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EternalCurse |
Story-101.背信 | |||||||
「なかなか、止みませんね……」 三日前の晩から振り続けている雨に、いつもよりも早く窓を閉めながら、ルーシアは溜息をついた。 燭台の炎だけが頼りとなってしまった室内に、次々と灯りをともしてまわる。 すぐさまそこは柔らかい光が満ち溢れ、同時に安堵感が生まれる。 いや、安堵できるのは、ディオスと共に、この部屋にいるからかもしれない――ルーシアは先にテーブルに着席している司祭に視線を送ると、頬を染めた。 「どうしたのです? ルーシア?」 突然、ルーシアの動作が止まってしまったことを、音で感じ取ったのだろう。ディオスが尋ねる。 「あ、いえ。申し訳ありません」 「作業が終わったのなら、こちらにおいで。一緒に食事を取りましょう」 「はい……」 ディオスに促され、ルーシアは小さく頷くと、着席した。 「……この国は、日に日に物騒になる一方ですね」 麦のパンを千切りながら、ディオスがぽつりと呟いた。 『怪事件』のことは、教会を訪れる人々から毎日のように聞かされている。それも時間が経つにつれ、どんどん手口は残虐性を増しているというではないか。 「……聞いたところ、あの宣戦布告以降は、グランディア周辺の様々な地域で、セレスティアによる襲撃が行われている、とも耳にしました」 「では……いずれはたくさんの避難民が、このグランディアを頼って訪れるかもしれませんね。ディオス様……」 「ええ。教会としては、できる限り、そういった方々に尽くさねばなりません。故郷を失ってしまったのならば、尚更です。彼の者達を受け入れる事――理解してもらえますね? ルーシア」 「ええ。勿論です」 力強いルーシアの答えに、ディオスが表情を綻ばせた。そんなディオスにつられて笑ったルーシアの脳裏に、 『ベアールの落胤』という言葉が過ぎる。 いつの頃からか囁かれ始めたこの噂は、今や街中に広がりつつあった。 真偽の程はわからない。何故、ディオスがそう思われているのか、根拠すら掴めない。 中央の大国という名とは裏腹に、このグランディアに立ち込める閉塞感、そして、皆、口にこそ出さないが、 そういったものが募って、このような愚にもつかない幻想を作り上げているだけなのかもしれない。 しかし、水面下では、反国王派の組織なども、いくつか息を潜めていることだろう。 そのような者達が、ベアールの落胤の噂を真に受けたとしたら――確実にディオスは、利用されてしまう。 それをこの司祭に伝えるべきか、否か――。 「ルーシア?」 「あ、いえ……なんでもありません……」 やはり言えるわけがない。ただでさえディオスは、毎日のように教会を訪れ、『怪事件』に怯える住民らの相談に乗り、同時に我が事のように心を痛めている。 その上、余計な心配事を、それも自身の出生に関わるかもしれないことを、今の時点で抱え込ませるわけにはいかない。 「えっと……ディオス様は、森の中に現れる金色の光の噂はご存知でしょうか?」 ルーシアはディオスの詮索を受ける前に、話題を変えた。 「いいえ……その光がどうしたのです?」 「なんでも、その光に会えば、願いが叶う……と言われています。殿方であれば、至福の悦びを得ることができるのだとか。もし……森に入って、その光を見ることが出来たなら、私はディオス様の目を治して戴けるよう、祈りますのに……」 「ルーシア。ここのところ、森の周辺で『怪事件』が起こっています。森は危険です。間違っても踏み入ってはいけませんよ。貴方を危険に晒してまで、その願いの叶う光とやらにすがろうとは思いません。何より、私がこうして生きていけるのは貴方のおかげです」 ディオスは一呼吸置いて、ゆっくりとルーシアの方へ手を伸ばした。 「私にとっての光は貴方だけですよ、ルーシア。これからも傍にいておくれ」 ディオスの手が、ルーシアの頬を撫でる。 「はい」 ルーシアはその手に、自らの手を重ねながら、穏やかな顔で頷いた。 聖誕祭まであと、六日となった朝、グランディアの本宮では、朝見が開かれていた。 謁見の間には国王夫妻は勿論、白銀の騎士団、黒曜の艦隊の提督、ベイリー、そして宰相、文官、諸侯など一堂に会していた。 また普段は王太子と共に寝起きする王妃が、この場にいることも珍しく、参じた者達は目を見張った。 ただし、公妾であるブリジットの姿はここにはない。 それでも今回、王妃が朝見に同伴するということは、国にとってある種の決断、あるいは何か重要な報告があるのかもしれない――そう勘ぐる周囲によって、次第に空気が張り詰めていく。 「皆の者に重大な知らせがある」 ルドルフは周囲の顔を見渡しながら、尊大な口調で言った。 「カルディア、メルザヴィアにて有事の際、私は各大使館に速やかに動くよう命じており、必要に応じて幾多の書簡を認め渡している。今回は随分手間取ったものだが、ようやくカルディアに派遣したサイモンからの文にて、事態を把握することができた」 この件はブリジットには既に報告済みであったが、ルドルフはさも今知ったかのような口ぶりで話を続けた。 「皆も心して聞くが良い。耳を疑うかもしれぬが――テオドール叔父上は、セレスティアに魂を売って、カルディアを破壊したらしい」 謁見の間にどよめきが広がる。居合わせた者達は互いの顔を見合わせると、すぐに国王へと向き直り、次の言葉を待つ。 「勇猛な将でもあったテオドール叔父上――残念なことだ。自らの欲を押さえることすらままならず、力に飲まれてしまうとは……」 芝居がかったようにルドルフは天井を仰ぎ、目を伏せる。 「従兄弟のアドリア王女もまた犠牲となり、生き残ったのはマーレ王妃のみである。だが、我々は如何なる理由があってもカルディア王国の『罪』を許すわけにはいかぬ」 ルドルフは悠然と言い放った。 「テオドール叔父上は、一国の主でありながらも、さらなる力を求めた。この世を我が手中とせんがために、だ。つまりカルディアは自ら、祖父レオンハルトが取り決めた『紅の盟約』を反故したことになる。これに対して、我らグランディアはカルディアを粛清する必要がある。サイモンやマーカスは早速、国政を取仕切ろうとしたそうだが、ジークハルトと三大公爵家によって邪魔をされたらしい。だが事が落ち着けば、新たに兵を派遣し、カルディアを我が傘下に入れてくれよう」 すなわちそれはグランディアによるカルディアを武力で制圧し、実行支配するということだ。 「ですが……カルディアにはマーレ王妃がいらっしゃるのでしょう? その件についてはいかがなさいますか?」 控えていた諸侯の一人が国王に尋ねた。「確かに、国王を失ったカルディアで王位継承権があるのは、今のところマーレ叔母上だ。だが叔母上は神子エステリアの母でもある。叔母上が女王となれば、例え捨てた娘とはいえ、この神子にも王位継承権が生じる。つまりは、『メルザヴィアに続いて』、カルディアも、獅子王レオンハルトの血を継がぬ者が、王位を継ぐ可能性がある。これほど馬鹿げたことがあってよいものか。我々は断固としてこれを阻止しなくてはならぬ」 メルザヴィアに続いて――その言葉には、ヴァロアの落胤と侮蔑するシェイドに対する皮肉が込められている。「では陛下、カルディアを傘下に置いた暁には、マーレ王妃の処遇はいかがなさるのですか?」 次はベイリーが訊いた。 「マーレ叔母上には、夫や娘を失った悲しみと、心労を癒してもらう必要がある。どこぞの静養地にでもやって、安穏とした隠居生活を送ってもらおうではないか。ベイリー、そなたさえ良ければ、叔母上の話相手になってみてはどうだ?」 この提案に、王家と密接な関係を築きたいベイリーは目を輝かせた。ルドルフはそんなベイリーを一瞥すると、話を続けた。 「それにしても、獅子の兄弟国ではここ数ヶ月の間に不幸が立て続けに起こっている。メルザヴィアでは、叔母であるクローディア公爵夫人、そして我が従兄弟ユリアーナとイザークを失った。それも何故か『ジークハルト』と『神子の一行』滞在時に、だ。真に不可思議とは、諸君らも思わぬか? 偶然にしては出来すぎているとは思わぬか?」 周囲は特に反応するわけでもなく、ただじっと国王の話に聞き入っている。 「ジークハルトが、予言の英雄とは名ばかりなものよ。彼奴こそが英雄王ヴァルハルトが滅ぼしたヴァロア皇帝の妄執を継ぎ、獅子王の王朝を滅ぼさんとする死神よ。彼奴は神子と共に、この国を訪ているらしい。一国の王として、親類を失った者として、彼奴を問いたださなくてはならぬ。そなたらもジークハルトを見つけ次第、我が前に引きずりだせ。これは王家を、このグランディアを守ることでもある」 いわくつきの出生とはいえ、相手もまた一国の王太子である。それも一方的な決め付けによって、国王は罪人のように扱おうとしている。心の中では異を唱える者もいたが、それを口に出してしまえば、不敬罪として処罰は免れない。 「時に、諸君らに問う。この世には、本当に『神子』などというものが必要であろうか? 単刀直入に言おう、私はこの世に神子なんぞ、必要ないと思っている」 国王のこの問いかけには、さすがに周囲も動揺を隠せなかった。 「神子がいなくては世界の均衡が崩れる――我々は当たり前のようにそう聞かされて育つ。だが、考えてもみるがいい。二十年前の聖戦後、暁の神子は失踪した。その後、すぐにセレスティアが選出されたものの、あろうことかあの娘は十六年にも及ぶ眠りについた。そして目覚めた際にベアールによって三年前に火刑に処され、現在、魔女に至る。次に現れたのは神子エステリアだ。 だが考えてみれば、暁の神子からエステリアの代になるまで、世界は長期に渡り、神子が不在であったことになる。だからといって天変地異が起こったわけではない。その代の神子を失おうがさほど影響がないということだ。そして今、この世を混沌に陥れようとしているのは、紛れもないセレスティアだ。 つまりは、神子が神子でなくなったとき、その神子自身が、この世の災厄を呼ぶのではないか? 一歩間違えば世界の敵となる女達だ。それにも関わらず、何ゆえ世界は神子如きを敬う?」 ルドルフは高らかに宣言した。 「このような神子などという危険な制度は即刻、廃すべきである。この世を統べるは神子ではない、国であり、王家である。すなわちこの私だ」 神子を廃す――それは世界の根底を覆し、神に背くにも等しい行為である。国王の傲慢な言葉に臣下達は、皆血の気の引いた顔で、その場に立ち尽くしていた。 唯一、国王に迎合するように一礼したのは、白銀の騎士団のみであった。 |
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