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EternalCurse

Story-109.不可解な申し出
今しがた、騎士団宿舎より屋敷に帰宅したばかりだというのに、深夜にも関わらず、レオノーラは執務室にこもり、書類に目を通していた。
レオノーラ自身は、白銀の騎士団の副団長を務めてはいるが、元よりステイシー家そのものは、グランディアの検閲官という、役目を担っている。
交易の盛んなグランディアであるがゆえに、諸外国からの輸入品には、十分に気を配らなければならない。
さらに、レオノーラを就寝から遠ざけ、仕事に没頭させているのは、ジェレミーから聞いた『黒曜の艦隊』についての黒い噂だ。

「海賊行為……か」

近くに置かれていたカップに口をつけながら呟く。一口飲んだお茶は既に冷め切っていた。
レオノーラは、険しい表情を浮かべ、カップをそっとテーブルに置くと、ため息をついた。
火の無いところに煙は立たない。このような噂が流れるということは、何かしら原因があるはずだ。
噂に信憑性があるとすれば、黒曜の艦隊は、戯れに略奪行為を働いているのだろうか。それとも、莫大な資金に換金できる何かを手に入れ、グランディア国内に密に流通させ、私腹を肥やしている――考えられない話ではない。
何よりディーリアス通りには、ベイリーの息がかかった店もあるぐらいだ。王宮では、愛娘を王妃の侍女としてねじ込み、先の朝見で、カルディアのマーレ王妃の『相談役』の話を、国王に持ちかけられた際の、嬉々とした顔……。
ベイリーが金や権力に近づくこと――そういったものに、貪欲であることは間違いない。一応、オスカーはベイリーや紅蓮の巡視団には監視を入れるとは言っていたものの、ただでさえ多忙な彼一人に責任を押し付けるのは申し訳ない。検閲官としてやはり、ベイリーの艦隊がスーリアから帰港した際に、抜き打ちで調査を入れるべきか、レオノーラは、ペンを執ると、しばし静止した。
「念のため……オスカーに……言っておいた方がいいかしら……」
一筆認めようと、紙を取る。ふと、傍らに置いた小箱を目にした。つい先程、ブリジットから届けられた誕生日の祝いの品である。化粧箱に入れられた、四葉を模した銀細工に月長石をあしらったネックレスを目の当たりにしたときは、なにやらくすぐったいものがあったのも事実だ。しかしながら、嬉しい事には変わりない。
「無理しちゃって……」
化粧箱に視線を留めたまま、レオノーラが呟く。
ブリジットが公妾として認められる前、王妃の勅命でレオノーラはその『監視人』を務めた。
国王はブリジットに限っては無体を強いることなど、絶対にないと確信していたにも関わらず、あの時の悲惨な光景は目に焼きついて離れない。まるでそれは自分へのあてつけのようにも思えた。
元より、当時ヴィクトリア公女が身籠ったというのも一因であったが、王妃候補の座を辞退してからというものの――ルドルフからの粘着的な嫌がらせが絶えることはない。
「お待ちください!」
廊下の方で、使用人が悲鳴を上げている。一体、何事だろうか。レオノーラは化粧箱に書類を乗せて隠すと、立ち上がり、扉に近づく。取手を握ろうとしたその時、勢い良く扉が引かれ、レオノーラの身体がぐらつく。前のめりになったその身体を受け止めるように、レオノーラが『壁』にぶつかった。
反動で体勢を立て直し、後ろに下がったレオノーラが、目の前に現れた『壁』を見て絶句する。
「一体どうした? そなたらしくもない」
背後で青ざめる使用人を他所に、突如として伯爵邸に現れた国王は言った。
「ルドルフ……陛下……」
どうしてここに――そんな質問を口にするより先に、
「そなたに頼みがあって、ここに来た」
ルドルフが切り出した。
「あの、陛下、このようなところで立ち話など畏れ多く……」
レオノーラは国王を貴賓室に促そうとしたが、
「マルグリットが死んだ」
ルドルフは特に気にする様子でもなく、その場で話を続けた。

「今宵が終われば、聖誕祭まであと五日しかない、そなたにマルグリットの代役を頼みたいのだ」
「え……」
あまりにも唐突な話に、レオノーラは硬直した。
「何を呆けている? レオノーラ。そなたも見事な歌い手であったであろう?」
「お、お待ち下さい、陛下」
レオノーラは狼狽した。歌に関しては多少の心得があるが、『見事な歌い手』とは、いくらなんでも買いかぶりすぎである。何より、自分には騎士団としての任務が山積みなのだ。舞台稽古などに関わっている暇などない。

「引き受けてくれるな? レオノーラ」
「い、いけません、陛下……」
このまでは一方的に話を進められてしまうばかりだ。レオノーラはなんとか穏便に断る方法を模索した。
「私には、ベイリー提督を調査する役目がありますゆえ……」
これは国王の耳に入れておくべきか、騎士団で秘密裏に調査すべきか迷っていた話であり、咄嗟に思いついた言い訳にしては、非常に気まずいものだ。しかし、四の五の言っている場合ではない。
「ベイリー?」
怪訝にルドルフが反芻した。
「彼の者が何をやったというのだ?」
「巷で流れているベイリー提督に関する『黒い噂』の真偽を確かめるべく、調査を入れる次第であります」
レオノーラの話に、ルドルフが眉を潜める。
「この一件においては早々に決着をつけねば、噂は羽根をつけたまま、民衆の中で歯止めの利かぬものとなるでしょう。真実はどうあれ、、それは最強と言わしめる『黒曜の艦隊』の評判、ひいては陛下の名誉を穢すことにもなりましょう」
「その調査とやらのために、聖誕祭には出れぬ、と?」
「申し訳ございません」
「そうか。ならば仕方が無い。代役は、国立歌劇場の劇団員から選ぶとしよう」
「それでは……」
「無理を言ってすまなかったな」
意外にもあっさりとしたルドルフの態度に、レオノーラは拍子抜けした。
「ところで、もののついでだが、ブリジットにこう伝えてはくれまいか? あの銀髪をおびき寄せて生け捕りにしろと。ジークハルトの居場所、ヴィクトリアが聞き損ねたことを問いただせ。拷問しても構わん、無論、命を落せばそれまで」
「は……?」
安堵したはずのレオノーラの表情が、再び凍りつく。
「どうも神子とジークハルトは別行動のようだ。奴は奴なりに、何かを探っているのだろう。おそらくはカルディア崩壊後の、我らの対応に不満があってのことだろうが。奴が絡むと国家の大事になりかねん。大騒ぎされる前に、話をつけたい」
「そのために、神子の仲間を生け捕りにせよ、と……」

レオノーラは内心、ため息を吐いていた。話をつけるも何も、そもそも国王自身が、神子の一行に無理難題を押し付け、一方的に『謁見拒否』をしていたはずだ。
今更『話し合いの場』を設けようというのだろうか。あれほどの無礼を働いておきながら、どの面を下げて、今度は神子にそれを伝えろというのだろう。

「では……話し合いを行うということは、神子の一行らに謁見の条件として申し付けた『怪事件の解決』というのは、なかったことになるのですね?」
「いいや、その件は据え置きだ。だからこそ、奴らの一人を人質にして、ジークハルトを呼び出すのではないか」

レオノーラは絶句した。ただでさえ国王側は神子の一行に対し、侮辱的な態度を取っている。神子側にしてみれば、このグランディアという国そのものを快くは、思わないだろう。その上、卑怯な手段を用いて、彼らを貶めれば、どれほどの恨みを買うか、計り知れない。これでは、ベアールの行った『セレスティアの悲劇』となんら変わらぬ状況ではないか。

「恐れながら……陛下は何ゆえ、そこまで従兄弟殿であるジークハルト殿下を……」

以前、ジークハルトが関わった後、メルザヴィアで、カルディアで親族が次々と命を落としたという話をルドルフは朝見で行った。
叔父や叔母、従兄弟らを一斉に失った悲しみを、ルドルフが彼一人に押し付けたい気持ちも理解できないわけではない。だが、それ以上に、そんなこと以上に、ルドルフはジークハルトの存在を恐れているようだった。
無論、神子に対してもそうだが、何か知られたくない、探られたくないことでもあるのだろうか?
だが、しかし、レオノーラはそれ以上、言葉を口にすることはできなかった。底冷えするほどに、鋭利な眼差しでルドルフがこちらを見たからだ。
「この頼みは、聞いてくれるな? レオノーラ」
国王の口元は優美な笑みを湛えている、しかし、目の奥底は決して笑ってはいない。射すくめられたレオノーラは、ただ小さく頷くことしか出来なかった。






それは、シェイドが自分の部屋に戻った後、日頃の冷静さを取り戻すためにも、しばしの瞑想に耽っていた矢先のことだった。
改めて外から扉を叩く音に、今宵は随分と来訪者が多い――と苦笑いをしつつ、シオンが
「どうぞ」
と、軽く答える。
「なぁ、優男の兄ちゃん」
部屋に踏み入るなり、ガルシアはこの調子である。
「はい?」
神妙な面持ちでシオンの前に腰を下ろしたガルシアをシオンは不思議そうに見つめていた。

「こんな夜分になんの御用でしょう?」
「おっと、すまねぇ。その断りを言うのを忘れてたぜ」
「いえ、いいんですよ。私に昼夜なんて関係ありませんし」
どうやらシオンも妖魔と同じく、あまり睡眠を必要とはしない体質のようだった。
どうぞ――シオンがガルシアに話を促す。
ガルシアは一呼吸置いた後、
「例えば、の話だが、俺が鬼神のあんたに噛まれた場合、どうなるんだ?」
罰が悪そうな表情であったが、まじまじと尋ねた。

「……ガルシアさんはそのようなご趣味で?」
「冗談はやめてくれ。こっちも馬鹿にされるのを承知で聞いてるんだ」
勿論、それはわかりきってはいたが、からかわずにはいられない。
「私がガルシアさんを噛んでも、ガルシアさんが鬼になったりすることはありませんよ。要はそういうことが聞きたいのでしょう?」
シオンが笑って答える。
「まあ、な。なら、吸血鬼に噛まれたらどうなる?」
「普通に――死にますね」
これまた、さらりと言う。
「吸血鬼にやられれば、大抵は失血死です。噛まれただけで同胞と化すことはほとんどありません。犠牲者は、主から血を与えられてようやく、仲間となるのです」

「話には聞いていたが……要するにその主の血に含まれた毒みてぇなもんが、人間の身体を蝕んでしまうってことだよな?」
「ええ。血を媒介して、人から違う生き物へと変化する仕組みがどういうものかはわかりませんが、毒のようなものが全身に回る、と捉えていいでしょうね」
内心、人から違う生き物に変化した類の自分がわからない、と答えるのも妙な話だが……とシオンは思った。

「なら……人狼の場合はどうだ?」

「人狼に噛まれた場合は、何日もしないうちに同胞と化すでしょうね。吸血鬼らと違って、彼らはかなり毒性の強い唾液を持っているのだと思います」

「なら、爪に引っかかれた場合は?」

「それは……わかりませんねぇ……爪にまで毒があると確かめたことはありませんし。でもどうしてそんなことを聞くんです?」

「いや、丁度林で人狼の群れに出くわしてよ」

「ああ、やはり人狼でしたか」

「やはりって何だよ!?」

「いえ、随分と浮かんでは消えるような妖気が周辺に固まっていたので、気になっていたんですよ」

「浮かんでは……消え……なんだ?」

「ほら、一応、人狼も普段は人の姿をしていて、人里でそつなく暮らしているでしょう? ですが今宵は満月ですから、人型は保ち辛いはず。ですから森周辺で狼になったり、人に戻ろうとしていたり、と妖気の浮き沈みが激しかったんですよ」
シオンは一人で納得している。


「その人狼とだな、ひと悶着あったときに、腕を引っかかれちまったんだよ、俺」

「大丈夫ですか?」

「一応、嬢ちゃんに治療してもらったから大丈夫だろ、で、本題だ。薬師としてのあんたに聞く。この臭い、どう思う?」
ガルシアは切り裂かれた籠手をシオンに差し出した。

「香草や……色々と混ぜた臭いがしますね」
「さっき人狼と戦ったときに、爪で切り裂かれた上、組み伏せられてな。その時に、べったりと相手の『体臭』みたいなものが染み付ちまった」
ガルシアは改めて言った。

「嗅覚の鋭そうなあんたやシェイドなら、とっくに気付いてんのかもしれねぇが、この臭い……どこかで嗅いだことがあると思わねぇか?」

「そうですね……。中央広場で切り殺された、オークと同じ臭いだと思います」
その答えを待ち望んでいたかのようにガルシアが頷く。

「『惨殺事件』の犠牲者になったのは、白銀の騎士団、ハロルド・ラングリッジの部隊だ。傭兵並の体躯を持つハロルドの部下の遺体に大きな裂傷痕があったことから、人狼の連中に殺されたと考えてほぼ間違いない。だが妙なことに、この人狼達は、『臭いのする方』と『臭いのしない方』とで、仲間割れしててよ……。連中の行動と、オークと同じ臭い、共通点は……」

「どちらも日中は人間の姿で過ごし、夜間、戦闘時は獣になる『獣人』ってことですね」

「ああ、それで俺なりに考えて見て、ちょっとした答えに辿りついたんだが……兄ちゃん、地図見れるか?」

「ええ」
シオンは傍らの机上に置いていたグランディアの見取り図を取り出した。

「念のために聞くが、ハロルド・ラングリッジの邸宅はどこだ?」
ガルシアに言われて、シオンが素早く視線を動かす。
「ハロルド邸宅……と言いますか、ハロルドの部隊も共にしている宿舎なら、このディーリアス通り――つまりは三の郭、それも市街寄りの場所にありますね」

「団長あたりは二の郭にいるのに、ハロルドだけこっち側なのか?」

「ええ。ハロルド・ラングリッジは、オスカーやレオノーラと違って大貴族ではありません。二の郭入りは難しいのでは?」

「で、その部下まで一緒に住んでいる……と。白銀の騎士団の宿舎には入らずに……」
眉間に皺を寄せ、しかしどこか納得したような表情でガルシアが言った。

「とりあえず、明日ハロルドのところに行ってみることにするか」
「ええ!?」

シオンが珍しく頓狂な声を挙げた。
「まぁ、詳しいことは今からじっくり話す。とりあえず、怪事件の一つを手っ取り早く解決するにはその方法が一番だ。そこで、臭いに敏感な兄ちゃんにお願いがあるんだが、聞いてもらえるか? こんなこと、さすがにお嬢ちゃんには頼めねえしな……」
わけもわからず呆気に取られているシオンを他所に、ガルシアは早速、その『願い』を話し始めた。
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