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EternalCurse

Story-111.急襲
「まぁ、そういうわけで! 今夜も人狼から襲われる、なんてことは、さすがになくなった……はずだ」
語尾がいささか弱気であるが、一足早くハロルド邸から宿舎へと帰ってきたガルシアは、早朝から出かけた経緯をわかりやすくエステリアに説明していた。

「ああ、だから、この傷を証拠にするために、治すのを途中で辞めてくれって言ってたのね……」
言いながら、エステリアは、ガルシアの腕に残っていた傷を、そっと撫でた。触れた箇所に残っていた傷跡が、瞬く間に消え失せる。
「騎士団の銀の武具を見たときに、何か違和感は覚えたんだけど、まさかあの人達自身が人狼だったなんて思わなかったわ」
「まぁ、普通、騎士団の一部が、まるごと人狼なんざ、思いつかねぇわな」
よく手懐けようなんざ、思ったもんだ――ガルシアは言いながら、傷一つ無くなった腕にを確認すると、捲っていた袖を下ろした。
「そうね。それと、中央広場での件だけど、薬漬けのオークを使って、あの場を『演出』するっていうのも、私には考えられないわ……。まさか怪事件全部が王家の仕組んだ『やらせ』なんてことは……」
「ああ、それはさすがにないだろうな」
ガルシアが笑った。
「怪事件の全部に王家が絡んでいるんだとしたら、国王が俺達に事件の解決を命じるわけがねぇ。
黒幕が王家――なんてばれたほうが都合が悪いからな。それに、ハロルドは、妙な薬のせいで、自分の部隊が招いた不祥事を、国王(うえ)に上げてねぇ。おそらくはオスカー辺りが口止めして、自分達で解決を図ろうとしていたんだろう」

「だからあの夜、林の出口にオスカーさん達がいたのね」

「ああ。本来なら、ハロルドとその部下が、暴走した人狼をあそこまで追い詰めたところを、弓兵による一斉射撃で仕留めるはず――だったが、ハロルドは俺が人狼に噛まれたと思い込んで、我を失って、追いかけてきた。あいつが目的から逸れた行動をとっちまったから、オスカーは頭を冷やせと、あの時ハロルドを威嚇したんだろうな」

「なるほど……」
感心するように呟いたエステリアであったが、それでも心の中には、いくつかの疑問点が残っている。それを口にしようとした時のことだった。
「ガルシア……? なんだ、もう戻ってきていたのか」
役所から帰宅したシェイドとシオンが、早速、部屋を訪れる。
「おお。そっちはどうだった?」
溌剌と答えるガルシアに、シェイドは疲れきった様子で肩を落とした。
「どうだも何も、あの死体を目の当たりにした役人が、卒倒したおかげで介抱に時間がかかった」
「そりゃご苦労なこって」
「まぁ、それでも役人に犯人と疑われなかった分だけ、ありがたいですけどね。そういえば、うちの姐御の姿が見えませんが?」
シオンが部屋を見回し、不思議そうに尋ねる。
「その……サクヤなんだけど……」
エステリアはいささか申し訳なさそうにシオンを見つめると、説明を始めた。






「妃殿下はご一緒ではないのですか?」
ルドルフの別荘に呼びつけられた公妾ブリジットは、貴賓室でゆったりと椅子に腰掛け、待ち受けていた国王に恭しくお辞儀をすると、確認するように尋ねた。
ヴィクトリア――その名を耳にした途端、王宮を離れ、これまで落ち着いたひと時を過ごしていたであろう国王の表情が、急に険しくなる。
「あれはローランドと共に城に残してきた。ヴィクトリアなど、おらぬ方が話を進めやすいゆえな」
ルドルフは当然だと言わんばかりに答える。
「あまりの仰り様です、陛下」
たしなめるブリジットを無視して、ルドルフは、
「女というのは母になると、随分と厚かましくなるものだな。あれは、王太子を得てからというものの、頻繁に私の政に口を出すゆえ、鼻に付く」
妻への不満を洩らした。国王が醸し出すその雰囲気に、ブリジットの背後に侍女として控えるレオノーラが萎縮する。それをわかった上で、ルドルフはレオノーラに訊いた。
「例の件、ブリジットに伝えてくれたようだな?」
「はい」
視線は合わさず、レオノーラが頷いた。

「して、いつ頃、彼の物を生け捕りにする気だ?」

「それについては、今、策を模索しているところでございます」
ブリジットが当たり障り無く答えた。
「そうか。だが、なるべく早いうちが良い。そなたの働きには期待しておるぞ」

「ありがたきお言葉。必ずや、期待に答えてみせましょう」
ブリジットは優美に笑うと、一呼吸置いて、話を切り出した。

「ところで……陛下、陛下にご相談したい儀がございます」

「なんだ……申してみよ」

「国立歌劇場の歌姫、マルグリットが亡くなったというのは、既に陛下もご存知のこと。手厚い葬儀もつい先日、行われました。差し出がましいことは承知しておりますが、亡きマルグリットに大使を通じて、陛下よりお慰めの言葉を賜れないでしょうか?」
ブリジットの話に、ルドルフが眉を潜めた。

「それはならぬ。一国の王が、一介の歌姫如きに、個人的に尽くしたとあらば、他の貴族どもが黙ってはおるまい」
国王が臣下に対し、婚儀や葬儀においての特別扱い――つまりは『贔屓』をすることは許されてはいない。一度行えば、貴族の間で余計な派閥を生み、それが発端となって王宮内が割れることもあり得るからだ。
無論、貴族の身分を持たぬ庶民相手に特例など、もっての外である。

「大使を通じての弔辞さえ、後々懸念になりかねぬ事は、重々承知しております。ですが、マルグリットは、場末の……娼婦まがいの歌い手とは違います。グランディアの民から王侯貴族に至るまで愛された、この国が誇る歌姫でした。妃殿下は、聖誕祭を前にした歌姫の死をとても悲しんでおられました。志半ばで果てた歌姫の無念、それは如何ばかりのことでしょう。せめてその魂を陛下のお言葉で、天に導いていただきたいのです。それに、聞くところによれば、マルグリットは陛下の……」

「私の、なんだというのだ?」
公妾とレオノーラが思わず顔を見合わせた。
「陛下は何もご存知ない……と?」

「だから、何のことだと問うておる」

「あれほど陛下はあの歌姫を、ご寵愛されていたではありませんか?」

「なんだ? お前達は、あの歌姫が私の子でも身篭っていたとでも申すか?」
ルドルフはそう言うと、ブリジットとレオノーラの顔色を確かめ、途端に膝を叩いて、笑いだした。

「なるほどな。言いがかりも良いところだ。そのようなことは、まずあり得ぬ。どこぞの富豪があの歌姫を貰っていくという噂は聞いたがな。それにしても、私がマルグリットを寵愛、だと? 私が惚れこんだのは、あの娘の甘美な歌声のみ……」
ルドルフは真顔になると、
「そもそも、他人の手垢に塗れた女など、興味もなければ、触れる価値もないわ」
半ば侮蔑を込めて、言い放った。
その言葉を聞いた直後、ブリジットから表情が消え、その肌がみるみるうちに蒼白に変わる。薄い唇が微かに戦慄き、細い肩も震えているように思えた。
「ブリジット……」
レオノーラが、落ち着かせるように、ブリジットの背に手を置いた。
「ほう……そういうことか」
その様子を面白そうに眺めながら、何か思い当たることがあったのか、ルドルフが呟いた。
「陛下?」
怪訝そうにレオノーラが国王を見つめる。
「ブリジット……そなたの主は一体誰だ?」

「……国王陛下で、ございます」
ブリジットがかすれた声で答えた。
「本当にそう思っているのか? ここ最近のそなたを見る限り、一体誰に仕え、誰の味方であるか、正直、わからぬ時もある。私を見限るか?」

「見限るなど……決してそのようなことは……」

「そなたが煮えきらぬ態度を取るならば、いっそオスカーを抹殺して、そなたを永遠に籠の中の鳥にしてしまおうか? それならば、一生私に忠誠を誓わざるを得まい」
それは幽閉すらほのめかす、事実上の脅迫であった。
「陛下、それは……!」
声を荒げて、前に出ようとしたレオノーラをブリジットが制し、頭を振った。色素の薄い青い瞳に見つめられ、思い止まったレオノーラは、ブリジットの後ろに引き下がる。

「それが嫌ならば、そなたの名誉にかけて挽回することだ」
「わかりました」
嗜虐するような笑みを口元に湛えると、ルドルフは、
「気が変わった。そなたが切望していいる、マルグリットへの弔辞は、王妃に頼むことにしよう。この件に限っては、あれが適任であろう」
何事もなかったような口調で語ると、
「さて、今日、お前達を呼びつけたのは他でもない。見せておきたいものがあるのだ」
立ち上がり、窓辺に近づく。
「見よ、可憐な花であろう?」
ブリジットとレオノーラが、ルドルフの後に続いた。目を凝らして見ると、窓の外に見える庭園で、少女と大人との狭間にいるような風貌の淑女が、母親と思しき女性と、薔薇を愛でている――ジュリエットと伯母のコーデリアだ。
「正直、私も疲れた。今は花を愛でる癒しの時が欲しいのだ」
熱っぽくジュリエットを見つめるルドルフの横顔を、ブリジットはじっと見つめていた。それはまるで、初めて恋を知ったような少年のような顔だった。
無理も無い、元よりルドルフが妃として選んでいたのはレオノーラであった。しかし、その想いは、ヴィクトリア公女の思わぬ懐妊によって、見事に打ち砕かれる。自業自得といえば、それまでではあるが。いずれにせよ、男としての責任を果たしただけの婚礼である。ルドルフが息子のローランドや、ヴィクトリアに対する愛情が希薄なのもそのためだ。
「あの娘に、いずれ寵姫の座を与えるつもりだ。そう……序列はブリジット、そなたの次だ」
窓の外に、佇む淑女を見守りながら、ルドルフはその日を思い描きながら囁いた。






サクヤがルーベンス教会周辺の森に辿りついたのは、陽が傾きかけた頃であった。
バラバラにされた死体が多数発見されたこの森に入ることは、命知らずのやることだ、と周辺の住人が喚起していたが、忠告だけありがたく受け取り、サクヤは森に踏み入れた。
森に現れる黄金の光、それと並行して見つかる無残な死体。願いの叶う光と噂されるそれは、おそらく魔物が人間をおびき寄せるために、放っているものであろう――サクヤはそう睨んでいた。
昼間から魔物らが活動するとは考え難いが、この付近では、例のバラバラ事件と失血死事件が相次いでいる。どこかに犯人の手がかりとなる何かが、あるいは魔物の巣があるはずだ。
勿論、調べたいことはそれだけではない。森での調査が終われば、その足でルーベンス教会に向かうつもりだった。べアールの落胤として噂されるあの司祭においては、どうしても自分の手で確かめたいことがあった。
ディオスの面差しを思い浮かべた瞬間、ふと修道女ルーシアの顔が過ぎる。
サクヤはその顔をかき消すように頭を振った。神に仕える聖女としての役目もおざなりに、恋心の赴くままに司祭にのみ尽くす――あの修道女の姿を見ると、妙な嫌悪感と苛立ちを覚える自身に、
「年甲斐もないな……」
サクヤは自嘲的な笑みを浮かべると、一人、歩みを進めた。
しばらく奥まで進むと、ざわり――と森林がざわめいた。それは鴉が一斉に飛び立ったようなそんな音にも似ていた。
「これは……」
風に乗って漂い始めた瘴気に、サクヤがぴたりと立ち止まる。その時、サクヤの背後から、脇腹を狙った黒い一閃が突き抜ける。鞭のようにしなるそれを反射的に避けたサクヤは、向き直ると、そのまま上段に構えた錫杖を振り下ろそうとした。だが――
「なっ……」
今度は漆黒の突風が、サクヤの身体を――とりわけ錫杖を構え、無防備になった胸から胴に吹き抜けた。その一瞬の出来事に、サクヤは自身に何が起こったのか理解するのに、しばしの時間を要した。
「なん……だ、と?」
サクヤの手から錫杖が落ちる。その全身に無数の赤い筋が走り、一斉に血が噴き上がる。それだけではない。傷口から入った毒が全身を蝕みはじめ、それが驚異的な回復力を持つサクヤの身体の修復を妨げていた。
鉄の糸のようなものに、身体を切り刻まれ、意識を失う寸前――サクヤは、瘴気を纏った、黒い羽根の塊を目にした。全身を羽根に覆われたその塊は、辛うじて人型を成し、二本足で立つと、頭と思しき場所からのぞく、禍々しい赤い一つ目で、地に伏したサクヤの身体を見下ろしていた。
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