲鳴を上げ、幼虫を振り払おうとした。途端、もう片方の足元にあった卵が割れ、幼虫が飛び出し、左足に食らいつく。
「止めろ! 止めろ!」
ユーリは無我夢中で幼虫を足から引き剥がそうと、もがいた。しかし幼虫の牙がユーリの足の骨を噛み砕く。
「ぎゃぁあああああ!」
まるで断末魔のような叫びを上げ、ユーリが卵の上でのたうつ。
次々と孵化した幼虫達が、一斉にユーリの身体に群がり、手に、首に、腹に食らいつく。
その様子を黄金に輝く女は面白おかしそうに見守っていた。
「やっぱり、相手をするほどでもない男ね。餌で充分だわ……」

「痛い、痛い、止めろ、止めてくれえええ!」
ユーリの指が引き千切られ、脇腹が割かれていく、そこから引きずり出された内臓と血を幼虫は貪り、喰らい続けた。徐々に身体を食われていく恐怖、そして壮絶な痛みの中で、ユーリはセレスティアが嘲笑う声を聞いた。


――あんたなんか、私自らが手を汚す価値なんて無いのよ。そのまま汚物として垂れ流される末路がお似合いだわ。
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