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EternalCurse

Story-115.疑念と誤算‐U
ベイリー提督の推薦により、近衛兵候補として王宮に向かうはずだったウォルター・バーグマンは、『旧友』の突然の呼び出しによって、思わぬ足止めを食らうこととなった。
ウォルターは世話になっているベイリー提督の屋敷を出ると、まだ霧も晴れぬころ朝、人気のない廃屋に足を運んだ。ここは元より、その『旧友』と吊るんでいた頃、上の情報をやり取りする際に、使っていた場所である。馴染みは深い。
蜘蛛の巣がかかる廃屋の中を進み、荒れ果てた中庭へと出る。そこが彼らの、いつもの待ち合わせ場所であった。ウォルターは不機嫌そうに、足を止めると、古井戸の前に佇んでいた『旧友』――ケイン・ホフマンに語りかけた。
「こんな朝早くから、一体何のようだ?」
「なぁに、王宮に行く前に、お前に一つ忠告してやろうと思ってな」
ケインが余裕の表情で答える。
「忠告? お前は俺の近衛兵への出世を、祝ってくれるんじゃなかったのか?」
「はっ、近衛兵ねぇ……」
品定めするような目でケインは、身形を整えているウォルターを見上げた。
「お前みたいな、いかにも育ちの悪そうな男が、華ある近衛兵なんぞになれるわけがあるか」
「やれやれ。今更僻むなよ」
ウォルターは肩をすくめて、両手を挙げた。
「そもそも、ベイリーの下で一生、一平卒で終わるはずだったお前が、側近になるまで出世できたのは、俺のおかげだろう?」
「ああ、そうだな。お前が俺に、上手に権力に媚び諂い、上をも自分の都合よく利用する術を教えてくれたようなもんだ」
当時、ウォルターに入れ知恵をされたケインは、ベイリーに取り入るため、よほどの屈辱的な行為さえも受け入れてきたのだろう。それは今のケインの険しい表情を見れば一目瞭然であった。
「だが皮肉なもんだぜ。目的だったネリーの夫の座を、俺に入れ知恵してくれた、テメェに盗られるなんてよ」
「これも運ってやつだろ? 俺は選ばれたんだよ。ケイン? まったく……選ばれなかった者の言い訳は、本当に見苦しいもんだな」
馬鹿にするようにウォルターが答えた。
「はっ。一緒にすんなよ。意中の女を手に入れるために、ベイリーに一目置かれるよう努力してきた俺と、ただ地位と財産目当てで、妻子を捨てて、再婚するテメェとじゃ、動機も思いも全く違う」
「くだらんな」
吐き捨てるように言うウォルターに、ケインが目を細める。

「こんなご時世だ。誰だって権力にすがるしかないだろ?――これはウォルター、テメェの口癖だったな」
「また中身のない恨み言でも吐くつもりか? 俺が近衛兵になったら、お前ら紅蓮の巡視団の悪行でも、陛下に密告するとするか。そうすれば、二度と吼えることすらできなうなる。なぁ、ケイン? 自分が惨めになる前に黙ったらどうだ?」

「これが黙っていられるかよ。……お前さぁ、一体、『いくつ』隠し事してんだよ?」
「なに?」
「俺にとっての勝利の女神ってやつが奇跡をもたらしてくれてな」
ケインは言いながら、ジュリエットから預かったものを取り出した。
「奇跡だと? そんな紙切れがか?」
「鼻で笑ってる場合か? なぁ……これ、どういうことだ? ウォルター?」
ケインがこちらに向けた紙に描かれたものを目の当たりにした時、ウォルターの表情が硬直した。案の定の反応にケインが悪意を込めた笑みをみせる。
「まったく、とんでも無い奴だよ。お前ってやつは。お前が権力やら地位といったもんに卑しい奴隷のようにすがりつく理由も頷けるぜ」
ケインは呆然と立ち尽くすウォルターの周りをわざとらしく練り歩いた。
「さっきの言葉、俺への脅しか? 近衛兵の立場を利用して、ネリー経由で王妃に取り入ろうが無駄だ。陛下は今、別の女に夢中だからな。今に王宮での女達の勢力図が変わる。これまでの地位が、逆転するだろうよ。つまりは、王妃ですら、離縁され追い出されることもあり得る話だ。ウォルター。テメェが今やってるみたいにな」
ケインはたたみ掛けるように語り続ける。

「何も、これだけじゃない。お前への根回しはしてあるんだぜ? ウォルター。お前は、なるべく穏便に妻と離縁し後、ベイリー親子に見初められて再婚したと、周囲に取り繕うつもりだろうが、そうはいくか。
『邪魔なガキが、それも二匹目がもうじき生まれる』――お前が常日頃から、言っていたことを、そのままバーグマンの家政婦に話しておいた。これはお前がネリーと不貞を犯しているから、妻子を邪魔に思っているという証拠にもなるよな? だから無理矢理、離縁を申し込もうとしていると、疑われたってしょうがない」
ウォルターが唇を噛み締め、拳をきつく握り締める。まるで獣のようにケインを睨みつけていた。

「ああ、怖い。怖い。円満に離縁できるなんて思うなよ? ウォルター。正式に妾を持つというならばともかく、お前らのやっていることは、ただの姦通罪だ」
そしてケインはウォルターの目の前で今一度、その紙をヒラヒラとちらつかせた。
「その上、もっと大事な事を黙っていたんだ。上が知れば、間違いなくお前は死罪」
「その事は、家政婦には言ったのか?」
「言うかどうかは、これからのお前の返事次第だ」
「俺を脅すというのか?」
「お前だって、俺を脅そうとしてただろうが。さっきの言葉、そのまま返すぜ? ウォルター。黙って一生、俺のいいように使われるのは、お前の方だ」
ケインは呆れるようにして、背を向けると、古井戸の方へと数歩近づいた。その一瞬の隙をウォルターが見逃すはずもなかった。

「お前にしては上出来だよ、ケイン」
「はぁ? 何を今更……っ」
ケインが振り返ろうとしたその時、ウォルターが突進した。
後方に吹き飛ばされたケインの首をすかさず掴み、古井戸へとその上体を押し付ける。
「ウォルター……テメ……ェ」
ケインの手から、紙がひらりと落ちる。首を絞めるウォルターの手を、両手で振りほどこうとするも、体勢が悪くままならない。
「そういえば、俺がお前を褒めてやるのは、今日が初めてだったな」
ウォルターが下卑た笑みを唇に浮かべた。ケインの上半身が古井戸の中へと徐々に傾く。
「ウォ、ル……ターっ!」
ケインがウォルターの腕に爪を立てるが、それすら気にも留めず、ウォルターは血走った目で叫んだ。

「何不自由なく、俺の意のままにできる世界、そこに踏み出す手ごたえを、やっと掴んだんだよ。ここで邪魔されてたまるか」
顔を真っ赤にして、足をバタつかせるケインの身体をさらに井戸の方へ押しやる。
「っ……がっ……」
呼吸が出来ずに力が緩んだケインを、ウォルターは井戸の底へと放り込んだ。あわや、自らも一緒に落ちそうになったところを、寸前のところで踏みとどまる。既に枯れたその井戸の底から、ごつり、と鈍い音が響いた。
おそらくは頭部が割れた音だろう――ウォルターは悪鬼のような形相でしばらく井戸の底を見つめた。この中に頭から落とされれば確実に死ぬ。仮に奇跡が起きて、一命を取り留めていたとしても、ここは廃屋だ。井戸の底から助けを呼んだところで、誰も通りかかることはない。ウォルターは、乱れた髪と呼吸を整えると、足元に落ちた紙を手に取った。
「チッ……面倒をかけやがって」
そう呟くと、ウォルターは絵を破り捨て、井戸の中へと撒き散らした。
ゆっくりと落ちていくその紙片は、まるで手向けの花のようであった。






ケインによって予定以上に、時間を割かれたウォルターは、改めて身支度を整えると、何事もなかったように王城へと向かった。あの廃屋を放置してきた事が気がかりでないと言えば嘘になる。
万が一にでも見つかることはないだろうが、念には念を入れておきたかった。だが、あの古井戸の中に、そして廃屋に火をつける暇があっただろうか? いいや。ない。
大丈夫だ、もっと高みに、さらなる権力を持てば、あんなものいつでも潰せる――突発的にケインを殺したという意識すら、城内に入り、国王の執務室へ、一歩、また一歩と近づく度に薄れていく。代わりにウォルターの中に沸き起こってきたのは、高揚感だった。
これから俺は力を手にする――案内されるままに、ウォルターは国王が待つ部屋の扉の中へと、足を踏み入れた。

「よく参ったな」
執務机に片肘をついて座る国王が、書簡に目を通しながら、ちらりとウォルターを見た。
「紺青の守衛に所属しております。ウォルター・バーグマンにございます」
「話は聞いておる。いや、ベイリーからのこれを読んだ、といったところか」
国王は言いながらベイリーの書簡を机に置いた。

「そなたは確か、ベイリー・コバーン提督の娘、ネリー・コバーンとの婚約し、婿入りするとのことだが?」
「はい。妻のグレイスとは、離縁する予定でございます」
――といっても、未だグレイスにそのことを伝えてはいないのだが。
既に理解を得ているような口ぶりでウォルターは答えた。

「なるほど……。グレイスという女は、そなたにとっては悪妻であったか?」
「そもそも、妻に離縁を突きつけられましたのは、私のほうでございます」
「ほう……」
ルドルフは興味深そうにウォルターを見つめた。
「紺青の守衛としての任務に追われ、屋敷に帰宅することすらままならぬ私を、妻は疑い、激しい悋気と妄想の果てに、離縁を突きつけてきたのです。私は身を切られるような思いで、それを承諾しました。そして、失意の最中にあった私を、婿にと申し出てくれたのは、ベイリー提督でした……」
吐息と共に零れ落ちる嘘の数々を、国王は真剣に聞き入っている。
簡単なものだ――内心、ウォルターは笑いが止まらなかった。
「それはそなたも、哀れよの。ネリーが言っていた『複雑な事情』とはそういうことであったか。だが、安心するがいい。婚約は既に了承済だ。そう、『ウォルター・バーグマン』との婚約ならばな。それはさておき、問題は……近衛兵としての昇進の件だな」

近衛兵――その言葉が国王から飛び出すことを心待ちにしていたウォルターが、目をギラギラと輝かせ、同時に固唾を飲む。
「そなたの紺青の守衛としての実績は確認した。この国のため、よく働いてくれた。感謝する。そなたのような男を、愛娘の婿に迎えることができるベイリーも、鼻が高かろう」
国王からの労いの言葉を受け、
「では……!」
期待を込めて、ウォルターが身を乗り出した。これでまた一歩、野望へと近づく。そう思った矢先。
「生憎、私は黒髪が大嫌いなのだ」
国王がさらりと言った。
「は?」
「聞こえなかったのか? 私は黒髪の人間が大嫌いなのだ。そのような者を側近に置くなど、考えただけでも怖気が走る」
これまで国王として寛容な態度をとっていたルドルフの顔が、途端に嫌悪感に歪む。そして昇進を見送るという事実上の答えでもあった。
「そ……そのような……」
ウォルターは開いた口が塞がらなかった。これまでの功績すら省みず、ただ、自らが気に入らない容姿の持ち主であるから、という理由で、拒むなど、横暴である。

「残念だったな。よってそなたが近衛兵になることなど、万に一つない。ベイリーにも私から伝えておこう」
これまでウォルターの身体を支配してきた高揚感が一気に絶望へと変わる。たった一人、恥をかかされ、屈辱に身体が震える。

「さて、少しだけ昔話をしよう。むしろ、それが本題だと言っていい。私の話を最後まで聞いてくれるな?」
「昔……話?」
今更何だというのだ。打ちのめされたウォルターはのろのろと顔を上げた。ルドルフはその様子を鼻で笑うと、窓の外へと視線をやった。

「そう。これは私が聞いた、ある地方貴族の昔話だ。その貴族は、十代後半に、事故が原因で右側頭部に酷い怪我を負った。彼は、命こそ取られなかったものの、頭には一生消えぬ、大きな醜い傷が残ったそうだ。そういったことが重なり、彼の縁談はなかなか進まなかった」
こいつはいきなり何を言いだすんだ?――すっかり精彩を失った表情で、ウォルターは国王の顔を見つめていた。
「だからこそ、彼は周囲の目を気にして、日常は黒髪の(かつら)をつけ、傷を隠していたという……」
国王が窓からウォルターへと視線を移す。ウォルターは気まずそうに目を反らした。何より、これまでの国王の語り口が、心にさらなる不安を掻き立てていた。

「鬘を取った普段の彼は、色白でそばかすのある、『金髪』の好青年だったそうだ――そう、バーグマン家の跡取りである、ウォルターという青年は、な」
「え?」
反射的にウォルターが反応を示した。それを待っていたかのように、国王が口元に笑みをたたえる。

「それにしても不思議なこともあるものだ。そなたの髪は『鬘』ではなく地毛のようだが? はて、一生かかっても消えぬはずの傷は癒えたのか? 『ウォルター?』」
トドメを刺すかのような口調の国王を前にして、ウォルターは、狼狽していた。まるで頭でも殴られたかのように、目を見開き、額には脂汗が滲み出ている。唇が戦慄き、歯が小さく鳴る。膝が笑っていた。

「そなたも知っておろう? この国には姦通罪や、身分詐称罪があることを。前者は上手く言い逃れできても、後者は即、死罪となるが?」
国王がそう言い終える前に、ウォルターは一目散にその場から逃げだしていた。足をもつれさせながらも、急いで扉を開け、外に出る。そんな彼を捕えようとはせず、国王はただ冷たい眼差しで見守っていた。
「逃げられるものなら、逃げるが良い。そなたのような小者如き、すぐに捻りつぶせる」
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