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EternalCurse

Story-108.人狼
突如としてエステリアらの目の前に現れた大きな影――その発達した上半身、体躯はガルシアなどゆうに超えていた。血走った両眼に、耳元まで割けた口からは、ナイフのような牙が生え揃い、だらりと長い舌からは尋常ではない唾液が滴り落ちている。それは、八匹それぞれ、毛並みも色も違うが、月の魔力に狂い、血に飢えた二足歩行の狼であった。
「人狼か――?」
身を潜めたガルシアが眼を細め、呟いた。
ガルシアの視線の先で、こげ茶色の毛並みを持つ人狼が、大地を力強く踏みしめたまま、胸を膨らませ反り返ると、満月が爛々と輝く夜空に向かって、雄たけびをあげた。
異形の者が放ったその声は、まるでグランディア全体に響き渡ったようにも思え、それに呼応するかのように、林全体も、一瞬だけざわめく。
「よりにもよって嫌なものに出くわしたな……通り過ぎるのを待つか……場合によっては全部殲滅するべきか」
殲滅する――と簡単に言うが、今宵は満月である。完全に獣性に支配された彼らと、人間がまともに戦うのは、正直分が悪い。

「人狼といっても……元は人間なんでしょ?」

「日中はな」

「昼間はな」
ガルシアとサクヤが同時に答える。

「まあ、戦うかどうかは、この先、連中の行動次第……」
ガルシアがそう言いかけた時だった。
人狼の中でも、銀に近い灰色の毛並みを持つ者が、凄まじい咆哮をあげた。
エステリア達三人は、思わず目を見張る。
人狼八匹のうち、三匹――すなわち、銀灰色の狼と、その後ろにいる、茶色と白色の毛並みの狼二匹が、牙を剥き、唸り声をあげながらも、じりじりと、残りの五匹との距離を詰める。
「なんだ……?」
ガルシアが眉を潜める。三匹の人狼には、始めに雄たけびをあげた、こげ茶色の人狼を筆頭に、この五匹を追尾し、ようやく追い詰めたような雰囲気さえあった。
銀灰色の狼らに、あからさまな殺意を向けられた五匹は、まるで受けて立つといわんばかりに凶悪な笑みを浮かべ、大きな口を開いた。再び、この一帯に異臭が漂う。
「なに……この臭い……」
エステリアが思わず鼻を押さえた。
「この妙な臭い……あの人狼が原因か?」

「厳密には、あの五匹から漂っているようだ」
エステリアらが、異臭に気を取られていた次の瞬間、銀灰色の人狼が、『敵』の喉元を目掛けて飛び掛る。その後に、茶色と白色の人狼が続く。狙われたこげ茶色の人狼は、紙一重のところでそれをかわすと、身軽な動作で、木の枝へと乗り上げる。
「なんだ……仲間割れか……?」

「そのようだな……」
人狼達の同士討ちが始まった最中、
「ねぇ、まさか……とは思うけれど、これが『惨殺事件』の犯人ってことは……?」
エステリアの言葉に、ガルシアとサクヤが面を食らったように、顔を見合わせた。
「確か……この林で見つかった遺体には、巨大な獣による裂傷痕があるとか言っていたな……」
それも白銀の騎士団でも屈強な精鋭揃いのハロルド・ラングリッジの部隊が被害に遭ったというではないか。
「いくら体格が良くて力の強い人でも、こんな狼達に囲まれたなら、一貫の終わりだわ……」
青ざめた顔のエステリアが小声で言う。
「お嬢ちゃん……一歩間違えば、俺達が今まさにその状態なんだがよ……」

「だが、このまま見ているだけでいいのか? 仮に連中が『惨殺事件』の犯人だとしたら、仕留めて国王に首を献上する必要があるだろ?」

「確かに、そうだがよ……今この状況で退治すんのか?」

「馬鹿を言うな、あいつらがお互い潰しあったところで、生き残った方を仕留めるのが楽に決まっている」

「だよな。さすがに正面からは戦いたくねぇ……ぜっ――!?」
ガルシアが言った矢先――こげ茶色の人狼の仲間である一匹が、白い人狼の強烈な蹴りを食らい、その巨体がこちらに吹き飛ばされる。

「うおっ!」
「エステリア!」
ガルシアが寸前で避け、サクヤがエステリアを庇いながら、その場に伏せた。飛ばされた人狼を受け止めた梢が、その衝撃に耐えられず、へし折れる。
強く背中を打ちつけたにも関わらず、人狼はゆらりと立ち上がった。気を取り直すかのように、頭を数回振ると、白い人狼に報復すべく、正面を見据えた。その時、ふいに人狼の視界に、人間『三匹』の姿が眼に留まる。
人狼は、目の前に現れた予期せぬ『餌』を目の当たりにして、だらしなく舌を垂らした。どうやら興味は白い人狼よりも、こちらへと向いたようだ。
「お前は絶対に動くな」
サクヤがエステリアの真横で囁いた。エステリアは黙って頷く。人狼が大きな口を開け、飛び掛ろうとした。その瞬間、即座に立ち上がったガルシアのバスタード・ソードが人狼の横腹を掠め、サクヤの錫状が、人狼の口内を貫いていた。
「あーあ、出遅れちまった」
人狼は何が起こったかわからない……といった表情で、硬直していた。
「こういうときは、案外女の方が強いもんだ」
サクヤが素早く錫杖を引き抜くと同時に、人狼が白目を剥いて、後方へ倒れる。
「姐さんだけが特別だと思うぜ?」
他愛もない会話の中、風穴の開いた人狼の頭部から流れ出した夥しい血が、足元を黒く染め上げた。
直後、こげ茶色の人狼が、ガルシアに襲い掛かる。
刃物のような鋭利な爪を持つ人狼の手が振りかざされる。振り返ったガルシアは、バスタード・ソードで受けるつもりが、体勢が悪かったのか、逆に剣を弾き飛ばされた。
「ちっ……」
人狼の爪がガルシアの皮製の籠手をいとも簡単に引き裂く。肉を抉るまではいかなかったものの、ガルシアの腕から血が滲み始めた。人狼は、全体重をかけてガルシアを地面に押し倒す。
ガルシアは人狼の両肩を押さえ、人狼を引き剥がそうとした。しかし、いくら鍛えぬかれた肉体を持つ人間であっても、魔物との力の差は歴然としている。丸腰の相手をこれから嬲り殺す――邪悪な笑みを湛え、こげ茶色の人狼が口を開く。
「ガルシアさん!」
弾き飛ばされたバスタード・ソードを、拾ったエステリアが駆け寄った。
そのまま人狼を斬り付けることができるならば良いのだが、振りかざすにはこの剣は重過ぎる。
ならば、せめてガルシアの手元に滑り込ませることができたなら――エステリアは人狼を押し退けるため、力一杯、体当たりする。しかし、寸前のところで、人狼がガルシアの身体から飛び退いた。
「あっ……」
バスタード・ソードを抱えたまま、ガルシアを庇うようにして倒れ込んだエステリアの背に、人狼の爪が振り下ろされる。
「お嬢ちゃん、退け!」
ガルシアの声も虚しく、人狼の方へと振り返ったエステリアは、反射的に左手をかざした。
その手が偶然にも人狼の腕を掴む。と、その時……エステリアの指に嵌められた、魔剣と対を成す指輪が赤く光った。
次の瞬間、エステリアが握り締めた箇所から、人狼の肩にかけて、亀裂が走る。人狼の腕が瞬く間に、灰となって崩れ落ちた。片腕を失った人狼が、後ずさりする。怯んだ隙に、ガルシアは手元のバスタード・ソードを握り締めると、そのまま人狼の心臓を一突きにした。
血泡を噴いて倒れる瞬間、こげ茶色の人狼は、残された仲間に、散り散りに逃げるよう、視線で合図を送った。呆気に取られていたこげ茶色の人狼の仲間達は、我に返ると、即座に林の中へと駆け込む。

追え――林の奥へと逃亡する三匹の狼らを、銀灰色の人狼が、仲間の茶色と白色の人狼に命じる。

「間一髪だったな……」
サクヤが歩み寄る。
「他人事みたいに言うなよ、姐さん!」
「助けようにも、組み敷かれたあの体勢ではどうにもならん、私の獲物では、お前まで串刺しにしてしまいかねん」
「まぁな……。それにしても、お嬢ちゃん、やれば出来るじゃねぇか」
「いえ……私にもよくわからないんだけど……」
エステリアは、左手を握ったり閉じたりしながら、呟いた。
「ベアールの屍鬼を滅したときと同じだ。あの時よりも、破壊力は増しているようだが」
説明しながら、サクヤが人狼同士の諍いのあった茂みの方へと向き直る。
「で、残るは一匹……」
銀灰色の人狼がこちらを凝視している。エステリアらは、身構えた。
銀灰色の人狼は、ガルシアの腕から滴る血をちらりと目にすると、地を蹴って跳躍する。
「二度も同じ手が通用するかよ!」
人狼はその鋭い爪と牙を用いて攻撃してくる。手っ取り早く敵を仕留めるために、狙ってくるのは喉元だ。ガルシアはバスタード・ソードで、人狼の首を跳ね飛ばそうとした。が、人狼はバスタード・ソードの刃に喰らいつき、左右に振り乱す。ガルシアから武器を奪おうとしているのだ。先程戦った人狼とは違い、この銀灰色の人狼からは、異臭はしない。よくよく見れば人狼の顔面や身体には、古傷が走っている。
「お前……?」
ガルシアが小さく呟いた時だった。
「…………!」
ナイトメアの一部の力が宿るバスタード・ソードに喰らい付いたことによって、精気を持っていかれそうになったのだろうか、一瞬だが、銀灰色の人狼の動きが怯む。ガルシアはそのまま、人狼の腹を思い切り蹴り上げた。その衝撃から、人狼の口から、唾液が飛び散る。ふらふらと、その場に立ち竦む銀灰色の人狼を前に、
「林から出るぞ! お嬢ちゃん!」
唐突にガルシアがエステリアの手を引いた。
「え、ちょっと……!」
「この林では、分が悪すぎる」
サクヤが続いた。

「どの道、あの狼男は俺達を追ってくる。どうせなら、もっと戦い易い場所でし止めようぜ」
「明るくて足場の良いところの方がいいのね?」
「ああ、ただし林を出た直後に仕留める。民家に逃げ込まれると厄介だからな」

エステリアらはここまで辿ってきた道を、全速力で駆け抜ける。『森』とは違い、貴族街に面したディーリアス通り周辺の『林』は、貴族らの外乗目的のために、定期的に手入れされていた。
無論、こういった『惨殺事件』が頻発し始めてからは、放置されているようだが、それでも、道に迷うほど入り組んではいない。皮肉なことに、今はランプをつけずとも、煌々と降り注ぐ狂気の月光が、行き先を照らし続けていた。
「ちっ、もう追いついてきやがったか……」
走りながらガルシアがちらりと後方を確認する。
「本物の狼と違って二本足なのに、随分と速いことだ」
余裕の表情でサクヤが言う。
「ねぇ、なんであの人狼は、私達まで追ってくるの?」
少なくとも彼らは『同士討ち』をやっていたはずだ。ましてエステリアらは、偶然にも銀灰色の人狼が追っていた『敵』の退治に、一役買ってしまった。
その後、銀灰色の人狼の仲間が、残りの人狼を追っていたところを見れば、彼らにとって、エステリア一行の存在など――人間など眼中にないものに思えたのである。

「獲物を盗られた腹いせか、余計なものを見てしまった私達を、口封じのために殺したいのか――」
「じゃあ、ハロルドさんの部隊も、そうやって殺されたかもしれないってこと?」
「はっきりとは言えん、だが、何にせよ、ここで『惨殺死体』にされるのは御免だな」
「嬢ちゃん、そろそろ出口だ!先に出てろ! 姐さんもだ!」

視線の先に民家が見え始めたのを確認すると、ガルシアがエステリアから手を放す。
林を抜けた直後、ガルシアが追ってきた人狼を迎え撃つようにバスタード・ソードを構えた。だが、銀灰色の人狼は、ガルシアの頭の上を軽く飛び越えると、その背後に回る。
「こいつ……」
軽い舌打ちと共に、ガルシアが振り返る。
銀灰色の人狼は、一瞬にしてガルシアとの距離を詰める。
大きく開いた狼の口が、ガルシアの喉元を捕えた瞬間――サクヤの錫杖が、振り下ろされる。人狼は反射的にそれを回避すると、体勢を立て直し、再びガルシアを睨みつける。
「こいつ……ガルシアだけを狙っているのか?」
サクヤが呟く。
「だったら……私が……」
すかさず、エステリアがガルシアの前に出た。
「下がれ、嬢ちゃん。こういうのは嬢ちゃんの役目じゃねぇ!」
「さっきと同じ力を使えば、相手を粉々にすることはできます。なんだかわけのわからないまま、倒すのは不本意だけど……、現に襲われているんだから、そんなこと言っていられないわ」
人狼を見据えたまま、エステリアが言った。
銀灰色の人狼は、従来の狼のように、四肢を屈めると、エステリアを威嚇するように唸った。
その瞬間――対峙したエステリアと人狼の間を銀の光が掠めた。人狼が慌てて後ろへ飛び退く。
「銀の矢……?」
足元に突き刺さった矢を凝視したまま、エステリアが呟いた。
「なんだ……?」
ガルシアもそう漏らすと、辺りを見回した。
気が付けば、この林への出入り口を取り囲むように、民家の屋上に、待機していた無数の弓兵達が、松明を掲げる。
「銀の武器……甲冑……?」
その中で、唯一、異彩を放っていたのは、その男の甲冑と蒼い外套だった。
男は弓を番えたまま、こちらをじっと見つめている。
「あの人は――?」
月下の下、銀色にも見えるその青灰色の髪の男は確か……。
「白銀の騎士団の団長――オスカーだろ?」
面白くなさそうにガルシアが答える。
弓兵を従えたオスカーが、人狼を見下ろす。
これ以上は手を出すな――それはオスカーの端正な顔立ちからは想像できないような、射すくめる眼差しだった。やろうと思えば、オスカーは、いついかなるとき、どの角度からも、人狼に向けて一斉に矢を放ち、仕留めることも可能である。
それを理解したのか、人狼は、ぐるりと弓兵と見渡し、恨みがましくオスカーを睨みつけると、エステリアらには目もくれず、林の中へと戻った。人狼が去ったのを見届けると、オスカーは借りた弓を兵に返した。
「人狼の件、あとはハロルドと、その部隊の判断に任せろ」
オスカーは引き連れた兵士らに撤退を命じた。
「あの……!」
屋上のオスカーに、エステリアが声をかけた。
「さっきはありがとうございます。でも、どうして助けてくれたんですか? 貴方達は私達には協力してくれないはずなのに」
しかしオスカーは、無言のまま、エステリアを一瞥すると、薄らと笑みを浮かべ、踵を返した。
その笑みに、エステリアはなぜか、奇妙な感覚を覚えたまま、その場に立ち尽くしていた。
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