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EternalCurse

Story-107.散策
「まったく満月の夜に出歩くなんざ、本当に俺達は命知らずもいいところだぜ」
空に浮かぶ禍々しい月より降り注ぐ光が、林を照らす中、先頭を歩くガルシアがぼやいた。

「ここのところ、しばらく雨で動けなかったんだから、仕方ないだろ。『怪事件』の解決に期限まで設けられたんだ。一日たりとも無駄にすべきではない。それに散歩がてら、物思いに耽りたかったところだ。私には丁度良い」
「物思いって……姐さん。緊張感が乏しくねぇか?」

「そんなに敏感になっていたら、風の音すら、魔物の腹の音と聞き違えるようなことになるぞ?」
サクヤがピタリと足を止めて振り返る。
「お言葉だが、今現在この林の散策をしているのは、俺と、姐さん、そしてお嬢ちゃんだけなんだぜ? よりにもよって、あの二人はお留守番ときた。これで緊張するなって方がおかしい」
ガルシアは、一行の中でも即戦力たる二人の姿がないことを嘆いた。
そもそも、それは数刻前――

「今宵はお前の中の鬼の血が騒ぐ満月だ。月の魔力で狂われた場合、こちらがひとたまりも無いから、ここで留守番しておけ。シェイド、お前もだ」
と、魔の眷属であるシオンとシェイドの二人は宿に残るよう、サクヤが命じたからである。

「なんだ? お前、あの二人の力を当てにしてるのか? 頼りない……」
まったくもって嘆かわしい――といわんばかりにサクヤが溜息をついた。
「まぁまぁ……二人とも……」
いつものことだが、ランプを手にしたエステリアが宥めに入る。

「それにしても、なんの用があってこんな林に踏み込んで、惨殺事件に巻き込まれるのかしら……」
「しかも、殺されたのが白銀の騎士団の配下ときた」
「何かを追って林に入った挙句、騎士団の方が返り討ちにあった――という考えが一番妥当なんじゃないか?」
「でもよ、白銀の騎士団って、一応は選び抜かれた精鋭ってやつなんだろ?」
「そうだろうな。少なくともジェレミーとかいう小僧は、論外だ。あいつはおそらく家柄による贔屓であの地位にいるんだろう」
「まぁ、ジェレミーはともかく、その名だたる騎士団を返り討ちにするなんざ、どんな奴だよ」
もとい、どんな魔物だ――というのが正しい。煌々と光る満月を見上げ、ガルシアが溜息をついたときだった。

不気味なほどに生暖かい風が、林一帯を吹き抜ける。ざわめく木々の音は、まるで潮騒のようだった。
「おい、なんだ? この臭いは……」
漂い始めた異臭、そして風に乗って運ばれたのは――
「狼の遠吠えと、こちらに向かってくる足音が聞こえる。それも一匹や二匹ではなさそうだ――エステリア、消せ」
サクヤに言われ、すぐさまエステリアはランプの火を吹き消した。
その独特な油の臭いを魔物が嗅ぎつけぬよう、麻袋に包む。三人は、近くの茂みに、素早く身を隠す。音を立てぬよう、ひっそりと息を潜めて、様子を伺った。
じっと耳を澄ましてみると、サクヤの言うとおり、林の奥から、動物の唸り声のようなものが聞こえる。風を切るような足音、身体を掠めた木々が葉を撒き散らす音が、次第に近づいてくる。
サクヤとガルシアは武器を握り締め、その方角を見据えたまま、身構えた。
――直後、思ったよりも早く、エステリアらが潜む茂みの前に、木陰から勢い良く八つの影が飛び出した。






「入るぞ」
静かに扉を開けながら、シェイドはシオンに宛がわれた部屋へと足を踏み入れた。
「どうぞ、お目付役のシェイドさん」
壁側に背を預け、寝台の上で足を伸ばして座るシオンが微笑んだ。
「俺なんてお目付け役にもならんぞ」
迷惑そうに言いながら、シェイドは寝台の向いにある椅子を引き寄せ、腰を下ろした。

「なんだ、あんた、衝動に耐え切れずに自分自身の血を吸っていたのか?」
よく見れば、笑顔とは裏腹にシオンの肘から手首にかけて、ざっくりとした傷口が走っている。
そこから滴り落ちる血に、シェイド眉を潜めた。
「いえ。違いますよ。そもそも自分の血なんてまずくて飲めません。思わず自分の爪で引っかいてしまったんですよ、普段の感覚と間違えてしまって。まあ、すぐに治りますけどね」
言いながらシオンは負傷してない方の手をこちら側に向けた。
シオンの指先だけが、鋭い鬼の爪に変化している。
「私も一応は魔物の一種ですから、満月の魔力には抗うことができません。どこでトチ狂うかもわかりませんし。そうなったら、止めることが出来るのは貴方だけですから、サクヤが置いて行ったんでしょうね」
「俺だって、月には逆らえん。そういう意味では、置いていく方が危険だと思うんだが? そういえば、あんたの血……よく見ると紫……なんだな……?」
「人の血は赤ですが、鬼の血は青ですので。私の血の色は丁度その半分ずつが混じった色といったところでしょうか」
シオンの腕から流れている血は、葡萄酒よりもやや青みがかった紫色をしていた。物珍しそうに、じっと見つめるシェイドに、
「念のためお聞きしますが、飲んでみます?」
「遠慮しておく」
即答だった。

「そうですよね、私よりエステリアさんの方が良いですよね」
「どういう意味だ?」
シェイドが不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「大体、あんたが妙なことを吹き込んでくれたおかげで、俺は毎日が拷問だ」
「妙なこと……とは?」

「毎日、毎日、俺の寝台に、エステリアが忍び込んでくることだ」
カルディア崩壊以降、これまでの隠し事への復讐として、シオンの入れ知恵で、エステリアは毎日のようにシェイドの部屋を訪れている。
「別にいいじゃないですか。貴方がたはお若いし、なによりまだ新婚でしょう? 旅の道中で公然と神子とじゃれるところを周囲に見せるわけにもいかぬ身なら、尚更、二人で過ごせるお時間は大切にしないと――別れなんて、いつ訪れるかわからないものです」
笑い話のように、さらりと言ってのけてはいるが、シオンはレンゲを設けてすぐに妻を失っている。
その事を思い出したシェイドは、自然と反論する気が失せてしまった。
シオンは、作り置きしていた薬湯を器に注ぐと、シェイドに渡し、何事もなく微笑んだ。
「この身体の俺には味なんてわからんぞ?」
「味なんて分からないほうが、幸せな飲み物ですよ、これ」
言いながらシオンも自分の薬湯を一口だけ啜った。

「貴方……子供の頃に、ルドルフ王太子と大喧嘩されたそうですね」
「誰に聞いたんだ?」
薬湯の入った器に唇をつけたばかりのシェイドが、顔を上げた。

「ここの宿主ですよ。なんでも獅子王レオンハルトがお亡くなりになって、一年後の式典での騒動で、有名な話だとか……」

「ああ、先王の死を悼むと同時に、新たな国王となったギルバート夫妻によるこれからのグランディアの繁栄を願う催し物だった。俺が五歳で赤毛が七歳、ユリアーナが六歳、アドリアはまだ生まれたばかりだった。
――あんたとは面識もなさそうだから、こんなこと言ってもしょうがないが……」

「獅子の兄弟国の王族は勿論、有力貴族なんかも参列されていたそうですね。当時のお嬢様方なんかは、ライオネル・デリンジャーや、オスカーさんの父親、ブライアン・パーシヴァルに熱を上げていたとか……」

「子供の頃だから、それは覚えてないな。それほど意識して周囲の人間を見ていたわけでもないしな」
シオンはシェイドの次の言葉を待っている。

「俺と赤毛の件については、喧嘩を吹っかけてきたのはあいつが先だ。獅子王直系の孫である自分が、俺ごときと同等に扱われるのが気に入らないとかなんとか――くだらない理由だった気がする。
ギルバート夫妻は困り果てていて、ユリアーナとクローディアは全面的に赤毛の応援、テオドール伯父は『あれぐらいの威勢がある息子が欲しい』と、俺の味方をしつつ、ヴァルハルトに話を振っていた」

「で、喧嘩はどっちが勝ったんですか?」

「勝つも何も……俺の母が倒れたから、そこで中断したようなものだ」

「心労で?」

「いや、グランディアの暑さに耐え切れずに……」

「え?」
拍子抜けしたようにシオンが言った。
極寒のメルザヴィアで過ごす事に慣れてしまっているソフィア王妃にとって、一般的に快適と言われているグランディアの気候も、酷でしかないのだ。
「ソフィアが倒れて周囲は騒然。運び込まれた部屋で、十歳ぐらいの淑女に看病してもらったと言っていた。ソフィアには、『このお嬢さんの方が貴方達よりずっとしっかりしてるわ』――とか皮肉も言われたな。その後、ソフィアはメルザヴィアから、世話になった人達に、沢山の贈り物をしていたようだ」

「貴方と赤毛さんの犬猿の仲はそれが発端ですか?」

「これが発端というよりは、あいつとは生まれながらに反りが合わん、それだけのような気がする。ところであんた、サクヤが警戒しているわりには、平静を保っているように見えるんだが?」

「平静ではありませんよ。この満月に至るまでの間、自分でも随分と攻撃的な性格になっていたと痛感しています。そのあたりがサクヤには危険とみなされたんでしょう」
考えて見れば、グランディアに到着してからというものの、シオンの言葉や、態度は日に日に刺々しさを増しており、会話の中には度々、国王夫妻や王太子に万が一のことがあれば――など、穏やかではない発言も目立っていた。
本人も言っていたが、彼もまた魔物の一種だ。月の満ち欠けによって肉体は勿論、精神面にも影響を受けるのだろう。

「まあ、月夜で私への懸念も考えられますが、サクヤは私達が全員、出払って、宿を空けるのは得策ではないと踏んだのでしょうね。白銀の騎士団がどこで目を光らせているかわかりませんし。ですから、残った私には、ここからできることを……大人しくグランディア全体に立ち込める瘴気や怪事件を起こす魔物の位置を特定しろ、といったところでしょう」

「怪事件の犯人とおぼしき魔物の位置なんて、特定できるのか?」

「よりにもよって満月ですから、どこもかしこも禍々しく感じるのが厄介なんですが、グランディアを東西に分けて考えたとして――大まかですが、ルーベンス教会側にある瘴気の方が強いような気がします。
考えてみれば、ディーリアス通りよりも、教会周辺の方が圧倒的に事件が多いわけですし。あの教会、もしくは森などに、凶悪な魔物が住み着いているんですかねぇ……」
シオンの口調は飄々としていて、まさに他人事といった感じである。

「こちらの宿主の話によれば、ルーベンス教会の前の司祭も、三年ぐらい前に失血死で亡くなったそうです。前司祭は、ディオスさんを拾って育てた方だそうで――」

「俺と赤毛の喧嘩話を聞き出したかと思えば……あんた、一体宿主とどんな話をしてたんだ?」

「世間話に決まってるでしょう? その話の流れで、いつの間にか、情報を得ただけです」
不服そうに答えると、シオンは続けた。

「前国王ギルバート夫妻暗殺後、ベアールの統治下で起こった『セレスティアの悲劇』のおかげで、当初は、国も随分と混乱していたようで、表沙汰にはなりませんが、その裏では様々な事件が起こってるんですよ。
一概にグランディアの『怪事件』として、民衆が挙げているのは、『惨殺事件』『失血死事件』『バラバラ死体事件』の三つです。時期的に、これらはセレスティアの宣戦布告後に多発したため、彼女の呪いだとかなんとか言われていますが、ルーベンス司祭の件でもわかるように、失血死事件などはかなり前から起こっていた。グランディアにとって面倒なことをひっくるめて『怪事件』と呼ばれているだけで、この全部がセレスティアの仕業、とは思い難いんですよね」
両腕を組んだまま、シオンが天井を仰ぐ。

「果たして、三つの事件のうち、どれが『本筋(セレスティア)』に、絡んでいるものなのか……」

「あるいは、全部ハズレだったりしてな」

「ちょっとシェイドさん、我々の労力を無に帰すようなこと言わないで下さいよ……」

「冗談だ。どれか一つぐらいは本物の事件だろう。ただし、そこに隠された目的まではよくわからない」

「目的――ですか?」
これまでの傾向からすると、単に国を混乱させるためだけに、セレスティアが事件を起こすとは思えない。
何かしら裏に目的があるはずだ。しかし、現段階で分かっている事柄から、それを割り出すのは難しい。
シェイドが面倒臭そうに溜息をつき、シオンは頭を抱えた。

「各事件で殺された人間は、騎士団の団員ばかり、女性ばかり、身形の良い者ばかりと聞き及びます。随分と、殺し方と殺される側の分類だけは、はっきりしているんですよねぇ……。奇妙なぐらいに」

「それが、事件の起こった現場に潜む魔物の特徴なのかもしれないな。だが妙なことならまだあるぞ。この三つの『怪事件』の話を聞くとき、必ずと言っていいほど『巷の噂』とやらが付きまとっている。
『ベアールの落胤』と、『願いの叶う光』について、だ。この噂も辿って行けば、落胤騒ぎはルーベンス教会の今の司祭に、願いの叶う光は、バラバラ事件の森へと繋がる――奇妙なことに」
シェイドとシオンの間にしばしの沈黙が流れる。

「……うちの姐御においては、ルーベンス教会の方を、やたら気にかけてるんですよね」
顎に手を添え、ぽつりと、シオンが言った。
「サクヤには何か思うところがあるのか?」
珍しくシェイドが驚きの表情を露わにしている。
「ええ。真意はわかりませんが、あの場所を調べたがっているのは事実です。やはりディオスさんが、貴方に似ているから、余計にでも気になるんですかね?」

「俺に似ていることが、どうして気になるんだ?」

「さあ。ですが、あの教会に行ってからというものの、サクヤの様子は明らかにおかしいんです。ディオスさんが貴方に似ていることが原因で、一種の悋気まで起こしている」

「悋気?」

「ええ。特に歴史資料館でのルーシアさんに対しての態度。いくらなんでも、普段のサクヤなら、無害な一般人にあのようにあからさまに意地悪を言う柄でもないんですが」

「あのサクヤが……か」

「おかしな話でしょう?」
なんと答えて良いからわからず、シェイドが顔をしかめた。

「とりあえず、サクヤの勘もだが、あんたが捉えたように、瘴気の大きさからして、ルーベンス教会周辺で起こっている二つの事件の方が『本筋』に近いのかもしれない。ただし……」
どちらが『本命』なのかまでは、現地で調べるより他、わからない。

「念のため聞くが、サクヤが気にかけているその教会で、失血死した前司祭の性別は?」

「男性です」

「なら、今回、教会周辺で失血死した人間が女ばかり、というのはただの偶然で、失血死事件そのものは古いと考えれば……」

「『願いの叶う光』が目撃され、なおかつバラバラの死体が見つかる森が『本命』っぽいですね」
貴方に相談した方が、話が早いみたいですね――シオンが自分の器に薬湯を継ぎ足す。

「……となると、今回『惨殺事件』の調査で、林に向かったエステリア達は……見事にハズレを引いたことになるんだが……」
シェイドが立ち上がり、窓辺に近づくと、鬱蒼とした林を見下ろした。

「あの林周辺では、一つ一つが浮かんでは消える……そんな魔物の気配を感じます」
窓辺に立つシェイドの背中を見ながら、シオンが言った。

「浮かんでは……消える?」
シェイドはシオンの方へ振り返ると、
「浮かんでは消える……魔物の気配……」
反芻しながら、今一度、窓の方へと向き直った。
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