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EternalCurse

Story-110.忠告
グランディア滞在八日目、聖誕祭まで後五日となった朝のことだった。
「どうした? ぼーっとして?」
気だるそうに椅子の背もたれに身体を預けたまま、どこを見つめるわけでもなく、黙っているエステリアに、サクヤが声をかけた。
「ああ、ごめんなさい……」
エステリアはそう言いながら、未だに重い瞼を擦る。
「この国に来てからというものの、ろくに心休まる時がない。まして昨日は夜遅くまで動き回ったんだ、疲れが溜まるのも無理はないか……」
「ええ……」
エステリアは、眠気を覚ますように、器に注がれた冷水を手に取り、口にする。
周囲を見回しても、この部屋には、エステリアとサクヤの姿しかない。
残りの男達は、というと、早朝からいずこかに出かけてしまった。
厳密にはガルシアに連れられて行ってしまった――というのが正しい。なんでもガルシアは一行の中でも一番鼻が利きそうなシェイドとシオンの二人に協力してほしい、とのことだった。
人としての睡眠などほぼ皆無である二人だ。早朝に連れ出されてもそれほど文句はないのだろうが、ガルシアが行き先を告げずに宿屋を出たことが、エステリアは気になった。

「ガルシアさん、大丈夫かしら」
「あの二人もいる。悪いようにはならんだろう」
「そうね」
エステリアは頷いた。しかし、それから、しばらくもしないうちに、エステリアは急に首を傾げ、再び黙りこくってしまった。

「どうしたんだ? 気になることでもあるのか?」
「昨日の事件なんだけど……白銀の騎士団を見たとき……なにか、こう、引っかかるものがあって」
エステリアは続けた。

「ねぇ、白銀の騎士団って文字通り、銀製の甲冑や武器を身につけているのよね?」
「見た感じはそうだな。あの見え張りの国王のことだ、名付けたからには、その手の武具を一式与えてそうだが?」
「人狼って、銀製の武器に弱くて、防具は彼らへの魔除けになるんでしょ? なのに、変よね。どうしてハロルドさんの部隊は、彼らに殺されたんだろう……」
その言葉にサクヤは目を見開いた。
「あと……団長のオスカーさん? あの人も、よくわからないんだけど、何か引っかかるの……」
「……お前の鈍感さは、意外と確信を突いているときがあるからな、あながち侮れん」
褒めてもらっているのか、けなされているのかわからない表現であったが、サクヤは別に悪意があって言っているわけではないらしい。そこまで言うと、サクヤは立てかけていた錫杖を手に取った。

「さて、あの子鬼が帰ってくる前に私も出かけるとするか」
子鬼――という呼び方は初耳であったが、それがシオンのことを指すことぐらい、エステリアにも理解できる。

「ちょっと……、貴方までどこに行くの?」
「男衆はおそらく、先日の『事件』に関して、何かを調べに行ったんだろう。だったら私はもう一つの『事件』を調べにいく」
グランディアの『怪事件』のうち、『惨殺事件』はおそらく人狼による仕業のものと特定できそうな今、残ったのは『失血死』と『バラバラの死体』に関する二つだ。

「役割は分担した方がいい。ただでさえ、解決までの期限が設けられてしまったんだ、急いだ方がよかろう」

「でも、一人で行くのは危険よ、私も……」

「お前が一緒についてきて、この宿屋がもぬけの殻になっていたら、帰ってきた男連中が真っ青になるぞ」

「本当に、シェイド達が帰ってきてからではだめなの?」
言ったところで止めることなどできないことはわかっている。だが、エステリアは念を押した。

「さっきも言ったが、時間はない。向こうの事件については、一人で調べたいんだ」

先程の口ぶりからして、サクヤが仲間の同行を、特にシオンを避けていることは確かだった。
「心配するな、断っておくが、私は歴代最強の元神子だぞ?」
からかうように、サクヤは言った。
「行き先はルーベンス教会周辺の森だ、それだけ分かっているなら、お前も安心だろ?」
エステリアが引き止めるのも虚しく、サクヤは颯爽と部屋を出て行った。
あのサクヤならば心配ない――そう自分に言い聞かせてはいるのだが、部屋に残されたエステリアの胸の内は、今日に限って拭いきれぬ不安に満たされていた。






ディーリアス通りでも、とりわけ市井に近い場所にハロルドの邸宅は建っていた。
オスカーや、レオノーラ、ジェレミーと異なり、貴族としての身分を持たないハロルドである。同じ白銀の騎士団でありながらも、二の郭にある宿舎を利用することもほとんどない。
しかし、例え貴族階級の人間でなくとも、グランディアに多大な貢献をしている騎士団の一員である。
その待遇に、差をつけることなどあってはならない――と、他所の部隊からも同情の声が上がっているのは知っている。慮ってくれる気持ちはありがたいが、ハロルドは、自身の部下達の宿舎も兼ね備えた、この邸宅に満足していた。
国王がハロルドを、二の郭から――いや、ハロルドの部隊を遠ざける理由を理解していたからだ。

早朝から、ハロルドは書斎に篭り、溜まった書類に印鑑を押していた。濃紺の普段着をまとい、銀灰色の髪を後ろに束ね、険しい表情を浮かべつつも、黙々と作業を進める。
騎士団だからといって、何も戦うことばかりが、仕事ではない。四六時中、書面と向き合うのは、うんざりとするときもあるが、与えられた公務だけに止まらず、自身の領地の管理も行うオスカーやレオノーラに比べれば、幾分かましな方だ。
だが普段はこのような時間帯から、この作業に没頭することはまずない。
ハロルドは、つい先程、調査のため、例の事件が多発する林に、部下を放っていた。
昨晩、その林で想定外の出来事が起こった。それがハロルドの心中をざわめかせていた。部下からの結果の報告を、今か、今かと待つ最中、何かに集中していないと、いても立ってもいられなかったのだ。
「ハロルド様」
ノックの音すら忘れるほどに、没頭していたハロルドは、側近の声でようやく我に返り、顔を上げた。足早にこちらに近づいてくるのは、茶色い癖のある髪をした若い団員だった。

「どうした? 調査隊が帰ってきたのか?」

「いいえ……」
茶髪の青年は頭を振った。
「ハロルド様にお目通りを願っている者がおりまして……」
「このような朝早くにか?」
「はい」
「一体どこの誰だ?」
茶髪の青年は、ばつが悪そうに眉根を寄せた。
「カルディアの、ガルシア・クロフォード――神子の一行です」
「ガルシア? 一人で来たのか? それとも連れがいるのか?」
思わずハロルドは立ち上がった。
「ガルシアただ一人です。なにやら、『手土産』がある、とのことで……」
「手土産、だと? 要はそれを駆け引きに使って、話し合いに持ちかけたい、ということか?」
「はい。いかがなさいます? 国王陛下のご命令では、我々は神子の一行に協力することは禁じられておりますが……」
「問題があるか否かは、話の内容次第で判断しよう。……そうか、ガルシア・クロフォードか。一人で来るとは、これは都合が良い」
ハロルドの目が野性味に満ちてぎらりと光ると、
「連れてこい」
と、側近に命じた。

ハロルドの命により、部屋を出た茶髪の側近は、しばらくすると、同僚である白い髪を短く刈った男と共に、客人であるガルシアを伴って、書斎の扉を開けた。
どうやら、白い髪の側近は、ハロルドから目通りの許可が下りるまで、ガルシアの相手をしていたらしい。
ガルシアが入室したのを見届けると、茶髪の青年が扉を閉める。
その後、側近二人は、ハロルドの背後に周り、その両脇に控えた。

「神子の一行が、このように朝早くから、一体何のようですかな?」
ガルシアの爪先から頭までを、一通り見回しながら、警戒心を露わにハロルドが言った。

「よくもまぁ……ぬけぬけと……」

ハロルドを目の前に、ガルシアが溜息をつく。『土産』と称した包みを片手に、ガルシアは改めて、
「昨晩はどうも。で、蹴り上げられた腹の具合はどうだ? 狼男さんよ」
満面の笑みで言った。

ハロルドの背後に控えた二人が、顔を見合わせる。
「なんだと?」
側近とは対照的に、ハロルドは表情一つ動かしていない。
「なんだと? もへったくれもねぇだろ。散々他人を追い掛け回しやがってよ。後ろの茶色と白の狼さん、標的は仕留めることができたか?」
ガルシアはふっかけるように言ったが、側近は黙したままだった。
「あんたらなんだろ? 昨日の人狼は」
ガルシアは、観念しろよ――とでも言いたげな口調である。

「で、そなたは何の目的があって、我々の屋敷を訪れたのだ?」
「また、はぐらかしやがって……まぁいい。とりあえず土産だ」
ガルシアは、ハロルドの机に、包みを置くと、中から箱をとり出した。箱の大きさは、丁度、葡萄酒の瓶が一瓶収まるくらいのものであった。
「あんたらが欲しがっているものが入っている。開けて見るといい」
ガルシアに促され、ハロルドは訝しげな表情を浮かべつつも、箱の蓋を開けた。
「これは……」
箱の中に丁寧に、納めら得ていたのは、消し炭のようになった、『人間の』腕だった。
「こいつは、昨日の夜、ディーリアス通りの林の中で、うちの神子さんが吹っ飛ばした人狼の腕だ。今は魔力が失せて人間のものに戻っちまったがな。そして、昨日見た、茶色と白い人狼、右目に傷の走った銀灰色の人狼。あいつらの面差しならしっかり覚えてるぜ? あんたらそっくりだしよ」
間髪入れずにガルシアは続けた。

「グランディアの怪事件のうち、『惨殺事件』において犠牲となったのは、ハロルド・ラングリッジの部隊。その遺体のどれもに、ひどい裂傷痕が残っている。林に行けば人狼達が跋扈しているときた。
あんな連中にやられたら、普通の人間ならひとたまりもねぇさ。だが、冷静に考えてみれば、なんで人狼の嫌がる『白銀』の武具を纏った騎士団が、返り討ちに遭うんだ? 人狼みたいな魔物は、銀の武器で少しでも傷つけられれば致命傷を追う。多少の理性が残っているなら、騎士団との衝突を避けて逃げるはずだ。だが、逃げるどころか人狼は、ハロルドの部隊をあっさり殺しやがった。そこで疑問に思った。殺されたハロルドの部隊は、『白銀』の甲冑を纏わず、武器も持っていなかったんじゃないかってな。なぜなら、そいつら自身が人狼で、あんたらに粛清された後、人間の姿で遺体として発見されたからだ。第一発見者はあんたらで、その死体は、すぐに回収し、証拠隠滅をする。だから周囲には白銀の騎士団の遺体が見つかった――という話は広がっても、その遺体が素っ裸の惨殺死体だったなんて情報が入らないわけだ。まだ言い逃れするか? 人狼さんたちよ?」
ガルシアの話にハロルドが目を伏せる。無言だったが、どうやら認めたらしい。
「仲間の粛清の理由は……薬か?」
この言葉に、ハロルドの唇が微かに戦慄いた。

「俺の仲間には、鼻が効く奴がいてよ。そいつが人狼に染みついていた異常な体臭を嗅ぎ取った。そう、あの中央広場で国王一家を襲ったオークと同じ臭いをな。あの時、オークの連中に飲ませていたのは、おそらく、意識を朦朧とさせるもんで、相手を使役する効果があることは確かだ。つまり、中央広場でのオーク騒ぎは、国王側があらかじめ仕組んだ『やらせ』だったってわけだ。テメェの威厳を国民に知らしめるためのな」
ここまで言って、ガルシアが一息ついた。

「大体、成り上がりのベイリーが二の郭に済み、白銀の騎士団として貢献しているあんたが市井に近い位置に屋敷を構えるなんざ、おかしな話だ。国王は遠ざけたいんだろ? あんたら人狼の集団を。
だから、内に秘めた獰猛性を封じ込めるのに、あんたらにもそういった薬を与えていたんじゃないのか? で、何かをきっかけに、薬漬けの人狼達がトチ狂っちまった。 あんたらはその始末に追われた。
だが殺した人狼はしばらくすれば人間の姿に戻ってしまう。戦死ならともかく、こうも騎士団の不審死が続けば、説明に困る。だから『怪事件』の一つとして取り扱ってるんだろ? 薬で仲間が暴走したことを、国王には内密にしてよ」

「貴様……」
控えていた白髪の側近が剣の柄に手を置いた。
「やめろ」
それをハロルドが制止する。

「あんたらが追っていた人狼は五匹、そのうち俺達が二匹を退治した。残り三匹は、そこの白い兄ちゃんと茶色頭の兄ちゃんが後を追い、あんたは俺を追うのに必死だった。つまり昨日のあんたらは仲間の粛清が優先で、死体の『後始末』なんざ後回しになってしまってるよな? いや、一足遅れで今頃、調査に入っている頃か?」
図星を突かれ、ハロルドはガルシアを睨んだ。

「その口ぶりだと、遺体は、全てお前達が回収した、と……?」

「いいや。だが、少なくとも、あんたらよりは早く動いてる。口とわき腹を貫かれた惨殺死体、手土産にした、片腕を消失したまま心臓を貫かれた死体なら、先にお役所に差し出していると思うぜ。その後、後ろの兄ちゃん達が始末したと思しき、首と胴がちぎれた死体も見つけたが、さすがに首を土産にするなんざ、悪趣味なことはしたくねぇ。だから、この腕の方を土産にした。うちの神子さんが、人狼の腕を灰にするところなら、あんたも見てたろ? 壊れないように運ぶのが大変だったが」

「お前がそのような話を切り出す目的はなんだ? 我々を脅そうというのか?」

「何言ってやがる。俺は忠告しに来ただけだ。土産の捜索なんざ、あんたらを問い詰める証拠の一つにすぎねぇ」

「忠告……だと?」

「昨日の今日で忘れたなんて言わせねぇ。あんたらが先日、始末したかったのは、『薬漬け』な上、満月の狂気に冒された人狼達だった。その中でも大将格はこげ茶の人狼。あれを偶然にも俺達が倒した矢先――あんただけは残りの人狼を追わずに、俺達を訴追したよな? とりわけ俺だけが狙われていた理由はわかったぜ? こいつだろ?」
ガルシアは右の袖を捲りあげた。そこにはほとんど消えかかっているが、うっすらと爪痕が残っている。
「あんたは、あのこげ茶の人狼と俺が地面で揉み合ってたときに、爪で引き裂かれた上、噛まれたと勘違いしたんだろ? で、これ以上狂った仲間を増やされてたまるか――とばかりに、俺が仲間になる前に始末しようとした……違うか?」
ハロルドが目を細める。

「残念だが、俺は爪に傷つけられはしたが、噛まれちゃいねぇ、嬢ちゃんにも治療してもらったしな。そこんところをはっきりしねぇと、あんた、今夜にも俺達のいる宿舎に襲撃をかけようと思っていただろ? 満月が終わったとはいえ、まだまだ月が浮かぶ日は続く。街中に人狼が出ても『なんら不自然じゃない』のをいいことにな。言っておくが、俺は何も発病したわけじゃねぇ、これ以上、追い回すのは無しにしてもらえるか?」

「それだけを言うために、単身、ここに来た……というのか?」

「当たりめぇだろ。こっちは全事件解決までの時間が限られてるんだ、これ以上余計な問題は抱えたくねぇ」

「その条件を飲まなければ、国王陛下に惨殺事件の詳細を伝える気か?」

「安心しな。そもそもこちらの国王陛下さんは、俺達が全部の事件を解決するまで謁見拒否する気なんだろ? 一つ問題を解決したぐらいじゃ、門前払いに決まってる」

「だが真相の一つを握り締めているお前達だ。様々な理由をつけて、我々を利用するのだろう?」
あくまでもハロルドは疑う姿勢を崩さない。

「だから、脅しに来たわけじゃねぇって言ってるだろうが。俺は無用な争いに時間を割きたくないだけだ」
ガルシアはうんざりとした表情で、天井を仰いだ。

「……聞いた話によると、屈強で自慢のあんたらの部隊――必ずと言っていいほど、前線に立たされているんだってな。逆に言えば国王はあんたらならば、頑丈に出来てて安心する反面、『いつ死んでもいい』と思ってるわけだ。平気で薬漬けにするような扱いだしな。ま、あんたらが国王陛下に嫌気がさして自主的に協力してくれる分は、別に断りはしねぇよ。到底、無理な話だろうがな」
ガルシアは肩をすくめると、無防備にもハロルドらに背を向けた。
「そういうわけだ。邪魔したな」

あまりにも隙だらけの、ガルシアの後姿を眺めつつ、
やはり、信用することはできない、今始末しておくべきだ――猜疑心に満ちた視線で、側近の騎士達が、ハロルドを見た。
「万が一、我らがお前との口約束を違え、死ぬまで追いまわす、と言ったらどうする?」
「野暮なこと言うなよ、あんたら騎士だろ」
ガルシアは足を止めると、
「ああ、そうそう。その灰になった腕、棺に入れてやんな。狂っちまったとはいえ、元は仲間だったんだろ?」
軽く挙げた片手を振りながら、そのままハロルド邸を後にした。
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