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EternalCurse |
Story-121.暴かれた虚像 | |||||||
シェイドと対峙した、ブリジットから静かに表情が消えていく。 「……どこで気づきました?」 美しく彩られたブリジットの唇から、男の声が漏れる。その眼差しが、一転、途端に怜悧なものへと変わった。 「血の臭いだ」 シェイドは続けた。 「中央広場でオークによってお前は頬を傷つけられた。そして次にその姿であったとき、白粉とその鬘で誤魔化してはいたが、まだ癒えてない傷口からわずかに同じ血の臭いがしたんでな」 「……まったく、恐ろしい嗅覚の持ち主だ」 ブリジットは苦笑すると曲げていた膝を伸ばす。たちまちその背が、シェイドと同じ高さになる。 「ガルシアはお前の色気のないその爪先で気付いたようだぞ? 生憎、俺達の神子は、鬘から落ちたお前の地毛を、ドレスから取り払っても気付かぬほどの鈍感ぶりを発揮していたが」 そこまでシェイドの話を聞いた後、降参、といった風に、ブリジットは両手を挙げた。その指の隙間から、銀色の毒針が音も立てずに床に落ちる。 「確かに貴方の言うとおり、妃殿下は半ば私を侮蔑しつつも労ってくれますよ? 何もご存知ではないあの方にとって、私は最も信頼おける忠実な犬同然。私が陛下の閨に呼ばれようとも、政について論じているのだと、信じきっている。私の裏切り……そう、つい最近、あの方の子を流した事すら知る由もなく」 シェイドが微かに目を細める。 「勘違いされているようですが、私の身体は男であり同時に女でもありますから」 どこか他人事のように我が身を語るオスカーを、シェイドは一瞥した。 「悪趣味な主君を持った事には、同情してやる」 「王族ほど、自分に正直で、貪欲な生き物はおりませんよ? 欲しいもの、珍しいものには手を出さずにはおれないのです。そして、王の望みならば、万民は必ず応えるものだと信じて止まない。民とは全く別の思考を持つ生き物だ。王族のお手つきは名誉なことだと陛下はお思いなのでしょう。例えそれが両の性を携えた者であっても」 計らずしも、オスカーにとっての予期せぬ懐妊が、自ら捨てたはずの女性の部分を意識させることとなった。我が子というものが存在した下腹を手で辿り、オスカーは自嘲するように笑う。 「王族の側近が、随分な物言いだな。他人が聞けば不敬罪ものだ。だが、あの阿呆に対する見解は間違ってはいない」 「貴方こそ、一体何者なのです? 随分とあのお方に怨みがおありのようですが?」 「あんたらが血眼になって探している、その人本人だ」 次の瞬間、オスカーは我が目を疑った。 目の前に、美しい黒曜の髪と瞳を持つ男が立っていた。その肌は白皙ではあるが、先程の銀髪の男に比べれば、幾分か、顔色も良い。 「ジーク……ハルト……殿下、か……?」 そう呟いたオスカーの表情が、再び凍てつく。瞬きをした刹那、そこに黒髪の青年の姿はなく、再び銀髪の男が目の前には立っている。それは、まるで幻を見せられたかのような出来事であった。 「なんて顔してるんだ? 説明するのが面倒だ、これは幻術の類とでも思っておいてくれ。要は俺もあんたも、上手に姿を使い分けている、それだけのことだ」 驚く相手を他所に、シェイドの言葉は淡々としていた。 「随分前から、あんたは王太子としての俺の行方を嗅ぎまわっていな。個人的に、俺に会いたいとも言っていたが、どうせその話も、あの赤毛からの命令なんだろ? そして、この会談は、俺を人質にして、本命をおびき出すための算段といったところか。で? 目的はなんなんだ? どの道あの赤毛のことだ。俺を陥れたくてしょうがないんだろ?」 シェイドがオスカーを見据えたまま、歩み寄る。 「こっちは、あんたの思惑通りに、出向いてるんだ。その扮装を引き剥がされて、人前に突き出されたくなかったら、とっとと吐くことだな」 ローランド王太子の誕生を祝う、花火の音が、次第に大きくなっていく――それは、国王一家が、無事、中央広場に辿りついた証拠である。 港町より、レオノーラは瞼を伏せ、ほっと息を吐いた。見上げた先には、帆以外が黒一色に彩られた軍船が一隻だけ停泊している。これこそが、ベイリー・コバーンが、指揮する黒曜の艦隊であるのだが、他の船は全て出払っていた。毎年のことではあるが、国が祭に沸き、そのことによって守備が手薄になる事を危惧して、周辺の海を巡回しているからだ。 しかし、ベイリー自身は海に出ることはない。今頃、船内で、豪華な食事とワインでも嗜んでいるはずだ。 「行くわよ。お前達」 レオノーラは背後を振り返った。そこには、白銀の甲冑を纏った、おおよそ三十名ほどの騎士達が控えていた。全て、レオノーラの部隊に所属する者達である。 聖誕祭において、国王一家を警護するために団員のほとんどを割いてしまったため、レオノーラは、調査用の人員をこれだけ集めるのがやっとであった。 正直、オスカーからも団員を借りるべきだったというのが、レオノーラの本音であった。 しかし、当の本人には、公妾としての会談が急遽入ってしまった。ただでさえ、騎士団は団長不在の状況なのである。その上、統率を乱すような申し入れをするわけにもいかなかった。 勿論、他の部隊の団員にしても、部隊長たるジェレミーやハロルドが、聖誕祭当日は、別件にて不在のため、頼る事はできない。 限られた人数でやるしかない――レオノーラは首元に手を当てた。そこには『彼』から贈られた誕生祝いがかけられている。 「どうか、力を貸してね……」 レオノーラは小さく呟くと、騎士団と共に、ベイリーがいるであろう、船内へと突入した。 「なんなの……これは……!?」 船内に入るなり、立ち込め煙に、レオノーラは思わず腕で口を塞いだ。ともすれば火事とも受け取れるような靄に、視界が遮られる。レオノーラは、この靄に気をつけるよう、団員に指示すると、ベイリーの船室を目指し、一人先に進んだ。船内の構造ならば、熟知している。しかし、奥に進むたびに、靄は深くなっていく。それはまるでベイリーの部屋から立ち込めているようでもあった。 レオノーラは、一人ベイリーの部屋へと辿り着くと、勢い良く扉を開けた。 と、同時に、懐にしまっていた書面を掲げる。 「ベイリー・コバーン、および紅蓮の巡視団にスーリア海域での略奪、海賊行為の嫌疑がかけられています。また、違法な薬をグランディア国内にて、密かに流通させた疑惑により、これから検分に入ります」 レオノーラが凄むも、長椅子にどっかりと腰を下ろしたベイリーは、こちらに背を向けていた。その机には、大きな香炉が置かれ、煙を燻らせている。やはり、この部屋が原因か――レオノーラはその香炉をじっと見つめた。 「速やかに、投降して貰えますね? ベイリー?」 しかし、ベイリーは何も答えない。 「聞こえているのですか? ベイリー?」 それでもベイリーは答えることがなかった。その時、後方で、騎士団の悲鳴が聞こえた。 「何!?」 レオノーラが、部屋の外――船内の廊下を見渡し、表情を強張らせた。連れ立った一人の騎士が、まるで狂気に取り憑かれたかのように、寄声を発し、仲間を斬り付けている。 「一体何をやっているの!」 船内にレオノーラの一喝がこだました。 「レオノーラ様! この靄は危険です!」 狂った騎士を相手に、応戦していた騎士が叫ぶ。レオノーラの部隊が混乱に陥る中、ベイリーの低い笑い声だけが、異様に耳についた。 「ベイリー? これはどういうことなの?」 「……海賊行為? 薬の流通だぁ? はっ、どうでもよいわ」 ベイリーはのろのろとこちらに顔を向け、レオノーラを見据えた。その瞳はひどく濁っている。 「何ですって?」 「もう遅い、全てが遅いのだ……」 ベイリーがゆっくりと立ち上がる。しかし、その巨躯はふらふらとして、足元ですら、おぼつかない。 「この船内の人間は私が掌握している、そなたらに勝ち目なんぞ、始めからない」 ベイリーが合図である鐘を鳴らすと共に、船内から轟音が響き渡った。その振動によろけたレオノーラが、膝をつく。 「ベイリー! 一体何を!」 「はは……壊れろ、壊れてしまえ! 娘の仇だ。グランディアなんぞ、滅びるがいいわ!」 半狂乱になって叫び散らすベイリーには、もはや正気など、残ってはいなかった。 |
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