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EternalCurse

Story-119.亡くした宝石‐U
デリンジャー侯爵家は、ライオネルの父親アーサー・デリンジャーが、廃嫡された獅子王の兄であるエドウィンの妻、つまりはヒルダ妃の弟であったことから、王室に近しい血族である。
ライオネル・デリンジャーが生まれた後、小国より貢物としてアーサーの元に嫁いだのが、オスカーにとって祖母にあたる公妾ケイトである。
生憎、デリンジャー家の正妻オリヴィアは、ライオネル以降、子を成さぬ身であった。そのこともあってか、オリヴィアは、一族の繁栄を願い、妾の存在を快く引き受けていた。無論、庶出であるブライアンの誕生ですら、まるで我が事のように喜んでいた。そして妾であるケイトも、貞淑で慎ましく、己の立場を弁えていたため、正妻と妾ながら、随分と気が合っていたようだ。
しかしながら、アーサーは、後々、跡目争いが起こることを恐れ、デリンジャーを分家し、ブライアンにパーシヴァル家を継がせることとした。妾腹であった父ブライアンは、アーサーや正妻のオリヴィアを慕いつつも、デリンジャー侯爵家の不興を買わぬよう、常に気を使って生きてきた。それがデリンジャー家と、パーシヴァル家との間で諍いが起きぬ所以である。

その日、久々にパーシヴァル邸に戻ったオスカーを出迎えたのは、紛れもなく、弟のユアンであった。オスカーとは一回りも違う弟は、嬉々として、兄に駆け寄った。
「兄上! お帰りだったのですね!」
オスカーに似た青灰色の髪。薄い青の瞳。一回り違う弟の嬉々とした姿に、オスカーも思わず破顔した。

「久しぶりだな。ユアン。変わりはないか?」
「ええ。兄上のお帰りをずっとお待ちしておりました。今宵は騎士団でのお話を沢山聞かせて下さい!」
目を爛々と輝かせ、ユアンは兄に迫った。

「聞いたところで、何の参考にもならんぞ?」
「そんなことはありません! 絶対に! 兄上、私は、いずれは白銀の騎士団に入るつもりです。何より、兄上のような騎士になりたいのです! ですから騎士団の事、色々と教えてください」
熱い思いをそのままぶつける弟を前にして、オスカーは表情を曇らせた。
「駄目だ」
「え?」
言いながら、オスカーは、愛しい弟の頭に手を載せた。
「いいか、ユアン。お前が嫡子としてこのパーシヴァル家にいるからこそ、私は気兼ねなく、国のために命を懸けることができるんだ。だから、お前は、騎士団への入団を望むより、立派なパーシヴァル家の総領であってくれ」
「そんな……そんな酷いよ、兄上……。私は兄上に憧れているのに……」
ユアンは俯いた。
「……私なんかより、兄上が総領だったら良かったのに」
「そんな事を言うものではないよ。ユアン。お前と私とでは、元々『役目』が違うのだ」
「役目?」
「どんな屈辱を受けても耐え忍ぶ事。それが私の仕事だ。そう……生まれたときから、それは決まっている」
「兄上……?」
何故、兄がこのように寂しげな表情をするのか、この時のユアンには知る由もなかった。愛しそうに、ユアンの頭を撫でていたオスカーが顔を上げる。その表情が少しだけ緊張した。オスカーの視線の先には、ハロルドの姿があった。
「ハロルド様!」
ハロルドを見るなり、ユアンは再び顔を輝かせた。

「ユアン、悪いが外してくれないか? ハロルドは私に用があるらしい」
「あ、はい……」
ユアンは不服そうではあったが、敬愛する兄の命には従わざるを得なかった。ハロルドに一礼をした後、足早にその場を去る。
「弟か?」
ユアンが去った直後、ハロルドが呟いた。
「ああ……」
オスカーが静かに頷く。
「せっかく来てくれたんだ。立ち話の後に、帰るのもなんだから、今夜は泊まっていくといい。弟も、騎士団一の精鋭を纏めるお前に憧れている」
「一連の話を聞かせて貰ったが、弟が憧れているのは、私よりも、お前ではないのか?」
「さぁ、どうだかな……弟も、いずれ大人になって、色々と知ることがあれば、私への憧れなど、即座に軽蔑へと変わるだろう」
言いながら、オスカーは窓の外を眺めた。
「そういえば、ハロルド、お前、婚儀の件はどうなった? 妻になる女性は、いつこちらに呼ぶんだ?」
「いいや、婚儀は集落で密かに行う。妻には、そこに残ってもらうつもりだ」
「ならば、お前に何か祝いの品を送らなくてはな」
「必要ない。気を遣ってくれるな」
「いや、受け取ってくれ。騎士団の仲間に連れ合いが出来ることは、喜ばしいことだ」
オスカーの言葉に、ハロルドは困ったように、眉根を寄せた。
「ところで、素朴な疑問なんだが、やはり、お前の婚約者も人狼だったりするのか?」
「いいや、ただの人間だ。だが、仮に一族の女であったとしても、私の仲間に女狼は一人もいない。獣人の血を色濃く継いでしまうのは、どうやら男だけらしい」
「そんなものなのか」
「何故そのようなことを聞く」
「いや。ただ単に興味があっただけだ。例えば人狼の子供が生まれるときは、人間の姿で生まれるのか、狼の姿で生まれるのか、とかな」
「そんなもの……人間の姿に決まっているだろう。私の集落にいる同胞らは、月夜以外では、ほぼ人狼になることはない。あの身体は良いようで何かと不便だ。小回りが利かん。物を掴むのにも一苦労する」
今更ながらの質問に、ハロルドは呆れつつも、大真面目に答えた。
「お前の方こそどうなのだ? いい加減にレオノーラの気持ちも察してやれ」
不意にレオノーラの名を出され、オスカーは、目を見開いた。
「……私は、元より、廃嫡された身だ、結婚したところで、彼女に何一つ与えてやれるものがない」
「ならば、お前がステイシー伯爵家に婿入りすればいいだけの話だろ? パーシヴァル家の総領は弟と決まっているのなら、お前はなんら迷う必要などない」
ハロルドの言うことは最も正論である。しかし、オスカーは黙したまま、答えることはなかった。
「あの夜はすまなかったな。お前を射て」
話を逸らすように、オスカーが言った。
もうレオノーラの話はこれまでにしておいてほしい――オスカーが醸し出すそんな雰囲気を察したのか、ハロルドは、
「心配するな。気にも止めていない。むしろ頭に血が上っていたのは、私の方だ。本来の目的を忘れていたのだからな」
と、話を合わせた。しばしの沈黙が続いた後、オスカーが口を開く。

「……お前、神子の一行に正体が知れたらしいな」
「情報が早いのはさすがだな」
ハロルドは肩をすくめた。
「つまり、お前は神子の一行に一つ弱みを握られたわけだ。いざとなれば、一行はそれをダシにお前を脅すかもしれんな」
「その件について、神子の一行の一員である、ガルシア・クロフォードと話すことがあった。意外にも、彼らは自分達の邪魔さえしなければ、我らに関して、得に、お咎めはないそうだ。随分と寛大なことにな」
「ほう……」
「それで、ここからが本題なのだが、一つお前に頼みがある」
「それは、私にできる範囲のことか?」
「ああ。明日の聖誕祭、暇を取らせてくれ」
「明日……か?」
「そうだ」
「一体、何の様あって、明日休むんだ?」
「そう詮索してくれるな。まぁ、色々だ」
ハロルドは急に神妙な面持ちになり、話を続けた。
「なぁ、オスカー。一つだけ答えてくれ。正直、……お前自身は、どうなのだ? 国王陛下のなさり様を、どう思う?」
「何が言いたい?」
「陛下に命じられるままに、我々の行っていることは、本当に正しいのか? という話だ」
「くだらない事を聞くな。正しいに決まっている」
きつい視線で、オスカーは、ハロルドを睨みつけると、
「いや、正しくなくてはならないのだ」
自身に言い聞かせるように呟いた。




「ディオス様! 見つかりましたよ!」
両親から贈られた、大切な宝石を見つける事が叶わず、失意のままテーブルに座り込んでいたディオスにとって、ルーシアのその声は、まるで一条の光にも思えた。
「見つける事ができたのですか!?」
思わず、ディオスは立ち上がり、ルーシアの声がする方へと身体を向けた。
「はい。教会の裏口近くに落ちておりました。きっとお袖から振り落とされたのですわ」
言いながら、ルーシアは、駆け寄ると、赤い宝珠をディオスの手にそっと握らせた。
「ありがとう。ルーシア……助かりました。そして、こんなに遅くまで探させてしまって……本当にすみませんでした。肌身離さず持っていたつもりなのに、最近はよく落としたり、いつの間にか無くしてしまったりする事が多くて……」
ディオスは苦笑いをした。
「物を無くすことなら、誰にでも有り得ることですわ」
慰めるようにルーシアが言った。
「そうだ……ルーシア。これからしばらくは、貴方がこの宝石を預かっていてはくれませんか?」
「え? でもそれは……」
「私はこのような身ですから、また無くしてしまった時には、皆に迷惑をかけてしまいます。どうか、お前が持っていておくれ」
「ディオス様……」
ディオスはゆっくりとした手つきで、宝珠に取り付けられた紐を広げた。その輪の中に、ルーシアが頭を潜らせる。
「これで私も一安心です」
「確かに……お預かり致しました……」
ディオスにとって命の次に大事であろう宝物を託される――それは、彼から厚い信頼を得ている証拠である。胸元で揺れる宝珠を握りしめ、ルーシアは嬉しそうに頬を染めた。


その夜、晩餐に出された特別な肝料理に舌鼓を打ったベイリーは、葉巻と、食後のワインを楽しんでいた。
『事』は、着々と進んでいる。テーブルに置かれたグランディア王家の系図を、眺めながら、ベイリーは改めて確信した。
コバーンの一族が、王室へと入り込む準備はほぼ整ったといっても過言ではない。
娘のネリーを侍女へと送り込み、夫への寂しさを募らせる王妃を、スーリアより取り寄せた『薬』の虜とすることができた。
人の弱みに巧みに漬け込むのがスーリア人の特徴である。娘のネリーは、その血と才能を引き継いでいるのであろう。王妃を懐柔することなど、いとも簡単にやってのけた。
もはや、王妃は『薬』無しでは生きていけないだろう。これであの王妃は永遠にベイリーの手中で踊るただの傀儡となることだろう。それを思えば笑いがとまらない。
だが、定期的に王妃に『薬』を与えるには、常に付き添う人間が必要になる。
それを担うのに最も適しているのは、ネリーのような『侍女』である。しかし、王妃の侍女というものは、結婚を機にいずれは城から追い出されてしまう。
だからといって、そのために娘の婚期を遅らせる事をベイリーは望んではいなかった。

ならば、城から出されることなく、王妃と常時接する機会のある者を代わりに据えればいい。そこで目に留まったのがウォルターの存在であった。
近衛兵になったウォルターを『薬』の仲介人として王妃に近づけ取り入る。近衛兵であれば、婚期を境に引退するような事はない。
ウォルターとの間に生まれた子をローランド王太子の妃にしたい――ウォルターを呼び出したあの日語った夢は、あくまで相手をその気にさせるための方便である。
本来の目的は、『薬』によって心を蝕ませ、あわよくば王妃を廃人にまで追い詰める。
そして、その隙に娘を国王の愛妾に、とも考えていた。
果たして、使い古しの女を国王が気に入るかどうかが問題だが、公妾ブリジットにしても元はデリンジャーの妻であったのだ。なんら問題はなかろう。
ウォルターにしても、自身の出世のために、妻が公妾となることなど、あっさりと引き受けるはずだ。
万が一、『薬』を持ち込んだ事が、国王に知れ渡った場合は、その罪を全てウォルターに擦り付ければよい。
いざというときは、国王の目の前で斬って捨て、あくまでこちらは被害者を装う算段だ。
ベイリーは紫煙を燻らせた。
そういえば、カルディアのマーレ王妃の件も捨て難い。上手く立ち回りさえすれば、カルディアとグランディアの両国で権威を振るうことが出来るからだ。様々な思いを巡らせていると、使用人の一人が新しい料理を運んでくる。
「悪いが、もう満腹だ。引いてくれんか?」
酒が回り、気分も良くなってきたせいか、ベイリーは使用人にやんわりと言った。
しかし、料理を運んだ使用人は、無表情のまま、頭を振る。
「いいえ。引くわけにはいきません。これは陛下からのお土産だそうです。是非、最後まで賞味していただかねば」
「何? 陛下からの?」
「はい。今回、晩餐にてベイリー様が口にした食材は全て、国王陛下より賜ったものでございます」
「なるほど、どうりで美味な肝料理であったわけだ」
ベイリーは満足気に頷いた。
「して、これは何だ?」
「先程召し上がって頂いた、肝料理に使った食材を、今度は香草を交えて蒸し焼きにしたものです。陛下は、ベイリー様にとって、おそらくは格別の味であろう、と仰せでありました」
「そうか、そうか。ならば、是非、食してみよう」
ベイリーが言うなり、使用人は、恭しい手つきで料理をテーブルに置くと、銀の釣鐘蓋(クロッシュ)をゆっくりと上げた。
その『食材』の姿を目の当たりにした直後、満面の笑みを湛えていたベイリーから、表情が徐々に失われていく。
『食材』が載った銀の盆には未だに夥しい血が溢れていた。ぽかんと開けられた唇に、舌は無かった。目を剥いたまま、固まった形相――そこには香草と一緒に愛娘の首が添えられていた。
「ぎゃあああああああっ!」
ベイリーは、大声で叫ぶと、椅子から転げ落ちるようにして、腰を抜かした。
と同時に、料理を運んできた使用人は、糸の切れた操り人形であるかのように、その場に倒れ込んでしまった。

晩餐の際、始めに出されたスープに入っていた舌、メインである肝料理――美味と舌鼓を打ったその『食材』の正体を知り、ベイリーは激しい眩暈と嘔吐感に見舞われた。


「国王陛下から頂いた『食材』の味は如何かしら?」

「……誰だ……?」
ベイリーはのろのろと顔を上げ、やっとの思いで喉から声を出した。いつの間に入ってきたのだろう。そこには黒鳥を模した甲冑の女騎士が立っていた。

「国王は貴方の……いえ、『貴方達』の悪行は筒抜けよ?」
「貴方……『達?』」
「そう。貴方の頼みであったウォルターももう終わりだわ。彼は偽者。本物のウォルター・バーグマンは三年前にとっくに死んでるんだもの。今となっては偽ウォルターは追われる身。本当にとんでもないものを掴まされてしまったわね、貴方」

「偽……者?」
この瞬間、ベイリーは自身の中で何かが崩れていく音を聞いた。憔悴しきった表情で、ひたすら脂汗を掻き、たちまち襲ってきた悪寒に、恰幅なその身を震わせた。
「国王は王妃の件についても気付いてる。コバーン一家総出で王族を愚弄し、侮辱したんだもの。ひとまずの制裁として、貴方の娘は嬲り殺しにされたの。そして、いずれは紺青の守衛あたりが貴方を捕らえにくるはず」
オディールは、残酷に笑った。
「さあ、貴方に出来ることは、逃亡、あるいは徹底抗戦か……どうする? ベイリー提督?」
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