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EternalCurse

Story-124.その神子の悲劇-第一幕U
グレイスの惨状を目の当たりにしたユーリは顔から背にかけて、びっしりと脂汗を浮かべていた。

「ほら、もっといい声出して啼けよ!」
今度は横から、『自ら』の声を聞き、ユーリは向き直った。映し出された場面は『あの日の』牢獄だった。
ユーリの手が、組み伏せられたセレスティアの頬を打ち据える。それは、牢屋の看守のふりをして入り込み、セレスティアを辱めた時のことだ。
「死にたそうな顔をしているな。安心しな、あんたはどうせ、明日火刑に処されるんだろ?」
ユーリの獣のようにぎらついた目で、セレスティアを楽しみながら、嬲り続けていた。

このまま舌を噛み切って死にたい――苦痛に呻く、セレスティアの両目から止めどなく涙が溢れた。しかし、自ら命を絶てば、そうすれば陵辱された亡骸を人の目に晒すことになる。
このような事になる前に、力を用いて、この男を焼き殺してしまうことも出来た。
だが、神子が人を殺めるなど、自身の矜持が許さなかった。
無残にも、激しくぶつけられた腰から、汚濁が注がれる。
「あんたの持つ運気とやらを、分けてもらったぜ?」
ユーリは満足したように、下卑た笑みを浮かべると、セレスティアを嘲笑いながら牢を後にした。
無残に打ち捨てられたセレスティアの身体がゆっくりと弛緩する。
それと同時に、自らの神子としての資格も、霊力も全て失ってしまった。
震えるような吐息だけが、冷たい牢獄によく響いた。
霞んだ視界で天井を見つめながら、セレスティアはただ呆然としていた。


全てが終わりだ――もう取り返しがつかない。このまま生き恥を晒すぐらいならば、そうだ、亡骸ごと、消えてしまおう。その日、セレスティアは声を押し殺し、一晩中泣き続けていた。


私は、何のために、これまで生きてきたのだろう――火刑台に縛られたセレスティアはふと思った。
生まれたときから、神子になるべくして育てられてきた。
同時に心無い一族の者からは母殺しの汚名を着せられてきた。双子の妹とはすぐさま引き離され、肉親や身内の愛情といったものに、触れさせて貰える事などなかった。
立派な希代の神子になる――それだけがセレスティアにとっての生き甲斐であり、その事が命を奪ってしまった母への手向けとなる。そう思って生きてきた。

ああ、そうだ、そういえば、メルザヴィアで生まれたあの子は――私が祝福を与えた、夫となるべき人は、今、どんな青年になっているのだろう。
きっと、青味がかった黒髪が美しい、黒曜石の瞳を持つ青年になっていることだろう。
あの子が私に見合う大人になるまで、ずっと待っていた。
私が眠りから覚めた頃、あの子も、自身の力に目覚めているのかも知れない。きっと戸惑っているだろうから、早く行って、癒してあげたい。
そして、共に、この世界に巣食った呪いと、怨嗟を断ち切らなくてはならないのに……。それなのに……!
神子の資格を一瞬にして奪われてしまった。
それも、どこの馬の骨ともわからない下賤の男に、だ。
生きる意味、存在する意味、そして自身の価値すら失ってしまった。
虚無の後に、沸き起こったのはやり場のない怒りだった。
私はここで死ぬべき……いいや死にたくない。何故死ななくてはならないのか?
その思いは劫火となって、周辺を焼き尽くした。同時にセレスティアは姿を消し、グランディアから逃れることとなった。

行き場を失い、しばらく彷徨った後、男がセレスティアに与えた絶望は、一つだけではない事に気付いた。
胃の底から込み上げてくる不快感から、セレスティアは『絶望』の正体を知った。

こんなもの要らない――セレスティアは嫌悪感を剥き出しにして、腹を握り潰そうとした。しかし、その程度のことで、その『絶望』が息絶える事などなかった。
この世で最も忌むべき、汚らわしい生き物が、自身の中に息づいている――それだけで、生きた心地もしなければ、虫唾が走る思いだった。だが、その『絶望』を知った季節はおりしも冬であった。
雪が深く、凍えるような日、セレスティアは氷の張った湖を見つけると、ゆっくりとその中に、身を沈めた。
水は針が刺すように冷たかった。全身の痛みに襲われながら、
死ね、早く死ね。死んでしまえ――セレスティアはその『絶望』が流れる事を呪うように祈り続けた。



「思い出してくれた? 貴方の罪」
虚無の中から聞こえるセレスティアの声に、ユーリは我が身を抱え震えた。
「貴方がやった事は世界を変えるほどの重罪よ? ……勿論、償ってくれるわよね?」
どこからともなく聞こえる、その猫撫で声が、ユーリにさらなる恐怖を与える。
「や……嫌だ、止めてくれ!」
耐え切れず、ユーリは声を裏返しながら、出口の見えぬ闇の中へと駆け出した。




この空間を支配していた闇が、嘘のように消えうせ、エステリアは、教会の廊下で立ち尽くしていた。
「そんな……」
闇を通じて見ることとなった、グレイスの死、そして『セレスティアの悲劇』。
グレイスが殺される間際に感じた恐怖、ユーリの野心、希望から絶望へと転じていく、引き裂かれたセレスティアの心――その様々な感情が一度に流れ込み、エステリアは、軽い眩暈すら覚えた。
いや、それと同時に確信した。
カルディアに初めて訪れた際に見た焦土の夢、メルザヴィアで見た、氷の湖に一人入水する夢――つまりは、セレスティアの過去を、無意識のうちに自身の力で追体験していたということを。




「おい、街の破壊活動も、あいつの趣味か? 今度は俺達にその責任を擦り付けるつもりじゃないだろうな?」
肝心な会話の途中に、突如屋敷に伝わった振動、そして砲撃の音に、シェイドは溜息を吐いた。
窓の外を見れば、遠目ではあるが、港町の方から土煙と粉塵が押し寄せ、この周辺を微かに曇らせていた。
「一体……何が……」
オスカーが窓辺へと駆け寄る。シェイドが心の底から、呆れるように二度目の溜息を吐いた。
「ちなみに、今、あそこで襲われているのは、あんたの大事な国王一家だろ? あれも聖誕祭の催し物の一つか。お前らは本当に、凝った演出が好きだな」
腕を組んだまま、シェイドは中央広場へと視線を移す。
「陛下……、妃殿下……」
オスカーの唇が戦慄き、窓の桟を握り締めた。
「その狼狽え様だと、あんたにとって、これはどちらも想定外だったというわけだ。」
シェイドが皮肉っぽく笑う。

「意地悪を言ってすまなかったな。王妃を人質にしている、あいつは黒鳥の騎士。いわば、セレスティアの飼い犬だ」
「セレスティアの……!?」
オスカーがシェイドの方へと振り返る。輪郭を彩る豪奢な金髪が緩やかに揺れた。しかしその表情に公妾の面影はなく、既に騎士のものだった。

「何事も派手にやるのがセレスティアのやり方だ。国を滅茶苦茶にして、国王の面子を潰したいのなら、聖誕祭にけしかけてくる事ぐらい、簡単に予想がつく。まさかとは思うが、あんた、本気で気付かなかったのか?」

オスカーが黙した。シェイドから指摘された事は、図星だった。
国王による謁見拒否によって、エステリアらとの接触が断たれたのだ。セレスティアという人物に関する情報が全く手に入らず、予測がつかないのも無理はなかった。

「あんたからの不躾な誘いに俺が応じたのは、指定された屋敷からして、聖誕祭の一部始終を近くで見ることができるからだ。生憎、俺の仲間は有能な奴ばかりでな。怪事件の調査中に、何があっても対応できるだろう。
俺一人が抜けたぐらいで、なんの痛手にもならん。あと、会談の期日を聖誕祭当日に指定したのは、得体の知れないあんたに一杯食わせたかったからだ」
念には念を――仮に、西の森、あるいはルーベンス教会周辺に出没している『怪事件』の犯人とやらが、セレスティアが放った魔物だったとしても、それと戦えるだけの戦力は割いている。
サクヤにしても、あの性格だ。いざとなれば、負傷していようが、戦う事ぐらい想像できる。そして万が一、聖誕祭当日にセレスティアの襲撃を受けたならば、それを迎え撃つ役目をシェイドが担うよう、これを見越してシオンは、シェイドにブリジットとの会談を薦めた。
無論、シェイド自身も、シオンの真意を分かった上で、これを引き受けることにしたのである。

「ようやく本命が現れたんだ。俺は連中の相手をする。あんたはどうするんだ? もうじき、町の向こう側が完全に破壊されるぞ? すでに火の手も回り始めている」

「それも……『臭い』というやつですか?」

「ああ……あとは『音』だ」
言いながら、シェイドは扉へと歩みを進めた。
「国王一家を守るか、あるいは砲撃に苦しむ民を守るか――あんたは好きな方を選べばいい」
視線を合わせる事無く、部屋を出たシェイドを見つめながら、オスカーは唇を噛み締め、爪の形がつくほどに、拳を握り締めていた。





「グランディアにおける怪事件の数々は、貴様らによるものか!」
ヴィクトリアを人質に取ったオディールに向かって、ルドルフが叫んだ。
「あら、他人の所為にしないでくれる? 私が放った刺客はジュリエットだけよ?」
オディールが口元に妖艶な笑みを湛える。
「貴方の女好きも、困ったものよね? たった一人の寵姫に入れ込んだことによって、ここまで事態を発展させたんだから」

「なんだと?」

「ジュリエットに心奪われて、貴方は言われるがまま、メイヤールに白銀の騎士団の一部を寄越した。貴方はジュリエットによって、ベイリーの不正を知り、ウォルターの身分偽証を知り、その野心を知る事となった。貴方は彼らに制裁を与えた。その事によってベイリーは発狂、現在、町を壊さんばかりに、砲撃を開始したわ。
止めに入ったのはレオノーラ。ハロルドも自ら招いた不祥事のため、不在。オスカーにおいては別件にて不在。見事に白銀の騎士団をバラバラにすることができたわ。おかげでこちらの戦力も手薄……」
オディールは低く笑った。

「だって、白銀の騎士団は部隊長であるあの四人がいないと、まともに統率が取れないんでしょ? 貴方は才能ではなく、家柄や好き嫌いで団員を選出しているんだから、尚更ね」
オディールの話の、ルドルフはただ絶句し、立ち尽くしていた。

「その上、呑気にこんな舞台に国王自ら勤しんでいるんだから、どこまでおめでたいのかしら?」
不意に、ルドルフの背後にいたセレスティア役の女優が呟いた。

「私をサクヤの後継者として神子に据えようとしたのは、人間達。そして、私を魔女へと貶めたのも人間達。本当に勝手よね?」

纏っていた黒いローブを払いのけ、現れたのは、代役の女優ではない。
「セレ、スティア……!」
そう、『魔女』本人であった。
「さぁ、赤毛の道化さん。舞台の続きと行きましょうか?」
小道具として挿していた剣を携え、セレスティアは悠然と微笑んだ。
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