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EternalCurse |
Story-105.公妾との奇妙なひととき-U | |||||||
今日のブリジットの装いは丸型のヘッドドレスを頭の右につけ、ターコイズブルーと黒いフリルが基調の首元を詰めたドレスを纏っていた。ブリジットは優雅な仕草で 「デリンジャー侯爵夫人……!」 「お前、なんでそんなに嬉しそうなんだ?」 「だって、すごく綺麗な人よ?」 「なんだ、お前、ああいうのが好みなのか?」 正直、エステリアが得体の知れない公妾に興味を示すなど、シェイドにとっては面白くない展開である。 「愉快な銀髪の君もごきげんよう」 「……勝手に名前をつけるな」 シェイドはふて腐れるように言った。 「ウェンディも、変わらないかしら?」 「ああ。久しぶりだね、ブリジット。お茶を入れるから座りな」 女主人に促されるまま、ブリジットはエステリアの傍まで来ると、近くにあった椅子に腰を下ろした。その所作の一つ一つが、美しく、エステリアは感嘆の息をついたかと思うと、ふと我に返り、 「この間はありがとうございました」 ブリジットに礼を述べた。 「なんのことでしょう?」 「サロンで助けてもらったことです。私の頬に口付けする傍ら、毒物を口にしないよう、注意してくれたでしょう?」 「頬に口付け?」 シェイドが不機嫌そうに呟く。 「ああ。あのことですか? あれは私の悪戯ですわ。貴方様があまりにも無垢で可愛らしいので、頬に口付けただけのこと。その後は何も言った覚えなどございませんが?」 あくまでブリジットは、話をはぐらかすように言った。 「気持ちにお答えできなくて、ごめんなさいね。可愛らしいお方……」 申し訳なさそうに微笑むブリジットは、やはり国王の公妾という立場上、事実を認めるわけにはいかないのだろう。心中を察したエステリアが、軽く頷く。 「あ、夫人。ドレスに髪の毛が――」 失礼します――丁度、ブリジットの胸のあたりに、光る一筋の髪が張り付いていた。エステリアが断りを入れ、その髪の毛を取り払う。黒地のフリルと光の反射もあってか、明るく見えたその髪は、いざ手にとってみれば、青灰色であった。長さから考えても、女の髪には見えない。 「もしかして、ここに来る前に、甥御のオスカーさんと会っていたんですか?」 「ええ。よくわかりましたね。さすがは神子様ですわ」 「なんとなく……なんですけど……」 ブリジットに褒められて、エステリアは心なしか嬉しそうである。 「あの、そういえば、白銀の騎士団のオスカー団長と、侯爵夫人は甥と伯母の関係にあたるのに、どうして団長は夫人直属の護衛ではなく、レオノーラさんが務めているのですか?」 「あのね、可愛らしいお方。いくら親戚筋とはいえ、白銀の騎士団の団長を妾ごときの護衛に据えては、申し訳ないわ。元より、私の夫、ライオネルとオスカーの父親は腹違いの兄弟です。跡目相続の衝突を避けるために、二人はデリンジャー家とパーシヴァル家に分かれ、一定の距離を保ってきた。 パーシヴァル家は影の一族。必要以上にデリンジャー家の人間と関わることをよしとしません。ですからオスカーは私の護衛をあえて避けているのでしょう。だからあの子にはなかなか会えないの。それでも夫は甥のオスカーを可愛がっていたようだけど……」 ブリジットは、どこか寂しげな表情で話を続けた。 「私とライオネルが結婚したのは七年前。四十路を過ぎたライオネルは、晩婚でした。私達の間に子はいませんし、結婚前に、ライオネルに庶子がいるという話も聞きませんでした。ですから夫にしてみれば、疎遠になっているとはいえ、甥の成長を見守るのが一つの楽しみだったのでしょう。甥が白銀の騎士団に入団したときの夫の喜びようは……今でも忘れません」 「そのライオネルやオスカーは、僭王やあのような現国王に仕えていて、なんの不満もないのか?」 シェイドが訊いた。 「夫ライオネルの父親は、廃嫡されたエドウィン王太子の妻、ヒルダの弟です」 つまり、ライオネルから見れば獅子王の兄にして、廃嫡されたエドウィン夫妻は、母方の伯父と伯母、オスカーにしてみれば大伯父と大伯母にあたる。 「母方の実家である一族が王家の系図に記載されることはありません。無論、現国王の親戚筋と名乗ることも畏れ多い。けれども、王家に連なる一族としての誇りはあります。愛国心も人一倍強いのでしょう。 それに……ご存知ないかもしれないけれど、オスカー自身はすでに廃嫡されているのです。パーシヴァル家は彼の弟が継ぐことになっているの。だから一層、彼はこの国のために忠義を尽くすことができるのです」 「どうして? オスカーさんは長男なのでしょう?」 「ええ。でも甥は、白銀の騎士団に入団し、国王の命によっては諜報活動も行っている。命がいくつあっても足りないでしょう? ですが、たとえ死ぬことになっても、それが家のためではなく、この国のためと思えば、苦にはならないはず」 甥の心中を語りながら、ブリジットが手元に視線を落す。 「あんまり辛気臭い顔すると、化粧が崩れるよ? ほら」 女主人のウェンディが、ブリジットのドレスが汚れぬよう、膝掛けをかけると、テーブルに店のハーブティーが注がれたカップを並べた。 片や一介の店の主人と片や侯爵夫人であるというのに、身分の差を感じさせないほどに、二人は、心を許しあっている関係のようだった。 「あんた達もついでだ。この子と仲がいいんだろ?」 公妾とエステリアらは、別に仲が良いというわけでもなく、むしろ国王を介してみれば、現在敵対関係にあるはずだ。だが、こうも女主人にふんぞり返って薦められると、その厚意を無碍にするわけにもいかない。困ったようにエステリアがシェイドを見上げると、 「ありがたく頂きます」 意外にもシェイドは、素直に礼を述べて、着席した。 向かい合わせに座ったシェイドと公妾が醸し出す雰囲気は、妙に物々しい。間に入っているエステリアはその空気に飲まれるように、萎縮した。 「あんたの側近であるはずの侍女はなにやってるんだ?」 先に話を切り出したのはシェイドであった。 「レオノーラなら、伯爵家での公務にあたっているはずですが?」 「あんたの侍女、昔は王妃候補だったそうだな。世が世なら、あんたと立場が逆転していただろうに。何故、あの女は侍女という地位に甘んじているんだ?」 「確かにあの娘は、次期王妃として最も有力な候補の一人でした。当時公女であったヴィクトリア様が、あの時、ローランド様を身籠ることがなければ、今の王妃はあの娘だったかもしれませんね」 どこか冷めた口調でブリジットは答えた。 「なんだ。国王は既成事実ができたから、仕方なくあの王妃と結婚する羽目になっただけか」 シェイドもまた公妾と同じく、冷ややかな口調である。 「ああ、レオノーラで思い出したわ。ウェンディ、あれを見せてもらえるかしら?」 「はいよ。これだね」 女主人は、棚の中から、宝石入れを取り出すと、ブリジットの前に置き、蓋を開けた。 「もうじき、レオノーラの誕生日ですの。その贈り物を考えてはいたのですが、迷ってしまって。神子様、よろしかったら選んでいただけませんか?」 「え? 私でいいんですか?」 突然指名され、エステリアは驚きを隠せなかった。 「貴方に選ばれたのなら、何かご加護があるかもしれません」 「一介の侍女相手に、侯爵夫人がどうしてそこまで尽くす?」 「彼女は私の想い人――と言ってしまえば語弊があるかもしれません。ですが私にとって、彼女は大切な人であり、戦友でもあります。レオノーラは、本来ならばもう婿を迎えていてもおかしくない年齢です。女を捨ててまで剣など取らずに、伯爵令嬢としてもっと楽な生き方もあるでしょうに。神子様、何かお気に召すものはありますか?」 「えっと……私は……これが良いかな……」 エステリアは、並べられたペンダントトップの中から、四葉型の銀細工に、小さな 「この石なら、きっと女性として、幸せになれると思います」 「ありがとう神子様。ウェンディ、これを銀の鎖に繋いで、それから化粧箱に入れて頂戴」 ブリジットが早速、女主人に命じた。 「お前、なんで四葉を選んだんだ? あの石なら、月型の銀細工を選んだ方がしっくりこないか?」 「え? だって、レオノーラさんの幸せを祈るんだったら、満ち欠けのある月はあまりいただけないわ」 「そんなものか?」 「貴方だったら、どれを選んでいたのよ?」 「銀細工のものではなくて、石が三連に繋げられたやつだ。そっちの方が胸元が華やかになるだろ?」 「え? それじゃあ、一つでも石を無くした時が探すのに大変よ……」 シェイドとエステリアのやり取りを聞きながら、ブリジットがソーサーを手にしたまま、クスクスと笑った。 「お二人を見ていると……まるで恋人のようですわね」 「言うまでもなく恋人だが?」 シェイドが何食わぬ顔で言ってのける。 「ちょっと、シェイ……」 思わず本名を呼びかけて、エステリアは咄嗟に飲み込み、 「もう……。あまり言いふらさないで」 と、誤魔化したが、ブリジットがこれを聞き逃すはずがない。ハーブティーを口にする傍ら、上目使いでこちらを見たかと思うと、 「恋人……ね……」 その目を細め、薄い笑みを浮かべる。 「全てが終われば神子も役目を終える。その後に人として当たり前の幸せを手にして、何が悪いんだ?」 「私は神子様に恋人がいらしたところで、悪いとは一言も口にしておりませんわ。むしろ、恋人としての未来がある、お二人が羨ましい」 ブリジットは自嘲するような口ぶりで答えたかと思うと、 「ところで――神子との『聖婚』とは一体何のことでしょうか?」 仕切り直すように、尋ねた。 「え?」 突如、公妾の口から飛び出した『聖婚』という言葉に、エステリアは勿論、シェイドも虚を突かれたようで、微かに目を見開いた。 「どうしてその事を知っている?」 尋ねるシェイドの声が、心なしか低くなる。 「ルドルフ陛下はご存知ではありませんが、昔、占星術を生業としている者が、ベアールにそう告げていたのを耳にしましたので、ふと気になっただけですわ」 「なぜ、国王には打ち明けず、それを自分の胸にしまいこんでいるんだ?」 「私はとても気まぐれですので――ああ、ウェンディ、この可愛らしいお方に、 ブリジットが向こう側でネックレスを梱包している女主人に声をかけた。 「え、あ、ちょっと、そういうのは、困ります……」 「遠慮しなくていいのよ、可愛らしいお方。化粧で見た目から変えていくのも良いけれど、やはり美しさは内側から育むべきだわ」 「あ、はい……」 「そうそう、ルドルフ殿下からの言伝ですが、『怪事件』は聖誕祭までには解決するように、とのことですわ」 「え?」 「だって……聖誕祭でのせっかくの余興を『怪事件』や、セレスティアに邪魔されたくないでしょう?」 胸の前で、軽く両手を合わせたまま、ブリジットが微笑む。 こちらを驚かせるような発言をしたかと思えば、急に友好的な態度を取り、そしてやはり全ての心を許すには、いささか危険であるという事を、確信させる人物である。 「あんた、俺やガルシアと会った時に言ったよな。いざと言うときは、自分の口利きで国王に取り成してもいいと」 「ええ」 「ならば、万が一、俺達が『怪事件』の解決に間に合いそうにないと、判断し、国王に降伏する場合は、どうしたらいい? あんたに会いに行けばいいのか?」 「降伏するおつもりですか?」 「ほとんど売り言葉に買い言葉の状況で、謁見の代償に『怪事件』の解決を引き受けたようなもんだ。 正直、『怪事件』の解決に奔走して時間を割くぐらいなら、セレスティアを引きずり出して、直接叩き潰した方がてっとり早いというのが、俺の本音だ。だから降伏も選択肢の一つとしてあるだけだ」 「ああ、そういえば、『怪事件』を解決するまでは、どちらにしても貴方がたは陛下とは、謁見不能の状態でしたね」 「ややこしい話だがな」 「ならば、やはり降伏の際は、私を通して陛下にお伝えした方が賢明でしょう」 ブリジットは続けた。 「万が一、私に降伏を申し込む場合、訪れるのは貴方ですか? それともジークハルト殿下でしょうか?」 「どうしてそこで王太子の名が出る?」 「国王陛下と腹を割って話せるのは、王太子殿下の役割と踏んだからです。そもそも、貴方が神子の一行の中で、どのような立場であるかは存じ上げません。ですが、例え神子様の『恋人』であったとしても、実質『英雄』である殿下よりも、前に出ることは、許されないはずでは?」 「とか言いながら、それとなく王太子の居場所を聞き出したいんだろ? 国王からの命令か? どうして神子の謁見すら断る奴が、王太子に関しては血眼になって探すんだ? 罠にでも陥れるつもりか?」 「その口ぶりからすれば、貴方は殿下の居場所をご存じなのですね?」 「当たり前だ」 「私個人が、その殿下にお会いしたいと言っても、お教え願えませんか?」 「あんた、外交官なんだろ? 正直、あんたの言葉はどこまでが嘘で、どこまでが本気か、わかり辛い。本当に個人的に王太子に用があるのだとしたら、上面だけ取り繕う真似なんぞ止めてから、話をすることだな」 「手厳しいお方ですこと」 「逆に言えば、あんたが本気で国王を裏切る気になったら、上手く付き合えるのかもしれんということだ」 そして、シェイドはこうも付け加えた。 「だが、あんたなら案外、王太子の居場所を見つけるかもしれないな」 王太子なら目の前にいるというのに――二人のやり取りを聞きながら、エステリアは膝の上でぎゅっと拳を握り締める。そんな中、 「ほら、ブリジットからの贈り物だよ」 綺麗に包まれた茶の缶が女主人からエステリアに手渡される。 「ありがとうございます」 エステリアは、女主人にお辞儀をした後、贈り主であるブリジットにも礼を述べるべく、向き直った。 その時――、 「大変だ! ウェンディ!」 おそらくはこの雑貨屋に、商品を卸している業者なのだろう。中年の男が、勢いよく店の扉を開けた。 「どうしたんだい? 騒々しい」 女主人は腰に手を当てて、軽く肩を落とした。 「ち、近くの水路から、あの『 突如として入った思わぬ知らせに、エステリアとシェイドが椅子から立ち上がる。 国立歌劇場、人気の歌姫の訃報を耳にしたブリジットは、ただ静かに目を伏せた。 |
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