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EternalCurse |
Story-106. | |||||||
国立歌劇場の歌姫、マルグリットは、『 「もうじき聖誕祭を控えているというのに……」 野次馬である人の中から、歌姫の突然の死を悼む声、惜しむ声、そしてすすり泣く声が次々とあがる。 「マルグリットは、全身の血を失って死んだらしい……恐ろしいねぇ……」 『月夜の黒猫亭』を後にして、現場に駆けつけたシェイドとエステリアは、ふとそんな声を耳にする。 「ねぇ、これって例の失血死ってこと?」 隣にいたシェイドにエステリアが尋ねる。 歌姫に外傷はあるのか、その眼で確かめてみたいところだが、既にマルグリットの遺体には筵がかけられ、葬儀を行うため、教会に運ばれつつある。 「失血死は確かだ。だが……傷口の場所が問題だな」 「傷口?」 「マルグリット――だったか? あの遺体だが、腹の方から酷く血の臭いがする」 エステリアには全く感じる事ができないのだが、先程も言っていたように、今のシェイドの嗅覚ならば、遺体とは随分離れたこの位置からでも、どの部分から出血したのかわかるらしい。 「お腹から? じゃあ、歌姫は魔物にお腹を割かれたか、 「首から血を奪う紳士的な魔族ならまだしも、 半ば呆れるようにシェイドが言った。 まぁ、エステリアとは、これが普段通りの会話の流れなのだが。 「じゃあ、ルーベンス教会の事件とは別件と考えた方がいいのね?」 「ああ。魔物に襲われた、というよりは、人間関係のいざこざに巻き込まれた後、腹を一突きにされて――といったところか。何せ、人気の歌姫なんだろ?」 『怪事件』とは関係なさそうだ――そう言い残して、立ち去ろうとした直後、 「あ、グレイス――さん?」 エステリアが、人だかりの中に、グレイスの姿を見つけた。グレイスは運ばれる遺体に祈りを捧げた後、両手で顔を覆い、呼吸を整えていた。 「こんにちは」 いつも足を運んでいるというルーベンス教会とは真逆の方向で、グレイスと出会うなど思いもよらなかったエステリアは、シェイドを差し置いて駆け寄ると、声をかけた。 今日のグレイスは息子であるユーリを連れ立ってはいない。 「あら、神子様……」 「シェイド、こちらがグレイスさん。この間、話したでしょ?」 嬉しそうにこちらを見上げるエステリアに対し、 『だから、人前でその名前を呼ぶなというのに』――内心シェイドはそう思いつつも、 「こんにちは」 と、グレイスに軽く会釈してみせた。 「教会へはもう行かれた後ですか……?」 「いいえ、あれからしばらくは行ってないわ。夫に叱られてしまって」 「じゃあ、今日はどんな御用でここに?」 「ああ、歴史資料館に行く予定だったんだけど……途中でこんな騒ぎになってて。驚いたわ……。マルグリットの舞台なら、昔見たことがあってね……。でも彼女も、もう良い年だから、今度の舞台で引退する予定だったらしいのよ。何か嬉しい出来事があったようだし……。ルドルフ陛下の寵愛を受けていたぐらいだから、その伝で良いご縁があったのかもしれないわ、なのにこんな事になるなんて……残念だわ――っ」 ふいにグレイスの言葉が途切れる。 「あの……グレイスさん?」 「ごめんなさい。ちょっと蹴られちゃって」 心配そうにこちらを覗き込むエステリアに、グレイスは、困ったように笑いながら、大きなお腹を擦った。 「赤ん坊は――女の子か……?」 グレイスの腹を凝視しながら、ふと、シェイドが呟く。 「え? わかるの?」 「いや……なんとなく……そんな気がするだけだ」 「本当に女の子だったらいいんだけどね……。やっぱり色々と着飾ってあげれるから、私も寂しくないし」 「寂しい?」 「あ、ごめんなさい。なんでもないのよ、忘れて頂戴」 グレイスが慌てて手を振る。 もうじき臨月を迎えるというのに、夫は第二子の誕生を喜ぶどころか、一切、興味を示さない。 むしろ、煩わしく思っているようなきらいもある。心を開かぬ夫に代わって、グレイスにとって唯一の心の拠り所は、息子のユーリと、これから生まれてくる我が子の存在のみとなっていた。 勿論、このことは他の誰にも相談してはいない。 その心内をエステリアらに悟られまいと、グレイスは視線を逸らした直後だった。 「あら?」 「あの女の人……確か、サロンで……」 グレイスにつられるようにして、追った視線の先で、エステリアが目にしたのは、王妃付きの侍女、ネリーだ。 「あの方はベイリー提督の愛娘のネリー様よ」 マルグリットの遺体を見送るネリーの横顔を見つめたまま、グレイスがエステリアに耳打ちした。 無論、エステリアは王妃のサロンで、侍女として仕える彼女を眼にしている。 名前を聞いたのは今日が始めてのことだった。ネリーは胸の辺りが大きく開いた黒いドレスを身に纏い、スーリア製と思しき、金細工の装飾品を頭や耳、首や腕につけ、唇には炎のように赤い紅をさしていた。 以前、エステリアが見たときとは随分と印象が異なる出で立ちである。 「どうして王妃様の侍女がこんなところに?」 「きっとお買い物でも頼まれたのではないかしら? この辺りは貴族御用達の名店が多いもの。『月夜の黒猫亭』に行くつもりかも。その道中に出くわしたんじゃないかしら?」 「あの雑貨屋は、公妾のお気に入りのはずだ。王妃の侍女が出入りするとは考え難い。むしろ、ベイリーが出資しているとかいうパブの方に用があるんじゃないか?」 「あ、そっか」 「ああ、なるほど」 ほぼ同時にエステリアとグレイスが関心するように答えた。シェイドはどっと疲れたように溜息をつく。 「でも、ネリー様はお綺麗な方だけど、彼女が現れたときには、ひと悶着あってね」 「現れた――って?」 「元々ベイリー提督と本妻の間に、お子様はいらっしゃらなかったの。ネリー様は、そうね……提督がスーリアで出会った女性に産ませた子なの」 「要は……スーリアで出会った行きずりの女に手を出した、と?」 シェイドの声に、グレイスが頷く。 「ええ。そうよ。それで十年ぐらい前だったかしら、突然ネリー様がベイリー提督のお屋敷を訪れて……認知してくれと、押しかけたそうなの」 「でも、どうしてそこで我が子とわかるんですか? もしかしたら、お金目当ての騙りかもしれないのに」 「それが、ネリー様は、自分の母親がベイリー提督から貰ったという、ペンダントをつけていて、それで提督も観念したみたい」 「ペンダント……」 たった一夜の相手にせよ、その妾に産ませた庶子にせよ、身分のある男は手切れ金として、それなりの贈り物を与えた後、相手と別れるのが礼儀、貴族の習いなのだ。 グレイスの話を聞くと同時に、エステリアはディオスの持っていた、赤い宝珠のことを思い出した。 ディオスにはあれほど見事な宝石を与えられているのだ。もし、贈り物の品に、両親の地位や権力が反映されているのだとしたら、たとえベアールの落胤でなくとも、ディオスの肉親は、力のある貴族か富豪だと伺える。 そのような宝石を所持しているだけで、より一層『落胤』として白羽の矢が立てられてしまうのではないか。 ルーシアの不安が、現実になるようなことがなければよいのだが――エステリアは、奇妙な胸騒ぎを覚えていた。 「でも……ネリー様の存在を知ったベイリー提督の奥様はね。夫の裏切りから心の病を患ってしまって……そのままお亡くなりになったのよ」 「心の病――ですか?」 「本妻でありながら、ベイリー提督との間に子供が産めなかったことが、よほど苦になっていたのでしょうね。ああ、たとえ妻に子供がいたとしても、男の人からしてみれば、目の前に綺麗な女性がいたなら、そんなこと関係ないのかもしれないわね」 無意識のうちにグレイスは自分の大きなお腹に手を置いていた。 もし、ネリーのような美しく若々しい――そして地位もある娘に夫が心を奪われたとしたら、間違いなく自分はウォルターに離縁されてしまう。 現に、グレイスが教会への訪問を辞めるきっかけとなった夜以来、肝心の夫は屋敷に帰ってこない。人伝に聞いた話によれば、ベイリー宅に世話になっているという。そのことが不安に拍車をかけていた。 「一つ、お伺いしたことがあるんですが……」 公妾に対しても物怖じしなかったシェイドが、グレイスに対しては、妙に丁寧な口調である。 なんとなくだが、グレイスには、養母のソニアの雰囲気に通じるところがあって、少々やり辛いのだろう。 「はい、なんでしょう?」 「亡くなったあの歌姫は、本来ならば、聖誕祭で舞台に出る予定だったそうですが、それは一体、どのような内容のものなのですか? 「え、舞台? 舞台は……その……」 グレイスが口ごもる。 「どうしたんですか?」 グレイスの反応は、まるで歴史資料館でのルーシアとほぼ同じである。 「あの……どうか気を悪くしないで」 一度断りを入れた後、グレイスは、シェイドやエステリアの顔色を伺いながら、 「聖誕祭でマルグリットが出る予定だった舞台は、『その神子の悲劇』っていうの。内容はセレスティアが題材の舞台で、彼女がいかにして亡くなり、怨霊となった後、ルドルフ陛下に討たれるのか……までを描いたものらしいの」 一気に言い終えると、申し訳なさそうに俯いた。 「その……神子の、悲、劇?」 エステリアは、言葉を途切らせながらも反芻し、隣にいるシェイドを見上げた。舞台への不快感を露わにするシェイドの表情は、まるで氷のように張り付いていた。 「随分と面白いことになっているわね」 戯れに滅ぼした小国の玉座に座り、まるで観劇を楽しむかのように、セレスティアは自らの力によって目の前に映し出されたグランディアの光景を楽しんでいた。 「セレスティア様」 磨きぬかれた床に響く足音。その持ち主はたった一人しかいない。 「どう? オディール。手はずの程は?」 「はい。着々と進んでおります」 「そう。さすがね。さて、あの赤毛の小僧は、どんな顔をするかしら……」 口元に指を当て、セレスティアが優艶に笑った。 「セレスティア様……」 オディールが玉座の前まで歩み出る。 「一体どうしたというの? オディール?」 突如、畏まり、その場に跪いたオディールの姿を、セレスティアは怪訝そうに見下ろした。 「厚かましい事と承知でお願いがございます。どうぞ、私にもお力をお分け下さい。私が持ち得る力のみでは、到底奴らと戦うことはおろか、このままでは……」 言葉を濁したオディールの唇が戦慄く。 「ですから、どうかお力添えを――」 「どんな手段を用いてでも、戦う力が欲しいっていうの?」 「私には、やり遂げねばならぬことがございます」 セレスティアはしばし沈黙すると、オディールに訊いた。 「それ以上の力を得るってことは、どういうことか、貴方もわかっているわよね?」 「はい」 「貴方が滅びるときは、身体も魂も砕かれて、ただの塵になるわ。それでもいいの?」 「構いません」 オディールの決意は固い。その声は異様なまでに落ち着いていた。 「仕方ないわね……」 セレスティアが指を鳴らすと、床の一部が波打ち、渦巻く。そのひずみから、愛馬であった セレスティアは小さな黒い宝珠を手に取ると、オディールに近づき、その身体に押し当てた。黒い甲冑をも通り抜け、宝珠はオディールの身体に吸収されていく。 オディールが、微かにうめき声を上げたようにも思えた。 それを見計らったように、召喚した二角獣の身体が膨れ上がり、弾け飛んだかと思うと、瘴気を撒き散らしながら、姿形を変えていく。 「さぁ、オディール。力が欲しいなら、貴方の覚悟を見せて頂戴……」 セレスティアが囁くと同時に、オディールは立ち上がると、何かに取り付かれたかのような足取りで、目の前に広がる混沌の前へと、歩みを進めた。 国王夫妻がマルグリットの訃報を知ったのは、久しぶりに二人きりの晩餐をとっていた最中であった。 「なるほど、マルグリットの遺体が水路から……か」 食事中に聞くには、いささか不快な話ではあるが、聖誕祭の催し物への影響もあってか、歌姫の生死がはっきりしたことは救いに思えた。致し方ないといった風に、ルドルフはワイングラスに口をつけた。 「なんとしたことでしょう……聖誕祭では代役を立てねばなりませんね……」 ヴィクトリアが伏し目がちに呟いた。 「聖誕祭まで、あと六日か……さて、どうするべきか」 グラスを持ったまま天井を仰ぎ見るルドルフに、早速ネリーがワインを継ぎ足す。 「珍しいな。王妃付きの侍女であるそなたが、給仕の真似事など……」 マルグリットの情報をいち早く国王夫妻に知らせたのは、ネリーである。 普段ならば、給仕役の侍女は別にいるのだが、この日ばかりは、ネリー自ら買って出たのである。 「折り入って、陛下と妃殿下に申し上げたいことがございましたので……」 「何事だ? 申してみよ」 「はい。グランディア王国が、このような時期にまことに恐縮なのですが、実は、『あるお方』と良きご縁に恵まれまして……いずれは陛下と妃殿下に結婚を認めていただきたく……」 「なんだ、そのようなことか……。して、そなたの婚約者とは?」 「紺色の守衛、ウォルター・バーグマンです」 「……そうか」 ベイリー提督の愛娘の嫁ぐ相手だ。富豪か、大貴族かと思いきや、名前も知らぬただの一平卒が相手であったことに、ルドルフはやや拍子抜けしたようであった。 「何分、私の婚約者の家は『複雑』ですので、是非、国王陛下に私達の間柄を『正式に』認めていただきたいのです」 国王夫妻の了承さえ得ることができれば、ネリーは堂々とウォルターとの婚約を正当化し、グレイスと離縁させることが出来るのだ。 「今、別件で父が、私の婚約者を連れて、陛下にお目通りを願う手続きを踏んでございます。その時にでも……」 「あいわかった。それにしても、マルグリットの訃報を知らせに来たかと思えば、同時に慶事を口にするとは、さすがベイリーの娘といったところか……」 半ば呆れたようなルドルフからの指摘に、ネリーは小さくなって、王妃の後ろに控えた。 「さて……」 「貴方? どうされましたの?」 まだ食事の途中であるにも関わらず、ふいに席を立ったルドルフを、ヴィクトリアは見上げた。 「マルグリットの代役を探さねばならぬ。そなたはこのまま、ゆるりと過ごすが良い」 「代役を探しに……? このようなお時間にですか?」 「さほど夜も更けてはおるまい」 「貴方、それは何も、今夜でなくとも……」 「今のうちに代役を立てておかねば、聖誕祭には間に合わぬ」 「それでも……! たまにはローランドの顔も見てあげてください。国王として公務に多忙な貴方に構って貰えず、あの子は寂しい思いをしておりますわ」 「ローランドの顔ならば、毎日見ているが? そう、臣下如きに怯えきった情けない顔ならな」 ルドルフからの痛烈な皮肉に、ヴィクトリアは返す言葉が見つからないまま、膝の上で拳を握り締めていた。 「そもそも、私は、ローランドの聖誕祭のため、その宴をより一層盛り立てるために、赴くのだが?」 「ですが……」 「ですが、何だ? 私がその事を建前に、女子の元へと足を運ぶとでも思っているのか?」 ルドルフが不快感を露わにする。 「そなたは最近、どうしてそうも落ち着きがないのだ? そなたは私の王妃で、王太子を産んだ女であろう? それだけは揺ぎ無い事実だ。堂々としていれば良いものを、何をそんなに怯えているのだ?」 「そ、それは……」 一方的に責められ、ヴィクトリアは口ごもった。 「心配せずとも、すぐに城には帰る」 ルドルフは、ヴィクトリアを冷たく一瞥すると、足早に退出した。不穏な空気を残したままの一室に取り残された王妃は、小刻みに肩を震わせている。 「王妃様……」 ネリーは慰めるように王妃に近づくと、震えるその背を何度も擦り上げた。 王妃は今にも泣き出しそうな顔で、ネリーを見つめた。 ネリーは、何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべると、王妃の手に薬瓶をそっと握らせた。 |
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