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EternalCurse

Story-104.公妾との奇妙なひととき-T
それは、歴史資料館を出た直後、エステリア一行が宿屋に戻ろうとした時の出来事であった。
「俺達は俺達で、やるべきことがある。ついて来い」
シェイドはそれだけ言うと、突如としてエステリアの手を引き、別方向へと歩き出したのである。
「ちょっと、シェイド、どこに行くのよ! 私達、今夜は『惨殺事件』のあった現場に行くんでしょ? 今から皆みたいに、宿屋に帰ってお昼寝しないと、夜に支障をきたすわ……」
「昼寝の時間を割くほど、時間はとらせない。行き先はすぐそこだ」
「もう……」
目的地すら教えてもらえぬまま、シェイドの歩幅に合わせながら、エステリアは渋々ついていく。
「ほら、もう見えているぞ」
シェイドがディーリアス通りの一角にある、赤レンガで建てられた店を指差した。壁にびっしりと這う蔦が、その店の年季を物語ってはいたが、それだけでは、ここが如何なる店なのかまでは見当も付かない。
エステリアは一通り見回した後、店の看板を見上げた。看板には、色あせた青地に三日月と猫のシルエットが描かれており、その下に『月夜の黒猫亭(シャ・ノワール)』という店の名が書かれていた。

「ちょっと……昼間から何考えてるのよ!」
店の名を目にした瞬間、急に怒り出したエステリアが、シェイドの手を振り解く。
「は?」
「は? じゃないわよ。いくら皆が宿屋でお昼寝中で、ばつが悪いからって……こんなところに入ってまで、やるべき事をやるっていうの?」
「……最近、思うんだが……お前の想像力の豊かさには感服するぞ……」
凄まじい剣幕で、一方的に非難を浴びせてくるエステリアに、シェイドは頭を抱えた。
「ここは装飾品(アクセサリー)や化粧品から飲食物まで揃う老舗の雑貨店だ」

一応は見てくれが気になる年頃の娘だ。たまには連れ出してやれ――と近頃サクヤに促されたシェイドにしてみれば、『月夜の黒猫亭(シャ・ノワール)』――そのような看板を目にした途端、いかがわしい店と勘違いしたエステリアの反応は、全くの想定外であった。
「だいたい、ここは貴族御用達の通りだぞ? その手の宿屋があるわけがない」
「あ、ああ……そうね」
「お前、爪を染めてみたいんだろ? これまで行く先々では、ろくに息抜きもできなかったんだ。怪事件の解決も大事だが、少しぐらいここで買い物を楽しんだところで、罰はあたらないだろ?」
シェイドの気遣いに、エステリアは自らの早とちりを恥じるように俯くと、もう一度、シェイドの手を握った。
「ちなみに、この店の向い――つまりは今俺達の背中にある店は、ベイリーの息がかかったパブで、スーリア人がよく出入りしているらしい」
「確か、黒い噂の絶えない提督だったわよね?」
「ああ。怪事件とは直接は関係なさそうだ、とサクヤは言っていたが……いつかはひと悶着起こしそうな気はする」
言いながら、シェイドはエステリアと共に、老舗雑貨店の扉を開いた。


店舗の古びた外装とは裏腹に、『月夜の黒猫亭』の内装は、まるで年頃の貴族の娘が使う衣裳部屋のように、可愛らしいものであった。縁取りに妖精や花が彫られた白い三面鏡。寝台に吊るす天蓋の数々、そして、動物を模した陶器の置物に、装飾品、香水、化粧品、香油や、缶に入ったハーブティーなど、幾多の商品が、見栄えよく、机や棚、台の上に並べられており、エステリアは店に入るなり、物珍しい品の数々に眼を輝かせた。
そんな中、たった今、商品を手にして店の出口に向かう客と、入れ替わるようにして現れたエステリアとシェイドを、ちらりと見た店の女主人は、見たところ六十代半ばで、見事な白髪を高く結い上げ、金で薄く縁取られた肩眼鏡をつけていた。加齢と共に痩せた瞼には、淡いピンクの色粉を、唇にはドレスと同じボルドー色の紅を引き、その上から艶やかな天鵞絨(ビロード)の黒いコートを羽織っている。
貴族御用達しの雑貨店の主人――というよりは、正直、まだ現役の酒場のマダム、といった感じだ。
「ゆっくりしていきな」
女主人がぶっきらぼうに声をかける。本来なら、客に対する第一声は『いらっしゃいませ』のはずなのだが、見た目そのままの女主人の口調に、エステリアは苦笑した。
早速エステリアは、テーブルの上の液体が入ったガラス瓶を手にとって見た。
「香水だけはやめてくれ」
即座にシェイドが反応した。
「どうして?」
「俺の嗅覚は人間の身体の時の数倍だ。匂いによっては嗅いだだけで死にたくなる……後から色々と混ぜて作った匂いは特に、だ」
まだ瓶の蓋すら開けてないというのに、既に眉間に皺を寄せているシェイドを目の当たりにして、エステリアは渋々瓶を元の位置に戻す。
「貴方の身体って本当に人の形をした獣みたいね」
「それは皮肉か? 聞こえようによっては誤解を与えるような言い草だぞ」
「かもしれないわね」
言いながら、エステリアは香水よりもさらに大きめの瓶を手にとり、
「これは何?」
と、尋ねた。
「杏の種から搾り取った整髪油だ。男女兼用だな。グランディア人は茶色い髪や、灰色がかった髪の持ち主が多い。だから髪の艶や質感を出すのに、重宝されている」
「貴方は日頃からこういうものは使ってたの?」
「俺は元々黒髪だぞ? こんなものをつけた日には、『あら、シェイド、髪がベタベタね、雨にでも打たれたの?』とソニアに言われるのがオチだ」
「金髪の私がつけたらどうなるの?」
「お前の場合は淡い金髪だから、あまり映えないかもな」
「そう……」
再び、台に瓶を戻したエステリアが次に目をつけたのは、掌に収まるほどの銀色の缶の数々だった。
「それは練り白粉だ。特別な油を使わないと落せない。だが、長持ちはするそうだ」
「蓋には一角獣(ユニコーン)が彫られてるけど……どうして?」
「一角獣は、貴族には人気がある題材(モチーフ)だからな。一角獣は乙女の象徴でもあり、貴族も王族も、その角に宿る治癒能力に、永遠の命という夢を描いていたりする。これは女ものの化粧品だから、意味としては、永遠の美貌――といったところか」
「そういえば……一角獣の夢なら、ずっと前に見たっけ」
「いつ?」
「貴方に手篭めにされた直後」
先程から幾分も経っていないというのに、早速、二度目の皮肉である。
いや、エステリア本人にはそのような自覚はなく、むしろ無意識で口にしているのかもしれない。しかし、シェイドの表情は微かに張り付いている。
「ねぇ、さっきから気になってるんだけど、貴方はどうして色々と詳しいの?」
他人の気も知らぬまま、エステリアが訊いた。
「女官や侍女、貴婦人らの話を聞いていれば、嫌でも覚えるさ。それに、この店は母が利用して……」
と口にした、シェイドは、
「俺が言ってる母はソフィアの方だが」
エステリアから『どちらの母か』を尋ねられる前に言い直した。

「お前も実物を見たからわかるだろうが、ソフィアはメルザヴィアでも珍しいほどに色が白い。他所の国から取り寄せなければ合う白粉がないんだ。だからヴァルハルトは母のために、この店に白粉や化粧品を頼んでいた。ここでは貴婦人に必要なものなら、何もかもが揃うからな。だから『月夜の黒猫亭』のことは知っている。あの女主人の名前もな」
「あの女主人……なんていうの?」
「ウェンディ。顔に似合わず可愛らしい名前だろ?」
こういうことに関しては、さすがのシェイドも小声である。エステリアも本人に気付かれぬよう、小さく頷いた。
「金なら余っているから、好きなものがあったら、遠慮なく買えばいい」
「ありがとう。シェイド」
表情を綻ばせたエステリアは、早速、自分の肌に合った色の白粉を一つ買うことにした。
次は爪を染める染料を探していると、棚の中に収められた小箱と丸型の小物入れに眼が留まる。
長方形の小箱には、愛を司る女神の絵が描かれ、ブロンズで出来た小物入れ表面には、涙を流し祈りを捧げる聖母の像が彫られている。
その絵柄や造形に惹かれ、エステリアが手を伸ばした矢先――その手首を急にシェイドが掴んだ。

「ちょっと……今度は何?」
「それは普通は使用人に頼んで買ってきてもらうものだ。誤解されたくなかったら、手に取らないほうがいい」
「え? でも、こんなに綺麗で可愛いのに?」
「お前はその中身がわかってないから、そう言えるんだ」
「何が入ってるの?」
興味津々に尋ねるエステリアに、シェイドはいささか困ったような表情を見せると、
「小箱は避妊のための道具、小物入れは堕胎薬だ」
消え入りそうな声で答えた。箱の中身を聞いた直後、エステリアは反射的に手を引っ込めた。
「な、なんでそんなものが、こんな可愛らしい入れ物に入っているの?」
「そういうものだからこそ、わざと見栄えの良い入れ物に入れて売るんだろ? あからさまだと買い辛いから」
シェイドの言い分は、全くもって正論である。
「や……やっぱり、こういうものを買う人いるの?」
「こういったものが国で正式に出回り始めたのはここ数年の間だ。二十年ぐらい前まではこんなものがなかったから、病気も蔓延した。その上、不義の子でも出来ればそのまま産むしかない時代だ。だから家督相続や、遺産配分といった、血縁関係での厄介事が絶えなかったらしい」
「へぇ……」

「あんた達、そんなところで何を揉めてるんだい?」
いわくつきの商品の前に佇む二人がよほどおかしく思えたのだろう、女主人ウェンディが声をかけてきた。
「あ、いえ、なんでもありません」
エステリアが作り笑いをしてみせる。
「火遊びをするにも、ある程度はマナーってもんがある。きちんと守るこったね。とくにそこの銀髪のアンタ、女を泣かせることをすんじゃないよ? それともここの商品じゃ不安かい? 即効性が欲しいのなら、堕胎薬は向いのベイリーのパブで買いな。ついでに向かいは麝香なんかも取り扱ってるよ。ただしあっちはスーリア製だ。健康の保障なんてないがね?」
女主人は貴族相手の商売とは思えぬほどにずけずけとものを言う。
「なんだか……サクヤみたいなお婆さんね」
「サクヤみたいな――というより、サクヤと同世代だぞ?」
サクヤは見た目こそ二十代前半ではあるが、実年齢からすれば、とっくに六十を過ぎている身である。
「人生において、酸いも甘いも知り尽くした女というのは、誰もがあんな感じになるんじゃないか?」
「なるほど……」
エステリアは神妙な面持ちで同意を示した。
その後、興味を持ったいくつかの小物を手すると、会計のため、女主人の元へと向かう。

「あ、ブリジットさんの絵……」
気が付けば、女主人の背後には、公妾ブリジットをはじめ、額に入れられた貴婦人達の肖像画が、掲げられている。つまり、この店は彼女達のお墨付き、ということなのだろう。
「これはお得意様方の絵だよ。ブリジットもよく訪れる。まぁ、こっちのブリジットは二人目だけどね」

「二人目……? じゃあ、前にもブリジットと名の付く人がいたってことですか」

「ああ、いたさ」
女主人は古びた引き出しから、一枚の肖像画を取り出しエステリアの前に差し出した。
「これが一人目のブリジットさ。元々、白銀の騎士団の前団長、ライオネル・デリンジャーと懇意であった娘で、よくこの店に通っていたよ」
目の前に置かれた肖像画には、ローズブラウンの髪を結いあげ、若草色の優しげな瞳が印象的な女性が描かれていた。
「ブリジット・オルセン――といってね。明るい娘だった。けれどもライオネルと引き裂かれ、僭王ベアールに無理矢理愛妾にされたのさ。前王妃コンスタンツ様によく似ているって理由でね」
僭王ベアールが、ルドルフ国王の母にして、先王ギルバートの妃コンスタンツに横恋慕していた、という話なら、今しがた歴史資料館にて、耳にしたばかりだ。
「このブリジットさんのその後は……?」
「さんざんベアールに弄ばれた後に亡くなったよ、もう二十年ちょっとぐらい前になるかねぇ……可哀想に」
「そうなんですか……じゃあ、このブリジットさんは『今の』ブリジットさんとは、名前が同じなだけで、血縁関係なんかはないってことですね」
改めてエステリアは女主人ウェンディに尋ねた。
白銀の騎士団の前団長ライオネル・デリンジャーが、奇しくもかつて懇意だった娘と同じ名を持つ妻を娶ったことが、なんとも皮肉に思えるのと同時に、気になったのである。

「今の? ああブリジット・ミルドレッドの方かい? 勿論、前のブリジットとは血縁関係なんてないさ。共通点はといえば、この店のお得意様ってとこかね?」
女主人が軽く溜息をついた。
「今のブリジットの事なら、まだあの子が子供だった頃から知っているよ。なんだって、今は、あんなことをやってんだかね……」
あんなこと――とは、おそら公妾という立場を指しているのだろう。と、その時、店の扉に備え付けられた呼び鈴が小さな音を立てる。来客だろうか――エステリアとシェイドが扉の方へ振り返ると、
「ごきげんよう、可愛らしいお方」
噂の公妾が立っていた。
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