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EternalCurse |
Story-123.その神子の悲劇-第一幕T | |||||||
「一体……何? この音……」 ルーシアが窓の外を見た。突如として響き始めた異様な爆音は、ルーベンス教会にも、伝わっていた。 「黒曜の艦隊の一隻が、港町に向けて、砲撃を行っているようです」 修道女の一人が答えた。おそらくは近くの住民を掴まえて、事の詳細を聞きつけたのであろう。 「なんですって? 一体何のために!?」 グランディアを守護するはずの、黒曜の艦隊が、港町を破壊するという暴挙に出ている。その事実はルーシアを打ちのめしていた。 「砲撃が終わるまで、皆教会の奥に避難いたしましょう」 修道女の言葉に、ルーシアは頷いた。すぐにでもディオスを呼ばなくては……そう思った矢先のことだった。 乾いた音が、教会の外から聞こえた。 「何かしら?」 ルーシアが物音を確かめようとした瞬間、勢い良く、窓の外から石が投げ入れられる。 「キャッ」 居合わせた修道女が小さな悲鳴と共に、後ずさる。 「誰がこんなことを!」 ルーシアが叫んだ。 「ろせ……殺せ……」 窓の外から不気味な声が聞こえる。それも一人ではない。複数のものだ。 「何……?」 割れた窓から、ルーシアは外の様子を伺った。そこには、松明、そして鍬や鋤、あるいは鎌などの凶器を携えた一団がこちらを見据えている。その誰もが、この教会に一度は出入りした事のある顔ぶれであり、ルーシアは言葉を失った。 「魔女……め……」 「ベアールの落胤を匿う魔女……」 「奴らがいるから、この国は永遠に呪われているんだ」 「殺せ、殺せ」 「魔女と落胤を血祭りに上げろ……」 うわ言のように、その一団は呟き続ける。 「ライアン、タニア!?」 不気味な集団の中に、ライアンとタニアの姿を見つけ、ルーシアが愕然となる。 「あいつが魔女……」 「ベアールの子を守る魔女……」 淀んだ瞳でライアンとタニアがルーシアを指差した。 「殺して」 「殺して」 ライアンとタニアが同時に言った。それが合図であるかのように、武器を携えた人々が、一斉に教会への襲撃を始める。それを指揮しているのは、まるで金属で作られたような、黄金の司教であった。 「逃げましょう、ルーシアさん!」 修道女が言うと同時に、 「ディオス様、ディオス様……!」 何が何だかわからない――ルーシアは真っ先に、ディオスの元へと駆け出していた。 その時、ベイリーによる砲撃は、サクヤの寝室にも届いていた。 「何が起こっているの?」 「微かだが、地鳴りのようなものが聞こえる。戦でも始まったのか?」 言いながら、サクヤが身体を起した。 「待って、サクヤ。私が少し外の様子を確かめてくるから……」 エステリアが立ち上がる。 「くれぐれも、気をつけるんだぞ?」 「わかっているわ……」 本当に心配性なんだから……エステリアがはにかむように笑った。 サクヤが静養している部屋を静かに出たエステリアは周囲を見回し、耳を済ました。 微かにではあるが、外から聞こえる爆音の他、教会の中でも、壁が打ち壊される音、食器の割れる音、そして修道女の悲鳴が聞こえている。胸騒ぎがした。 一刻も早く、状況を確かめなくてはならない――エステリアが駆け出そうとしたその時だった。 不意にエステリアの足元が暗くなる。いいや、周辺が闇飲まれていく。 「何なの!?」 その出来事にエステリアが戸惑う傍らで、闇はここではない、別の光景を映し出そうとしていた。 * ベイリー・コバーンによる砲撃が始まった時、ウォルター・バーグマン――といってもその名を語る偽者は、追手を逃れ、西の森へと逃亡していた。 ――母は娼婦だった。 誰の子ともわからず、その愛情を受けた記憶もない。食い扶持を減らすためだけに、あっさりと捨てられた。成り上がるためなら、今よりも良い生活を手に入れるためなら、盗みも、殺しも平気で行った。人を騙すことも厭わない。 そんな自分が放つ『臭い』を嗅ぎ取ったのか、『あの女』が近づいてきた。金貨の袋と引き換えに、彼女は、とある依頼をしてきた。 セレスティアを魔女として火刑に……それを耳打ちする彼女の口元は、女ならではの残忍さを兼ね備えていた。 信仰心深い者ならば、この罪深き者の依頼を断り、代わりにこの女を、神子に仇なす畏れ多い『魔女』として役人に突き出すことだろう。 だが自分は違った。この世界に、神子などいてもいなくても同じである。世界の均衡が崩れてしまおうが、関係ないと思った。なぜなら、自分はこれほどにも『不幸』であるのだから。 そしてセレスティアは『無事に』火刑に処された。セレスティアの悲劇の後、あの女は礼として、手っ取り早く地位を得る手段も教えてくれた。 どうやら地方貴族のバーグマン家が、婚礼のために、このグランディアを訪れるらしい。バーグマン家は、辺境であるメイヤール付近に領地を構えている。グランディアに向かう道中は必ず、山道を越えなくてはならない。辺境の地方貴族が抱える使用人など微々たるものである。 そして当主であるウォルター・バーグマンという人物は、黒髪の持ち主だと聞いた。 当主とその共を全員、そこで葬り、成り代わってしまえ――女は悪魔のように囁いた。 バーグマンの一行に、御者として潜り込み、最も危険な山道に差し掛かった時、馬を暴走させた。車輪はあらかじめ緩めている。バーグマンの一行は道を踏み外し、崖の下へと転落した。この高さから、この勢いで落ちたのならば、まず助からない。彼らの死を確認した後、彼は服を剥ぎ取り、グランディアへと向かった。 初めて目にする婚約者の姿が、見るも無残な成りであったことに、グレイス・コーンウェルは絶句していた。 連れは全員、魔物によって殺されてしまい、当主である自分だけが、生き残ってしまった――適当に説明すると、グレイスは、さぞお辛かったでしょうに――と、我が事のように涙を流した。 これならば簡単に騙せる――彼は心の中でほくそ笑んだ。 見事にバーグマン家の当主として、身分も地位も得た後、用済みの妻に素っ気無い態度も取ったが、グレイスはそのことさえ、心の傷によるものだ、と愚かにも納得し、尽くしていた。 結婚した以上、貴族としての体裁もあってか、夫婦というものを演じなくてはならなかった。やがてグレイスは男子を産んだが、そのようなこと、どうでも良ければ、さして感動もなかった。 その上、妻は奇しくも、自分の『本名』を、我が子に名付けてしまった。 全てを分かった上で、知らぬふりをしているのか? 妻への猜疑心だけが日に日に高まっていった。 逃走中、ふと過去の出来事を思い出し、ウォルター……いや、ユーリは舌打ちをした。 「見つけたわよ、ウォルター・バーグマン? いいえ、貴方はもっと卑しい身分の生き物だったかしら?」 ふいに、女の声がした。ウォルターは思わず、振り返った。しかし、そこには誰の姿もない。 「逃げても無駄よ」 「セレ……ス、ティア……」 ユーリは、その声が天から聞こえているのだと知ると、同時に声の持ち主も察することが出来た。 そんな矢先、木々の合間から黒い霧が立ち込め始める。その霧によって瞬く間に視界が遮られていく。 「助けて……あな……た」 周辺が闇に包まれた時、青白い顔をした妻の姿が、浮かび上がり、こちらをじっと睨みつけていた。その大きな腹が急に二つに裂ける。夥しい血と共に、内臓がどろどろと飛び出し、地面に落ちる。その中に、へその緒をつけた、胎児がいた。産み月をまもなく控えたその子は、妻が欲しがっていた女児であった。 「どうして、助けてくれなかったの……どうして……」 恨みがましく、グレイスがこちらに手を伸ばす。滴り落ちた内臓、そして胎児を共に引きずりながら、一歩、また一歩踏み出す。 「来るな……来るな」 ユーリはグレイスの亡霊を手で払いのけながら、後退る。すると、今度は背後で、何かにぶつかった。奇妙な感触に振り返ると、そこには額が割れたケインが立っていた。 「お前はとんでもない二枚舌だな……ウォルター」 額から血を滴らせ、ケインはユーリに迫った。 「ひぃいいいっ!」 ユーリは情けない悲鳴を上げながら、二人の亡霊から、逃れるように、闇の中へと、突き進む。 再び、目の前に、見覚えのある光景が、ぼんやりと浮かんだ。それはバーグマンの屋敷であった。 そこに映し出されたのは、夫に絞められた首を何度も擦り下ろしながら、おぼつかない足取りで、子供部屋へと向かうグレイスの姿だった。 息子のユーリの様子を見るためだ。夫に酷い仕打ちを受けたとしても、子供の寝顔さえ見れば、立ち直れる。そんな思いを抱いて、扉を開けた途端、目に付いたのは使用人でもない、すらりとした美しい女――セレスティアの姿だった。 「あの……どちら様でしょうか? 新しい使用人の方……ですか?」 暖炉の前に佇むセレスティアを前に、グレイスは念のため尋ねた。 「いいえ」 「なら、乳母の方……? それとも夫の親戚でしょうか?」 「いいえ」 「じゃあ、一体……」 「私? 私は、貴方の夫の元妻よ?」 「は?」 セレスティアの答えにグレイスが戸惑っていると、室内に鼻を突く異臭が漂い始めた。グレイスは思わず鼻を手で押さえ、何度か咽ると、暖炉を見た。揺らめく炎の中で、小さな足が見え隠れしている。その脇で焼け焦げた靴には、見覚えがあった。異臭の答えに辿りついた時、グレイスは悲鳴をあげた。 そう、薪と共に燃えているのは、紛れも無い――我が子だ。 「少しうるさかったから、そのまま薪の代わりに暖炉にくべてあげたわ。屑のわりにはなかなか燃えないものね」 「いやあああっ! ユーリ!」 暖炉の中から息子を引きずり出そうとしたグレイスの前に、セレスティアは立ちはだかると、その身体を突き飛ばした。後方へと倒れてもなお、這い蹲って暖炉に近づくグレイスの肩を、セレスティアは足蹴にして、踏みにじる。 「そうそう、自己紹介が遅れたわね。私はセレスティア」 「セレ……スティア……」 かつての神子の名を反芻しながら、呼吸も荒く、グレイスは顔を上げた。その瞳は真っ赤に充血し、大粒の涙が止めどなく溢れてくる。 「どうして……どうして貴方がこんな……、一体何の怨みがあってこんなことを! この子が何をしたっていうの!」 「何の恨みって……、貴方の夫がこの私から全てを奪ったからよ」 「奪う……?」 「神子であることこそが、私の誇り。それが、生まれながらにして次代の神子として育てられてきた、私の生きる意味――それを、貴方の夫は私から奪った。三年前、ベアールに捕らえられた私を穢し、そして……」 セレスティアはグレイスの肩から、足を退けると、その胸倉を掴み、大きな腹に嫌悪感を抱いて叫んだ。 「こんな……最も醜い、穢れた忌わしい生き物を、私の中に『植えつけた』から!」 「そん、な……なんですって……?」 夫が神子を陵辱し、その上、孕ませたというのか――セレスティアに憎悪を向けられたその時、グレイス心に去来したのは、怒りも悲しみも、通り越した虚無だけだった。 「そんな……そんな……」 グレイスの身体からゆっくりと力が抜けていく。 「あ……貴方が……ウォルターが憎いからって……酷いわ……私の子までは、関係ないでしょう?」 今、現実で起こっている事、そしてセレスティアの口から伝えられた真実に、衝撃を受けつつも、震える声で、やっと反論したグレイスを、 「貴方……馬鹿なの?」 心底呆れたようにセレスティアが一蹴する。 「関係あるわよ……」 燃え残ったユーリの足を、爪先で暖炉の奥へやると、 「あんな男の血を引く生き物が、この世に生まれて、後にまた数を増やすと考えただけでもおぞましいわ。子供は関係ないですって? 笑わせないでよ」 「……そんな……。だって……でも……、貴方は? 貴方には、家族はいないの? 親や……兄弟は?」 言葉を詰まらせながらグレイスは言った。 それがセレスティアへの話の答えにならないことなど、わかっている。しかし、グレイスは、何かを言わずにはいられなかったのだ。 「私は『運命の双子』。母親の命と引き換えに生まれてきた。私達を母殺しと影で罵っていた人間もいたわ。だからこそ、私は母の命に見合うべく、希代の神子で在らなくてはならない。さっきも言ったわよね? 神子であることこそが、私の誇りだった……と」 セレスティアの空色の瞳が、獣のような光を宿す。 「神子がいなければ、この世の均衡は失われる。私は、次代の神子として眠りにつきながらも、この地を守っていたわ。それがここ三年のうちに、腐敗が進み、この様よ。お前の夫が私から神子の資格を奪ったおかげでね。たかが平凡な……なんの能力も価値も取り得もない、人間の男風情が、この私の身体に触れていいものか。神子を穢した罪は重いわ。神子の資格を奪ったお前達は、未来永劫、命を繋ぐことすら許されない」 セレスティアは暖炉の中で燃え続けるユーリの遺体を見下ろしながら言った。 「ねぇ、こんな『モノ』の一体、何が可愛いの? 純粋な自分の分身でもない、他が混じったただの『ゴミ』じゃない」 グレイスは言葉を失ったまま、ただ、震えていた。 「歳月が経って、いつか汚れたものが入り混じるぐらいなら、いっそ高潔なまま滅びた方がマシってものだわ。ああ、そうそう、忘れていたわ、貴方のそこにもまだいたのよね? あいつの血を引く、虫けらにも劣る生き物が」 セレスティアの視線が、グレイスの大きなお腹へと移る。グレイスは反射的に両手でそれを庇った。 「貴方達って、何の取り得もないくせに、どうしてそんなに数を増やしたがるの?」 セレスティアが冷たく笑う。 「い……や」 殺される、私も、腹の子も――腰を抜かしたグレイスは、床を這うようにして、逃げようとした。 「苦しまないだけ、ありがたく思うことね」 セレスティアがそう言った直後、グレイスの腹が破裂した。何が起こったかすらわからぬまま、目を見開き、グレイスがその場に倒れる。 「気持ち悪いのよ、孕んだ豚なんて。見ただけで、一匹残らずその腹を二つに裂いて、中身を引きずり出して、潰してやりたいぐらいだわ」 セレスティアは、グレイスの遺体を爪先で転がすと、腹から出てきた胎児を踏みにじった。 「これぐらいやっていた方が、後々楽しいかしら?」 底冷えするほどの、笑顔で、セレスティアはグレイスの無残な遺体を見下ろしていた。 「私にひれ伏すことのない生き物達に用なんてないの。全部滅ぼしてやるわ。平民も貴族も、老いぼれも、うるさいガキも、頭の悪い牝犬どもや、孕んだ豚女も全て。全部殺して、その後は、私が永劫に神子として君臨する世界を作り上げなくてはね。そう、私に忠誠を誓う生き物だけが存在できる世界にするわ。そのためにはお前達、貪欲で愚かな人間は邪魔なのよ……って、もう聞こえないか」 |
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